【岩手】松尾鉱山廃墟群 2008年5月撮影 2日目 その3

生活学園から、再び緑ヶ丘アパートに戻ります。

途中、ラジカセが転がっていました。SONYのドデカホーンCFD-500です。小学生の頃欲しかったやつです。TV音声多重受信にも対応(今思えばテレビの音声だけ聞いてどうするんだって感じですが)、CDダブルラジカセは憧れでしたね。
肝心の音質は、高音の抜けが悪かったような印象です。現役で持っている人は、ぜひ大切に使ってあげてください。

再び緑ヶ丘アパート内部へ

やはり1階廊下や上下棟を行き来するための広い階段は、このアパート最大の魅力です。狭い島の中に所狭しと建てたのと違い、東北の山奥後は土地に余裕があるということでしょう。
しかしコンクリートの崩壊が進んでおり、現在はどうなっているのかが気になるところです。

残されたテレビや炊飯器、テレビは当時やっと小型化されたカラーテレビです。まだ閉山当時はそれほど古くなかったのではないでしょうか?
そしてまだペットボトルがなかった時代ですから、ありとあらゆる調味料など液体のものはガラス瓶に入っていた時代。廃墟には一升瓶が多く転がっているのも、当時は日本酒や焼酎だけでなく、醤油やみりんなどの調味料もまた、一升瓶で買っていました。空き瓶を酒屋に持っていくと、5円くらいで引き取ってもらえました。

いよいよアパートの屋上に向かいます。今ではアパートの屋上なんて行けなくなりましたが、この時代は屋上も、洗濯物を干すスペースといったように、有効活用されていたのでしょうね。

圧巻の景色です。
鉱山現役当時は、鉱山からの鉱石を運ぶゴンドラや、雪景色の山々もよく見えたことでしょう。一番高い場所のこの3棟のアパートは、その下の8棟を見下ろせる感じです。位置的に、役職クラスが住んでいたのかな?

室内には、本や新聞など、時代を感じさせるものが少し残されていました。
今はいろいろあってあまり見かけない「ちびくろさんぼ」の絵本、そしてまだ若い美空ひばり松島トモ子古賀さと子ののった少女雑誌の一部は、恐らく1950年代後半のものと思われます。

昭和45年3月の毎日新聞には、マツダファミリアロータリークーペが59.8万円の値付けだったり、トヨタパブリカ800が38.7万円の値付けの新聞も。こういったものは時代を感じさせて面白い資料です。

気がつけば時刻は14時半を過ぎ、天気も微妙になってきたので、そろそろ帰ろうか、となりました。

さらば松尾鉱山 緑ヶ丘アパート

最後に当時の愛車、アコードユーロRと供に撮影してこの旅を終えました。

愛車だったアコードユーロR(CL7)と供に

いや、まだ帰り道があるので、旅自体は終わってはいないか。撮影はこれにて終了。実際この後替えるまで1枚撮っていません。メモリカードも多分いっぱいになっていたはずです。

【岩手】松尾鉱山廃墟群 2008年5月撮影 2日目 その2

栄華を誇った松尾鉱山、当時近代的なアパート群の横には、1953年(昭和28年)に開校した松尾鉱山中学校がありました。
人口も1万人を超えれば、当然子供もたくさんいたわけです。
しかし、1969年の松尾鉱山の運営会社の倒産により、この中学校も1970年3月を持って廃校となりました。まさに鉱山とともに生き、そして幕を閉じたことになります。

旧松尾鉱山中学校(生活学園)

旧松尾鉱山中学校→生活学園の建物(2012年に解体され現存しません)

しかし、その後、学校法人生活学園盛岡大学が1974年(昭和49年)9月に生活学園八幡平校舎として改築しました。
生活学園の母体は、盛岡を本拠地とした学校法人で、キリスト教精神に基づいた学校教育を行なっているとのことです。生活学園の建物内に聖書が残されていのも納得です。
廃墟地図さんのページには、1982年(昭和57年)より生活学園盛岡大学の合宿舎として使われていた、とのことですが、これは盛岡大学のHPにある旧八幡平校舎の改築落成の1974年9月とは一致しません。HPの小さな写真を見ても、校舎は明らかに上の写真と一致します。

https://morioka-u.ac.jp/about/history/ より引用させていただきました
右側に貸付標識があり、これのトップが昭和57年4月となっている

1982年(昭和57年)の根拠は、恐らくこの写真右にある〇〇貸付標識のトップに昭和57年4月とあったからと思われますが(土地の貸付の標識と思われます)、本体の生活学園盛岡大学のHPの記載を尊重し、1974年9月落成、そこから1994年(平成6年)閉校まで使用された、と解釈します。

1974年改築落成、ということは、元の校舎をそのまま改築したと思われます。ぱっと見で割と新しめなのに、部分的に古い感じがするのは、そのためなのかな?
合宿舎ということで、ベッドなども残されていましたが、廃墟になってから緑ヶ丘アパートよりも荒れていて、サバゲーや肝試しで使われた形跡があり、特に落書きがひどかったです。至るところにBB弾が落ちていました。
この撮影のわずか6日前に書かれたと思われる落書きもありました。書いた本人らは今何をしているのでしょうね。

正直なところ、廃墟として見るべきものはあまりない感じでした。

通称「赤い部屋」のマネキン

通称「赤い部屋」、こういうのを見ても、個人的にはドキッとするより、やっちまったなぁ感のほうが大きいです。こういう人為的なものが目立つのは、廃墟美とは違いますから。もっとも、こちらも人のことは言えませんけどね。

この建物は2012年に解体され、現存しません。

では再び緑ヶ丘アパートに戻ります。写真が多くなってしまいましたので、続きは次回、これで完結です。

【岩手】松尾鉱山廃墟群 2008年5月撮影 2日目 その1

八幡平市に1泊し、撮影に挑んだ2日目。面白いことに、どこに泊まったかとか、泊まった所の写真は一切撮影していません。
この撮影では、Yamaroが初導入したデジ立つ一眼レフのNikon D300を使用しましたが、当時のメモリーカードは4GBが2枚だったと思います。フィルムカメラよりは撮影枚数は稼げるとは言え、4GBだとD300のRAW撮影では、1枚おおよそ15,6MBとなるため、250枚程度しか撮れません。実際、この時の写真も4GBのメモリカード2枚を撮りきっています。
そんなわけですから、今みたいに気軽にパシャパシャ撮影できる時代ではありませんでした。とは言え、フィルムを使っていた人からすれば、フィルム十数本程度撮影できるので、この当時としてはたくさん撮影できる、ということになります。
まだスマホもなかった時代、本当に気軽にメモリ残量を気にせずに写真が撮れる時代になったのは、2010年代後半になってからですね。

と懐かしい話は置いておいて、2日目の撮影は午前9時半から開始しました。

緑ヶ丘アパート

長崎県の軍艦島の廃アパートは圧巻ですが、ここはそれより規模は小さいものの、軍艦島と並ぶ建造当時もっとも近代的だった日本最古の鉄筋コンクリートのアパートの1つです。1951年(昭和26年)に完成した、標高1000メートルのこの地に立つアパートは、当時栄華を極めた鉱山のアパートとあって、「雲上の楽園」友言われたようです。
松尾鉱山最盛期の1960年(昭和35年)には、このあたりの人口は1万5千人を超え、このアパート周辺も、今はない木造の鉱員住宅と供に、賑わっていたのでしょうね。有名な軍艦島は、現役当時の写真も多く出回っていますが、松尾鉱山に関しては少ないように感じます。
読売新聞オンラインに、現役当時の賑わう様子の写真が掲載されています。これを見て、また現地を訪れたくなりました。いつになるかはわかりませんが、またでかけたいです。

1階部分は長い廊下となっていて、やや立ち向きが異なる隣のアパートへ連接されているため、途中カーブを描いています。これがまた圧巻です。
軍艦島のように、長年にわたり建物が増設や新築されたのと違い、この緑ヶ丘アパートは建設年代が同じなので、全体として統一感がありますね。

それでも築年数は半世紀を超え、この撮影当時の2008年ですら相当痛みが激しくなっています。部分的に崩壊している箇所もあります。
軍艦島のアパートは台風や海水に晒されていますが、ここは主に雪による重みが劣化を促進させています。

緑ヶ丘アパート最大の魅力が、このアパート群中央部分の大きな階段でしょう。

4棟が上下に並ぶアパートの中央を連接する部分です。この部分には商店や福利厚生施設が入っていたのかは定かではありませんが、そういうのがあったのかなと思わせる場所です。
首と片足のないマネキンもここでは有名です。ちなみに、片足は別の場所に転がっていました。

一旦外に出ました。
大きな煙突が見えます。何となく、発電所跡に見えますが、ここはアパートの集中暖房(セントラルヒーティング)のためのボイラー施設だったようです。こんなにも大きなボイラーが別の建物に設置されていたとは驚きです。

まだまだ写真があるため、次回に続きます。

【岩手】松尾鉱山廃墟群 2008年5月撮影 1日目

2008年5月、高校の同期のなべ氏と供に、1泊2日の遠征撮影に行きました。目的地は岩手県八幡平市の松尾鉱山の廃墟撮影。
この撮影は、当時Yamaroが住んでいた栃木県からの移動となり、非常に遠距離のため、1泊2日としました。当時東京に住んでいたなべ氏は、わざわざ東京から駆けつけてきました。

松尾鉱山 緑丘アパート廃墟群 2008年5月

彼とは社会人になってからも何度か撮影にでかけています。今ではお互い結婚し、氏は地元に戻っているので、一緒に撮影する機会はなくなりました。

さて、この当時の写真はHPに掲載していますが、掲載から十数年経過し、当時のHP環境と現代では、大きく変化しました。スマホの普及、PCもフルHDを超える表示環境が増えてきました。画像の表示方法も、まだ掲載枚数の少ない時代とは違い、載せる側も見る側も、多くの画像表示がシームレスに可能となりました。

ということで、当時の写真を改めて再RAW現像し、解像度もフルHDまで上げて掲載させていただきます。
写真は何も最新のものである必要はなく、その時代時代を映すものですから、今2008年の写真を載せることには、意義があるものと思っています。2008年変わらぬ風景はないからです。
特に廃墟の場合は、劣化が進み、倒壊あるいは解体されてしまうこともあります。この撮影後の4年後には、旧松尾鉱山中学校(後に生活学園)は解体され、現存しません。

左に見えるのが、現存しない旧松尾鉱山中学校の校舎体育館

その当時の状況をアーカイブし、今に伝えられるのは、情報が流れてしまうSNSよりも、HPやブログに軍配が上がると思っています。
ということで、何度か再掲していますが、改めて一気に再現像した写真をここに掲載します。

独身寮「至誠寮」とその周辺

1泊2日工程とは言え、栃木から岩手への移動距離はそれなりにあります。写真データを見ると、初日の撮影開始は午後2時半を過ぎていました。
東京から来たなべ氏を拾ってからだったので、それなりに時間はかかっていますね。

ということで、この日は独身寮「至誠寮」とその周辺を撮影しました。

松尾鉱山は、1911年(明治44年)に採掘が開始され、主に硫黄が採掘されていました。一時期は日本一の硫黄採掘量を誇った松尾鉱山も、その後海外の安い硫黄の輸入や、石油精製の副産物として硫黄が取れるようになったために需要が減り、1969年(昭和44年)に会社が倒産、その後、黄鉄鉱に絞った新会社ができるも、1972年(昭和47年)にはこれも倒産し、閉山となりました。
その後、木造住宅は取り壊され、鉄筋コンクリートのアパートのみが残されたまま、現在に至っています。
これらのアパートは、当時としては近代的な水洗トイレが完備され、集中暖房(セントラルヒーティング)も採用されていたようです。
鉄筋コンクリートのアパートは、1950年代から60年代にかけて建造されたもののようです。撮影当時の2008年でも、閉山から40年近く経過し、築年数は半世紀を経過し、周辺の山は5月でも雪が残る豪雪地帯ですから、冬の雪による重みで、建物の劣化は一段と進んでいます。

写真にあるように、一部には鉱山施設の遺構も残されていました。

木造モルタル、ブロックで構成された平屋の建物、現在はさらに倒壊が進んでいますが、この撮影当時でも、すでに屋根はほぼ崩壊、雪国の廃墟はまっ先に屋根がやられます。共同浴場らしきものが残されており、ここも独身寮だったのかは定かではないものの、「至誠寮」の向かいに現存する建物です。

「至誠寮」に向かいます。
流石に鉄筋コンクリートとは言え、半世紀も経過すると大幅に劣化が進み、一部雪の重みで崩壊しています。

当時近代的な鉄筋コンクリートのアパートだった独身寮、コンクリートだけど、窓や引き戸は木製で、時代を感じさせます。
1階部分の広間には、閉山後の鉱害防止工事のための地質調査をしたと思われる木製のケースが多数残されていました。
「昭和52年度松尾鉱山鉱害防止工事 新中和処理施設(貯泥ダム)調査  日鉄鉱コンサルタント(株)」と書かれていました。

この中和処理施設は、1982年(昭和57年)より稼働し、現在に至るまで、松尾鉱山より流れ出る強酸性で鉄分や砒素を多く含む坑廃水を中和しています。
Googleマップでは、北側に貯泥ダムが見えますね。

この日はこの周辺撮影で夕方を迎えたため、緑ヶ丘アパートを眺めつつ、宿泊先の八幡平市内に移動しました。

2日目に続く。

ベランダのアサガオを撮る

暑さがちょっと落ち着いたこの2,3日。暑さや乾燥に強いはずの、ベランダのアサガオもややしおれ気味でしたが、少し暑さが落ち着いたので元気になりました。
植物ですら暑さにやられているのよ…。

花って写真撮るの難しいな…

色飽和しやすい(実際青は盛大に飽和しています)ので、露出が難しい。こういうのは、リバーサルフィルムのほうが得意ですね。

【大矢孝酒造】残草蓬莱 純米吟醸 Queeen 薄にごり生原酒 R3BY

最近残業続きで、なかなか酒屋に寄れませんが、久しぶりに定時退社した日に寄って買ってきたお酒です。

【大矢孝酒造】残草蓬莱 純米吟醸 Queeen 薄にごり生原酒 R3BY

あまり酒処のイメージがない神奈川県のお酒ですが、Yamaroの大好きな酒造の1つでもあります、大矢孝酒造の「残草蓬莱(ざるそうほうらい)」のフレッシュな夏酒、純米吟醸 Queeen 薄にごり生原酒です。

Queeenの由来は、アルコール度数12%から来ているそうです。Queeenの”e”が1つ多いのは誤字ではなく、意図的なもののようです。
生原酒の場合、加水していないためアルコール度数が高いお酒が多いですが、このQueeenは12%と抑え気味。
酒米は、麹米が山田錦、掛米が出羽燦々で、精米歩合は60%、注目度127%はどういう事(笑
澱を絡ませて、瓶内二次発酵させているお酒です。

またしても吹き出し注意のラベルのお酒。ただ、購入した酒屋では、多分そこまで吹き出さないと思いますが、慎重に開けてください、とのことでした。
ということで、十分に冷やしてゆっくりと開栓しました。

きれいな薄にごり

開栓…とりあえず吹き出しはなさそうです。注ぐと軽くプチプチしている感じですが、思ったよりはガス感は少なめ。

上立ち香は、きれいな吟醸香、飲む前から爽やかな甘い香りが漂います。
口に含むと、ん? 割と苦味が強め。甘い香りに対して、味わいは甘さ控えめ、すっきりとした爽やかな酸味が口に広がり、さっぱりと切れます。
ちょっと苦味が多めかな? と思いましたが、2杯目をいただくと苦味が一変! 今度は甘みがじんわり出てきて、苦味は後退。ここでウェルバランスとなりました。
こんな短時間で味がここまで変化するのか!? 驚きです。ということで、少し空気に触れさせたほうが、程よい甘みが出ます。
その甘味も、決して甘すぎず主張しすぎず、酸味との苦味と旨味のバランスが、高い次元で調和しています。

アルコール度数が低いのですが、決してライトな感じはなく、しっかりアルコールの良さも出ていますね。それでいて飲みやすいので、まあ減るのが早いこと(笑
今回は保管場所の関係上四合瓶ですが、できれば一升瓶をおすすめしたいです。味わいの変化が楽しめると思います。

LOGOS Life バックホールドチェアを買ってみた

そんなにアウトドアをするわけでもないのですが、戦闘機撮影の待ち時間やお昼タイム、車の中だと暑いし、リアドアを開けてその日陰で過ごす、という時に長年使っていたColemanの折りたたみチェアがついに壊れてしまいまして…20年以上使ってますしね。

そんな中、先日あみプレミアム・アウトレットに行った際に、LOGOSが入っていたので、立ち寄ってみましたが、良さげなチェアを見つけて、これがアウトレット価格だったのでついつい購入してしまいました。

LOGOS Life バックホールドチェア(ブラウン)

LOGOS Life バックホールドチェア(ブラウン)を購入してみました。展示品アウトレットということでしたが、収納カバーに擦り跡とごく小さな穴がある程度で、椅子本体は折りたたみに伴うシワと程度、問題なしと判断しました。

これまで小ぶりな折りたたみチェアだったので、やや大きめのこの商品、とても座り心地が良くて、何より座面の高さもあるので、立ち上がりも楽。
大きいので、畳んでもそれなりに長さがあるのと、しっかりしている分、重量が約5.4kgあるのが難点ですが、自分の使い方は車の横に置いて使うのが大半、荷物が多いときはアウトドアワゴンに載せてしまうので、問題ないかなと。
撮影の待ち時間や休憩中も、少しでも楽にしていたいですから。

早速子供に占領される

子供に占領される? まあ楽だもんね。


アウトレット品だったので、お安く買えましたが、それなりに高価ですね。それでも、ホームセンターで売っている2千円くらいの折りたたみチェアとは剛性感、安定感が違うので、座っていても疲労度が変わってきますね。

Nikon D850 + AI Nikkor 50mm f/1.2S

最後の写真はNikon D850 + AI Nikkor 50mm f/1.2Sで撮影しました。その前の2枚はDC-Nikkor 135mm f/2Dです。焦点距離やレンズの特性の違いによる描写の違うがよくわかりますね。50mm f/1.2Sは、絞り開放による球面収差(ハロ)の影響で、ピント面とその手前は解像力はしっかりあるけど、繊細かつ柔らかな描写に。背景はやや固めのボケですね。
このレンズは、前ボケをふんだんに取り入れた撮影が得意かもしれませんね。

AFモータ非内蔵レンズは一眼レフで AF DC-Nikkor 135mm f/2Dで遊ぶ

ミラーレスのNikon ZシリーズにマウントアダプタFTZやFTZ IIで、ほとんどのFマウントレンズが使用できますが、AFモータ非内蔵レンズは、AFが使えないのが欠点。
現時点では、やはりAFモータ内蔵一眼レフで撮るのが正解なのかな?

Zボディで使う分には、画面拡大で綿密なピント合わせはできるけど、動態撮影は難しいです。フルサイズ機の場合、ボディ内手ぶれ補正で、フォーカスさえ合っていれば、歩留まりはむしろZボディのほうが上なんですけどね。

ということで、一眼レフの出番はまだあります。Nikon D850はまもなく5年を迎えますが、現行機です。今度、このクラスの一眼レフがNikonから発売される可能性は低く、アッパーミドルクラス最後の機種になりそうです。
ということで、DC-Nikkorを着けたD850で撮りました。

絞り開放ではパープルフリンジが結構出てしまうのがこのレンズの難点ですが、それでも繊細な描写、コントロールできる収差は楽しいですね。収差コントロール可能なDCリングは、フラットだと開放から繊細な描写で、FやR側に回してもなお、その繊細さは保たれています。このレンズそのものの特性ですね。

遠景でも開放なら手前はしっかりボケて立体感が出る

暑い時間を避けた彩湖の公園も、いつもよりかなり人出は少なめでした。お陰で、子どもたちは自転車やブレボーの練習を存分に出来ました。

【寺田本家】五人娘 発芽玄米酒 むすひ

先々週千葉は館山に行った際に買ってきたお酒です。

【寺田本家】五人娘 発芽玄米酒 むすひ

発芽玄米酒、だそうです。
千葉はあまりお酒どころ、というイメージではないですよね。関東圏でも埼玉や群馬は名酒が多くありますが、千葉はちょっと少ない気はします。
それでも、「五人娘」は千葉では名の通ったブランドですね。その中でも、ひときわ個性を放つのが、この発芽玄米酒です。
「開栓注意・横倒厳禁」のラベルもあり、吹き出し系のお酒です。しっかり冷蔵して冷やした状態での開栓が求められています。

精米していないお米、つまり玄米を使うため、精米歩合100%(つまり米を削っていないということ)です。酒税法上、米を使わないと「清酒」ではなく「その他の醸造酒」となりますが、玄米ってどうなんでしょうね? 濾していないどぶろくなどは通称「濁酒」ですが、「濁酒」も「その他の醸造酒」となるため、似たような感じでしょうか?
玄米は、HPには書かれていませんが、とある酒屋のHPにはコシヒカリとありました。

アルコール度数は12%と、一般的な日本酒よりやや低めです。

本当に開栓注意! とにかくガスが出続けます

回転式の栓を慎重に回していくと、ほんの僅か開けただけで一気にガスが噴出! これはいまだかつてない活性度合いだ! 新政の天蛙(あまがえる)ほどではないにしろ(あれは相当吹くらしい)、とにかく活性が止まらない! 少し開けては締め、の繰り返しです。

10分以上経過してなおこの活性っぷり

開栓には20分を要しました。10分経過してもなお、上の写真のように少し開くだけで吹き出してきます。すごいわ。
活性具合も、生産時期によって異なり、味もつど変わるとのことです。今回のものは、かなり活性度合いは高かったのではないかな?

20分経過して、ようやく完全に開栓しても吹き出さず落ち着きました。それでも注ぐと、コーラかのようにシュワシュワと泡立ちます。

濁り酒系ですね

米の粒子が沈殿していますが、米粒ではなくもっと細かい状態です。
上立ち香は独特で、ラベルに書いてあったように、糠漬けのようなやや酸っぱい系の香りです。
口に含むと、酸味と独特の苦味、旨味で、確かに糠漬けっぽい風味もあり、力強い味わいとともに、甘みは控えめです。かと言って、ガツンと辛い系でもないので、不思議な味わいです。
好き嫌いは分かれそうです。日本酒と思って飲むと面食らうでしょうね。しかしこれは古代のお酒に近いのではないかな、という荒々しさと力強さを持っています。

開栓3日程度で、酸味が少し落ち着きますが、依然力強いです。そして何故か癖になります。不思議な味わいです。生産ロットでの味の変化も大きいようなので、また千葉に行った際には買ってみたいお酒です。

牛久大仏を見に行ってきた

週末行ってきたところ。茨城の世界一といえば牛久大仏。当初行く予定の場所が、勘違いによって行けなかったので、急遽変更しました。

入場前から圧倒的な存在感

でっかいよね…。子どもたちと来たのは3年ぶりくらい。妻と来たのは10年近く前かな?

コロナ禍とあって、入り口のお清めの水の柄杓は撤去されていました。

それにしても暑い! ってことで大仏の中に入りました。

子どもたちが願い事を書きたいというので。

6歳時は不思議なことを書いていましたが(笑) でも書きたいことはしっかり書いていました。そしてちゃんと結べました。成長したね。

3階は、胎内仏に法名(戒名)等を納めて永代供養が出来ます。宗派は問わないそうです。うちも実家の墓は青森にあり、墓参りが次第に困難になりつつあります。
そもそも墓も要らないのでは、という考えもあると、こうした胎内仏での永代供養は理に適っているのでは?と思うことも。
親もいい歳になってきたので、色々考えなければならないですね。

息子が大爆笑のおサルのステージを2回も見て…

夕方まで楽しみました。人も密にならなくて、良い場所ですね。暑さにはまいりましたが…

すぐ近くのあみプレミアム・アウトレットからも存在感を放つ大仏。

あみプレミアム・アウトレットから望む

夜は頭上の衝突防止灯が光るけど、全体ライトアップすると面白いのに~。
ということで、1日遊んで疲れました。あみプレミアム・アウトレットでもお買い物を。適度に空いていて良かったです。

カメラは久しぶりにD850とAF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VRで。この組み合わせはやっぱり安定感ありますね。ただ、Z 9のブラックアウトフリーに慣れると、D850のミラー動作ですらかったるく感じます。サブ機にもブラックアウトフリーのZが欲しい所です。