「建築物」カテゴリーアーカイブ

【写研埼玉工場】解体動向(20/12/18)

既に建物から外構まで、全て解体されている、元写研埼玉工場。
特にお伝えできる大きな変化はないのですが、先日からちょっとした変化が。

更地となり、目隠しの壁もなくなって敷地が丸見えの状態がしばらく続いていましたが、先日からパイプが外周に張り巡らされました。

明らかに、目隠しの壁を作りそうな感じですね。
写研埼玉工場の解体工期は2021年1月14日まで、ヤオコーの建築工期は1月15日からとなっていますが、それに向けての準備を始めているのか?

17日夜には、ご覧のように目隠しのパネルが取り付けられていました。
工事車両の入り口(旧埼玉工場の入り口と同じ場所)は、恐らく開閉できる蛇腹のパーティションが着けられるのでしょうね。

ちなみに、この写真を撮っているすぐ背後の元写研埼玉工場厚生棟については、現時点でも変化はありません。既に写研の持ち物ではなくなっている建物ですが、今後どう使われるのでしょうね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/11/21)

写研埼玉工場自体の建物は、外壁も含め全て解体済みとなり、新しい情報は特にありません。そして、職場が変わり、仕事が忙しくなった関係で、朝の撮影が難しくなりましたので、夜の撮影で失礼します。

第2工場のあった部分は、地下部分も含め全て解体が完了したようで、地ならしされた状態です。
一方、メインビル側は、まだ地下部分の解体作業が残っているようです。
先週あたりから、スーパーハウスが設置されて、ここが事務所になっているようです。
奥に、解体されていない厚生棟が見えます。厚生棟横に、工事業者の物置と事務所が設置されています。

開発行為等計画標識

外壁が解体されたため、開発行為等計画標識は立て看板になっていました。
ヤオコーができるのは、以前よりこの標識でわかっていることですが、計画している建物の高さや面積は、若干の変更があったようです。

厚生棟は、現在も手つかずのままです。駐車場部分は、現在も工事関係者が使っていますが、建物内部は閉ざされたままです。
以前も書きましたが、厚生棟については、登記簿情報から、ヤオコーではなく、同じ市内のとある会社の所有となっていますが、その会社がこの建物をどうするかは分かっていません。
そのまま使うにしても、所有権が移動して既に1年たちますが、手つかずのままです。

入り口には「関係者以外立入禁止 埼玉工場長」とあり、写研時代のままであることが伺えます。
ALSOKのステッカーも貼ってありますが機能しているのかな? 非常灯もついていませんし、裏手のキュービクルも稼働しているようには見えませんでした。
ミラーは、メインビルの出入り口から出てくる車用でしたが、現在となっては無用の長物です。

厚生棟も、今後どうなるか動きがあったらお知らせしたいと思います。

【写研埼玉工場】解体動向(20/11/9)

Twitterには先行でアップしましたが、先週11月6日に撤去された、写研埼玉工場の看板、9日朝に解体された残骸の中に転がっているのを確認しました。

写研埼玉工場(20/11/9)

すみません、この日広角単焦点レンズしか持っていなくて、この写真だと識別しづらいですね。
トリミングしてみました。

転がる写研埼玉工場の看板

ああ…、なんだか物悲しいですね。文字も一部剥がれています。
これらは、鉄柵や鉄骨と共に、リサイクルされるのでしょうね。

瓦礫もだいぶ搬出が進み、もうしばらくすれば地ならしされて、来年のスーパーマーケット建造に向けた最終仕上げがされるのかと思います。

まだ看板が搬出されていなければ、もう少し望遠で撮りたいですね。


残念ながら、看板はこの日のうちに搬出されたようです…

【写研埼玉工場】解体動向(20/11/6)

前回の投稿から半月ぶりくらいとなります。写研埼玉工場の解体動向。

ワタクシ的なことですが、先月末から仕事の形態が変わりまして、朝が早くなってしまったのと、埼玉工場建物自体解体されてしまったため、あまり伝えられる情報もなく、しばらく経過してしまいました。
が、昨日変化がありました。6日朝、外壁の取り壊しが始まっていて、すでに一部の目隠しのパーティションも外されていて、敷地が外周から丸見えの状態でした。

朝の時点では、「写研埼玉工場」の看板は健在でした。しかし、直感的に、これを見るのはもしかしたら最後かな…と思いながら、写真を撮る暇もなく通り過ぎました。

そして夜、仕事帰りに立ち寄ると、その予感は的中しました。

確かに朝には健在だった「写研埼玉工場」の看板、日中に撤去されたのでしょう。夜にはご覧の通り、交差点の角にあった看板は、外壁ごと無くなっていました。

2020年10月19日に撮影したのが最後となった写研埼玉工場の看板

今日の朝、遅れてもいいから撮影しておけばよかったなぁ、悔やんでも仕方ありませんが、とにかくこの看板と周辺外壁は、2020年11月6日荷撤去完了となりました。

外壁撤去の際に、目隠しパーティションも撤去されて、オレンジの背の低い網のパーティションのみに。よって外からは丸見え状態に。

既に、地下部分の解体も終わって、廃材撤去も進み、後は地ならしといったところでしょうか。
看板がなくなったことで、ここがかつて何だったかを示すものはなくなりました。
なお、向かいの厚生棟は依然健在で、近く解体される様子もありませんでした。

看板も撤去されたことで、いよいよ写研だった存在がなくなった感じがします。地ならしが終われば、来年からは、新しくここにできるスーパーマーケットの建造が始まるはずです。

レンズ、明るい単焦点を持ってきていて良かったな。

【写研埼玉工場】解体動向(20/10/19)

写研埼玉工場(20/10/19)

仕事の関係で、定期的に観察できるのは今回が最後になりそうです。
今後は時間が取れたときに…ですかね。外構解体と看板を外すところは見たいのですが。

例によって、厚生棟裏手の坂道から撮影。フェンス越しの撮影になるので、カメラはD3400から、モニタのチルトができるGX7MK2に戻しました。やっぱり軽いカメラはいいですね。

現在の工事工程は「基礎解体、廃材搬出」となっていて、地中部分の基礎を掘りながら解体し、コンクリートや鉄くずを搬出していて、このときもダンプカーがひっきりなしに出入りしていました。

メインビルにしろ、奥にあった第2工場にしろ、5階建てなので、基礎部分はそれなりに深いのでしょうね。特に第2工場は地下もあったので、地下部分の解体も行われていたようです。

そして1つの変化が。

先週との変化点、守衛所が解体されたようです。

先週まであった守衛所

小さいな建物なので、解体は一瞬でしょうね。

後はしばらくは廃材搬出が続くと思われます。最終的には外周の塀が解体され、その際に看板も撤去となるはずです。

定期撮影は今回で終了となりますが、機会を見つけてちょくちょく見に行きたいと思います。

【写研埼玉工場】解体動向(20/10/14)

もう建物はほぼ解体済みでネタがないと思っていた、写研埼玉工場の解体状況ですが…

入口が開いていた。といっても、もう見えるのは瓦礫と土砂の山だけですが。

ところで、ふと思い立って、別の場所から撮れないか探した所、あっさりと良い場所を見つけました。

写研埼玉工場 厚生棟裏手

通りを挟んで解体未着手の厚生棟、その裏手は上り坂となっていて、笹目通りへのアプローチになっています。

厚生棟の横辺りから、埼玉工場の様子、フェンス越しに確認できました。なんだ、もう少し早く気づけば、メインビル最後の解体は見えたのかもね。

現在は、瓦礫をトラックに積んで搬出の作業をしているようです。撤去がある程度完了したら、最後に守衛所も解体されることでしょう。

さて、毎週確認してきた写研埼玉工場解体の確認ですが、今後仕事の関係で、朝確認をすることが難しくなってきそうです。
せめて、外構と看板の撤去までは見守りたいところです。

【写研】土地建物の現状

写研埼玉工場、メインビル、第2工場ともすっかり建物は解体され、解体瓦礫を撤去する作業が続いています。また、第2工場は地下もあるため、地下部分の解体は引き続き続いているようでしたが、残念ながら、この場所からは確認が難しいです。

せっかく写研埼玉工場の解体を追ってきましたので、ここでは付け焼き刃的記事になってしまいそうですが、調べられる限りで、写研に関連する建物の現状をまとめてみました。

一部は過去の記事と重複しますが、ここでまとめてみたいと思います。

株式会社 写研本社

株式会社「写研」の本社は、2020年10月執筆現在、東京都豊島区南大塚2丁目26−13にあります。

現在はメインの通りは中規模ビル街となっている南大塚の通りですが、1972年(昭和47年)に新築された現写研本社ビル、当時は周辺もまだ一般住宅も多かったようです。また、この本社ビル新築時に、社名を従来の「株式会社写真植字機研究所」から「株式会社写研」の改称したとのことです。
これ以前の本社は、豊島区巣鴨に存在していました。

ちなみに、写研は現在に至るもHPを持たない会社(2019年ドメインのみ取得)として知られています。

写研トライアルセンター

写研本社のすぐ近くに存在する「写研トライアルセンター」。ストリートビューでは、2009年時点のデータからありますが、その当時は自販機が設置してあり、鎖も卸されていて、掃除をされている方の写真も写っています。が、2018年以降は自販機も撤去され、鎖も卸された状態です。現在は使用されていないと思われます。

トライアルセンター、という名称から、写植機のデモ機を置いていたのか、あるいは写植オペレーターの育成を行っていたのか、情報がないため、ご存じの方がいらっしゃいましたら、コメントに書き込んでいただければと思います。

写研埼玉工場

写研の記事を書くきっかけとなった、埼玉県和光市に存在した工場です。
1963年(昭和38年)、本社近隣にあった工場が手狭になったとのことで、埼玉県和光市に移転し第1工場を建設、その2年後の1970年(昭和40年)には、より大きな第2工場を建築、更に第2工場は1970年(昭和45年)を増築したとのことです。

当ブログでも

写研埼玉工場跡地はスーパーマーケット「ヤオコー」になるらしい

この埼玉工場後は、開発行為等計画標識に書かれているように、スーパーマーケットの「ヤオコー」に生まれ変わるようです。

写研埼玉工場 厚生棟

メインビルの通りを挟んだ向かいにある厚生棟は、2020年10月現在、解体着手されていません。2階が更衣室、3,4階が社員食堂として使用されていたようです。
現在この建物の所有者は、とある方が登記簿を確認し、2019年11月時点で、同じ和光市内のとある企業の所有となっています。情報提供ありがとうございます。

2020年10月時点では、写研埼玉工場解体業者の駐車場として、1階部分は使われているようです。

写研新倉分室(写研メディア研究所)

埼玉工場と同じ、埼玉県の和光市にかつて存在した新倉分室。別名、写研メディア研究所とも言われていたようです。

1986年(昭和61年)に建造、メディア研究所では、大学との委託研究など進めていたようで、自由なテーマで1年間に1つ論文を書くという制度もあったようです。
ストリートビューでは2015年の写真も出てきますが、もうその時点では使われている形跡はありませんでした。
ここが何時まで使わてていたかはわかりませんが、恐らく今世紀に入ってからは、写研の業績が悪化して社員数も激減したため、使われなくなったのではないかと想像します。そして、2020年に入って解体されたようです。

旧写研メディア研究所(新倉分室)跡地

2020年9月時点では、写真のような空き地になっていますが、周辺は住宅地であることから、いずれはここも住宅地になると思われます。

写研川越工場

写研川越工場は、1982年(昭和57年)に埼玉県川越市芳野台2丁目8−70にかつて存在していました。手動写植(後期のPAVOとSPICAモデル)の生産を行っていたとされています。

現在は解体され、2019年1月に、物流倉庫「SOSiLA川越」となっています。

2007年時点で、川越工場の従業員はわずか10名だったそうで、その人数では、建物の管理とか、ちょっとした保守部品の生産程度しかできなかったと思われます。最盛期は400人超えだったそうです。それを考えると、2010年代の初頭には、ほぼ工場として機能していなかったと推察します。

ストリートビューを見ると、解体前の2017年の時点では、草が刈り取られ、植樹も消えていること、内部にトラックが入っている様子が伺えることから、この時点で解体は決まっていたと思われます

SOSiLA川越建造時の記事には、

今回の「SOSiLA川越」の開発はその商社としての総合力を物語っている。「この土地は写研さんの遊休地だったのですが、鶴ヶ島の土地とこの芳野台の土地の両方を1社で引き受けてくれるのなら、売却しますということでした。

https://www.lnews.jp/2019/02/l0201301.html

との記述があり、住友商事が一手に2つの土地の買収と開発事業を手掛けたようです。

写研 鶴ヶ島にあった土地

上の記事にあった「鶴ヶ島の土地」ですが、とある方からメッセージを頂き、ここだったのではないか? という情報を頂きました。
ただし、情報を裏付けるものは未確認につき、本当にここだったかは不明です。

その場所は、現在、ケーズデンキ鶴ヶ島店となっています。この場所は、長いこと空き地となっていましたが、2017年12月に、ケーズデンキ鶴ヶ島店となりました。

国土地理委員の航空写真でも、1979~83年では空き地となっていますが、草が生えていないことから、運動場として使われていたのではないか? ということでした。

国土地理院地図より 1979-1983年の航空写真

※国土地理院地図がHTMLで上手く表示できていないようなので、画像貼り付けにしました。

この場所については、現時点で確証が取れておりませんので、情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、コメントに記載お願いいたします。
ところでWikiPediaには、最近この鶴ヶ島の土地に関する記述が追加されましたが、住友商事に売却されたのが「2018年」とは、先の記事のどこにも書いていません。WikiPediaなので、話半分に見たほうがいいかなとは思います。

写研一宮研修センター

千葉県長生郡一宮町船頭給2480にある、写研一宮研修センター。かつては社内研修で使用されていたようです。

ストリートビューでは2014年3月のデータのみでしたが、この時点では車が停まっており、管理はされている状態でした。

しかし2020年8月の、とある方のツイートで写真が公開されていましたが、雑草が生えた状態で、しばらく管理されていない状態となっていました。

写研五日市レクリエーションセンター

名称の情報を頂いたものの、未確認地点です。この名称のみで検索すると、NAVITIMEのHPにのみ情報がありました。東京都あきる野市網代430番地です。
それをGoogleマップで確認したのが、上の地図で、2020年10月現在はGoogleマップでは安達国際合資会社とされていますが、この会社自体は八王子にあり、この場所については記載されていません。
また、この住所を検索すると、2020年1月法人登録検索のHPに、株式会社龍辰(ろうしん)という会社が登録されているようでした。ただ、この会社も登記されたのみで実態は不明です。

国土地理院地図より 1974-1978年の航空写真

国土地理院の地図では、1974~78年の写真時点でこの建物は存在しますが、リクリエーション施設として何だったのかは不明ですし、確証もない感じです。

情報ご存知でしたら、コメントに記載して下さい。

写研屋久島研修センター

自然豊かな島として知られる屋久島にも、かつて写研の研修センターがあったようです。鹿児島県熊毛郡屋久島町小島161−1です。
ストリートビューでは、車道から遠いため、屋根だけが確認できる状態です。
この場所は、写真も検索しましたが、建物全体の画像はなく、衛星写真のみです。


以上が、私が調べた、あるいは情報を頂いた、写研関連の建物とその現状です。すでに本社以外機能していない、あるいは解体、売却されており、写研自体も存続が危ぶまれている状況の中、現存する建物が今後どうなるのか、気になるところです。

【写研埼玉工場】解体動向(20/10/5)

前回の撮影から1週間。

【写研埼玉工場】解体動向(20/10/5)

ついに、写研埼玉工場の建物が消えました。

メインビル、第2工場ともに、跡形もなくなりました。正確に言うと、写真は撮れなかったけど、工事車両出入り口から、1階の壁のごく一部は見えましたが、ほぼ解体完了です。見ての通り防音壁は全て撤去済みで、瓦礫の山のみの状態に。
この瓦礫を撤去したら、外構の解体も始まるのでしょうね。

まだ解体されていない守衛所

埼玉工場で唯一手つかずで残っている守衛所。メインビルと門の間にあるため、メインビルの瓦礫撤去が終わってからの解体となるのでしょう。小さいので半日もあれば撤去できそうです。

写研埼玉工場のインターホン

外構は手つかずなので、まだこうしたインターホンも残されています。当然、押しても誰も出てきません(出てきたら怖い)。

そんなこんなで、建物の解体は一通り完了し、この辺りでは周辺のマンションと同じくらい高かったビルがなくなり、向こうまで見えるようになりました。
時間が出来たら、他の写研の建物もどうなっているか、まとめたいと思います。

光が丘清掃工場の煙突2

只今建替え中の、練馬区の光が丘清掃工場ですが、煙突をずーっと撮影し続けて、タイムラプス化した第2段です。

光が丘清掃工場の煙突(2020年9月3日~24日)

工場建て替えで、煙突の塗装を上から少しずつ行い、9月末には見える範囲での塗装は終わったようです。
HPを見ると、まだ下のほうが塗装中のようですが、今月いっぱいで終わりそうな感じですかね。

4月、自粛期間でほとんど外出していなかったこの時期に撮った煙突は、まだ煙突自体の建造中でした。塗装もされていませんね。

コンクリむき出しだった煙突は、9月までにはほとんど白い塗装がされて、完成が近づいていますね。

さてタイムラプスでシャッターを消耗させ、耐久20万ショットに近づいたD810は、しばらくお休みさせますが、これから湿度が下がる飽きから冬にかけては、、富士山が我が家からきれいに見える季節なので、今度は富士山のタイムラプス、また撮りたいと思います。

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/28)

写研埼玉工場(20/9/28)

3ヶ月半に渡って撮影した写研埼玉工場解体も、そろそろ終りが近づいてきました。台風の影響など雨がちで先週は撮影できず、週明けの昨日朝と、夜、見てきました。

ご覧の通り、メインビルも第2工場も、1階の壁を残してほとんど解体されました。この10日間に、第2工場はあっという間に解体されてしまった感じですね。

あれだけ大きかったメインビルも、もはや1階部分と2階のごく一部の壁のみとなりました。跡が瓦礫を撤去しつつ、残りの壁を解体するのでしょう。

ということで、ほとんど解体されてしまいましたので、写真的にはこれ以上は難しいかなとは思っています。
ただ、交差点から見える写研の看板が撤去されるまでは、ちょくちょく確認はしたいと思います。


仕事帰り、少し寄ってみました。もう下から見える部分はほぼ解体されてしまいました。

左上の写真は、メインビルが解体されて、通りを挟んだ奥に厚生棟が見える状態です。
右上は、メインビルの防音壁。防音壁自体も、ビルの解体が進んで撤去されて、高さが低くなりました。

解体されていない厚生棟

今や、手つかずなのは、メインビル手前の守衛所と、この厚生棟のみとなりました。

厚生棟は、1階の駐車場が、解体業者の駐車場となっています。建物自体は全く手がつけられていません。

ところで、この厚生棟も、すでに持ち主は写研ではなくなっています。とある方より情報をいただき、登記簿を確認させていただきました。同じ和光市内の、ここからそう遠くない場所にある、とある企業が保有しているようです。昨年11月に売却されたそうです。
その企業がこの場所をどうするかは不明です。少なくとも、現時点では手つかずの状態ではあります。