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20年前にCOOLPIX2500で撮ったDATとサンヨーテクニカと中島みゆき

今から20年前の2004年といえば、デジカメはコンパクトデジカメが手に届く価格になり、とはいえまだデジタル一眼レフはNikonならD1XCanonならEOS-1Dの時代、まだまだレンス交換式のデジタルカメラはフィルムカメラより効果だった時代です。

この当時Yamaroが使っていたデジカメはNikon COOLPIX2500でした。そのCOOLPIX2500で撮った写真。

ジャンクで買ったPIONEERのDATデッキD-50とサンヨーテクニカのエンジンスターターのリモコンと中島みゆきの純金CD

たぶん、当時ハードオフ巡りの戦利品でゲットしたPIONEERのDATデッキ(デジタルオーディオテープ)のD-50です。ローディング不具合で安くなっていたような?
すでに同じPIONEERのDATデッキD-HS5を持っていたので(今でも持っていますが…)、これは確かオーディオのオフ会で寄贈しました。今見るとカッコいいね、SONYのDATデッキも良かったけど、PIONEERも大好きでした。
今や個人が音楽を録音する、という行為そのものが消滅してしまいましたね、サブスクの時代ですし。どちらかというと、動画撮影の音声別収録のためにメモリーレコーダーを使う、という場面でレコーダーを使っている人が今は多いかも?

当時の愛車はCF-4アコードSIRで、そのセキュリティ&エンジンスターターとして、サンヨーテクニカのSTARBOを使っていましたね。サンヨーテクニカは、もう知らない人も多いと思いますが、昔はリモコンエンジンスターターやターボタイマーとかレーダー探知機を売っていたカー用品メーカーでしたが、末期はライバルメーカーと比較して古臭くて開発力がなくなってしまって、最終的に会社として解散(倒産ではない)してしまいました。
でも一時期は一斉を風靡していて、カー用品店でよく見かけたブランドでした。リモコンエンジンスターター自体、今はハイブリッド車が増えたのと、スマホから車内のエアコンを入れられる車種も出てきて、最近は下火なんでしょうかね。

そして中島みゆきの純金CD、中島みゆきの「中島みゆき」(ややこしいw)。CDは通常信号面にアルミニウムを使用していますが、一時期”金”を使ったCDも限定で出ていました。
金蒸着のメリットは、1番は見た目でしょうか? アルミニウムより音がいいなんて言われたこともありましたが、近年初期のCDのアルミ蒸着層が製造工程の不具合や傷に寄って腐食してなくなってしまうということが、金なら腐食しないため発生しないメリットはありますね。保存生が良いとは思います。
ただ、今は見かけなくなってしまいましたね。コストが掛かりますしね。

Nikon COOLPIX2500は2001年の年末にカメラのキタムラで安売りしていたので買いました、これを撮ったカメラはKodak DC3200でした

色々いじっていた時代が懐かしいな、昔乗っていたCF4アコードSIR

HPも残していますが、Yamaroが2002~2004年の2年半乗っていた、アコードSIR(E-CF4)の写真、久しぶりに懐かしく見ていました。

Honda Accord SIR (E-CF4)

6代目のアコード(現行は10代目)で、1997年に発売し、2002年の7代目登場までの5年間売られていました。

日本でも昔は売れていましたが、それ以上にアメリカで人気だったため、6代目のCD/CE系アコードでは、シリーズ初の3ナンバーボディとなったものの、日本では人気が落ちてしまったため、この6代目は日本専用ボディとし、5ナンバーサイズに回帰したアコードです。

5ナンバーセダンなので取り回しもよくて、今のクルマとは違って着座位置も低くて、ダッシュボードも低かったので見切りも良かったですね。

Yamaroが乗っていたのは、ATのDOHC VTECのSIRでしたが、(MTのSIR-Tが欲しかったけど、中古でタマ数が少なすぎた)、7400rpmまでよどみなく吹け上がるF20Bエンジンが気持ちよかったですね。
反面、ATなのでVTECのハイカム領域を使えるのが2速まで、というのが結構ネックで、レブまで回して3速に入れると、ハイカム領域を外れちゃうのですよ。そこに限界を感じて、2年半で7代目アコードEuro Rに乗り換えたわけですが。

とはいえ、20代の若い頃だったので、ちょこちょこDIYでいじったりして楽しかったクルマです。

無限サスペンション

無限サスを入れたら、半分純正みたいな無限なのに、ほぼ車検ギリギリまで車高落ちてしまったり(笑

昔流行ったアーシング、プラグコード、タワーバー入れてました

最近は純正の電装が良くなったので見なくなったけど、DIYで簡単にできるアーシングとか、プラグコードも換えたり、タワーバーも入れたり、この当時は毎月のように何かしらいじっていましたね。

初めて買ったナビ、PanasonicのStrada

画面を格納する、という概念が今では無くなったので、見なくなったインダッシュナビですが、この時代は2DINのスペースがない車も多かったので、インダッシュナビが主流でしたね。
初めて買ったナビ、PanasonicのStradaで、DVD-ROMの時代です。それ以前のCD-ROMのナビだと、地域によってディスクを入れ替える必要があったので、全国のマップを1枚のDVDで賄えて、利便性が向上したのもこの時代でした。

CF系アコードは、2DINのスペースが2段あったので、上に2DINナビを、下にエアコンとオーディオを、と分けて装着できたりしたので、カスタマイズしやすかったですね。

RECARO S Rev.2

RECAROシートも入れたりしていました。2脚は買えなかった…運転席のみですが。
LSがベースのレアなS Rev.2というモデルで、3ヶ月しか売らていなかったらしいです。
純正シートで腰痛発生して、RECAROに換えましたが、長時間乗っていても腰が痛くならない! 良かったです。

他にも、マフラー換えたりオーディオいじったり、色々やっていました。
結婚して子供も出来て、しかも東京に住んでいると、車いじりは出来ないし、そもそも車自体それほど使わないわけですが、落ち着いたら車買って、今度は長くじっくりカスタマイズしてみたいものです。車高落とすとかマフラー換えるとかは、もうやらないかもですけど。

山梨県河口湖畔「ホテル小曲園」の外観 2002年8月撮影

20世紀末から21世紀初頭にかけて、関東甲信越圏の廃墟サイト界隈では絶大な人気を誇った物件が、山梨県は河口湖畔にかつて存在した「ホテル小曲園」でした。

ホテル小曲園の歴史は古く、戦後7年が経過した1952年(昭和27年)に創業し、小曲園グリルといった食堂やパブなども併設していて、高度経済成長とともに増改築を繰り返したそうです。

特に有名だったのは、河口湖を見下ろせる宝石風呂でした。1994年(平成6年)に廃業後、割と短期間で傷んでいったのも、有名観光地だったのもあると思いますが、増改築を繰り返し、古い部分も相応に残っていて、元々老朽化が激しかったものと思われます。

廃業からわずか数年のうちに、有名な廃墟として名を馳せるくらいに、老朽化が進んでいたのでしょう。

Wikipediaその他の解説では、廃業理由として、

手抜き工事により増築に増築を重ね、避難を困難にした複雑な構造だったためにホテルニュージャパン火災以降厳しくなった安全基準の「適合マーク」を取得できなかったためであった。

Wikipedia「小曲園」

としていますが、適合マークってこの時代からありましたっけ? という疑問がありまして。いわゆる「既存不適格建築物」だったのではないかと想像しています。その辺りの法律に詳しい方がいらっしゃいましたら、コメントいただければと思います。

安全に対する法律がまだまだ緩かった1952年創業ですから、その後繰り返し増築するも、いざ老朽化した部分を改修しようにも、その時点での法律により困難、もしくは多額の改修費用がかかることになった思われます。なにせ、斜面に建てられたホテルですから。

個人的に、今写真を見ても、建物の構造物が全体的に華奢に見えるんですよね。

そんなこんなで小曲園ですが、ここは有名観光地で、当時でも撮影は比較的リスクが高かったので、外から眺めるに留めました。
撮影から1年後には、河口湖町の方針により解体が決定し、2004年には完全に解体されました。現在では小曲展望台として開放されています。

オマケ、小曲園の右側のホテル群。ストリートビューで確認したところ、執筆時点では下の写真の建物は、現在でも現役で何よりです。ただ、手前のENEOSは廃業して、取り壊されたようです。

ちなみに、左下に映っているアコードSIRが、当時の愛車でした。
このくらいのサイズの車が丁度いいんだよなぁ…

【追記】2004年2月解体中の小曲園

上の写真撮影から1年半後の2004年2月1日の撮影した、小曲園解体途中の写真が出てきましたので、追加掲載します。

撮影は、フィルムではなくデジタルでしたが、デジカメ黎明期のコンデジ、Nikon COOLPIX 2500での撮影、200万画素のカメラですから、今ならそのまま解像度を落とさなくても、Webに掲載できます。

黎明期故のコンパクトデジカメゆえ、画質は今見るとかなり悪いですが、解体中の雰囲気をご確認できればと思います。