「NIKKOR Z 14-30mm f/4 S」タグアーカイブ

富士山が見え…なかった離れでBBQとか

週末の話、去年も泊まった、御殿場の富士山の見える宿泊地にて。が、今回は曇り時々雨、ということで富士山は残念ながら拝めず。
いつも通りホテル棟ではなく「離れ」を予約したので、BBQが出来ました。
火を点けるのも、後片付けも全部やってくれるので、こちらは焼いて食べるだけ、なので楽でいいんです。

そしてこの時期の御殿場なので、まだ夕方以降は真夏ほど暑くないので、過ごしやすいのです。これが真夏だと、BBQやっていると暑いし、繁忙期で行き帰りが激混みですし、この時期の旅行っていいんですわ。

たらふく食べて、妻と子供たちはマシュマロを焼いていました。

ワイはというと…

現場でも酒を撮っています(笑

こちらはまた別途記事として(笑

そして子供らのリクエストで、温泉入ったあとはカラオケを。

1時間マイクを離さず

なかなか家族でカラオケという時間はとれないので、たまにはこういうのも良いですね。
そんなこんなな週末でした。天気は残念だったけど、こればっかりは梅雨時期に予約したので仕方ないですね。

よこすかYYのりものフェスタ2024に行ってきた【スチル編】 その3

横須賀基地開放、色々初体験できて満足でしたが、時間もあるので水上艦も2隻見学。まずはあきづき型護衛艦「てるづき」から。

メザシ状態で停泊中の3隻、手前から護衛艦「てるづき」「あきづき」、そして試験艦「あすか」です。

手前から護衛艦「てるづき」「あきづき」試験艦「あすか」

見学できるのは「てるづき」のみ。いつか試験艦「あすか」も乗ってみたいですね。

あきづき型護衛艦から、対潜水艦用のデコイなど自衛策がより強化された他、射撃指揮装置FCS-3Aに構成された4面固定のアクティブフェーズドアレイレーダーを装備し、こんごう型イージス艦護衛艦が弾道ミサイル防衛(BMD)中はその他の対空戦闘のリソースがなくなるために、僚艦防空機能を持たせています。
これは従来の汎用護衛艦が自艦の防空しか対応できなかったのに対して、艦隊の他の護衛艦への防空も担当できるようになっています。ミサイルの誘導が、自艦の防空のみと僚艦防空とでは、計算処理やレーダー波の指向の仕方などが異なるからです。より高度な防空機能を有した汎用護衛艦です。さらに対潜能力も今後強化される予定です。

あきづき型は初めてでしたが、甲板通路の多くがカバーされ露天していない点では、対レーダーステルス対策は後のもがみ型に通じるものがありますね。
ミサイルが格納されているセルについて、発射時はものすごいロケット炎にさらされるため、後の掃除とかは大変か質問すると、清掃して後でペンキを塗り直したり、ミサイルが入っているコンテナは交換が必要とのこと。セル式、発射は簡単でもその後は結構大変そうですね。
セルの全長は7.7mと記載されていて、これはMk.41垂直発射装置で最も長いStrike-Lengthというタイプであることがわかります。
全長の長いミサイル、例えばトマホークも搭載可能で、現時点ではイージス艦のみに搭載が決まっていて汎用護衛艦には搭載されていないものの、今後搭載される可能性もなきしにもあらず?かな。

もがみ型護衛艦1番艦「もがみ」も見学。

もがみ型の見学範囲はヘリ甲板と格納庫のみでした。

お土産も買って、おなかもすいたので、これにて海上自衛隊よ降下基地を離れて、ヴェルニー公園で昼食をしました。

続く…

よこすかYYのりものフェスタ2024に行ってきた【スチル編】 その2

よこはまYYのりものフェスタ2024の続きです。

海上自衛隊横須賀基地一般公開で、処分艇の搭乗で十分満足しましたが、せっかくなので艦艇も見学します。

まずは潜水艦「うずしお」(SS-592)です。実はこう見えて(どう見えて?)潜水艦の甲板に乗るのは初めてだったりします。

現役潜水艦は動向把握できないよう船体に艦名は書かれないため、公開時は立派な看板が立てられます

ところで見学待ちで並んでいる最中に、「うずしお」で潜望鏡と潜舵の動作デモンストレーションがありました。
待ち時間にこういうのは嬉しいですね。

潜水艦、割と中に入って見学できると思っている人が多いのですが、潜水艦は高く狭い場所をタラップで降りて乗り込まなければならないのと、最高機密の塊なので、不特定多数に見学してもらうのは困難です。
なので甲板に乗るだけですが、一般の水上艦艇と違って、潜水艦は甲板が完全に平らではないため(それでも輪切り状態では丸い涙滴型よりはマシですが)、船体の端に行くほど傾斜があります。
もちろん柵は設置してありますが、気を付けないと落っこちそうです。

実は潜水艦「うずしお」は、現役の「おやしお」型では練習艦となった潜水艦を除くと、最古参の潜水艦です。
潜水艦の定数が就役当時16隻だったのが22隻に増えたため、当初の予定よりは長く現役を務めています。それでも諸外国の潜水艦よりはかなり早めの退役なのですが、古参だけに、アクリル整?の舷灯カバーはひびが多く入っていました。
「おやしお」型潜水艦は、自衛隊では初めてセイル部分に水中吸音材を貼り付けています。米英の潜水艦では、この吸音材が剥離してしまった写真を見かけますが、海自潜水艦ではこうした剥離は長年の運用で見受けられないので、接着だけでなくリベットかボルト留めしているっぽいですね。

水上艦とは全く別物の船体、面白かったです。
今年、まだ新しい潜水艦「たいげい」が試験艦となったため、作戦可能な潜水艦22隻を維持すべく、1年現役も延長される見込みで、退役は来年度末(2026年3月?)になるでしょうね。

続く…

【栃木】十数年ぶりに足尾鉱山遺構を巡る その4

足尾銅山の遺構を巡る旅も今回にて終了。

Nikon Z 8の予備バッテリを忘れ、残量10%になったため、もうバッテリ温存のためにはスマホで撮るしかなくなりまして。

こちら方面へ移動。本山高山神社のあった場所です。ただ、そろそろ帰らなければならない時間、神社までは上がらず、最初の鳥居までにとどめておきました。こちらの写真はスマホです。

やはりちゃんと説明や当時の写真の看板や立っているのが足尾の良いところ(しつこいですが何度も書いておきます)。往年の様子と現状を重ねることが出来ますね。

ここからは最後の残量で再びNikon Z 8で撮ります。

ここは昔から変わらぬ風景。今も使われてきれいに改装されている建物もあれば、写真のように朽ちるに任せている建物も。でもこちらはまだ健在で何より。これからも残っていて欲しい。

最後に、古河機械金属足尾事業所周辺を撮影。旧貨物線の架橋と旧古河橋は健在です。

ここの風景も昔から変わらないですね。
門柱には古河機械金属と足尾製錬の看板が掲げられていますね。今でもこの2社がこの場所の管理運営を行っています。

本当はもっと色々見たい場所があったのですが、やっぱり時間がなかったな。また時間を作って撮影に行きたい。ちゃんと予備バッテリも持ってw

【栃木】十数年ぶりに足尾鉱山遺構を巡る その1

東京に転勤となって今年で間もなく12年となりますが、それまでは栃木県在住だったため、よく足尾銅山関連の遺構・廃墟を撮影しに出かけていました。
しかし東京転勤となり、更に子供も生まれると、なかなかそうした撮影に足を向けにくくなりましたが、子どもたちも小学生になり、少し手離れし始めたので、十数年ぶりに足尾鉱山まで足を伸ばしてみることに。

でも、東京からなので、実際はそんなに遠くないんですよね。東北方面となると少し二の足を踏むけど、栃木までなら日帰りで撮影して帰れる距離ですね。

中才のシックナー

今回始めて群馬県側から行ったので、まず手始めは、足尾の町中で現在も稼働するシックナーとその周辺を観察。

ここは自分が初めて訪れた時からあまり変化していません。
わたらせ渓谷鐵道の路線をくぐった先に現在も1基は現役稼働、もう1基は大昔から稼働しない状態となっています。

鉱山住宅は今でも現役で使われています。
そして稼働中のシックナー、シックナーとは水分中の汚泥などをタンクのような場所に流して、沈殿分離させるためのものです。
足尾鉱山と言えば、日本の歴史の教科書に必ず出てくるであろう足尾鉱毒事件で有名ですが、過去形ではなく現在進行系で鉱毒(銅やカドミウムなど)による影響は残っているようで、水田がこの地域で存在しないのもうなづけます。

しかしながら、シックナーに流れる水は一見きれいです。もっとも上流には汚泥を堆積させるダムが今も存在ます。

上の右側の写真の先には古河機械金属(株)の事業所と通洞選鉱所跡があります。

通洞変電所と通洞動力所跡・新梨子油力発電所跡

さてシックナーのすぐ近く、古河機械金属の事業所向かいにある通洞変電所へ移動します。

通洞変電所は、鉱山施設へ送電するための変電所です。なんと1903年(明治36年)に建てられた、110年を超える現役変電所です。はい、現役です。現在も稼働しています。1枚目の写真の白い車は、まさにこの建物の管理をされている古河機械金属の方々のものです。お仕事中お邪魔しました。

「特高圧」の看板が掲げられていますが、この特高圧は7000Vを超える高圧で送電された電気を降圧する変電所です。
大きな工場などではこうした変電所が存在しますが、銅山としては閉山した足尾鉱山ですが、今でもこうして設備に電気を送るためにこの建物は使われています。
現役だけに、ブーンという低い唸り音が建物からかすかに聞こえてきます。

その先には、かつて存在した通洞動力所跡・新梨子油力発電所跡があります。現在は更地です。

ここで2005年に現役(すでに廃墟でしたが)で存在した頃の写真をば。

この跡、通洞動力所は一部崩壊してしまいました。
この写真を含む2005年11月の足尾鉱山周辺の写真はこちらのブログにありますので、よろしければお楽しみください。

再び変電所と、通洞選鉱所跡を。この風景だけは、2005年から殆ど変わっていません。

それでは移動します。
続く…

CP+2024に行ってきた その2

何だかんだでじっくり見ることが出来たCP+2024、ニコンブース以外は用品ブースを中心に見てきました。

そんな中で人気なのがHASEOさん、Nextorageとフジフィルムで講演されていましたが、人だかりができていました。HASEOさんっぽい写真も撮れました(笑

ライティングとか演出って大事ですね。撮るまでの事前準備、頭が下がる思いです。

NASでおなじみSynologyのブースではstudio9の中原一雄の講演を見てきました。10GbEとNASの話でしたが、2.5GbEを使うのもありかも、と言うのは一理ありですね。

個人的にも、NAS事業をやめてしまったNETGEARのNAS2台があり、それを1台に集約出来ないか思案中です。中の人の説明によれば、容量の異なるHDDも効率よくRAIDを組めるようなので、向こう1,2年で検討しようと思います。

外部レコーダーやモニタなど、ここ最近のトレンドはやはり動画志向が強くなっているなと感じました。
もちろんスチルの用品も多く展示していましたが、撮影の仕方など、段々と動画のスチルの融合がなされている感じはありますね。

カメラバッグでは、ロクヨンのような大型望遠レンズ用のバッグは、ハクバの試作品が大いに気に入りましたね。望遠レンズのくびれ部分ってデッドスペースになるので、底を効率よく収納スペースとしているバッグ、この夏頃に発売予定とのことで、これは検討したいと思いました。
TEACではレコーダーの32bit float収録について詳しく説明を聞けたし、三脚や雲台も、やっぱりネットだけではわからない、実際の使い勝手や質感が試せたのは良かったです。ARCA SWISSの自由雲台、やっぱりこれが行き着くところなのかなと思いましたし、EPSONブースではプリンタの顔料系、染料系の質感の違いも確認でき、悩みがまた増えました(笑)

そして、Nextrageで中野耕志氏の講演を見終わったらなんともうフィナーレの時間。その中野さんはNextrageの真向かいのNikonブースに移動して集合写真に参加して、CP+2024は終了となりました。

何だかんだで楽しめたCP+2024、来年も行けるかな?

日原鍾乳洞を動画で撮ってみた

絶景の渓谷にある日原鍾乳洞、高低差の大きい鍾乳洞内を動画でも撮ってみました。
狭い場所もあれば、ちょっとしたホールのように広い場所もあり。自然に出来たのだからすごいですね。

鍾乳洞内の証明は比較的明るめだとは思いますが、流石に感度が上がってしまい、ノイズが多いですね。
こういう場所では、明るめの広角単焦点レンズが欲しくなります。

しかし動画は難しいな…。

日原鍾乳洞に行ってきた

せっかく奥多摩の日原という微妙に遠い場所まで出向いたので、日原鍾乳洞も見てきました。

ものすごい断崖絶壁の渓谷にある鍾乳洞、この雰囲気は昔住んでいた山梨県の昇仙峡を彷彿とさせますが、よく考えたら隣はもう山梨県でした。
そりゃあ東京都とはいえ、ほぼ山梨県なので、地形も似ているんですね。

内部は湿度が高いですね。なので足元は結構滑りやすいかも。底の厚い滑りにくい靴を推奨します。そして結構な距離を歩きます。

常にポタポタ水が滴っているのは鍾乳洞なので当たり前ですが、苔もあちこちに生えているんですね。
そして奥に進むにつれ、アップダウンが激しくなります。階段もだんだん急になってきます。場所によっては子供や老人には厳しいです。ただし回避ルートもあるのでご安心を。
まだ生死をさまよったことはないですが、三途の川も生きているうちに見ることが出来ました。

いやぁかなりの勾配、狭い道、濡れて滑りやすいし、上の写真のルートは子供や老人は推奨しないルートです。
思ったよりも広くて楽しめました。

急勾配を登ったり降りたりで足はクタクタ(笑

外に出て、道路の向かいにあった一石山神社で初詣をして、この日の撮影は終了しました。


今回の撮影は、デジタルはNikon Z 8NIKKOR Z 14-30mm f/4 Sで撮りましたが、マクロレンズも持ってくればよかったなと。Z 14-30mm唯一の欠点、最短撮影距離付近の描写はやや収差があって解像力が下がるんですよね。ただ、それ以外は、比較的軽量で周辺まで解像力も高く、良いレンズです。



奥多摩日原の遺構や建築物を見に行ってきた

連休恒例の撮影、去年は山梨でしたが、今年は同じ都内にすることに。ただし奥多摩ですが。
車を走らせること2時間、都内だけどちょっぴり遠い。奥多摩方面の国道411号線から更に山奥に入っていきます。道路は細く、すれ違いできない箇所が多い。
仮に雪が降ったり大雨が降ったら通行止めになるようです。

駐車場に車を停めて、500円を払って撮影開始です。

名目としては、この先にある日原鍾乳洞の臨時駐車場とのことですが、実際にはここから鍾乳洞は歩いていくには遠いです。なお、鍾乳洞の近くの駐車場は無料です。

日原小学校跡

廃校となった小学校校舎。こちらは廃校後も利用されているようで、しっかりと管理されていました。

山間の地域だけに、高低差が大きく、体育館は1階部分が道路となっている面白い構造。
この道路を歩いて先に進みます。

奥多摩工業日原寮独身寮

この日原で石灰石の採掘を行っている現役の会社、奥多摩工業のかつての寮です。

航空写真では、70年代には存在しているようですが、いつ頃建造されたかは不明です。
道路と後ろの傾斜地からの撮影のため、引いて撮影することが困難、広角レンズでの撮影となりました。
老朽化により壁などが剥がれて道路に散乱しないよう、ネットが張られていました。

背後にある傾斜地から撮影、窓から内部の様子が伺えましたが、かなり老朽化しているようです。感覚としては、廃墟歴40年近くでしょうか。
ただこの最後から2枚目の写真をクロップしてみると…

中森明菜の部屋!?

中森明菜なんて貼ってありますね。もちろんあの中森明菜さんのお部屋ではありません(当たり前
ただ、これが貼られているということは、住人はファンだったのでしょう。そうなると、1990年前後までは住んでいた可能性は高そうです。
天井からは鍾乳管から形成された白いつらら石が形成されていて、使われているコンクリートは石灰質を含んだものが使われていたのでしょうか。

いずれにしろ、廃墟歴は30年以上と思われます。

独身寮の道路を挟んだ反対側には、いかついコンクリ壁の建物が。ここはかつて映画館だったようです。
それにしても、渓谷の斜面に建てられているため、屋上部分と1階部分との高低差を大きく感じさせますね。建物の作りも複雑です。建物の壁と道路の高低差で出来た壁の細い道も、かつては人が通れるようになっていたようで、後ろから3枚目の写真の奥にはドアがありました。

奥多摩工業日原寮世帯寮と映画館・ダンスホール

従業員の福利厚生のための施設も充実していた奥多摩工業の寮、今の時代は大手企業の一部には独身寮が残っていますが、家族持ちの世帯寮というのは殆ど聞かなくなりましたね。
ただ、現代であってもこうした山間の職場だと、民間アパートを借りるのも一苦労でしょうから、寮があるのは有り難いことですね。

この世帯寮は比較的最近まで使われていたという話です。ほんの数年前まで1世帯は住居していたようですが、マンションに1世帯だけというのもなんだか寂しいですね。
BSアンテナもあり、衛星放送が始まった80年代後半以降のものであると思われ、独身寮よりは比較的最近まで使われていたことが伺われます。
とはいえ、徐々に入居者が減ってから建物に痛みが出て来ている感じでした。

3枚目の右側の建物がダンスホールだったようですが、とても大きく立派ですね。左側が映画館とのこと。

世帯寮ですが、割と傷んでいて、本当にここ最近まで人が住んでいたのか?と疑いたくなりますが…

真新しい電気メーターが設置されていた

電気メーターを見てビックリです。2022年製とあります。2032年4月まで有効となっています。ということは、電気は契約されているということか?
ただ、メーターの表示は0.5kWhとなっていて、設置してからほぼ電力は使用していないようです。やはり現在は人は住んでいないようです。

が、奥にナンバープレートの付いた、さほど古くない原付が停まっていました。管理者のものかな? 人の気配はなかったのですが。

その他周辺の建物

町人とは3人ほど会いましたが、正月時期もあって、あまり人気がない感じでしたね。

古びた住宅は、きれいに管理されているように見えましたが、人気はない感じでした。
近くにあった旅館も正月時期だからか休業中の様子。

フジカラーや懐かしいオロナミンCの看板が素敵な酒屋さんも休業中。古いけどきれいなので、閉店しているようには見えず、休業中なのかな?

風情のある日原

ということで2時間ほどの散策でしたが、このくらいがちょうどよいですね。若い頃と違って体力も落ちたので、1日廃墟散策は疲れます。こうして外観を眺めるだけで満足ですね。

武器学校・土浦駐屯地解説71周年記念行事に行ってきた その3

74式戦車の動画も編集しなければ…ですが、時間がないのでまずはスチルからです。
午後の装備品展示から。武器学校だけに、新旧様々な装備品が揃っています。特に今年度は、その「旧」の退役間近の展示に注目でした。

新旧1/2tトラック(73式小型トラック)

陸上自衛隊といえば一番数が多いのがこの1/2tトラック(旧名称73式トラック)。写真の手前は現在も調達が続く、2代目パジェロベースで、1996年から生産されています。これですら、既に30年近く生産されていて、改良も何度か入っていますが、まだ後継車両の話は聞こえてこないし、既に三菱自動車は国内向けのパジェロの生産は終了しているため、仮に次があるとしたら、トヨタ辺りが生産するんでしょうか?

そして注目は後ろの73式小型トラックです。まだあるんか!

車両銘板にあるように73式小型トラックでも、この車両は「79式対舟艇対戦車誘導弾発射装置積載専用」A車と書かれている通り、通称「重MAT」と呼ばれる有線式の対舟艇対戦車ミサイルを搭載するための車両です。
ミサイルの発射機とセットになっているため、そのミサイル発射機が現役でいる限り、搭載車両も現役維持するということだそうです。車両の年式は1993年(平成6年)と、2023年年で30歳となります。パジェロベースの1/2tトラックですら、初期型は既に退役していますから、このJEEP直系の73式小型トラックの現役車両は希少です。

せっかくなので、中も見せてもらいました。

車内は古典そのものです。4速マニュアル、副変速機付きトランスファー。当然キャブレター式で、チョークレバーも残っています。
若い隊員さんいはMT車の骨董品なんて言われているようです(笑
残念ながら、この車両も今年度いっぱいで退役するとのことです。ぜひ解体せず余生を過ごさせてあげてほしいですね。

74式戦車と203mm自走榴弾砲のラストが話題になっていた今回の土浦駐屯地祭ですが、こうした70年代の車両装備品の引退も近いのです。

さて、まだ写真が若干残っていますが、それは後日にアップすることとします。