「建築物」カテゴリーアーカイブ

【写研埼玉工場】解体動向(20/7/27)

毎週お送りしている気がする写研埼玉工場の動向です。
写真は、撮影時間の時系列が前後していますが、ご了承ください。

今週の作業予定

この工程表は、昨日夕方に撮影。朝も撮影に行きましたが、その時点では先週のままで、まだ更新されていませんでした。
表を見てもらうとわかるように「躯体解体(くたいかいたい)」と書かれている通り、建物の主要構造物の解体が始まったようです。並行してアスベスト除去作業も行われているようです。

奥に見える第二工場ですが、写真のこの面は、以前張られていた防音壁と足場がなくなっていました。元第一ビルのあった場所には、棚や鉄筋と思われる金属くずが積み上げられていました。

先週と先々週の写真を比較してみると、先々週13日時点で張られていた防音壁が、先週20日では既に上の方から外されて建物が見える状態になっているのがわかります。写真を撮って比較して気づくという典型ですね。
ということは、この面から第二工場の解体が始まるのかもしれません。

久しぶりに見えた第二工場の外壁

第二ビルを別角度から。防音壁が外され、恐らく解体が始まる直前なのでしょう。この姿も、次はもう見られないかもしれませんね。
内装撤去はほぼ終わったのでしょうね。

そして裏手に回ってみると…

重機の音がしていましたが、ついにメインビルの解体が始まったようです。先に工事が始まっていた第二工場より先に、メインビルが解体され始めていました。
私は素人なのでよく分かりませんが、重機が届く下側の外壁からこうやって解体するのですね。上はどうやって解体するのだろうか?
望遠側にズームアップした写真を見ると、建物内に棚がそのまま残されているようで、搬出はせずに、重機で潰しながら取り出しているのかな?
向かいのマンションの上の階体とよく見えそうです。タイムラプスで撮影してみたいものです。

夕方の解体状況

解体が始まるとあっという間なので、仕事が終わった後、また来てみました。解体は結構進んでいますね。次行けるのはまた来週か、今週どこかで見に行けるといいいのですが。


というわけで、いよいよ解体が始まり、建物がどんどん消えていくことになります。写植で一時代を築いた歴史ある会社が、少しずつ消えていこうとしています。

【福島】湯野上観光ホテル 2009年4月撮影

同じ福島の横向温泉ロッジの後に撮影した廃墟。どういう経緯で行ったかは、今となってはあまり記憶にないのですが、この当時はドライブがてら撮影しに行くことが多かったので、たまたま廃墟レーダーに感知した(笑)物件を撮影しに行くこともありました。

今と違ってまだガラケーの時代、ガラケーでもネットは見れたけど、携帯専用サイト以外では表示も崩れてあまり使い物にならなかったので、当時はまだカーナビとまっぷる片手に、、次はどの辺りに行こうかと思案しながら行ったものです。

ここも、温泉街と言えば廃物件もあると言うだろうという、そんな感じで行ったのだと思います。

廃墟探索地図によれば、1981年(昭和56年)に開業するも、2年後には閉業し、その後放置され続けている、とされています。オーナーが夜逃げしたのか?
年代的にはバブル景気が始まって、観光ホテルも全盛だった時代ですが、温泉街からはやや外れた場所にあること、プールもありましたが、この地域だとあまり使える期間は短く、温泉街にプールは少し似つかわしくない印象です。アメリカの西海岸みたいな気候ならまだしも、福島の山奥ですしね。

また、撮影当時は、現役時に火災にあったのか、廃墟化してから放火されたのか不明としていましたが、1999年(平成11年)2007年(平成19年)に放火があったようです。

現存するようですが、火災物件は痛みも早いですし、場所柄どうしても肝試し的に使われているようですね。

この撮影はNikon D300でしたが、撮影に際しては三脚使用のため、現在の水準でもハイライト飛びはひどいものの、アンダー部分の階調は割と残っており、今回の再RAW現像に関しては、以前は黒つぶれで再現しきれていなかった部分も、だいぶ表現できています。

やはりRAW現像は、最新のもので行えば、当時うまく表現できなかった部分も何とかできることも多いですね。

そしてこの撮影に関しては、三脚を使用し、基本感度ISO200固定でフィルムと同じ用に基本に立ち返って撮影、これが大きいですね。
ダイナミックレンジが、今のカメラよりは狭かったD300ですが、基本感度で撮影することで、ダイナミックレンジを最大限発揮できます。

もちろん、今のカメラで撮影はしてみたいですけどね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/7/20)

シリーズでお送りしております写研埼玉工場解体動向。
何故か私も毎週通うようになりまして。

いよいよメインビルの正面と横は、防音壁によってすっぽり隠れて見えなくなりました。

この場所からは、奥の第二ビルが垣間見える

目の前のポールは「写研」と大きく書かれた看板のものです。このアングルからだと、奥の第二工場の防音壁が張られていない場所から、建物が直接見えます。
まだ内装撤去しているのかな?
この日は月曜朝なので、まだこの時点で今週の工事予定表は更新されていませんでした。

見上げると写研の看板

この看板が、唯一ここが写研であることを主張しています。ステンレスの看板なので、ペンキが剥がれても、基本的にサビもほとんど無く頑丈そうな看板です。ビルの解体が終わって外構の撤去の時までは健在かな?

メインビルを裏手から

どうやらメインビルの裏手には防音壁は設置しないようですね。
今やメインビルの姿を見られるのは、この裏手側だけとなりました。

建物の解体はいつになるか分かりませんが、始まるとあっという間でしょうから、やっぱり足しげく通うしかないんですね。

【福島】横向温泉ロッジ 2009年4月撮影

2009年4月、福島県は横向温泉ロッジを撮影してきました。

当時は精力的に廃墟撮影を行っていて、HPにも掲載していたのですが、この横向温泉ロッジの写真は、どういう経緯か忘れてしまいましたが、Adobe Flash Playerで再生するスライドショー形式で作成していました。これをすっかり忘れていまして、先日Twitterで横向温泉ロッジの話題が出て、自分のHPを見てみたら、表示できない。IEでは表示できまして、Flashで作っていたことが発覚。当時はFlashはまだ当たり前だった時代ですし、Flash形式のHPだと、画像の保存が簡単には出来ない、というのもありまして。
周知の通り、AdobeはFlash Playerを2020年末で終了、以降はダウンロードもサポートもしないため、Flashで作られたページは、今後見ることはできなくなります。

そんなわけで、今回、再掲がてら、RAW現像も1枚1枚やり直しています。やはり、最新のRAW現像ソフトでは、主にノイズ面で改善が見られる他、暗部の持ち上げ方から中間諧調にかけては、大幅に改善している気がします。
カメラは当時D300、レンズは主にTokina AT-X 124PRO DXで、廃墟撮影はこの組み合わせで行っていました。今のカメラとレンズで撮り直したいですね。
D300は、今となっては白飛びが多いですし、当時の画像処理エンジンではコントラストが高めに出ている感じでした。これをRAW現像では、最新のピクチャーコントロールを使って再現像しました。


横向温泉ロッジは、1960年代に建造されたとされており、1984年(昭和59年)には廃業しています。撮影時点で四半世紀が経過しており、現在も現存しており、既に廃墟歴は30年を超過、建物としては半世紀を経過しています。積雪地であることから、痛みが激しいようで、撮影当時でも、ボイラー室は一部浸水して凍結、屋根も一部崩壊するなど、痛みが激しかったです。

安達太良山を望む横向温泉は、福島県で初めて湯治が始まった温泉とされていますが、周辺は猪苗代温泉など有名観光地があり、結構山奥な横向温泉は、あまり旅館やホテルはないようです。

横向温泉ロッジは、写真を見ると、温泉だけでなく、夏季は温泉プールもあったようで、今で言う総合リゾート宿泊施設的な感じだったのでしょう。ただ、同じ福島には、ハワイアンセンター、現ハワイアンズも存在しますから、山奥深い横向温泉ロッジは分が悪かったと思われます。

1960年代から70年代にかけては、日本の高度経済成長とマイカーブームにのって、全国各地に温泉リゾート施設が作られましたが、現在でも存続しているのは、先程挙げたハワイアンズなど、ごく少数に留まっています。

どちらかと言うと心霊スポットとして挙げられることの多い横向温泉ロッジですが、高度経済成長時代の生き証人として、これからも存在し続けるのでしょうか?
それでは、2009年当時の写真を御覧ください。

なお、当サイトでは廃墟散策を推奨するものではなく、また現状は撮影当時より風化が進み、状況は悪化していると思われます。

HPの古い写真は、様々なアルバム形式で掲載していて、作成当時のネット環境を考慮し、解像度抑えめの写真が多いため、時間を見つけて、WordPress版に再掲載したいと思います。


おまけ「ドライブイン土湯峠茶屋」

横向温泉ロッジの近くにあった廃ドライブイン、こちらは2013年ころに解体され現存しません。上記写真と同じ日に撮影です。

【写研埼玉工場】解体動向(20/7/13)

毎週恒例? 写研埼玉工場の解体動向です。
今回は便利ズームではなくSUMMILUX 15mmだけでしたので、望遠写真はなしです。

防音壁が正面全体に張られたメインビル

先週はまだ1階部分だけ張られていた防音壁ですが、ついに正面側全体に施工されました。恐らく、まだ張られていない横もこれから施工されるでしょうから、これでメインビルの外観は見えなくなりそうです。
最初に取材を始めて1ヶ月位になりますが、まだ1ヶ月前は足場を組み始めた段階でした。こういうのは始まると早いですね。

メインビル横の防音壁も着々と施工中

奥に見える第二工場は以前から変化なしです。メインビルも来週には防音壁で見えなくなってしまいそうですね。

毎回必ず看板は撮ることにしています

来週にはメインビルは見えなくなりそうで、写研と何ら関わりのない自分ですが、毎週見るようになると、何故か寂しさというものは出てきますね。

最近もまた写植や写研について調べていますが、やはり全国に写研書体のファンが多いのはひしひしと伝わりますし、日本全国で使われていた写植機を生産していた工場が、今時代が移り変わりなくなろうとしている、様々な業種は時代とともに現れては消えているわけですが、その歴史は後世に残さねばと思います。

とまあ偉そうに書いていますが、私にできることはこうして写真に撮ることくらいです。10年も経てば、ここは立地的にもマンションなど住宅となるでしょうから、かつてここに日本の書体を支えた写研の工場があったんだよ~というのも、写真でしか残らなくなりますから。Googleのストリートビューは、そういう意味でも、今後歴史を伝えるアーカイブとしての意味合いを果たすでしょうし、写真はより精細な当時の状況を残せるはずです。

【写研埼玉工場】解体動向(20/7/7)

梅雨時期でなかなか撮影が難しい季節です。九州は大雨で大変なことになってますし…。

そんな中、雨の切れ間?ということで、朝時間があったので、またまた写研埼玉工場撮影してきました。

まずは厚生棟。ここは何も変化なしです。雨が多かったからか、外壁が薄汚れています。よく見ると、ミラーに自分が写ってるw
1階の駐車スペースは、工事関係者の駐車場になっているのは変わらず。

工事予定のパネルは、担当者が書き忘れたのか、先週のままでしたので、今回は未撮影です。

メインビルは大きな変化はありませんが、足場のネットと、1階部分の防音壁はが追加されて、着々と解体準備が進められている様子です。

第二工場は大きな変化なし

第二工場はすっぽり防音壁に覆われているため、内部の作業進捗は不明です。かつて箱の上に大きな「写研」と書かれた看板があった場所です。ここは早々に撤去されたようで、最初に撮りに行った先月半ば時点で、既にありませんでした。

足場固定のため、一部窓ガラスは割られている

メインビルのクローズアップ。足場を固定するため、一部の窓ガラスは割られていました。大きく開けられなかったからなんでしょうね。

裏手からはネットが張られて、ネット越し写真ばかり載せていましたが、今回はネットの切れ間から、第二工場の奥のメインビルを撮ってみました。
裏手はこのまま足場や防音壁は取り付けないのかな?
エアコンももう稼働できないでしょうから、一部窓は恐らく換気のために開放されています。この蒸し暑い時期に、大変ですよね。

ところで、トマソンな鉄扉が最上階にあります。間違えて開けたら終わり…ですね。この手の扉は、恐らく大きめの重量物の搬入とかで使うのでしょうけど。意味があるから設置しているのだと思いますが。

ところで、Googleのストリートビューでは、恐らく解体工事着工直前となる、2020年3月に撮影された写研埼玉工場を見ることが出来ます。

2020年3月に撮影された写研埼玉工場のストリートビュー

このアングルからは、2010年からのデータがありますので、見ていくと、2010年は写研の看板も、まだそれほど色あせていなくて、10年の時の流れを感じさせます。
ストリートビューで周辺を見てみると、2010年も、メインビル入口に警備員はいますが、他に社員らしき人の姿はなく、厚生棟も使われているようには見えませんでした。
2007年時点で、埼玉工場の社員数は30名、それから3年後の2010年で人気がない感じなので、その間に多くの社員が退職してしまったのでしょうか?
ストリートビューには、既に解体されてしまった第一工場も見られます。

色あせた写研埼玉工場看板

この看板は、象徴として毎回撮りたくなります。最後まで残って欲しいですね。


写研埼玉工場の記事も増えてきたので、カテゴリーに「建築物」、サブカテゴリに「解体」を追加しました。

解体中の埼玉県志木市役所

なんだか最近、建物解体中をやたらブログネタにしている気がしますが、昨日は初めて通った道の、たまたま信号待ちに目についた建物を。

解体中の志木市役所

こうやって建物の断面を見られるのって、解体中くらいじゃないですか。作っているときも見られないですから。
なので、実は解体中の建物を見るのが好きだったりします。ああ、そういう構造なのかと。

そして今の時代は良いことに、Googleストリートビューで在りし日の姿も確認できることですね。

https://goo.gl/maps/6NiizMchWbizDRpf7

2017年当時の志木市役所。正面は扇型の建物だったのですね。
解体中の写真だと、既にその扇型の建物は解体済みのようで、その奥の建物が見えている状態みたいですね。
ご近所に解体中のビルがあれば、そういうのを何ヶ月かかけてタイムラプスで撮ってみたいですね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/6/29)

なんだかシリーズ化しつつある、写研埼玉工場の解体動向ですが、この日もたまたま出社前に時間があったので、チャリンコでひとっ走りしてきました。

写研埼玉工場

今週の作業はこんな感じです。

廃材搬出や内装解体が主な作業

建物も大きいため、内装撤去作業はかなり時間をかけて行うようですね。

メインビルも防音・防塵壁が取り付けられている

メインビルにも、徐々に防音・防塵壁が設置されていて、徐々に建物が外から見えなくなりそうな感じです。周辺はマンションが多いため、騒音にはかなり配慮している様子です。

メインビルの足場の設置も進み、第二工場は防音壁で全体が覆われています。

第一ビルは解体済み?

第二工場とメインビルの間の、第一工場があったと思われる場所は、既に解体済みのようです。
資材置き場になっていました。

裏手に回ってみました。メインビルは、裏手側はまだ足場も組まれていませんが、第二工場は防音壁で完全に覆われていました。
まだしばらく内装撤去作業がメインのようですが、状況的に先に第二交渉が解体されるのだろうと思います。
工期はまだ半年以上あるので、建物自体の解体着手はもう少し先でしょうか?

看板の撤去は最後か?

古びた写研の看板は、まだ撤去される様子はありませんが、これがなくなると、知らない人は、もうここが何のビルだったかもわからなくなりそうです。

引き続き、時間を見つけてウォッチしていこうと思います。

【写研埼玉工場】解体動向(20/6/23)

個人的に気になっている写研埼玉工場の解体の動向ですが、6月23日、たまたま近くを通る機会があったので、写真を撮ってきました。

足場の架けられている範囲が広くなった写研埼玉工場のメインビル

前回見たときより、足場とネットが張られている範囲が広くなっています。

今週の工事計画は、23日の時点で外部養生設置、廃材搬出、ということのようです。

6/22の週の工事計画

持っていたレンズが、このとき単焦点のSUMMILUX 15mmのみ、ということで、M4/3の、もう少し広角レンズが欲しいところです。Xperia 1の広角で撮ってもいいのですが、やっぱりちゃんとカメラで撮りたいな。
かと言って大きな一眼レフでうろつくのも違いますしね。

入口は足場はまだ組まれず

写真の真下が、ちょうど入り口となりますが、そこは足場が組まれていませんでした。

たまたま入口が開放されていた

工事車両の出入りがあったからか、たまたま入口が空いていたので、そこから中の様子が見えました。
手前の端のめくれている部分は、「定礎」のプレートがあった場所でしょうか? 解体にあたって、ここに入っていた図面を確認しているのでしょう。

そして奥には瓦礫と、第二ビルが見えます。瓦礫は第一ビルのものなのか。とすると、既に第一ビルは解体済かもしれませんね。
奥の第二ビルは、外観上はまだネットが張られたままですが、入口ドアがあったと思われる場所は、ドアが外されています。内部の解体は進んでいるのかもしれません。

向かいの厚生棟は特に変化なしで、解体はまだ先なのでしょうか。

次はいつ行けるか分かりませんが、定期的にレポートしていこうと思います。

【写研埼玉工場】厚生棟の外観

前回、写研埼玉工場の記事を書いたところ、思いの外反響があり、DTPやデザイン関連の方を中心に関心を持っていただけたようです。

私の自宅は、写研埼玉工場へは自転車で行ける距離で、昨日は仕事の前に時間があったので、朝少しだけ寄ってみました。

写研埼玉工場の厚生棟

前回は撮影していなかった、メインビル向かいにある厚生棟です。
記事を書いた後、色々調べたら、ここも写研の建物のようです。
1階部分は写真のように駐車場になっていて、2階は更衣室、3階と4階が社員食堂だったようです。
車が停まっていましたが、解体工事関係者の車両なのかな?
建物は少々古びてはいるものの、管理されているから廃墟というイメージはまったくなく、整備すればまだまだ使えそうな感じでした。こちらは、また解体工事は着手されていないようです。

東京朝日ビルドのHPの施工実績には、H5(平成5年)に「写研Mビル厚生棟」と書かれており、この厚生棟のことだとすると、まだ築27年ということになります。今度「定礎」を調べてみよう。

写研埼玉工場のメインビル

Xperia 1の広角カメラで。結構まともに撮れますね。
先日撮影時は、足場がまだ最上階まで組まれていない部分がありましたが、今回は組まれていて、工事が着々と進行しているのがわかります。

さて写真はありませんが、このメインビルと、第二工場の間に、2階建ての第一工場がありますが、前回も今回も、目隠しシートに寄って見えなかったので撮影はしていません。が、シートの隙間からちらっとだけ見えた感じだと、第一工場の解体は始まっている感じでした。

これからも、見える範囲で、定期的に確認したいと思います。