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サイボクに行ってきた

本当は昨日更新する予定だったブログ、日曜の朝から、妻が包丁で指を切ってしまって、てんやわんやでして…。久しぶりに1日空けてしまいました。

その前日、妻がお仕事だった土曜日、子どもたちを連れてサイボクに行ってきました。

サイボクハム

ここは有料のアスレチックのある公園、サイボクの森が出来たので、1日子供を遊ばせておけます。土曜日は気温も高く、上着もいらないくらいでした。

まずは腹ごしらえで、メガトンセットを。屋外で食べるので、コロナ禍のご時世、外なら安心かな?

メガトンセットを頂きました。やっぱりちゃんとしたハムやベーコンは美味いですね。

後は子どもたちを遊ばせるだけ。遊ばせがてら、お気に入りの単焦点レンズで写真を撮ったり。

AF-S NIKKOR 35mm f/1.8G ED / AF DC-Nikkor 135mm f/2D / AF Nikkor 20mm f/2.8D

特にこの中で、AF Nikkor 20mm f/2.8Dは、クモリ発生で光学系を交換修理してもらってから、晴れの日に撮影するのは初めてだったり。

サイボクの森

特に絞り開放で撮る条件ではないのですが、あえて絞り開放で撮ったのは、このレンズ、絞ると少し線の描写が太くなるのです。絞り開放のほうが、線が繊細になる描写です。人によっては緩いと思うかもしれませんが、修理で光学系も一新されて、再調整が入っていますから、状態としてはベストでしょう。周辺は流れますが、中心部は開放の遠景でも、解像力は悪くありません。

私は解像力至上主義者ではないし、広角レンズの周辺まで解像していなきゃ嫌というタイプでもありませんから、このレンズは自分にとって、必要にして十分なレンズです。何よりコンパクトなのが魅力。ミラーレスになってから、ボディはコンパクトなのに、レンズは一眼レフ用より大きいレンズも多いご時世、こういう軽量なレンズは大切にしたいです。

でも、やっぱり今回持っていった中では、DC-Nikkorが一番楽しいレンズかな?

DC-Nikkor、モータ非内蔵のレンズゆえ、コンティニュアスAFは苦手かなと思いきや、動き回る子供も案外ちゃんとピントが合っていますね。
そして、全て絞り開放で撮影。どこかの光学設計者が、絞りはいらないと言っていますが(笑)、このレンズも本当にそう感じます。絞る意味ないもんね。

AF Nikkor 20mm f/2.8D

そんなこんなで1日遊びましたとさ。

124年ぶりの2月2日の節分でした

節分は2月3日と思いこんでいましたが、立春の前日が「節分」なのだそうで、立春の日が変われば節分も変わるのですね。なるほど! 長く生きていても、知らないことはたくさんありますね。

ってことで、我が家も毎年恒例、仕事帰り、玄関の前でお面をかぶっての帰宅でした。
さすがに下の子も4歳、お面の下はパパとわかってきているけど、まだ般若のお面は怖いようです。2歳の頃はガクガク震えていましたし(笑)

毎年節分は般若のお面使っています

そんな彼も、慣れてくると、般若のお面をかぶる余裕は出てきたようで。

確かに怖いよねこのお面

そんな4歳児が作ったお面、結構よく出来ています。絵が上手だね!

城南島海浜公園に行ってきた

緊急事態宣言、東京都は予想通り2月7日までの予定をさらに延期しそうな感じです。なので、お出かけもショッピングモールのような人混みの屋内は控えていて、基本大きな公園に行くことにしています。

ということで、今回は城南島海浜公園へ。飛行機と船が撮れるので、望遠レンズの技量維持兼、子どもたちを遊ばせるのにはぴったりな場所です。

ここは、今は緊急事態宣言でやっていませんが、キャンプ場も併設されていますし、公園と人工の砂浜もあります。この砂浜は、潮干狩りも出来るようで、シーズンになったら潮干狩りしに来たいと思っています。

今回は、600mmの望遠をD850で、標準ズームのスナップを妻のD3400を借りて撮影しました。

メイン機D850+ AF-S 600mmと、妻のD3400

妻のD3400とAF-P 18-55mmの組み合わせはとても軽快です。D850と比べてかなり軽いのは言うまでもなく、AF-P 18-55mmもこれまでのNikonの安価なキットレンズの中ではAFも最速で、VRも4段分補正出来ます。何より、解像力は1万円のレンズと考えると十分ですし、ボケ味も暗いレンズながら悪くないですね。
D3400の画質は、もちろんD850と比べるとややダイナミックレンジが狭い感じですが、ちゃんとRAWで撮って現像すれば、割とよくなりますね。ただ、RAWの現像耐性は、やっぱりフルサイズのD850に軍配ですかね。

一方、重量級のD850とAF-S 600mm f/4G ED VRとの組み合わせですが、やっぱり画質は良いですね。冬の澄んだ空気では、解像力の良さが引き立ちます。最新のEタイプには画質は一歩及ばないと思うけど、あくまで比較した場合。単焦点の望遠は古くても画質は一級品ですね。
SIGMAの150-600mm Sportsもあの値段のズームとしては十分以上に良いのですが、遠景になればなるほど、やっぱり単焦点の良さが出てきます。何より絞り開放から使えて、背景も大きくぼかせるので、より立体感が出ます。この辺りが単焦点望遠レンズとズームレンズとの差でしょうか。

羽田空港、普段はひっきりなしに飛行機が飛ぶはずなのですが、緊急事態宣言中の東京とあって、今は便数も減っているのでしょう。飛んでいる数は少なめです。
そんな中、フライトしていたJALのB777-200のJA8979は、旧日本エアシステムから引き継いだ機体で、現在JALはB777型機の退役を早めていて、1997年製の古いこの機体も、そろそろ引退なのかなと思います。これより若い機体も、COVID-19による輸送減も相まって、引退が早まっているようです。

鳥は…相変わらず撮るの下手。逆光だしね。

AIR DOのB767-300 (JA602A)も1998年製の機体で、ANAからの購入機、そろそろこの機体も引退が迫っているのかな? 90年代の機体は、今機齢20年を超えて、国内線の発着回数の多さから、足周りを中心に痛みが激しくなるため、もうそろそろなのかな…という気がします。

一方Lufthansa のA350-900 (A-DIXO)は2019年製の新しい機体。JALもB777を中心に引退させて、中型最新鋭のA350の導入を行っていて、ボーイング一辺倒だった国内路線の中型機も、エアバス機が増えてくるんでしょうね。

何故そこで遊ぶ…

こどもって不思議な場所で遊びますね。看板の下って…

この後はほとんど船を中心に撮影でした。船もかっこいいんですよ!

望遠レンズ、飛行機だけでなく船撮りにもいいですね。圧縮効果や、前ボケ後ボケも楽しんでみました。
夕方が一番映える時間なのですが、ここらで撮影終了、帰宅となりました。

戦闘機と違ってどれも動きが遅い分、フレーミングをじっくり考えながら撮ったつもり…ですが、まだまだですねぇ。

【藤崎摠兵衛商店】長瀞 中取り 純米無濾過生原酒

年始に長瀞蔵で購入したお酒2本目。

【藤崎摠兵衛商店】長瀞 中取り 純米無濾過生原酒

酒米に埼玉県産の「さけ武蔵」を使用した、長瀞蔵を代表するお酒。
その中取りです。お酒を搾る順番として、順にあらばしり、中取り、責めとあるうちの真ん中、最もバランスが良い部分を詰めたお酒となります。

【藤崎摠兵衛商店】長瀞 中取り 純米無濾過生原酒

協会系7号酵母を使用、精米歩合60%、日本酒度は+1と中庸。
爽やかな吟香とともに、まず冷酒でいただきます。冷えた状態でも、しっかりとしたメロンを彷彿とさせる甘み、そしてその後にどっしりとした辛さの余韻、これぞバランスの良い日本酒といった趣。
フレッシュさはあるけど、決して軽い味ではなく、どっしりさも兼ね備えています。なので、日本酒初心者向け、という感じではないかもしれないけど、フルーティさだけが日本酒じゃないぞ、というしっかりとした主張を持っています。


ちなみに、開栓初日のお食事がこちら。

COVID-19のおかげで、妻の職場で毎年行われていたクリスマスパーティが中止に。その代わりにお取り寄せグルメとなりまして、こちらをチョイス。

近江牛のすき焼きです。近年は高級牛肉と言えば「松阪牛」のほうが有名ですが、近江牛のほうが和牛としては歴史が長く、江戸時代から食べられていたそうです。
肉の脂身の融点が低く、胃もたれしにくいのが特徴だそうです。
しっかりした肉厚で、ことさら霜降り感を強調せず、しっかりとした肉の味が出ています。

あ、この味に負けない、食中酒に最適なのが、今回の長瀞 中取り 純米無濾過生原酒でした。

【埼玉・群馬】登仙橋(とせんはし)

矢納水力発電所跡のすぐ近くにある登仙橋(とせんはし)。

【埼玉・群馬】登仙橋(とせんはし)

看板では、この先が群馬県となっていますが、登仙橋自体は埼玉県の管轄のようです。

1967年(昭和42年竣工)

1967年(昭和42年)に竣工した橋で、ちょうどその前年には、すぐ近くの矢納水力発電所が廃止となっています。
橋の構造はウォーレントラスだそうです。

奥には下久保ダムが見える

橋からの風景。この先に三波石峡があり、奥に小さく白っぽく見えているのが下久保ダムです。
AF-S NIKKOR 16-35mm f/4Gで撮影。このレンズ、解像力がいまいちとされていますが、少し絞って撮れば、奥のダムや山も割とシャープに撮れます。VR(手ブレ補正)が時々暴れたかのように像が流れる場合もあり、VR搭載の広角レンズと言えど、しっかり構えて一呼吸置いてシャッターを押す事が重要。

反対側の風景。この時間はまだ日陰が多く、コントラストが上がり気味の写真になってしまうため、ハイライト飛びしないようろ露出を抑え、RAW現像時に暗部を持ち上げてみました。

この時期の風景撮影は、湿度が低いので、くっきりきれいに撮れますね。

【埼玉】岩室観音堂と吉見百穴

岩窟ホテルのすぐ横にある岩室山龍性院の岩室観音堂。始まりは西暦800年代と言われています。

天正18年(1590年)の松山城の攻防戦の際に、一度消失してしまいましたが、江戸時代の寛文(1661~1673年)に龍性院第三世堯音が再建したものです。
お堂の造りは懸造(かけづくり)で、急斜面や崖など高低差が大きい場所に用いられる建築様式だそうです。

1階部分の左右にある洞窟内には88体の石仏が収められています。

なお、奥には「胎内くぐり」と称した穴があり、そこをくぐり抜けると子宝・安産・子育ての願いに通ずる、とされていますが、今回は…見忘れていました(汗

建物2階が本堂の御本尊様が祀られています。

いつ頃から貼られているのかわからない御札や奉納などが多数。歴史を感じますね。


本堂からは、観光名所である吉見百穴が見えました。

残念ながら、時間が遅かったため、吉見百穴は外から眺めるに留めましたが、この中には、戦時中の地下軍需工場跡もあるそうです。今度時間があったら行ってみたいですね。

というわけで、1月4日の埼玉廃墟遺産名所撮影はこれにて終了。
良いプチ撮影旅行が出来ました。

【埼玉】岩窟ホテル高壮館

1904年(明治37年)から、1人の男がノミを使って、独自に岩盤の採掘を始めた。「岩窟掘ってる」が訛って「岩窟ホテル」となった、とされており、ホテルとして建造し始めたわけではなく、洋風建築物としていたそうです。
彫り続けて21年後、その男性は逝去し、しばらく放置されていたものの、男性の息子が引き続き作業を継続、この場所は観光名所となりましたが、1980年代の台風による岩盤崩落により、1987年に閉鎖、以後再開されることなく現在に至っていっるとのことです。

現在も、採掘者の子孫が管理している場所となっています。

現在はフェンスに覆われ、門は閉ざされ、中に入ることは出来ません。
したがって外から見るだけとなります。
目の前の木が成長しており、冬でも全体像は見づらくなっています。夏だともっと見づらいでしょうね。

しかし、ノミだけで岩盤を何十年もかけて掘った建築物というのは、それだけで気迫がありますね。
現役時代は、岩盤に塗装を施していたそうですが、現在はすっかり元の岩盤に戻っています。Googleで現役時代の写真がいくつか確認できます。
このページでは、写真はかなり小さいですが、内部の写真も見ることが出来ます。
流石に30年以上経過すれば塗装も落ちますよね。

内部を伺いすることは出来ませんが、椅子やテーブルなど、調度品も岩盤を削って作ったのだからすごいです。
窓の鉄柵が、年月を物語っています。いやぜひ中を見てみたいものですが、崩落の危険があり、叶うことはないでしょうね。

お隣には岩室山龍性院が

ところで岩窟ホテルの隣には、岩室観音の岩室山龍性院がありましたので、そこも行ってみました。その紹介は次回に。

【埼玉】N医院

この場所は、目の前が住宅であることから、名称と詳細な場所は伏せさせていただきます。写真からもGPSデータは削除しています。
ま、調べればすぐわかるとは思いますが…。

なかなか美しい建築で、前から見たいとは思っていましたが、周辺は普通に住宅地なんですよね。ですから、ササッと見て撮影するに留めました。

何時頃建造されたかは不明ですが、建物の感じから、1950~60年代の建造かな?という感じです。写真の通り、建物の左側はレンガと石造りのしっかりとした美しい建物です。
すでに10年ほど前から、医院としては使われていない感じとのことです。
古びてはいますが、木造建築でない分、頑丈そうでです。お正月の飾り付けもされており、現在もしっかりと管理されていることが伺えます。立入禁止の看板も新しいですね。
入り口の医院の名前は、独特のフォントです。読めない(笑

一方、建物右側は木造建築です。
木造のため劣化が激しく、徐々に崩壊が始まっているようです。
この撮影の2,3年前の他の方の写真を見ると、入口部分には瓦づくりの立派な庇(ひさし)が存在していました。
が、現在は崩壊し、かろうじて建物に庇があったであろう三角形の取付部の痕跡が見られる程度です。
入り口の扉も外れており、2階の窓も一部外れているなど、状態はよくありません。こちらの建物の管理まではされていないのでしょう。

数分程度の撮影でしたが、見れてよかった建物ですね。


ところで、この撮影で使用したレンズ、AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR、旧製品になってしまったようです。2010年発売の、比較的新しいレンズでしたが、ディスコン。後継レンズは恐らくないでしょう。
値段の割に、解像力がもう一歩で、ニコンファンからも評価が分かれるレンズです。
広角で唯一、手ブレ補正VRを搭載し、三脚を使えない廃墟撮影用に買ったレンズです。解像力は、確かにこのクラスのレンズとしては今一歩の感じはあります。やや線が太い絵なのですよね。絞っても大きく改善しません。この辺り評価が分かれるところです。とは言え、使いやすい焦点距離なんですよね。
Zマウントで、14-30mm f/4 Sが出ており、評判も良いことから、このレンズが実質後継なのでしょう。フルサイズのZマウント機は、手ブレ補正もボディに内蔵していますしね。

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【群馬】譲原小学校跡地

午前中の矢納発電所跡旧新井邸(新井さんち)撮影を終えて、昼食がてら立ち寄ったのが、道の駅上州おにし

そばを食べた後、この道の駅の駐車場横に残されている、旧譲原(ゆずりはら)小学校を見てきました。

【群馬】譲原小学校跡地

1874年(明治7年開校)、現存するこの校舎は、1934年(昭和9年)に建てられ、築90年近い建物となります。
ちなみに、私も小学生の頃は、2階建てですが、こんな感じの木造校舎で学びました。実はYamaroが通っていた北海道函館市の小学校も、同じ1934年に建築されたものでしたが、私が卒業と同時に取り壊され、鉄筋コンクリートの学校に生まれ変わっています。

譲原小学校は、1975年(昭和50年)には廃校となり、解体されることなく現在に至っています。

昭和初期の木造建築の美しさを今に残しています。
現在はほぼ使われていないようですが、管理されているため、閉校から46年経過した現在も、建物の状態は良好なようです。

いつまでも残って欲しいものですね。

【埼玉】旧新井邸

矢納発電所跡を後にして次に向かったのは、矢納発電所を運用廃止にした下久保ダム神流湖畔の道路に沿いにある廃墟。

ところが道中、通行止め。カーナビ上でも通行止め表示にはなっていたので、駄目なら諦めようとは思っていた。
いざ来てみると、通行止めは確かなのだけど、レンタルボート屋さん神泉ボートは営業中の表示。行けるのか行けないのか?
通行止めの理由は不明だけど、落石が多いようなので、道路状況が悪いのか。でも神泉ボートは営業中で矢印がこの先を示しているし…。

一休さんの禅問答みたいな状態ですが、本当に通行止めなら、車は通せないよう、鎖や門でもっとガードしているはず。
が、本当に道が荒れているのだとしたら、ミニバンのエスティマでは難しい? 実際、長年山道を走った経験上、車高を落としたアコードユーロR ですら、割と通れて立ち往生した経験はないけど、なにせ全長が長いミニバン、切り返しが難しい。

苦渋の決断の上、嫁車エスティマはここに置いて、歩いていくことに。

※「通行止め」は、法的には車両だけでなく人も通行できないことを示しています。車だけだと「車両通行止め」です。

距離的には、目的地までは徒歩20分程度で行けそうです。Googleストリートビューも確認済み(便利な時代です)。

幸い、お昼近い時間、寒いけど風はなく、歩いているとポカポカしてきますね。誰も居ない道を、カメラ1台だけで、トボトボと歩きます。道は…全然エスティマでも走れそうな状態。途中少し小さな落石があった程度。
途中、軽トラが停まっていました。荷台には猟犬用と思われるケージが。山の奥の方でガサゴソ音がしたので、猟を行っているのでしょうね。通行止めだけど、結局車で入っているじゃんと。

目的地到着。この看板が目印、ストリートビュー通り、ずっと置いてあるようです。車道からは、目的のものは見づらい。

旧新井邸、通称新井さんち。
何故この名称で呼ばれているかは、探偵ファイルさんの古い記事に、1988年(昭和63年)の地図に「新井別邸」と書かれていたからだそうで。
昔は、こうした地図に個人宅名まで書かれたものが、普通に出回っていました。個人情報保護の現在では信じられないかもしれませんが、自分の子供の頃は、ネットもないし、Googleマップも実用的になったのは21世紀に入ってからですからね。

ここは元々村だあったようで、この建物の新井さんちは、下久保ダム建設反対派の家だったという噂もあったようですが、定かではありません。
事実として分かっているのは、確かに新井さんの所有する建物であること(周辺は新井性が多いそうです)、元々母屋が車道側にあったのが、2011~2012年に解体されていること、今残っているこの2階建ての建物も、かつては障子が貼られていたようで(現在は枠のみ残っている)、昔の大きな家によくある、母屋と別邸という厚生だったようですね。

ご覧の通り、すでに土壁の多くは喪失、柱も根元部分は腐ってズレたり痩せたりしています。
横から見ると、建物が曲がっていて、倒壊も時間の問題でしょうか。と言いつつ、柱がしっかりしているので、割と頑丈そうではあります。

あまり残留物はなく、というより埋もれてしまっているのでしょう。
懐かしい2槽式洗濯機が転がっていて、その上には柚子?が生えていました。洗濯機のホースが劣化て、カールコードのように。
肥料の袋があり、畑もあったのでしょうね。

少し斜面に登って建物を確認。昔のしっかりした日本家屋という印象。積雪が殆どない地域なのも、ここまで倒壊せずに持っている要因の1つかも。ただ、これだけ斜めになっていると、あと数年か、といったところでしょう。

形状的に軽トラと思われる、テールランプが落ちていました。しかし、車体は見当たらないのですが、どこに行ったのだろう?

では戻ることに。
帰り道、神流湖と下久保ダムを見ながら来る前戻りました。

ダム反対運動は確かにあったようですが、一方で、よりよい場所に転居できるから、など様々な理由で賛成派もいたようで、こうしたダムは賛成派と反対派で人々を分断させてしまう、というのはあるようですね。