火柱の人 土門拳

都築政昭 「火柱の人 土門拳」

最近、子供ら図書館に行くようになりまして。今年小学生になった娘、本を読むのが好きで、隔週で図書館通いするようになりました。うん、エライエライ。

元々自分も読書は嫌いではなく、学生のことは毎週図書館に通っていました。インターネット回線を引くまでは(笑
そう、20世紀末、インターネットをやるようになってから、ぐんと読書機会が減ってしまいました…。

社会人になってからも、ゆっくり本を読むより、出かけるとかネットするほうがメインとなりましたね。スカパーに入って映画見たりとか。

でも、久しぶりに図書館に行くと、あれもこれも読みたいな、という気持ちが強くなります。これは、例え電子書籍が充実したとして、サブスク配信があったとしても、やっぱり目に飛び込んでくる情報量の多さは、実体を伴う書店や図書館とは比較にならないですね。

ってことで、例えばサブスク配信があったとしても、そもそも目に止めないかも知れない本、図書館だと読もうって気になります。無料で(税金ですけどね)本が読めるのですから、使わない手はないわけです。

ってことで本題。最近、巨匠写真家の1人、土門拳の本ばかり借りて読んでいます。なかなか読む時間がとれなくって。いやはや、常人には出来ないですわ。時代背景を考慮しても。

自分の写真は、「記録して残すこと」が主体であって、「リアリズム写真」だの「絶対非演出の絶対スナップ」といったことは意識していないけど、よく対比される木村伊兵衛より個人的には好き。木村伊兵衛が感性と技能の天才だとしたら、土門拳は感性と綿密さの両立、1つの被写体をとことんまで突き詰めるというのが共感するところですね。

こういう本を読むと、自分の撮影の意識付けになるかな、と思って最近読んでる次第。漫然と写真撮っていることが多いのでね。
たまには読書いいですよ。読書の秋ですし。

残念ながら、この本は絶版書。古本でどうぞ。
図書館、絶版の古い所蔵も読める、というのは魅力の1つでしょう。サブスクの時代、電子書籍だと、配信終了すればそれでおしまい。将来に渡ってその電子書籍が残らないわけです。デジタル化は劣化しない一方、簡単に消えてもしまいます。写真と同じ。難しい問題ですね。