「AI AF DC-Nikkor 135mm f/2D」タグアーカイブ

【東京】鳩ノ巣周辺は中々の絶景です

東京都なんですよ奥多摩は。鳩ノ巣周辺の廃墟散策、廃墟がなくても中々の絶景スポットでもあります。

先日行った際はまだ紅葉には早かったです。2025年は11月中旬から下旬にかけてが見頃と思われます。
絶景ですが、一歩先が崖な場所もあります。柵はありません。十分注意しましょう。
撮影に際しては、カメラと三脚をセットして、自分はなるべく崖に近づかないようにしました。

最近はデジタルカメラも手ブレ補正、高感度耐性の良さから三脚を使わない人も増えました。が、カメラの基本感度で、三脚に据えてじっくり撮るのも良いです。
Nikon Z8は高画素機、積層型CMOSセンサで電子シャッターのみなので、センサの熱ノイズはどうしても出やすいカメラです。でもこうしてISO64という低い基本感度で撮影すれば、そうしたノイズは気になりません。
少なくとも実写ではノイズの影響は感じないですよ基本感度だと。ベンチマークテストでグレーカードで比較するとノイズはあるかもですが、それは実写とかけ離れた世界です。
カセットテープだってラジオだって、音源があればノイズはマスキングされ目立たないのと同じ理屈です。

あと、Nikon Z8はベイヤーセンサの高画素機なので、木の葉のように高周波成分の多い被写体は、明瞭度を落としたほうが逆に絵に精細さが出ます。明瞭度は輪郭をくっきりさせる効果はあるけど、木の葉のように細かい描写だとその輪郭が目立ちすぎてうるさい絵になるんですよね。

さて紅葉、イチョウ以外はまだまだ色づきが始まっていなかった11月上旬の奥多摩の鳩ノ巣、ごく僅かに色づいているものもあったので、135mmで抜いてみました。
かなり演出入っています(笑

実は実際はもみじの赤はそのままですが、周りの葉っぱは緑だったので、ガッツリ色温度をいじってみました。お遊びです。実際にはこんなに黄色っぽい葉っぱではないです。
AI AF DC-Nikkor 135mm f/2Dで、DCリングは過剰に回してみました。こういう幻想的な柔らかい写真になります。

来年は…11月後半に行きたいな。今年はもう予定が立て込んでて難しいです。

場所はここです。


高速連写も風景も、何でもOKなカメラです。

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【東京】奥多摩の鳩和荘と旧一心亭 ふたたび

前回の訪問から4年半。

紅葉の時期に来てみたいなぁと思って4年経過してしまいましたが、行ってきました。鳩ノ巣駅横の駐車場に停めました。

紅葉の時期故に、日中は道路が混むと思い早朝に。
前回来たとき、駐車場は無料でしたが、この4年半でいつの間にかタイムズの有料駐車場に。しかも土日祝日の8時以降は最大料金なしになっていました。
観光客が増えたからなのか、以前よりも奥多摩は有料駐車場が増えましたね。

1枚目の看板の民宿は現役です。が2枚目の看板はすでに崩壊してガワのみになっています。
3枚目の橋からは、日中素晴らしい景色が楽しめますのでぜひ。

そして、本当は紅葉と絡めて写真を撮りたかったのですが、紅葉はイチョウくらいで、紅葉はまだ青々としていました。奥多摩の紅葉のピークは、今年は11月下旬になりそうです。

鳩和荘へ

上のリンクにある4年半前のブログの写真と合わせてご覧いただければと思います。入口は大きな変化はありませんが、ひさし内側の木の板がより大聞き剥がれてきていますね。

前回は一部の窓が開きっぱなしでしたが、今回は塞がれていました。ただ前回は塞がれていた窓が、塞いでいた板が外れてしまっていたりと、やはり年月を感じました。
2000年頃に閉業したと思われる鳩和荘ですが四半世紀経過し、あちこち老朽化が目立ってきていますね。
ただ渓谷に建造されたこの建物、解体もかなり大変そうです。ちなみに現在は所有が奥多摩町に変わっているようですね。

そして前回通れた道路は一部こうして塞がれていました。

まだ新し目の板で塞がれています。この先は鳩和荘の建物が多くありましたが、今回塞がれたことで、その多くを拝むことが難しくなりました。建物も老朽化しているための措置でしょう。この周辺は渓谷のハイキングコースにもなっていますが、ここのルートは危険と判断されたのでしょうね。

1999年秋のNational/Panasonicの暮らしの特選カタログは前回より色褪せが進んでいました。
柵の隙間から向こうが見えます。もう通れない場所になってしまいました。

旧「一心亭」

通れる道を下っていくと、ここから現在別の場所で営業している「一心亭」の以前の建物が現れます。最初に現れるのは旧一心亭の屋上です。
そう、ここは渓谷の斜面に建物があるので、ダンジョンのように入り組んでいるのです。
ああ、せっかく紅葉目当てで来たのに、紅葉はまだ青々としていますね…。

2007年9月の台風により多摩川が増水した際に、1階部分が水没した旧一心亭、復旧してしばらく営業したものの、現在移転したのは、このロケーションからすると残念ですが、増水によるダメージは大きそうですから、仕方ないのでしょうね。

ここからは素晴らしいロケーションで、お気に入りなんですよここ。

本当に良い場所なんですよね。駐車場がないとか、中々営業が難しかったのでしょうけど。紅葉がもう少し進んでいたらなぁ。

再び鳩和荘へ

旧一心亭と鳩和荘は隣接しています。滝の横にある階段を上がると、その先は立入禁止になっていました。
この先は4年半前のブログではまだ通れたので、そちらの写真をお楽しみください。

だんだん日が昇ってきました。
最後に、渓谷に佇む鳩和荘の浴場への建物を。

本当によくここに建造したものです。重ね重ね、ロケーションは最高なんですよね。やがて緑に飲み込まれていくのでしょうね。

次こそは、次こそは紅葉ピークの時に行きたいですね。

一気に桜が開花したので光が丘公園で花見をしてきた

今週末一気に桜が咲いた関東、次の週末はもう散りそうな感じなので、妻と2人で光が丘公園に行ってきました。流石に中は花見客でごった返していましたね。

久しぶりの魚眼レンズも。なかなか作画が難しいですね。

AI AF Fisheye-Nikkor 16mm f/2.8D

カメラがZ8なので、今回持っていったAI AF Fisheye-Nikkor 16mm f/2.8DAI AF DC-Nikkor 135mm f/2Dはモータ非内蔵レンズはAFが使えません。
ただCPU内蔵レンズなのでフォーカスエイドが使えるのと、ミラーレスなのでフォーカスポイントを中心に拡大表示できるので、スナップなら問題ないな。
こういったレンズでAFが使えると便利なんだけどなぁ…。焦点工房のモータ搭載マウントアダプターがまともに使えるようになってくれれば。
しれっと純正出してくれないかな?

同じ桜でも光の当たり方や品種で色が変わりますね。ぶっちゃけ同じ品種でも、太陽が当たるか日陰か、順光か逆光下でも色味が変わってきますね。そこか面白いところでもあり難しいところでもあります。

ほんの2時間程度でしたが、妻と一緒に見られてよかったかな~。

鎌北湖の佇む2つの廃ホテル

鎌北を訪れた本来の目的。

森に飲まれた廃ホテル「山水荘」。このロケーションが個人的にお気に入りです。
ですがまずは「鎌北湖レイクビューホステル」に向かいます。

鎌北湖レイクビューホステル

廃ホテル2つというタイトルですが、こちらはホテルではなくホステルです。かつては「鎌北湖ユースホステル」だったようですが、2006年にユースホステルとしては閉業し、その後公共の宿泊施設(自治体と民間が運営する第三セクター)となり現在の名前になったようで、2010年代前半までは営業していたようです。
トリップアドバイザーの最新の記事でが2015年でした。
以降は営業している様子はなく、通電はされていて電気はついているという書き込みはありました。
2022年には、既にオーナーが宿泊を断っているというブログもありました。
また2023年には改装している?スタッフ募集しているとの情報も見つけました。「

結局やっているのかやっていないのか、はっきりしないですね。

しかし2024年9月、実際に来てみると…


自販機は撤去され、冷蔵庫が外に出されていました。立ち入り禁止のテープも張られています。営業中の看板が出ているのは御愛嬌。

かなり汚れが目立つ建物

建物もかなり汚れが目立ちます。どうやら、中のものをある程度出した様子です。「2019年現在、予約が入ったときは営業している」という廃墟検索地図の情報ですが、2024年時点ではどう見ても営業できる状態には見えません。
建物の管理はされているのでしょうけど、公式サイトもつながらない状態で、事実上の閉業状態と言ってよいでしょう。

奥に行ってみました。どうやらしたの1枚目左側の部分が大浴場ですね。


タンクが併設されていて、かつては秩父の大滝温泉 神の湯から温泉水をわざわざ輸送し、このタンクに入れて風呂に供給していたようです。以前は温泉を運んでいたタンクローリーが廃車同然に置かれていたようですが、撮影時点では存在しませんでした。

かつてはハイキング客でにぎわっていて、いのぶた料理も提供されていたようですが、今はわざわざこの山奥に宿泊しようという時代でもないのかもしれません。
建物の老朽化もあり、改築してまでの営業は難しいのかもしれませんね。その建物自体は、昔ながらのデザインながら、なかなか味のあるデザインです。
食べログに現役当時の料理屋客室の写真があります。これを見る限り、悪くない感じですね。

ホステルの奥は雄大な森。森林保全には企業も出資しているようです。ここは林道が各所にあり、ハイキング客もちらほら。あまり時間がないので、森の散策はせず戻ります。

続いて…山水荘へ。

警告看板には、所有者の名前(後述のI氏)、住所(毛呂山町ではないが埼玉県内某所)、電話番号があり、「(不法進入による)全責任は毛呂山町の悪政にあります。」とただならぬ雰囲気。
どうも現在の所有者は、毛呂山町に対して怒っている様子です。良い子(おっさんですが)なので、ここから眺めるにとどめました。
ちなみに円形状の本館建物のあった場所が、悪政…と書かれた看板の左奥です。
2007年に撮影された、まだ円形の本館やその隣の建物が現存していた頃の写真を上げたXの投稿を見つけました。レイクビューホステルも現役の貴重な写真ですね。

2007年6月に中央の建物は取り壊しされ、2011年10月には左の円形の建物は不審火により焼失しました。

それにしても草木が鬱蒼としていますね。リスクを冒してまで中を見たいとも思わないので、ここで退散します。

周辺はモミジが多く、これからの秋の紅葉時期はなかなかよさそうです。
春にはダム堤防に桜の木もあるので、そこもよさそうですね。

ここからは座学?

「山水荘」は何時頃できたのか?

国土地理院の航空写真を見てみると、1961年(昭和36年)までは、この場所は森になっていましたが、1962年(昭和37年)9月時点で、まず独特な円形状(扇型?)の建物が完成しているのが見えます。これが本館です。

1962年9月、本館らしき円形状の建物ができている

1964年(昭和39年)5月には、不鮮明ながら中央部分の建物が出来ているように見えます。また鎌北湖レイクビューホステルの前身である「鎌北湖ユースホステル」の建物らしきものも見えるので、この2つの建物は似たような時期に建造されたようですね。

1964年5月、中央の建物もできているように見える

1969年には、現在も残る別館の建物がするので、60年代に全ての建物が完成しているようです。

1969年には現存する別館らしき建物も確認できる

写真を撮り忘れていましたが、鎌北湖の駐車場の脇に「いのぶた」の商標にまつわる石碑があり、これを商標として登録したのが、当時の山水荘のご主人の小山朝雄氏だったそうです。
この「登録商標 No.1186297」を見てみると、1970年(昭和45年)に出願し、1976年2月に登録されています。ずいぶん時間がかかるものです。

その後10年ごとに更新していたようですが、2005年には更新されず、2006年2月をもって権利満了により消滅しています。
ちなみに商標権を持っていたのは「鎌北観光興業株式会社」で、すでに廃業または倒産した企業とはなっていますが、その登記場所の住所が「埼玉県入間郡毛呂山町大字大谷木1266番地」となっていて、これを調べると、なんと前回紹介した「福寿亭」の場所となっています。

つまり、福寿亭も山水荘の同一のオーナーだった可能性があります。

1997年頃に山水荘は経営難から閉業したとの情報があります。かつては元毛呂山町長の小山捷児氏が所有していたそうです。
ここで、1970年代の山水荘のご主人と、元毛呂山町長が同じ「小山」の姓であることに気づきます。
小山朝雄氏と小山捷児氏は、もしかしたら兄弟?あるいは親戚同士だった可能性がありますね。

その後所有者が変わり、2007年には中央の建物は取り壊しになったようです。
しかし、その後再開することはなく、2011年10月には円形状の本館建物が不審火により火災喪失しています。
現状では廃墟化した別館が残るのみです。

こんな情報を見つけました。何年か前に鎌北湖開発の話が持ち上がっていたようです。
それに関連し、現在の所有者は毛呂山町の町長が山水荘を買い取るという話を持ち掛けたが実現しておらず、これに怒り心頭のようです。断片的な情報ながら毛呂山町議員のブログに書かれていました。

なるほど、あの看板にあった「毛呂山町の悪政」とはこのことなんでしょうね。
実際にどういったやり取りがあったのか、さらに調べてみるとこんな記事を見つけました。長文で詳細に書かれています。

記事には、2004年にS社が小山捷児氏(1991~95年の元毛呂山町長)が保有していた山水荘物件を購入したことや、
「経費の軽減になると考え建物の一部を壊し」とあり、時系列的に2007年に中央部分の建物を解体したことと合致します
その後、S社の創業者で株主でもあったI氏が個人的に山水荘を購入しています。
しかし所有するだけでも維持管理費や固定資産税がかかる中、2016年に鎌北湖の観光開発の会合があり、その中で町長やその関係者、土地の所有者I氏との間で山水荘買取の話が出ていたようですね。
その会合後に開発や買取の話が進展はなく、I氏は約束を齟齬にされて怒り心頭のようです。

山水荘は画廊にしたいという話もあったようで、建物はそのままリフォーム(年代的にアスベストを使っていて解体建て直しとなると相当な費用が発生する)、という話もあったようですが、物件の買取か賃貸かでも齟齬があったようです

もちろんこの記事の内容が100%正しいかはわかりませんし、読んでいくと話がつながらない部分もあり、やや一方的な感じはありますが、何となくこの山水荘にまつわるイザコザが分かったような気がします。I氏からすれば、ここまでの経緯がまさに「毛呂山町の悪政」なんでしょうね。

なかなか泥臭い話ですが、そういった事情もあり、現在も手つかずのままなのも致し方ない感じなのでしょうね。口約束、怖いですね。

あと、元毛呂山町長の小山捷児氏が2004年まで所有していたことも分かりましたが、元町長がいつごろから所有していたのかは不明で、2018年に80歳で亡くなっているようです。町長任期中に病気で失明し、1期で退任したようですが、その後も様々な活動をされていたようですね。
心霊スポット云々は興味がないので…

ネットで調べた限りはここまでが限界ですね。

最後に面白い発見。毛呂山町の2010年の広報誌の末尾に、1960年(昭和35年)4月ころの山水荘の写真が掲載されています
https://www.town.moroyama.saitama.jp/material/files/group/3/42212.pdf
現在はここは廃業している「おたか 湖畔荘」があり、山水荘は1960年ごろまではダム堤防外側で営業し、その2年後の1962年頃に現在の場所に移転したと考えられます。
誰が経営者だったのか、いつ頃元町長の所有となったのかはわかりませんが、廃業後の経歴はなかなかでした。
ここに限らず、こうした廃墟の背景にはいくつものドラマがあるのだなと痛感させられた次第です。

鎌北湖の周辺を散策した

ふと思い立って、埼玉県入間郡毛呂山町にある鎌北湖に行ってきました。初めての場所です。

目的はこれ。廃ホテル「山水荘」ですが、まずは湖畔を散策することに。
鎌北湖は、1935年(昭和10年)に完成した人口の農業用貯水池で、なかなか歴史のあるダムのようです。
数年前には、耐震化工事のため「池の水全部抜く」を実施したそうで、検索してみると、この写真からは想像もつかないくらいかなり深い貯水池のようです。
こちらのブログに、水を抜いた状態の写真があります。これを見ると、せき止め部分が台形型のフィルダムの形状のようですね。

洪水吐は独特の形状で、ゴミが流れ出にくい形状なんですかね? 流れ出た水はトンネルに吸い込まれていきます。

一見ダムに見えないのですが、柵のない道路部分はダムの頭頂で、湖の対岸はご覧のように緑に埋め尽くされていますが、均一に傾斜しているので、人口物と分かります。
鎌北湖レイクビューホステルの看板があちこちにありましたが、こちらは後で訪問するとして、もう少し湖周辺を散策します。

取水施設はおしゃれな建物ですね。

ボート乗り場にはスワン型と通常のボートが固定されていて、町のHPの写真では、ずらりとボートが並んでいますが、現在はボート故障のため営業中止しているようです。


ボートも長い事使われた形跡がないですね。毛呂山町観光協会が運営していたようですが、故障を直す予算はないのでしょうか?
鎌北湖の案内看板も文字が見えなくなっています。
以前はもう少し観光客がいたようなのに、どうしてこんなに荒廃した雰囲気になってしまったのかな?

ボート乗り場の対岸、鎌北湖の入り口付近にあったる「おたか 湖畔荘」は閉店していました。
プロパンガスも外されていて、ストリートビューを見ても、一番古い2011年の時点でプロパンガスは取付けられておらず、もっと昔に廃業したようです。
調べてみると「おたか」自体は同じ毛呂山町の別の場所で営業しているようです。ここがいつまで営業していたかの情報は、調べてもわからなかったです。

湖畔を少し歩きます。湖の管理棟らしき場所に人は不在でしたが、カレンダーは現在のものが内部にかけられていました。

福寿亭というお店は閉まっていましたが、車が置いてあるのはどうやらこの辺りがヘラブナの釣りスポットのようで、恐らくその釣り人の車でしょう。

福寿亭は閉業したようです

ここはかつては入漁券を販売していたようで、ある2010年の釣りブログに、ここで入漁券が買えるという旨書かれていましたので、その辺りまでは営業していたと思われます。
ただストリートビューで一番古い2011年の時点でも営業している様子はありません。

こちら側からも「山水荘」が見えますね。この湖、対岸がすぐ見えるのであまり深そうに見えないけど、実際はかなり深いのは水を抜いた際の写真を見るとよく分かります。

ダム堤防まで戻ります。わき道があり、ここからダム堤防下まで降りることができ、さらに先はそのまま林道につながっています。

ダム堤防脇に下まで降りられる階段があった

降りてみました。
この人工の川は、どうやら洪水吐のトンネルに吸い込まれた水がここから出ているようです。


そしてここから荒川水系の大谷木川の始まりとなるようでした。

大谷木川起点

降りた先に大谷木川に沿った林道があります。そのまま麓も街まで行けるようです。

時間があれば散策してみたいところですが、今日の目的ではないので戻ります。

ということで、ここからはやっと本題というか、本来の目的地を散策しますが、それは次回に。

春を通り越した気温28℃のなか、東武動物公園へ行ってきた

年度末の3月31日、関東は気温28℃だったらしい! 春を通り越して一気に初夏が来ましたね。
とは言え真夏のような高温高湿ではない今時期に行くのが良いよね、ということで、子どもたちの習い事もお休み、妻も仕事は休みということで、久しぶりに家族全員でお出かけです。だんだん子供が大きくなると、お出かけについてこなくなりますからね。

娘のリクエストで東武動物公園でした。
色々リニューアルされていて、入場チケットはアソビューで事前購入できるようになっていたり、駐車場がタイムズのアプリ精算出来るようになっていたり。
どの業界も人手不足が言われていますが、省力化出来るところはしていかないとですからね。

残念ながら、子どもたちが楽しみにしていた動物ふれあいは、開園から30分後には既に整理券配布終了。早いなぁ。
鳥インフルエンザ流行のため、一部鳥の展示エリアは入場出来なくなっていました。

写真は程々に。やっぱりこうした撮影に便利なZ 24-200mmが活躍しましたが、Z 40mm f/2にDC-Nikkor 135mm f/2Dと好きなレンズも持ち出しました。この組合せ、結構気に入っていますが、最近やっぱりNIKKOR Z 35mm f/1.8 Sも欲しいなとなっています。35mm何本持っているのやらw

1日遊んで満足でした。
東武動物公園は混んでいると言っても、まだゴミゴミしすぎていないのが良いです。ゆったり見れますしね。


NIKKOR Z 28-400mmも発表されましたが、サイズ感や24mmからスタートの24-200mmは使いやすいですし、全域で解像力も良好、軽くしたいお出かけにおすすめのレンズです。

久しぶりに家族でサイボクに行ってきた

娘がだんだん大きくなってきて、家族と一緒にお出かけがめっきり減ってしまいました。
が、久しぶりに家族全員で行こうということになって行ってきましたサイボク

豚肉の精肉工場に併設された売店、飲食店、遊び場や温泉までついていて、1日遊べる所です。

こうして親子で遊びに行ける時間って限られていますよね。子供はあっと言う間に成長するので、こういう時間を大切にしないとですね。

サイボクの森

今回はFマウント単焦点レンズで撮りたく、こちらのレンズを使いました。

何十年ぶりかの後楽園に行ってきた

早いもので、今年から娘が塾に通い始めまして、お受験させられる収入が我が家にはないんですけどね…。
塾のテストがありまして、会場が後楽園のとあるビル、ということで、子供を送迎したあと、テストが終わるまで後楽園駅周辺、小石川後楽園をぶらつくことにしました。

せっかくなので、写真でも撮るかと、持っていったのはZ 8ではなくD850に。Fマウントのお気に入りレンズを使いたく、だったら一眼レフのほうが楽しいしな、ということでD850です。

Nikon D850とお気に入りのレンズたち

レンズは、AF-S NIKKOR 35mm f/2.8G EDAI AF DC-Nikkor 135mm f/2DAI AF Fisheye-Nikkor 16mm f/2.8DAI Nikkor 50mm f/1.2Sの4本。どれもコンパクトですし、大好きなレンズです。AF-S 35mm以外はディスコンになってしまいましたが、中古市場では比較的手にれやすいレンズでもあります。
ただこれが10年後にどうなるか、ですね。次第に良品は入手しづらくなってくるでしょうね。

AF-S NIKKOR 35mm f/2.8G ED

何だかんだで一番便利に使えるスナップレンズです。デジタル一眼レフ時代に合わせた設計ですが、ことさら解像力を強調するでもなく、素直なボケ味と適度な解像力が魅力です。
Dタイプの35mm f/2Dよりは大きくなったけど、それでも今どきのレンズとしては軽量な部類です。もちろん、Nikon D850との相性は最高に良いです。
Fマウントの一眼レフで最も高解像度となるD850でも、余すところなくその描写を堪能できます。

ZマウントのNIKKOR Z 35mm f/1.8 Sもとても評判が良いですが、なにせお値段は倍。AF-Sのコスパが光ります。
もちろん解像力や収差のなさなどは、Zのレンズのほうが上ですが、AF-Sの描写はとても自然体で好きです。

AI AF DC-Nikkor 135mm f/2D

収差補正をコントロールすることで、ボケ味をコントロール出来るDCニッコール、Zマウントでもこういう遊びのあるレンズが待たれますが(RFマウントのCanonに先を越されちゃってるし)、まずはFマウントで楽しみましょう。
やや軸上色収差の出るレンズですが、開放で撮りたくなる魅力があります。
135mmという焦点距離も、画角的に中途半端かなと思っていましたが、使ってみるとむしろポートレートでおなじみの85mmより個人的に好みでした。

中古で安く買えるのは今だけと思っています。数年後、どうなっているかな? 使い後なしのあるレンズですよ。

AI AF Fisheye-Nikkor 16mm f/2.8D

魚眼は難しいです。でも、自分の視神経的にはむしろ、周辺ほど湾曲する魚眼のほうが自然に感じることもあります。
撮り方によっては魚眼を感じさせない自然な描写にもなります。1枚目の写真は、一見魚眼と分からないですね。

個人的に、動画でも魚眼レンズって良いと思います。過去に、D850とFisheye 16mmで撮った動画を載せておきます。

AI Nikkor 50mm f/1.2S

今回唯一のマニュアルレンズです。特殊な業務用を除けば、Fマウントの写真用レンズとして最も明るいf1.2の開放f値です。それでいてコンパクトなのが素晴らしい。
古い設計のレンズ故に、絞り開放時のピントの周辺にまとわりつく球面収差がまた味わいになりますし、f4まで絞れば収差も消えてカリッと解像します。今どきの再sんレンズみたいに、開放から解像力も高く収差もない、というのとは違って、絞り値による描写の変化を楽しめます。
ついつい開放で撮りがちです(笑

中古でしか買えなくなりましたが、販売期間は1980年代から2020年までと40年近くあったため、中古での程度はピンキリで、ジャンクレベルからほぼ新品レベルまで様々。
とくにRoHS指令によりレンズの材質変更があった2005年以降のものがオススメです。私のも最新ロットの個体ですが、コーティングが改良されているのと、表面の塗装に仕上げがより質感が高くなっているように思います。


ということで、ちょっと古いレンズ(AF-S 35mmは新しいですが)で写真を撮るのは楽しいです。最新レンズはよく写りますし最高の描写ですが、こうしたちょっと古いレンズもまた、レンズの個性がよく味わえますよ。
趣味のスナップにはこうしたレンズが楽しいですね。

Nikon Z 8 + AF DC-Nikkor 135mm f/2Dでまったり撮る

Dタイプのレンズを、マウントアダプタのFTZ IIを使ってNikon Z 8に装着。

AFが使えないZボディでも使いたくなるAF DC-Nikkor 135mm f/2D

周知の通り、旧来のボディ駆動AFのFマウントレンズは、FTZ / FTZ II経由ではAFが使用できない。けれど、フォーカスエイドは使えるので、フォーカスポイントを被写体に合わせておいて、レンズのフォーカスリングを回すと、フォーカスが合った際にフォーカスポイント枠が赤から緑に変化します。
何故かNikon Zマウントボディでは、このフォーカスエイドはCPU内蔵レンズでのみ機能します。CPUのないレンズでは、このフォーカスエイドが機能しないのです。
AFのFマウントボディなら、CPUのないレンズであっても、フォーカスエイドが機能します。何故なんでしょうね? 像面位相差AFは、一眼レフの位相差AFセンサほど検出力がないから? 
とはいえ、CPU搭載レンズなら、フォーカスエイドが使用できるため、あとはAF駆動させるモータをマウントアダプタに内蔵すれば、スピードや精度はともかく、AFは使えると思うのですが、AFモータ内蔵FTZ、過去のメーカーインタビュー記事などを見ても、Nikonにはあまり作る気はなさそうです。実際作っても高価で売れない、と危惧しているかもしれません。実はこっそり開発中とかなら嬉しいのですが。

SONYのAマウントアダプタも制約はある

SONYでは、MINOLTAやSONYのAマウント時代のボディ駆動AFレンズを、EマウントボディでAF使用可能なマウントアダプタ、LA-EA5が存在します。

このサイズでモータ内蔵するのはさすがSONY

マウントアダプタ内にAFモータとカップリングを搭載して、旧来のMINOLTA時代のレンズもAFで使えます。
ただし、全てのEマウントボディでAFが使えるわけではなく、制約も存在します

例えば、Aマウントのテレコンバーターは使用不可能です。(NikonのFTZ / FTZ IIはテレコンバーター使用可能)
また、α9やα9II、α7SIIIなど、一部のボディではモータ非内蔵レンズのでAFが使用できません。せっかくマウントアダプタにAF用モータを内蔵していても、それを事実上使用できないボディも存在するのです。
こうした、ボディによりできる出来ないがあるのも、Nikonも同様な商品を発売するのが難しい理由の1つなのかもしれませんね。

ミラーレスの像面位相差AF、あるいはコントラストAFは、一眼レフ内蔵の位相差AFセンサと同じではないため、AFのアルゴリズムなどカメラボディに合わせてマッチングさせなければならず、こうした特定のボディで使える、使えないと言った差が出てくるものと推察します。もちろん、将来ファームウェアアップデートでAFが使えるようになる可能性も残されていますが、今SONYのEマウント機ユーザーで、MINOLTAやSONYのAマウント時代のAFレンズを現役で使用する人が果たしてどの程度いるのか?
MINOLTA時代の一眼レフは、シェアで言えばCanonやNikonよりは低かったため、こうした旧来のレンズを現在でも所有するユーザーはそれほど多くない印象です。

そんな状況でも、アップデートを重ねてマウントアダプタを進化させているSONYには脱帽です。開発力があるからこそ出来ることですね。

動態を撮らないなら、MFだって苦にならない

そんなわけで、NikonもAFモータ内蔵のマウントアダプタ作ってくれないかなと思いつつ、現状はそうした古いレンズはMFで使っていますが、前述の通り、CPU搭載レンズならフォーカスエイドも使えますし、何よりミラーレスなら、確認したいポイントで一発で拡大表示できます。
私はカスタム設定で、MFする際にAF-ONボタンを100%拡大表示に割り当てているので、これを使えばバッチリピント合わせは可能です。まあ、拡大しなくても、大体のピントは見えますけどね。

ちょっとノスタルジックに仕上げました。この辺りは田んぼがまだ残っていて、その奥にマンションが立ち並ぶのが印象的。
ただただ絞り開放で撮るのが楽しいDC-Nikkor。AFはZボディで現状使えないけど、それでもいいのよ、楽しいレンズだから。

Nikon Z 8 + AI AF DC-Nikkor 135mm f/2D

錆びついた煙突がジブリ感を引き立たせる、某廃工場の煙突

埼玉県某所。東北道沿いに古い煙突が存在します。
東北道を通るたびに気にはなっていましたが、行ってみることにしました。

埼玉県東北自動車道沿いの廃工場の煙突

天気はどんよりしていますが、幸い雨は降らず。関東も梅雨入りしたので、この時期は撮影が難しいですね。

監視カメラの電源配線は切断されていた

川と廃煙突、東北自動車道はこの向こう側にあります。廃工場は不法投棄も多いせいか、監視カメラが設置されていたようですが、電気メーターボックスのメーターは外され、現状は通電されていない模様。
実は東北自動車道をまたいでここへアプローチする橋は、廃止が決定されたようです。この廃工場と煙突も、いずれ撤去されるのでしょうか?

いいサビ具合です。ジブリアニメにに出てきそうな錆びっぷりです。
レンズをお気に入りのAF DC-Nikkor 135mm f/2Dに切り替えました。Nikon Z 8ではMFでしか使えませんが、サビの質感がよく出ています。

流石に中に入ってまで見ようとは思わなかった、というかこの煙突で十分楽しめます、わたし的に。

東北自動車道と川に挟まれた場所に佇む廃工場と廃煙突、一体何の工場だったのでしょうか。ぱっと周辺を見た限り、名前も工場のジャンルも不明でした。鉄くず処理工場だったとの話もありますが、詳細不明です。
さていつ頃出来て、何時廃墟になってしまったか? 国土交通省の国土地理院の航空写真で大まかに調べてみました。

70年代に作られ90年に煙突が出来た?

こうやって掘り下げていくのが楽しいですね。まず1969年。この時点では、まだ東北自動車道はなく、川に掛かる橋は既に存在しています。

1975年には、既に現在と同じ東北自動車道が出来ています。ほんの数年でこんなに道路ができてしまうとは! 用地買収とか、ほんと早かったのでしょうね。東北自動車道が出来たため、高速道路をまたぐ橋も建造されたようです。この橋は前述の通り、今年の5月に廃橋となり、通行止めとなっています。

1979年には、廃工場のある土地が開拓されていて、この時点で何かしらに使用されている形跡がありますね。

そして1990年、ついに煙突と工場が出来ているのが確認できました。ということで、この煙突と工場は80年代半ばから1990年までに建造されたようです。業務拡張したのか、会社が変わったのかは定かではありません。

しかし21世紀に入った2003年には、1990年のように敷地がフルで利用されている感じがなく、緑が増えていますね。この時点で既に使用されていない可能性がありそうです。
バブル末期に工場を設置したけど、バブル崩壊で今来立ち行かなくなった? そんなストーリーを想像させます。

2007年以降は、産廃置き場(不法投棄?)のような感じになっていて、2019年にはついに緑に覆われて、廃棄置き場としてすら機能していない感じがありますね。

この周辺はあまり開発がされていないのも面白いです。この航空写真の外側はかなり開発されている場所もありますが、現在も田んぼが多い地域です。
こうやって、あまり注目されていない建造物を掘り下げるのも、なかなか面白いですね。