「LUMIX G VARIO 14-140mm/F3.5-5.6 ASPH.」タグアーカイブ

三井アウトレットパーク木更津へ

夏休み初日、元々は帰省も想定して妻も休みをとっていましたが、このご時世ですから、帰省は取りやめにして、屋外が多く、ソーシャルディスタンスもある程度保てる、三井アウトレットパーク木更津へ。

明治屋アウトレット

明治屋ってジャムのイメージですが、ジャム以外にも輸入品のお酒や缶詰、調味料など売っていまして、ワインとタバスコ3点セット、おつまみ缶詰なんかを買いました。ここ、いいね。

アウトレットですが、金曜日とは言え客は少なめですね。だからなのか、各店とも値下げ幅も大きくて、Tシャツ類なんか、2枚で1500円くらいで買えたり、ちゃんとしたジーンズが千円強だったり、ちょっと信じられないくらい安いお店もありました。
売上的に厳しいのでしょうね。本来、在庫を安く売るためのアウトレットモールのはずが、客が来なければ在庫を抱えることになります。
とは言え、COVID-19も拡散していて難しい状況ですね。


アウトレットから見える観覧車。

KISARAPIAの観覧車。

アウトレットお隣の、KISARAPIAの観覧車。
うちは子供たちも妻も、怖いと言って乗りたがりません…

夜は良い感じにライトアップされています。
写真できれいに撮るのは難しいですね。

帰りは故障車渋滞がひどくて遅くなってしまいました。ま、夏休みだしいいか…。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/3)

毎週お送りしている、写研埼玉工場の解体動向です。

写研埼玉工場(20/8/3)

先週、ついにメインビルの解体が始まりましたが、今回はその進行状況を確かめることになります。第二工場は、大きな変化はないようです。

メインビルは解体が進み、外壁だけでなく建物本体の解体にも着手されています。
ネット越しの撮影で不明瞭なのはご容赦を。
私はてっきり、この手のビルは鉄筋なのかと思っていましたが、柱は鉄心の入ったコンクリート柱なのですね。
水をかけてホコリの飛散を防ぎつつ、重機の爪が少しずつコンクリと鉄心を削っている感じですね。あんな上まで重機の爪が届くのですね。

少しずつ解体している感じで、夏休みまでにすべての解体とまでは行かないかな?
よく見ると、エアコンなど大型の機械や棚みたいなものは、そのまま建物に残して解体されているみたいですね。

今回、工程表の撮影を忘れてしまいましたが、しばらくは躯体解体が続くでしょう。
※写真撮ってきて追加しました。躯体解体継続ですね。

工程表追加しました

ところで、ここが解体された後、何ができるのか?

開発行為等計画標識

商業施設とあり、どうやら最近埼玉で店舗を増やしている「ヤオコー」が入るようですね。
たしかにこの周辺はスーパーマーケットないしね。
工期は来年9月末までとなっているため、来年の秋には写研跡地はヤオコーに姿を変えるようです。

JMU磯子工場における空母化改修中(前期工事)護衛艦「いずも」

先日行った横須賀の帰りに、せっかくここまで来たのでと、寄らせていただきました。いつもの、J-Powerの磯子火力発電所からの撮影です。

JMU磯子工場で整備中の護衛艦「いずも」(DDH-183)

護衛艦「いずも」、2020年度予算で、F-35B STOVL戦闘機搭載のための改修工事予算が取得され、定期整備とともに改修工事が始まっている模様です。

といっても、外観から明確に空母化工事中…というのはわからないですね。そもそもが、名称は護衛艦(艦種:DDH=ヘリコプター護衛艦)であっても、国際的に見れば元々がヘリ空母と言っても良いですから。

護衛艦「いずも」の奥には、2021年3月の就役に向けて艤装中のイージス艦「はぐろ」(DDG-180)が

「いずも」の奥には、去年進水し、2021年3月の就役に向けて艤装中のイージス護衛艦「はぐろ」の艦首とマストが見えます。

戦闘艦としては自衛隊最大の「はぐろ」を持ってしても、「いずも」と並ぶと子供のような感じになりますね。
よく見ると、「いずも」は船体の塗装がまだらになっていて、再塗装しているところとそうでないところがあるようです。
それでも、先日上げたような米海軍のサビサビ船体を見ると、自衛隊の艦艇は作戦中であっても比較的きれいですね。

整備中の護衛艦「いずも」の艦橋クローズアップ

G.VARIO 14-140mmの望遠端では足りず、トリミングしています。今回は軽量にこの1本だけで撮影しましたが、ちゃんと撮るならもう少し望遠が欲しいですね。

さすが艦橋が大きいだけあって、ビルの改装工事と同様に足場が組まれている感じです。甲板にテントやらトイレやら、各種資材を置いても十分な広さがあります。

「いずも」の空母化改修は、この1回で終わらず、2回に分けて行うそうで、2回目は次の定期整備の2025年から、それが終わって正式に空母として運用されるのは2027年とされているので、まだまだ先の話です。

中国も空母保有から艦載機を飛ばせるようになるまではかなり時間がかかりましたから、ものを作って飛行機を乗せれば空母、というようには簡単に行きません。運用方法の確立や問題点洗い出し、相当時間がかかります。

まずはこの最初の改修後、F-35Bの搭載適合テストを行い、その後2回めの改修、再度テスト、そして運用開始となりますが、現在尖閣情勢も緊迫化しつつあり、それまで尖閣を維持できるかが、これからの鍵となりそうです。

YOKOSUKA軍港めぐり船に乗って米空母や自衛艦を見てきた

米海軍横須賀基地配備の、空母ロナルド・レーガン(CVN-76)が8月1日、横須賀港に入港するとのニュースを聞きつけ、せっかくの土曜日で関東梅雨明け、と言う天気の良さも手伝って、急遽横須賀に行くことに。
妻は仕事、子供ら2人連れてということで、撮影機材は軽量なLUMIX GX7MK2に便利ズームのG.VARIO 14-140mmとしました。

いやよい天気でした。気温も急上昇。
YOKOSUKA軍港めぐりの観光船を予約して、いざ横須賀へ。
14時の便に乗りました。

出港してすぐに見られるのが、海上自衛隊の潜水艦。この日は、最新のそうりゅう型ではなく、1世代前のおやしお型が2隻停泊していました。潜水艦は、行動秘匿のため、就役中は艦名の表示は船体から消されているので、これらが具体的な艦名は不明となります。ハッチの厚さも秘匿のため、緑のカバーがされています。

砕氷艦「しらせ」(AGB-5003)は、南極から戻った後に整備で塗装されたばかりとのことで、非常にきれいな状態でした。

逆光で見づらいですが…イージス護衛艦「まや」(DDG-179)は最新の護衛艦で、共同交戦能力(CEC)を備えた初めての護衛艦となります。NIFC-CA FTSにより、他のCEC搭載艦が捉えた標的の情報を得て、自艦のレーダーに映らない標的を攻撃可能な「エンゲージ・オン・リモート(EOR)」にも対応します。
イージス艦では初の、COGLAG推進(ガスタービン・電動機の複合推進)となっているのも特徴です。

この日の目玉は、何と言っても米海軍空母「ロナルド・レーガン」(CVN-76)が午前に入港したことですね。
5月末以来、2ヶ月ぶりの帰港の目的は不明で、帰港は前日に横須賀市に伝えられ、この日の夕方には再び出港する慌ただしさだったようですが、隊員は束の間の休息を楽しんでいたようで、飛行甲板をよく見ると、所狭しと並べられたホーネットの翼下で、Tシャツハーパンのラフスタイルで休んでいる風景が見られました。

アーレイ・バーク級駆逐艦は、いずれも初期型のフライトⅠが停泊中。巡洋艦アンティータムは、・バーク級駆逐艦は、いずれも初期型のフライトⅠが停泊中。巡洋艦アンティータムは、近代改修されていますが、BMD(弾道ミサイル防衛)能力は持たない艦です。

ブルーリッジはずっと日本に配備されていて、日本人にもおなじみの艦艇です。今年の11月で艦齢50歳の、現役米艦艇でもっとも古い艦艇になります。


米海軍を見た後、軍港めぐりの船は吾妻島の北側へ向かいます。

自衛艦隊指令部のあるこちら側は、普段陸側からはあまり見れない場所で、軍港めぐり船でないと、中々見れないですね。

特に海洋観測艦は、対潜戦のための各種海洋情報収集のための重要な艦艇で、戦闘艦が注目されがちですが、それらを影で支える裏方になります。
下の写真では、海洋観測艦「しょうなん」(左)と「わかさ」が並んでいますが、今年度に入り自衛艦は、艦艇塗装のロービジ化(低視認化)を進めており、その一環として、艦番号もコントラストの低い塗装に変更されています。まだ変更過程なので、新旧艦番号の違いが比較できるのも今だけですね。
煙突も、端部の黒い塗装が、灰色に改められています。

吾妻島の西側は、元々は陸と繋がっていた半島だったのを、明治時代に水路化し「新井堀割水路」と呼ばれているようです。吾妻島は現在米海軍の敷地となっていて、一般人は立ち入りできません。
ところで島にトンネル倉庫らしき扉がありました。今は使っていないようですが、元々は弾薬庫だったのでしょうか?

再び護衛艦隊の前を通過し、船旅のフィナーレを飾ります。
なかなか珍しい「あさぎり」型護衛艦の3隻メザシ状態の停泊シーンは、このアングルで見るのは貴重です。
最新イージス艦「まや」も、マストのアンテナ類をじっくり見ることが出来ました。

米曳船は、どうやらこの後、空母「ロナルド・レーガン」の出港を支援したようです。色の褪せた宿泊艦は、今はエンジンがなく稼働できませんが、現在も宿泊艦として現役、就役したのは第二次大戦が終了する1945年ですから、75年も前の船です。今でもこうして使っているのはすごいですね。


連れて行った娘は若干船酔いしてしまったようですが(船酔いしやすいのを忘れていた)、息子の方は前半眠そうでしたが、後半は起きて楽しんでいたようです。
空母に会えたのは、一期一会で良かったですね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/7/27)

毎週お送りしている気がする写研埼玉工場の動向です。
写真は、撮影時間の時系列が前後していますが、ご了承ください。

今週の作業予定

この工程表は、昨日夕方に撮影。朝も撮影に行きましたが、その時点では先週のままで、まだ更新されていませんでした。
表を見てもらうとわかるように「躯体解体(くたいかいたい)」と書かれている通り、建物の主要構造物の解体が始まったようです。並行してアスベスト除去作業も行われているようです。

奥に見える第二工場ですが、写真のこの面は、以前張られていた防音壁と足場がなくなっていました。元第一ビルのあった場所には、棚や鉄筋と思われる金属くずが積み上げられていました。

先週と先々週の写真を比較してみると、先々週13日時点で張られていた防音壁が、先週20日では既に上の方から外されて建物が見える状態になっているのがわかります。写真を撮って比較して気づくという典型ですね。
ということは、この面から第二工場の解体が始まるのかもしれません。

久しぶりに見えた第二工場の外壁

第二ビルを別角度から。防音壁が外され、恐らく解体が始まる直前なのでしょう。この姿も、次はもう見られないかもしれませんね。
内装撤去はほぼ終わったのでしょうね。

そして裏手に回ってみると…

重機の音がしていましたが、ついにメインビルの解体が始まったようです。先に工事が始まっていた第二工場より先に、メインビルが解体され始めていました。
私は素人なのでよく分かりませんが、重機が届く下側の外壁からこうやって解体するのですね。上はどうやって解体するのだろうか?
望遠側にズームアップした写真を見ると、建物内に棚がそのまま残されているようで、搬出はせずに、重機で潰しながら取り出しているのかな?
向かいのマンションの上の階体とよく見えそうです。タイムラプスで撮影してみたいものです。

夕方の解体状況

解体が始まるとあっという間なので、仕事が終わった後、また来てみました。解体は結構進んでいますね。次行けるのはまた来週か、今週どこかで見に行けるといいいのですが。


というわけで、いよいよ解体が始まり、建物がどんどん消えていくことになります。写植で一時代を築いた歴史ある会社が、少しずつ消えていこうとしています。

【写研埼玉工場】解体動向(20/7/7)

梅雨時期でなかなか撮影が難しい季節です。九州は大雨で大変なことになってますし…。

そんな中、雨の切れ間?ということで、朝時間があったので、またまた写研埼玉工場撮影してきました。

まずは厚生棟。ここは何も変化なしです。雨が多かったからか、外壁が薄汚れています。よく見ると、ミラーに自分が写ってるw
1階の駐車スペースは、工事関係者の駐車場になっているのは変わらず。

工事予定のパネルは、担当者が書き忘れたのか、先週のままでしたので、今回は未撮影です。

メインビルは大きな変化はありませんが、足場のネットと、1階部分の防音壁はが追加されて、着々と解体準備が進められている様子です。

第二工場は大きな変化なし

第二工場はすっぽり防音壁に覆われているため、内部の作業進捗は不明です。かつて箱の上に大きな「写研」と書かれた看板があった場所です。ここは早々に撤去されたようで、最初に撮りに行った先月半ば時点で、既にありませんでした。

足場固定のため、一部窓ガラスは割られている

メインビルのクローズアップ。足場を固定するため、一部の窓ガラスは割られていました。大きく開けられなかったからなんでしょうね。

裏手からはネットが張られて、ネット越し写真ばかり載せていましたが、今回はネットの切れ間から、第二工場の奥のメインビルを撮ってみました。
裏手はこのまま足場や防音壁は取り付けないのかな?
エアコンももう稼働できないでしょうから、一部窓は恐らく換気のために開放されています。この蒸し暑い時期に、大変ですよね。

ところで、トマソンな鉄扉が最上階にあります。間違えて開けたら終わり…ですね。この手の扉は、恐らく大きめの重量物の搬入とかで使うのでしょうけど。意味があるから設置しているのだと思いますが。

ところで、Googleのストリートビューでは、恐らく解体工事着工直前となる、2020年3月に撮影された写研埼玉工場を見ることが出来ます。

2020年3月に撮影された写研埼玉工場のストリートビュー

このアングルからは、2010年からのデータがありますので、見ていくと、2010年は写研の看板も、まだそれほど色あせていなくて、10年の時の流れを感じさせます。
ストリートビューで周辺を見てみると、2010年も、メインビル入口に警備員はいますが、他に社員らしき人の姿はなく、厚生棟も使われているようには見えませんでした。
2007年時点で、埼玉工場の社員数は30名、それから3年後の2010年で人気がない感じなので、その間に多くの社員が退職してしまったのでしょうか?
ストリートビューには、既に解体されてしまった第一工場も見られます。

色あせた写研埼玉工場看板

この看板は、象徴として毎回撮りたくなります。最後まで残って欲しいですね。


写研埼玉工場の記事も増えてきたので、カテゴリーに「建築物」、サブカテゴリに「解体」を追加しました。

【写研埼玉工場】解体動向(20/6/29)

なんだかシリーズ化しつつある、写研埼玉工場の解体動向ですが、この日もたまたま出社前に時間があったので、チャリンコでひとっ走りしてきました。

写研埼玉工場

今週の作業はこんな感じです。

廃材搬出や内装解体が主な作業

建物も大きいため、内装撤去作業はかなり時間をかけて行うようですね。

メインビルも防音・防塵壁が取り付けられている

メインビルにも、徐々に防音・防塵壁が設置されていて、徐々に建物が外から見えなくなりそうな感じです。周辺はマンションが多いため、騒音にはかなり配慮している様子です。

メインビルの足場の設置も進み、第二工場は防音壁で全体が覆われています。

第一ビルは解体済み?

第二工場とメインビルの間の、第一工場があったと思われる場所は、既に解体済みのようです。
資材置き場になっていました。

裏手に回ってみました。メインビルは、裏手側はまだ足場も組まれていませんが、第二工場は防音壁で完全に覆われていました。
まだしばらく内装撤去作業がメインのようですが、状況的に先に第二交渉が解体されるのだろうと思います。
工期はまだ半年以上あるので、建物自体の解体着手はもう少し先でしょうか?

看板の撤去は最後か?

古びた写研の看板は、まだ撤去される様子はありませんが、これがなくなると、知らない人は、もうここが何のビルだったかもわからなくなりそうです。

引き続き、時間を見つけてウォッチしていこうと思います。

写研埼玉工場が解体されるとのことで見に行ってきた

この記事に反響を多く頂いており、書いた本人も少し驚いていますが、当方、デザインやDTP、フォントについては素人で、書かれている内容に間違い誤解があるかもしれませんので、その点、ご容赦、ご指摘いただければと思います。


昨日、たまたまTwitterを見ていたら、こんなツイートを見かけまして。

写植、と言うキーワードから、久しぶりに「写研」と言う会社を思い出しました。

実は何年か前、表題の「写研」埼玉工場の横をたまたま通って、人気のない大きなビルなのに、ちゃんと維持管理されているっぽい感じだったので、何の会社だろう?と調べだしたところから、写植の会社であること、写植って何?となって、写研について調べたりしていました。
昔は写植・フォントといえば写研だった、その後デジタル時代になりDTPが主流になっていくも、現代に至るまでデジタルでフォントを販売しないこと、今どきHPを持っていない(2019年7月にドメインは所得)など、色々と逸話のある会社のようです。調べれば調べるほど、面白い会社だなと。
そして、今はかなり減ったようですが、道路の青色看板のフォントなども、ちょっと前までは写研のフォントが用いられていたとのことで、実は知らず識らずに我々は写研に触れていたということも。

※現時点では、まだ道路の青看板のフォントは、法令で写研のナールが用いられているとのご指摘がありましたので、訂正させていただきます。

写植の話題をツイートしたら、フォロワーさんより…

貴重な経験談も頂きました。写植機、昔は一般的だったということなんですね。

元々廃墟写真が趣味で、古い建物そのものが好きだったりしますが、写研の埼玉工場、立派で管理されているのにほぼ無人(入り口に警備員はいた)、というのになにか惹かれるものがありまして。

ところで、この一連の流れから、ふとWikipediaの写研の項目をたまたま見たところ、

2020年4月15日、写研の埼玉工場の解体が開始された。

という項目が追記されているのを見て、タイムリーでいても立ってもいられなくなりまして。
そんな中、たまたま昨日買い物担当になり、車に乗る機会が得られたので、お買い物ついでに写研埼玉工場を見てきました。

写研埼玉工場の看板、もちろんフォントは自社製で、後にこれをベースに「ファン蘭」という書体が販売されたそうです

雨降っていて、あまり写真は撮れなかったけど、この看板が写研を象徴するものとなっています。しかし、だいぶヤれてしまった看板ですね…。

この写研の看板のフォントも、もちろん自社製フォントで、後にこれをベースに「ファン蘭」と言う書体が作られ販売されたようです「任天堂」のフォントにも用いられているようですね。
※「任天堂」の書体は、ファン蘭ではなく、よく似たファンテール体に分類される、とのご指摘をいただきました。

一部足場が組まれている

建物はまだなくなっていませんでしたが、足場が組まれていて、敷地内に目隠しもされていて、確かに解体工事が始まっているようです。

この日は日曜日ということもあって、作業は行っていないようでした。が、この雨の日にも窓は開放されていて、もはやビルとして機能していないことがわかります。
写真右隅の窓には、以前からこんな感じで箱が積み上げられているのがすりガラス越しに見えましたが、この箱が写植機の部品、あるいはフォントの型である写植文字盤とかが入っているのでしょうか?

入り口の守衛所も目隠しで屋根しか見えない

なかなか大きく立派な建物で、入り口付近の構造も金がかかっている印象。以前は、この門は開いていて、写真右手前に屋根だけ見える建物には守衛さんが在中していました。なので、そこだけ見ると、普通に工場の入口なのですが、ビル自体には以前から人気はまったくなく、倉庫として使っているのかな?と言う感じでした。ただ、倉庫だとしても、あまりに人気がなかったんですよね。

写研埼玉工場は、第一工場が1963年(昭和38年)に、第二工場が1965年(昭和40年)に建造され、さらに5年後第二工場は増築されたということで、当時写植機が非常に多く売れていたということがわかります。
今でこそB to Bという言葉が一般的になりましたが、いわゆる一般への販売をしない、会社対会社の業務、そして当時トップシェアを誇っていたわけですから、これだけ立派なビルを建てられるのも納得です。

4階部分まで足場がかけられていた

ちなみに写真のこの茶色のビルは、工場ではなくメインビル、とのことです。写真は撮っていませんが、このビルの向かいには、厚生棟というビルがあり(帰ってから調べたらわかりました)、当時はかなり大きな会社だったということがわかります。
また天気の良いときに、写真は撮りたいですね。

電話番号が書かれていたり、あらぬ憶測や問い合わせがあると良くないので、このブログで特段必要ない情報は隠しました。

解体は、誰しもが知っている大手建設会社の名前が書かれていました。メインビルは、工場より建造が新しいイメージですが、それでもやはり半世紀前の建造だからか、アスベスト(石綿)が使われているようで、まずは内装とアスベストの除去が行われたようです。
大手建設会社による解体、しっかりと計画を立ててアスベスト除去や内装解体から進められていて、解体費用もしっかりと計上されている印象を受けました。
まだ会社としては継続している写研ですから、倒産による解体ではなく、計画的な解体なんですよね。

またまたフォロワーさんからの情報(Twitterって特定分野に詳しい人が多く集まっていてすごいなぁと)です。

とても有益な情報を頂きました。調べると、確かに創業以来ずっと同族会社だった写研が、2018年に石井裕子社長が逝去後、同族の後継者ではなく、同社の顧問税理士の南村員哉氏が就任しています。
南村氏は、現在も税理士事務所を経営しており、フォロワーさんの解散準備…と言う話も一理あるなと思います。もちろん、このツイートを持って、解散準備中であると断言はできませんが。(フォロワーさんを信頼していないとかではないので念の為)

HPも2019年にドメイン取得しています。会社の解散準備しているのであれば、あえて今ドメインを取得するのは? フォントのデジタル化はすでに完了しているということで、最後の最後にデジタル販売を開始する…可能性も否定できませんよね?

特にフォントに思い入れはなかったYamaroですが、日本のフォントを支えてきた写研という、かつて大きな企業だったのが、今や風前の灯、というのは感慨深いものがありますね。

ちなみに、24年くらいまでは電算写植は残すとの情報ですが、電算写植機と接続されているISDN回線(写植機の使用による課金データを送っているそうです)が2024年で終了するとのことで、そこまでは稼働を維持する、逆に言うとそれ以降はISDN回線ではない代替手法を用いない限りは、写研の課金システムは継続できないということになるから、ということです。
しかしながら、すでに電算写植の新規開発などは終了し、社員も殆ど残っていない(現在何人の社員が残っているか不明)となると、現状を維持することが精一杯、ということなのでしょう。すでに電算写植機も製造しなくなって久しいですから。
ただ、個人的には、HPドメイン取得で、最後の最後に大どんでん返しのDTP化!ってのも期待しちゃいます。デザインに無知なYamaroでさえ、確かに写研のフォントは見やすくきれいだと思いますし、デザイン業界では未だファンも多いようですから。

第二工場はネットとシートで覆われていた

すでに10年以上前から稼働していなかったとされる第二工場は、ご覧のように解体に向けたネットと防音シートが張られていました。

かつては、この工場に上に誇らしげに「写研」と掲げられていましたが、今はそれも見えません。ちなみに、第一工場は、この第二工場と、先程の茶色のメインビルの間にありますが、目隠しシートに寄って現在はどうなっているのか分かりません。元々、第一工場はそんなに大きくはなかったかと思います。

ネット越しにメインビルの裏側を望む

解体工事は、2021年1月までの予定ということで、現状、まだ内部の廃材撤去中のようですが、梅雨が開けたら解体工事も本格化しそうな感じです。

これはちょこちょこ見に行かないとですね。


追記:社員数ですが、過去情報で厚生労働省のページに、こんなPDFを見つけました。労基案件っぽい内容は中身を読んで頂くとして、ピックアップすると、すでに平成19年7月(2007年)の社員数は109人、埼玉工場は30名(p12の一番下記述)、50歳以上の社員が7割ということだそうです。
つまり、それから13年経った現在、2007年当時50代だった社員はすでに退職していると思われますから、新入社員をこの間採ったかは分かりませんが、現在の社員数はそう多くないことが伺えます。

卒園式に行ってきた

早いもので、娘もこの春、保育園を卒園して小学生になります。

新型コロナウイルス(COVID-19)の影響で、様々なイベントが中止されている昨今、卒園式もどうなるかと思いましたが、規模縮小し、保護者1名のみの参加、毎年参加していた在園生は不参加、演目も一部取りやめとなりましたが、式自体は行われました。

4K動画からのスチル切り出し

流石に6歳児ともなると、大人の想像以上にしっかりしているな、という印象でした。自分が同じ頃どうだったんだろうな?

例年、1人ずつ卒園証書授与らしいのですが、今年は規模縮小ということで、代表の園児1人が授与でしたが、なんとその役がウチの娘でした!
しっかりやれていました。

プライベートな写真ばかりなので、載せられそうなのは、上のGX7MK2で撮った4K動画のスチル切り出しくらいですが、もはやWebにフルHDの解像度に落として掲載するくらいの画質に耐えうるのだから、技術は進歩したものです。8K動画なんてのは、まだまだ一般には不要ではないかと…。

というわけで、無事卒園式も終了、といっても保育園なので、3月末までは登園します。それより、4月以降、どうなるやら。

それまでにある程度COVID-19騒ぎも落ち着くといいのですが。

東京ディズニーシーに行ってきた

行ってきました。早起きして。

職場のイベントなので、入場料自体はかかっていないのですが、駐車場代、中での飲食とお土産、行けば結構かかりますよね…

とまあ、現実的なお話はこれくらいにして、夢の国のお話を。といってもそこは私の視点ですから(笑

TDS入り口の地球
TDS入り口の地球

入場は8時半以降に。この日は8時から入場開始でしたが、どのみちその時間運んでいて入場が流れないので、しばらくしてからのほうがスムーズです。と言っても手荷物検査もあり、時間がかかることに変わりはないですけど…。

S.S. COLUMBIA(コロムビア号)は、1900年代前半当時の客船を模した建物で、タートル・トークの待ち時間、中の展示を色々見ると、ちゃんと作り込んであるんですよ。設計図面とか、当数とか新聞広告とか。

この時代の蒸気タービン客船は、煙突の大きさと数が豪華さの象徴で、デザインの一部でした。中にはダミーの煙突を搭載する船もあったくらいです。

実際の船より若干寸詰まり感はありますが(土地の広さの制約?)、船体のリベットとか、よくできています。

この鴨、遠目にはきれいに並びすぎていて、TDSが並べたダミーかと思ったら、普通に生きている鴨でした! ここで餌付けしているのか、自然と寄ってきたのか?

レジ番号C-3O

レジ番号がC-3POの複葉機の飛行艇。紅の豚を彷彿とさせますが、あの映画のポルコロッソの機体は、架空のものなので、この機体が現実の何かを模したのかは不明です。世界観は1920年代ですね。

ミッキーと写真撮りましたが、並んでいると時々顔を出してくれたりシます。

プロカメラマンのお姉さんたちは、CanonのAPS-C機を使用していました。(メーカー機種名パーマセルテープらしきもので隠していました)はレンズはEF-S 15-85mmで、ズーミングが多いせいか、レンズは鏡胴がテカテカになっていました。自分たちのカメラでも1枚撮ってくれます。

ホライズンベイ・レストラン

お昼! ちなみに写真のステーキは、娘のです…。自分は余りをいただきました。だって全員分頼んだら高いんですもの…。

何だかんだで結局夜までいまして、帰ろうと思ったら娘がお腹へったと…。ええ結局中で食べまして。

カフェ・ポルトフィーノ

これ食べたいと。最近肉も好きな娘さんですです。美味しゅうございました。

プロメテウス火山

最後に火山のドッカン撮りたかったなぁ… くすぶっているけどなかなか火を吹いてくれません。結局20時近くまでいましたとさ。