【写研埼玉工場とメディア研究所跡】解体動向(20/9/15)

今回、タイトルに少し変化がありますが、先日買った「写真植字機技術史 技術者たちの挑戦」(三省堂書店)のp43に書かれている、写研メディア研究所が(埼玉県)和光市新倉に1986年建設、とあり、これが一体どの辺りなのか、Twitterで聞いてみたところ、メールを頂きまして、正確な場所がわかりました。いやはや、皆様の情報に感謝感謝です!

Googleストリートビューでは、2019年9月時点では、株式会社写研「新倉分室」として建物があることが確認されました。
ただ、頂いた情報では、解体されたとのことでしたので、この1年で解体されたのでしょう。解体された現状はどうなっているのか知りたくて、行ってみました。
周辺はアップダウンの激しい地形で、住宅地のど真ん中にありました。

旧写研メディア研究所(新倉分室)跡地

なるほど、きれいに解体されて、跡形もなくなっていました。
住宅地にあるため、恐らくここもそのうち分譲されて、家かアパートが建つことでしょう。

メディア研究所では、大学との委託研究など進めていたようで、自由なテーマで1年間に1つ論文を書くという制度もあったようです。
ストリートビューでは2015年の写真も出てきますが、もうその時点では使われている形跡はありませんでした。
ここが何時まで使わてていたかはわかりませんが、恐らく今世紀に入ってからは、写研の業績が悪化してきているため、使われなくなったのではないかと想像します。
研究開発ができなくなれば、当然それは最先端の写植機にも技術反映できなくなります。
1980年代はバブル期で、写研の売上も良かった時期でしょうから、こうした研究所が独立して作られたのでしょう。写研以外にも、バブル期に建てられて、今使われていない建物、結構あるのではないかな?


第2工場の解体も進み、中央部は通り側の壁面まで解体が進んでいます。メインビルと比較して、1965年(昭和40年)建造の建物は、やはり古さを感じさせますね。

メインビルも、すでに上層階は解体済みで、いよいよ平地からの写真撮影は難しくなってきました。建物の横から、足場を外された非常階段部分が見えています。もう2週間もしたら、ほとんど解体が終わってしまうのではないかな?

定期撮影できる期間も、あと僅かかもしれませんね。

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