嫁カメの11 NIKKOR VR 10-30mmの絞り不調

Nikon 1 J3 + 1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6

先日妻から、Nikon 1 J3で写真が暗く写っちゃう、このレンズ(10-30mm)のときだけ、という相談を受けまして、調査をしていました。

同じ環境下で、 1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 を装着したときだけ、確かにプレビュー画像も暗いし、同じf値で明らかに自動感度の上がり方が違います。

室内だと、例えば1 NIKKOR 10mm f/2.8では絞りf5.6でISO1600程度なのに対して、 1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6だと、同じ焦点距離10mmのf5.6に設定して、最大感度のISO6400まで上昇、多分それでも足りないようで、プレビュー画像が暗くなってしまいます。

やはり10-30mmレンズ、何かおかしいです。このレンズ、以前より不具合は多く、Nikonからもレンズエラーの不具合無償修理が発表されています。

ただし、このレンズはレンズエラーのリコールは既に対応済みで、今回はそれとは別ですね。

よく聞かれる不具合として、絞りエラーがあります。このレンズの絞りの不具合は結構多いようです。

1 NIKKOR 10mm f/2.8 電源OFF時は絞りが全閉となる

上の写真は、1 NIKKOR 10mm f/2.8の電源OFF時の絞りの状態で、電源OFF時(レンズをボディから外した状態も同様)は絞りが全閉となります。
これは、絞りが開きっぱなしだと、太陽光などでセンサやシャッターユニットを焼いてしまうための対策でしょう。比較的小さなレンズとセンサのカメラだと、こうした太陽光などの影響は大きいのかな?

絞りの動作を比較する

というわけで、絞りの動作状態を見てみることに。

まず絞り開放。10mmレンズと比較すると、10-30mmレンズは明らかに絞りが開放になっていません。開放であれば、絞りは開ききっているので、ほぼ円形になるはずです。ところがある程度絞られたままの状態です。もちろん、カメラ上では絞り開放に設定しています。何らかの不具合で、絞りが開ききっていないようです。

ただ、電源OFFにすると、絞りが全閉となるので、絞りが全く動かないわけではなく、全開にならない不具合のようです。

多くのミラーレス用のAFレンズがそうだと思いますが、プレビュー時はある程度絞ると、それ以上は設定値以上には絞られない状態となります。これは、プレビュー時に絞りすぎると、感度が上がりすぎてノイズだらけ、あるいは電子シャッタースピードが極端に下がってしまうので、一定以上は絞られず、シャッターを切るときだけ実絞りとなります。

写真はいずれもf8まで絞った時の状態で、10mmレンズはこれがプレビュー状態で一番絞られた状態です。10-30mmは、より絞りが絞られている感じです。

いずれにしろ、10-30mmは絞りが開ききらないので、不具合には間違いないですね。なんという分かりづらい不具合…。晴天ばかりの撮影だと気づかないですね。

1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 は、既に販売が終わった1 NIKKORシリーズのキットレンズですから、中古でも安いですが、妻のJ3のクリーム色と同じ色のレンズは、キットレンズのみでしかなかったために、レンズ単体ではまず出回りません。

ということで、修理に出すしかないですね。中古で買った方が安いですが、中古も同じ不具合が出る可能性が高いですから。

ネットで修理依頼

ってことで、Webで修理依頼をして、レンズを発送してきました。

早いことに、次の日には修理ステータスが更新されましたが、修理代が現時点で、当初見積もりの¥8,760から¥0になっています。

6年前に買ったレンズですが、修理代0円に

不具合が多いレンズだけに、メーカーも保証期限が過ぎても無償修理しているということか?
とりあえず、まだ完了ではないので、最終的に¥0のままになるのか、修理代がかかるのかは不明です。さてどうなるやら?

【豊島屋酒造】屋守(おくのかみ) 純米無調整生 おりがらみ

新規開拓もいいけど、定番もたまには飲みたくなる。

ということで、今回はアサブロ時代から度々紹介しています、東京は東村山の豊島屋酒造、屋守(おくのかみ)の純米無調整生 おりがらみを。

【豊島屋酒造】屋守(おくのかみ) 純米無調整生 おりがらみ

自分がよく言う、うすにごり系は「飲む前から美味い」。このおりがらみもまさにそうで、透明な瓶越しに見えるうっすらとした米の澱を見ながら飲めます(飲めていないw)。

とまあ冗談はさておき、屋守の定常酒として、普通に買えますし、爽やかな吟醸香で、飲み口も甘みも辛さも強すぎずバランスが良い。日本酒入門にピッタリのお酒なんです。

酒米は八反錦

広島県産の八反錦を使用し、精米歩合は麹米50%、掛米55%と純米吟醸と言っても良いのですが、あえて吟醸とは呼んでいないようですね。お値段も高くなく、いつでも買えて美味しい。最高じゃないですか。

なかなか手に入りづらい日本酒も、手に入れた時の喜びは大きいですが、結局は味ですからね。普段から買えるなら、それに越したことはないわけです。

山梨県河口湖畔「ホテル小曲園」の外観 2002年8月撮影

20世紀末から21世紀初頭にかけて、関東甲信越圏の廃墟サイト界隈では絶大な人気を誇った物件が、山梨県は河口湖畔にかつて存在した「ホテル小曲園」でした。

ホテル小曲園の歴史は古く、戦後7年が経過した1952年(昭和27年)に創業し、小曲園グリルといった食堂やパブなども併設していて、高度経済成長とともに増改築を繰り返したそうです。

特に有名だったのは、河口湖を見下ろせる宝石風呂でした。1994年(平成6年)に廃業後、割と短期間で傷んでいったのも、有名観光地だったのもあると思いますが、増改築を繰り返し、古い部分も相応に残っていて、元々老朽化が激しかったものと思われます。

廃業からわずか数年のうちに、有名な廃墟として名を馳せるくらいに、老朽化が進んでいたのでしょう。

Wikipediaその他の解説では、廃業理由として、

手抜き工事により増築に増築を重ね、避難を困難にした複雑な構造だったためにホテルニュージャパン火災以降厳しくなった安全基準の「適合マーク」を取得できなかったためであった。

Wikipedia「小曲園」

としていますが、適合マークってこの時代からありましたっけ? という疑問がありまして。いわゆる「既存不適格建築物」だったのではないかと想像しています。その辺りの法律に詳しい方がいらっしゃいましたら、コメントいただければと思います。

安全に対する法律がまだまだ緩かった1952年創業ですから、その後繰り返し増築するも、いざ老朽化した部分を改修しようにも、その時点での法律により困難、もしくは多額の改修費用がかかることになった思われます。なにせ、斜面に建てられたホテルですから。

個人的に、今写真を見ても、建物の構造物が全体的に華奢に見えるんですよね。

そんなこんなで小曲園ですが、ここは有名観光地で、当時でも撮影は比較的リスクが高かったので、外から眺めるに留めました。
撮影から1年後には、河口湖町の方針により解体が決定し、2004年には完全に解体されました。現在では小曲展望台として開放されています。

オマケ、小曲園の右側のホテル群。ストリートビューで確認したところ、執筆時点では下の写真の建物は、現在でも現役で何よりです。ただ、手前のENEOSは廃業して、取り壊されたようです。

ちなみに、左下に映っているアコードSIRが、当時の愛車でした。
このくらいのサイズの車が丁度いいんだよなぁ…

【追記】2004年2月解体中の小曲園

上の写真撮影から1年半後の2004年2月1日の撮影した、小曲園解体途中の写真が出てきましたので、追加掲載します。

撮影は、フィルムではなくデジタルでしたが、デジカメ黎明期のコンデジ、Nikon COOLPIX 2500での撮影、200万画素のカメラですから、今ならそのまま解像度を落とさなくても、Webに掲載できます。

黎明期故のコンパクトデジカメゆえ、画質は今見るとかなり悪いですが、解体中の雰囲気をご確認できればと思います。

山梨県甲州市「焼山集落」2002年8月撮影

過去写真のアーカイブ、2000年代初頭を中心にアップしております。

今回は、2002年8月に撮影した、山梨県は現甲州市(旧大和村)にある廃村、焼山集落をアップします。

当時、社会人になりたてのYamaroは、山梨の会社に務めており、高校の同期のなべ氏と夏休みに合流し、撮影に出かけました。その後、なべ氏とは、彼が地元に戻る2010年代後半まで、度々廃墟撮影に行ったものです。

現在は道路が整備されたと思われる焼山沢までのルートは、この当時まだ工事中の区間もあり、CF4アコードSIRに乗っていたYamaro、下回りを擦りつつ現場に向かったものです。その当時はまだカーナビも積んでいなかったかな。当然スマホどころか、ガラケーにもGPSが付いていなかったと思います。まっぷる片手に移動したものです。なので助手席にナビがいるほうが、何かと都合が良いんですよね。

最近の焼山集落の様子を検索しましたが、未だ健在のようで、降雪地域とはいえ、比較的積雪が少ないからでしょう。とは言え、2002年から比べると、今では部分的崩壊や、残留物も少しづつなくなっているようです。

それでは2002年の夏、草が生い茂りすぎてかき分けながら撮影した写真を御覧ください。

Nikon F90XsにレンズはAI AF Nikkor 35mm f/2D、状況によってSIGMA 28-70mm F2.8-4 UCを、フィルムはリバーサルでFujichrome TREBI 100Cという、価格は安いけど、あまり息の長くなかった初心者向けのリバーサルを使用しています。ちょっと色がね…。

一部崩壊しているところがあるものの、この当時はまだガラス窓や扉は健在でした。
夏の盛りの撮影は、草や虫との戦いだと、この時知りました。
建物は扉が開き、ウェルカム状態でしたので、お邪魔させていただきました。

玄関にはなぜか釜が転がっていました。囲炉裏が時代を感じさせます。
鳥かごが置いてある台所は、最近の写真を拝見する限り健在のようですが、この撮影の2002年当時とは食器や調味料などの位置が変わっていて、残留物が少なくなっていました。

また、畳はこの時まだ存在していましたが、現在では土に帰っているようです。

焼山集落の象徴でもある、三菱ミニカ、夏なのですっかり緑に覆われていました。
ミニカエコノターボは、1984年から5年間販売されていた、4ナンバーバンながらターボ、しかも軽自動車初のインタークーラー付きターボで、ボンネットにダクトがあるのが特徴でした。

この撮影時点で屋根は潰れていて、雪の重みに耐えられなかったのでしょうね。
最近の写真では閉じているボンネットも、この当時は全開でした。

それでは別の建物へ。ここは小料理屋っぽい感じでしたが、一般住宅だったのか、果たして?

大量の一升瓶やお猪口があったことから、一般住宅というよりは、住宅兼小料理屋っぽい雰囲気でした。
一升瓶は、今は日本酒か焼酎のイメージですが、この時代はまだペットボトルが普及していなかったため、お醤油などの調味料でも一升瓶が使われていました。なので、大量の瓶も、酒ではなく調味料だった可能性もあります。処分が大変だったので、ある程度溜め込まれているのは、山奥の廃墟ではよく見かけました。

「三和のかまど」は、現在の三和金属のかまどなのかな?

今見ると色々興味は尽きませんが、また見に行く機会はあるかな?

北海道苫小牧市の廃…ではなかった市営アパート 2000年11月撮影

過去写真の再編集アーカイブです。

時は2000年11月、この時代、ネット界隈では廃墟撮影がちょっとしたブームになりつつありました。元々廃墟写真は好きでしたが、自分でも撮影してみたい、と思い、まずは身近なところから、ということで、当時一時期だけ住んでいた、苫小牧市内にある、廃市営アパートを撮影しに行きました。
これが、Yamaroの廃墟撮影第一号…になるはずでした。実際には完全な廃墟ではなく、まだ住んでいる方がいて、結果的には不法侵入になってしまいました。今は時効ということで、お許し願えれば。

昨今、高度経済成長期に建てられたアパートやマンションの老朽化問題が深刻になっていますが、人口が急増し、昭和30年代から40年代にかけて多く建てられた市営アパートも、20世紀末、一部は老朽化が始まっていた時代です。

この当時、すでに苫小牧市内には、老朽化した市営アパートが多くあり、この撮影地以外にもいくつか存在していました。
今では、それらのほとんどは建て替えられています。

このとき撮影した市営アパートは、1階がかつて商店が入っていたと思われますが、固く閉ざされていました。

そしてこの撮影から数日後、夜通った際には、2階に2世帯、3階に1世帯の明かりが確認でき、現役であることが確認できましたが、3階の廊下は照明もなく、3階の住人は夜は怖いかもなぁと思った次第。

この撮影の半年後の2001年には、入り口と窓はベニア板で塞がれ、住人が完全に撤退して本当の廃墟になったことを確認しました。
また、その頃はすでに自分も苫小牧市を離れていました。(お隣の千歳市に引っ越し)

それでは、2000年撮影の写真を御覧ください。
当時は、Nikon F90XsにAI AF Nikkor 35mm f/2D、フィルムはFujifilmのNEOPAN PRESTO100で撮影。これをフィルムスキャナで取り込んでいます。

公開当時は長編方向800ピクセルの解像度でしたが、時代に合わせて1920ピクセルで再編集しています。

鉄格子の廊下の窓枠は、昭和30年代建造のアパートでよく見られるものですが、見た目には冷たく閉ざされた印象を与えます。

入り口のドアガラスは割れ、ペンキは剥がれ、鉄の扉も郵便受けも激しく錆びていて、とても現役には見えませんでしたが、廊下の明かりが点灯しているので、現役とわかりました。
そして撮影中、

カツッ、カツッ、

と足音が聞こえ、新聞配達らしき人と遭遇。お互いビビったと思います(笑

上の最後の鉄格子のわきから外を眺めた写真、当時の愛車だったホンダドマーニが写っています。そしてこの写真がヒントとなり、現在の様子がわかりました。ドマーニの後ろに、白い2枚シャッターのガレージが写っていますが、これがヒントとなりました。

2012年のストリートビューで健在のガレージ

ストリートビューで、撮影当時と同じガレージを発見。ストリートビュー自体の撮影日が古いので、現在も存在するかは不明です。

なお、アパートは取り壊され、現在は別の施設が建造されています。ストリートビューで見ても、2000年当時の建物自体が少なく、わずか十数年で、景観は変わるのだなと感慨深くなりました。

「入居停止住宅」とあるように、すでに住んでいない部屋に新たに住人が入ることはなく、このアパートは用途廃止がすでに決まっていたのでしょう。郵便受けも大半はガムテープで塞がれていました。

現在も、このような老朽化したアパートは多く存在しますが、古くても現役の物件も多いので、そのような建物への侵入は辞めましょう。

秩父山奥の廃山荘「鹿の湯山荘」2010年1月撮影

過去写真のアーカイブとなります。

2010年1月、埼玉県秩父市の熊倉山にある廃山荘「鹿の湯山荘」を撮影しました。

細く荒れた山道を登って途中で車を止め、少し歩くと見えてくるのがこの旅館。
アクセスも良くなく、駐車場もなく、日当たりの悪い立地ですが、現役当時は奥にスキー場もあったそうで、いわゆる山奥の鄙びた宿として、現役当時はそこそこ人気だったようです。
一部建物の崩壊が激しく、この撮影当時でも、倒壊も時間の問題と思われました。

平成初頭、つまり90年代までは営業していたようで、色々調べると、山奥の山荘らしく、猪鍋や山菜料理がでる、おばあちゃん3人が仕切っていた、という宿のようでした。

この撮影後、やはり倒壊してしまった(崩壊が激しく意図的に倒壊させた)との情報もあり、Googleマップの衛星写真を確認したところ、建物のあった場所は確認できましたが、すでに建物はなく、撤去されているように見えます。また、撮影当時残っていた山荘の看板も撤去されているようです

HP公開当時は、場所と山荘名は非公開としましたが、すでに建物は現存しないと思われることから、公開することとしました。

当時の写真を再現像するとともに、画像の解像度もアップしました。また、非公開だったモノクロフィルム撮影の写真も同時公開します。

TCT Japan 2020にいってきた

昨日、お仕事の商談…というよりは情報収集で、東京ビッグサイトで開催されていたTCT Japanに行ってきました。

東京ビッグサイト

国内最大級3Dプリンティング & AM技術の総合展

と銘打っています。

仕事で使えそうなフィラメントやら機械やらを調査。知っている営業さんから「大きな声では言えませんが…」という裏情報もらったり、色々サンプルいただいたり。

その中で気になっていたにがこちら。

Nikon Lasermeister 100A

画像はNikonのHPより引用

Nikonも光加工機 Lasermeister 100Aを展示していました。加工機、というので、てっきり3次元加工機なのかと思ったら、指向性エネルギー堆積法(Directed energy deposition)による3Dプリンタなのですね。名称が「加工機」となっているので、ちょっと誤解を招きやすいかなと思いました。

指向性エネルギー堆積法とは、簡単に言うと、肉盛溶接みたいなもので、レーザーを当てて、そこに金属粉を噴出させて、金属粉を溶かしながら造形していく方式です。なので、元々ある物体に肉盛りで追加工を行うこともできます。例えば、穴の空いた金属部品の穴埋めや、既存のものに3Dデータよる追加造形も出来るそうです。

カタログを頂きました

お値段は5千万円程度で、従来の同様なプリンタの半額。自社のレーザーを活用できるので、ライバルより安くできるとのことでした。この辺りは、さすが光学メーカーですね。

金属の粉末を噴射させるので、金属のプリンタで一般的な、槽内の窒素ガス充填は必要ですが、焼結は不要だそうで、別途焼結炉が不要だそうです。

金属の粉末を敷き詰めて焼結させる方式と違って、この1台でプリントを完結でき、場所も従来よりとらないのが強みだそうです。

同様の方式のプリンタでは、低価格だそうです。

これに限らず、従来より造形品質が良くなっていながら、価格が大幅に下がっている製品が多く、まだまだこれからもこの市場は伸びそうですね。

もっとも、もの作りが完全に3Dプリンタに置き換わる訳ではなく、もの作りの可能性が広がると言えるでしょうね。

他の技術展も同時開催していて、母校の大学も出展していて、懐かしくお話しさせていただきました。

では帰ります。

帰ります~