「廃墟 ruins」カテゴリーアーカイブ

妻沼ドレスメーカー女学院

妻沼聖天山を見た帰りに、近くにこんな建物がありました。

妻沼ドレスメーカー女学院

完璧な昭和の建物です。その作りからして、昭和でも前半かなと思わせます。戦前からありそうな雰囲気です。

現役ではなさそうです。調べても情報は出てきませんでしたが、東京にドレスメーカー学院という歴史のある専門学校があり、大正時代に設立し、その当時は「ドレスメーカー女学院」という名称だったようです。

東京のドレスメーカー学院との関連性は不明ですが、神奈川県には、東京のドレスメーカー学院直系の「大和ドレスメーカー女学院」が存在するため、もしかしたら妻沼のここもそうだったのかもしれません。あるいは、昭和の日本によくあった、東京の有名なものにあやかった名称(地方にある○○銀座みたいな)を使っただけなのか?

もしご存じの方、あるいは通っていたという淑女の方がいらっしゃいましたら、コメントを頂ければと思います。(このWordPress版ブログにしてから、スパムコメントしか来てないw)

埼玉県認可「妻沼ドレスメーカー女学院」
しばらく開けていなさそうな入り口

何でしょう? 既に使われていない廃墟なのでしょうが、管理、清掃はされているような雰囲気です。

扉も随分開かれていない印象でしたが、何ならちょっと手を入れれば、現役復帰できそうな印象。私が子供の頃通っていた小学校はもっとボロかった(昭和9年建造!)ので。

良い感じに錆びた郵便受け(中央の文字は既に判別不能に)や表札が良い雰囲気を醸し出していました。

ラジオ店

妻沼、周辺も古い建物が結構残っていて、こちらもお店としてはやっていないのでしょうが、家屋としては現役のようで、真新しいワゴンRが停まっていました。サンヨーもなくなって久しいですし(しかもSANYO旧ロゴ!)、全自動洗濯機を全面に押し出した看板もまた、古き良き昭和の電気屋さんといった感じですね。

そうそう、昔は電気屋はラジオ店なんて名称も多かったですね。テレビがまだ高価だった時代、庶民の家電といえばラジオだった時代の名残ですね。

以上、埼玉県は熊谷市妻沼へのプチ撮影でした。

聖天堂までの道のり

国宝「歓喜院聖天堂(妻沼聖天堂)」までの数百メートルを、旧坂田医院から歩いていきまして。

途中の街並みが、いい感じに古いので、何枚か撮影しました。

上の2枚は明らかに閉店している廃墟?

3,4枚目は現役です。3枚目は昔は酒屋さんだったのでしょうが、今はお店の前の自販機だけの営業、4枚目はレトロな雰囲気の家具屋さんでした。

そして聖天堂へ。

門だけでも立派です。さすが国宝。本堂はまた。

坂田医院旧診療所

日曜日、妻と子どもたちが遊びに出かけたので、1人でふらっと撮影にでかけてきました。

埼玉県は熊谷市、妻沼にある、坂田医院旧診療所に行ってきました。

坂田医院旧診療所

カテゴリは廃墟にしていますが、しっかり管理されている国登録有形文化財です。

昭和6年(1931年)に建造された産科医院で、昭和50年代まで使用されていた建物です。戦前に建造された建物が現代でも残っているのは、当時としては珍しい、平屋でありながら鉄筋コンクリートだからでしょうね。

私も子供の頃は、昭和9年建造の小学校に通っていましたが、木造だったので当時でもボロボロで、卒業と同時に鉄筋コンクリートの建物に建て替えられました。

柵は年代を感じさせるデザイン

築年数90年近い建物ですが、しっかりとして作りで、古さはあまり感じさせません。残念ながら、この日は非公開で、中を窓越しに覗いたところ、どうやら改装中のようです。不定期で公開されているようなので、改装が終わって、公開されたら是非中も見てみたいところです。

写真にもあるように、映画「東京タワーオカンとボクと、時々オトン」で使われたようです。ちなみにその映画はまだ見ていません…。

このあと、特に予定はなかったのですが、ぶらっと街を散策しつつ、看板にもある「歓喜院聖天堂」へと向かいました。続きはまた。

2009年1月撮影「宇都野火薬庫跡」

先日、Twitterにも少し画像を載せましたが、2009年1月に撮影した、栃木県は足尾銅山関連施設、宇都野火薬庫跡の写真を掲載します。

足尾鉱毒事件で歴史的にも有名な足尾銅山ですが、発破作業のためのダイナマイトや信管の保管、火薬類の梱包作業所として1912年(明治45年)に石造りの建物、1917年(大正6年)にレンガ造りの建物が、そして1934年(昭和9年)に火薬類の梱包作業所が建造され、1954年(昭和29年)まで稼働していました。

その後長らく放置されていましたが、現在は国指定史跡となって保存対象となっています。

保存対象とは言え、10年一昔、経年で痛みも変わってくるはずです。というわけで、2009年当時の様子を、再掲載したいと思います。

どの建物も、木造の屋根は崩壊、または穴が開きつつあり、おそらく現在は更に崩壊しているでしょう。一方、石造り(大谷石?)や煉瓦の壁は、流石に頑丈で、最近の写真を検索しても健在のようですね。

万一の爆発事故に備えて、窪地に建物が立っているのが印象的でした。おかげで、丘から建物を見ることができます。

現在、定期的に見学会もあるようなので、機会があったらまた行ってみたいですね。