「廃墟 ruins」カテゴリーアーカイブ

【冬の夕張】石炭の歴史村とその周辺 2008年2月撮影

北海道の夕張市と言えば、夕張メロンが有名であり、そしてかつて炭鉱の町として大いににぎわった町でした。
故高倉健主演、倍賞千恵子、桃井かおりや武田鉄矢が出演する映画「幸福の黄色いハンカチ」(1977年・山田洋次監督)では、まだ炭鉱でにぎわい活気のあった夕張の町が登場します。

しかし、石炭から石油へのシフトや低価格な海外産石炭の輸入増、炭鉱事故など様々な理由により、国内の炭鉱は次第に縮小し、夕張の炭鉱は1990年までに全て閉山しています。
これに伴い、夕張の町も人口が減って税収減により財政が苦しくなり、観光シフトのために箱モノに投資するも、バブル崩壊や観光客減などにより、2007年には市の財政が破綻するに至っています。

撮影は、その財政破綻から1年が経とうとする2008年2月、北海道に出向いての撮影です。
レンタカーでの移動でしたが、夕張は積雪量も多く、建物は管理されていないとすぐに痛む状況です。

当時、夕張市石炭博物館(通称「石炭の歴史村」)は、管理していた第三セクターが2006年に経営破綻、2007年には別の観光会社が引き継いでいます。
雪が深いため、冬期間は営業していませんが建物の老朽化と合わせて、本当に現役なの?と思わせるような雰囲気でした。

石炭の歴史村にあった「夕張ロボット大博物館」も、この撮影後の2008年8月に解体されました。中には新世紀ロボ ユーバロット( )という大きなロボットもあったようですが、建物ごと解体されています。
残念ながら、写真では雪に閉ざされて、中の様子をうかがう事はできませんでした。

北海道の観光地は、冬期間も除雪して観光客を迎えていますが、そもそも積雪量の多い夕張、札幌からも少し遠く、足を運ぶのが難しい地域でもあります。
こうした土地の事情もあり、冬季休業するために、観光客を呼べる期間は年の半分しかないのも、観光地として定着しない一員でしょうね。

10年前に撮影した、本の表紙にもなった廃墟 Hotel Peace

ちょうど10年前の今日、高校時代の同期と後輩と共に、伊東方面廃墟撮影に出かけていました。当時、と言うか今もですが、GWは廃墟撮影をよく行っています。
その過程で撮影したラブホの廃墟です。

2012年4月29日のHotel Peace

地方によくある風景ですし、はっきり言うと廃墟写真的には大して映えないものでしたが、この写真が新潮社のとある編集さんの目に止まり、作品の情景にピッタリ、ということで小説の表紙として使っていただけました

現在では、この小説は表紙がイラストとなり、私の写真は使われていませんが、紀伊國屋書店の電子書籍で5/5(木)まで30%オフで販売中です。

※Amazonと楽天では通常価格での販売となっています。


ホテルの他に、カラオケボックス、飲食店、パチスロと、いかにも高度経済成長期に建てられた作りですね。
廃墟的には見るべきものはなく、ただただ記録のように撮ってしまいましたが、こんな写真が使われるなんて、ただただ恐縮です。

ちなみに、このホテルの所有者だった会社は、2015年までは法人として登記されているようです。
そしてこの建物は現存しません。

写真撮影後の2ヶ月後の2012年6月から、2015年2月までは、Googleストリートビューに建物が存在することが確認できます。

その後、2017年のストリートビューでは、建物が解体されて更地になっているのが確認でき(草木に埋もれた看板のみ残っていますが)、2019年には現在のセブンイレブンが営業しているのが確認できます。

ただの何でもない風景ですが、写真に収めて時間が経過すれば、今はもう見られない記録として残る訳ですね。なんでもない風景も、10年一昔ということです。
そんなこんなで、日々写真をと入り続けています。

三峰山ロープウェイ 廃止後の姿 2008年4月撮影

埼玉県秩父は三峰山にある三峯神社へのアクセスとして、秩父鉄道が1939年(昭和14年)に開業した三峰山ロープウェイ。
1965年に三峯神社へのアクセスが容易となる道路が整備されたことで、ロープウェイの利用客は徐々に減少、2006年(平成18年)に金属疲労が見つかったことで休止し、同年廃止となりました。
2009年には解体されてしまったため、この写真は廃止後の姿を捉えた、今となっては貴重なものとなりました。

実は廃止直前に、実際にこのロープウェイに乗ったことがあるのですが、どうにもその頃の写真が発掘できません。何枚かは撮ったはずなので、(当時はフィルム・デジタルはサブで、ど知多にしろ今より枚数は撮れなかった時代)発掘するとして、廃線後の2008年4月の写真を掲載します。

大輪駅周辺

三峰山頂駅周辺

【福島】国民宿舎五色沼(解体済み)

今から10年前、福島県は毘沙門沼近くにあった国民宿舎「五色沼」。その昔はたくさんあった国民宿舎ですが、現在はこの手の保養施設は徐々に数を減らしつつあります。
福島県の国民宿舎五色沼は、1970年代に建造されましたが、2008年2月冬季休業中に、水道管破裂により館内が水浸しとなり、その時点で施設の老朽化が進んでいたことから、そのまま改修されることなく休業中の2008年10月に火災が発生。
その後しばらく放置されていましたが、2013年7月に解体されました。

撮影は2012年2月、解体される1年半前です。2月なので福島のこの辺りは雪深く、遠目に撮影するに留めました。当時のブログにも写真掲載していますが、改めて現像し直したものをアップします。

現在は、駐車場になっているようです。

2月なので、猪苗代湖は凍っていました。

2012年2月の猪苗代湖

東京に住むようになって10年近く、栃木に住んでいた頃のように、簡単に福島には行けなくなったけど、たまには行きたいですね。

【栃木】佐野レジャーランド(ヘルスセンター佐波の湯) 2007年1月撮影

現在は解体されて存在しない(現在では太陽光パネルが設置されているようです)、かつて栃木県は佐野市に存在した、佐野レジャーランド(ヘルスセンター佐波の湯)です。
映画「バトルロワイヤル」の撮影でも使用された場所です。

今から15年前の、2007年1月に撮影。この当時は、サバゲーのフィールドだったらしいのですが、いつまで運営されていたかは不明です。
当時の機材は、Nikon COOLPIX5400とF90Xs。過去にも何度か掲載しましたが、古いCOOLPIX5400、どうやらデフォルトの輪郭強調が強めだったようで、現在のモニタで見ると、不自然にエッジが立って見えます。
RAWで撮影したものは、この輪郭強調をNX Studioで「弱」または「切」に設定するだけで、精細さが出てきます。500万画素のデジカメの写真は、今や4Kモニタではドットバイドット表示できるのですね。

また当時のメイン撮影はフィルムでしたので、フィルムの写真も今後アップしてみたいと思います。

【埼玉】小鹿野町の廃屋と馬頭尊

先日行った小鹿野町三山の廃吊橋のすぐ近くにあった廃屋。

倒壊し始めている廃屋

既に倒壊が始まっていて、カラーコーンと柵が設置されていました。

建物の中央は完全崩壊

建物の中央は完全に崩壊して、左右の建屋がかろうじて屋根の一部を支えている状況。この屋根の倒壊も時間の問題でしょう。
ここが現役国道であれば、この状況は危険で問題となるでしょうけど、既に旧道化し、しかもこの先の道路も崩壊し車両通行止めの状態なので、そのまま放置されているのでしょうね。
写真中央の奥に見える家屋は現役です。

細い旧国道299号線

こうしてみると、旧道となった国道299号線の道幅はかなり狭いですね。いわゆる「酷道」です。車のすれ違いは困難です。大型車の通行も、現役当時はしていたのかもしれませんが、すれ違いは相当苦労したでしょうね。
旧道となった今、ガードレールも該当も古びでいます。そんな場所でもしっかり電気は通っているのだから、電気インフラってすごいですよね。

2階にはテレビが

倒壊部分のクローズアップ。かろうじて倒壊していない2階の部屋の一部に、懐かしい家具調テレビが見えます。年式からして、1970年代の製品で、Web掲載の解像度ではわかりませんが、等倍で確認すると、NATIONALの文字が見えます。ナショナルは現在のPanasonicの日本国内旧ブランド名で、2008年に松下電器産業からパナソニック株式会社となったため、国内のブランド名も、全てPanasonicに統一されました。今や、ナショナルブランドの製品も古くなってきて姿を消しつつあります。

テレビの年代から推察するに、この建物が生きていたのは、恐らく1980年代までといったところでしょう。それ以降空き家となった可能性が高そうです。

脇には馬頭尊が

建物の横には馬頭が。
「馬頭尊」、または「馬頭観音」は、地元で道路管理をしていた証として、各地に存在します。馬頭観音は仏教由来ですが、馬頭尊は神道由来と言われています。
つまりこの道は、国道299号線の旧道である以前から、長くこの地の主要道路として管理されていたということが分かります。
写真を等倍で確認すると、一部の文字が摩耗で消えかかっていますが、一文字目の「大」から大正時代のどこかの年の三月、「荒本庄竹」氏が建立したようです。そして石碑の横には真新しい花も備えられており、現在もしっかりと管理されているようです。管理者も、その隣の廃屋の持ち主かのかもしれませんね。

こういう発見があるのも、廃墟散策の醍醐味かな?

【埼玉】元吊橋 高松橋

【埼玉】小鹿野町三山の廃吊橋の後に行ってみた、元吊橋。元、とあるのは、もう橋自体が撤去されて、吊橋の構造物だけが残っているから。

場所は、埼玉県は秩父郡皆野町です。

主塔だけの吊橋跡、手前にはフェンス

この吊橋は、1936年(昭和11年)に竣工ととても古い吊橋です。2013年頃までは、通行できない状態で現存していたようですが、その後撤去されたようです。現存していた当時はこんな橋だったようです

撤去後は、フェンスが張られて、現在の状態となっています。

大昔は、この端を通って墓地に通じていたのでしょう。
現在では、別の場所に橋もあるため、この橋は役目を終えたようです。


この撮影後、せっかくなので日本酒でも買おうと長瀞蔵に行ってみたら、あいにくのお休みでした。残念…

【埼玉】小鹿野町三山の廃吊橋

冬休みの撮影活動は、恒例の廃墟撮影から。今回は橋にスポットを当ててみました。

廃墟ならぬ廃橋、その役目を終えた橋は、全国に存在しますが、吊橋ともなると数は少なくなります。何しろ、吊っているわけですから、強度的には橋脚のある橋よりも劣るわけで、まして管理されなくなった吊橋の運命は見えていますよね?

埼玉県秩父郡小鹿野町三山に向かいました。

正確な建造時期は不明。一般的には、橋に竣工された年月の銘板があったりするのですが、この橋については確認できず。
いろいろな情報をまとめると、国道299号線の今となっては旧道となった道沿いに、1955年(昭和30年)前後に建造されたとされていますが、国道299号線が開通したのは1970年(昭和45年)なので、その頃に建造されたとも言えなくもないです。
いずれにしろ、行政すら資料が残っていないとして、正確な建造時期が不明ということです。

それでは旧道から行ってみましょう。が、いきなり車両通行止めの看板が!

なんと、国道299号線の旧道、道路が崩落していました。赤平川のカーブの位置なので、大雨の増水でえぐられたのだろうか? 修復されることなく、車両通行止めとなっています。崩落していない部分の幅は狭く、たしかに軽自動車でも通行は無理そうです。
そして、この崩落箇所から川を望むと、その奥に華奢な吊橋が見えました。まだ橋は健在でした。

橋の入口まで来てみると、だいぶ昔に設置された立入禁止の看板とバリケードが。有名な「山さ行がねが」さんのサイトでは、2010年に訪問した記録がありますが、その写真にはもう少し簡素なバリゲードで、それ以外のブログを見ると、2012年には現在のバリケードになっていたので、2010~2012年に町がバリケードを現在の形に強化したのでしょう。
また、橋板も2010~2015年頃にはまだ健在でしたが、2022年初頭現在では、橋板はほぼ欠損した状態です。

もちろん妻子あるおっさんのYamaroですから、イキって橋を渡るなんてことはしません。
幸い川岸までの高さはそれほどではないので、下に降りて見てみることにします。

橋脚はL字鋼を使っており、一見華奢に見えるけど、トラス構造となっていて、思いの外頑丈そうです。まあ金をかけていない感じはしますけどね。
そして赤い塗装は半世紀以上を経てなお健在、錆も少ないです。なかなか良質な鋼を使っていそいうです。これを見るに、個人的には建造は1955年頃というよりは、1970年頃じゃないかな?と推測しますが、さて…

川に降りてみました。赤平川は冬の感想じた時期だからか、思いの外水量が少なかったですが、梅雨時期だともっと水量は多いはずです。

川から橋を望むと、さすがにL字鋼の部分はサビが出てきています。橋脚は森と竹で風雨が遮られているのに対し、川の上の吊橋そのものは風雨にさらされますから、状態は悪くなりますね。
今すぐ崩落しそうという感じはないものの、今後台風など風雨の影響でどうなるかはわかりませんね。

橋とは関係ありませんが、川の向こうを見ると、かなり古そうな廃車が。カローラバンっぽい感じもしますが、ちょっと違うかな? この向こうは国道299号線なので、新道開通後に放置されたのでしょうか?

それでは、廃吊橋をあとにします。
道路の崩落箇所をよじ登って戻りました。

結局橋の詳しい経緯は、現地ではわかりませんでしたが、吊橋は2022年現在健在、橋板は既にほぼなし、耐風索は1本外れた状態でした。向こう10年持つかどうか…と言ったろころでしょうか?

地元の方が旧道から山道へ移動するために架けたと思われる橋は、新道開通に伴い使われなくなり、いつしか忘れ去られた存在となってしまった、こんな感じでしょうね。
橋としては、それほどのものではないけれど、人知れず撮影できて楽しかったな。

【栃木】湯西川ダムで沈む前の風景

スナップ写真、撮っておくべきだな、と、10年以上前の写真を見るたびに噛み締めている今日このごろです。
古い写真を引っ張り出してくるときは、大抵今のネタがない時(笑

というわけで、この1枚、今はダム湖に沈んで見られない光景です。

2010年10月27日の湯西川ダム建造中の光景

2010年12月末、なぜか栃木県の湯西川にいた私。遠方に見えるのが、建造中の湯西川ダムです。
2012年3月に完成したダムで、この頃は建造開始してそれほど経っていない時期ですが、すでにダムの壁ができていますね。かなり早い工期で建造されたそうで。
さて、この場所は現在、ダム湖になっており、沈んでいます。
この写真にはGPSデータが入っていますので、どこで撮影したかが分かります。

撮影地は今はダム湖の下に

湯西川へ行く道路は、ダムが出来る前は非常に細くてクネクネ曲がった道路で、特に冬季積雪時は、運転に気を使いましたね。

今では、県道249号線が出来たので、湯西川にもアクセスしやすくなりました。
年末年始で、妻の実家に帰省した際に、子どもたちを雪遊びにつれていきたいな。ちょっと遠いですけどね。

この日は、下流の廃墟撮影をしていたようです。

というわけで、写真はとりあえずでも撮っておくものだな=、GPSデータあると便利だな~と改めて思った次第です。
上の写真にもGPSデータを付与しています。

勝浦海中公園に行ってきた

高滝湖グランピングリゾートを後にして向かったのは、勝浦海中公園。前行ったのは、数年前だったかな? 娘を連れて行ったけど、まだ小さかったので覚えていないみたい。

ここは小さな砂浜もあるので、子どもたちはここで遊ぶのが楽しかったみたいです。

勝浦海中公園は海中透明度で割引あり

さて勝浦海中公園ですが、この日は台風一過とあって、まだ波が高く、海中の視程は1mしかないとのことで、割引料金でした。

勝浦海中公園のHPより引用 http://www.katsuura.org/opening/index.html

こんな感じで割引となります。今回は1mだったので、大人だと330円、通常は980円もするので、大幅割引ですね。
チケットを買って、海中公園の建物までは少し長めの遊歩道を歩いていきます。

廃墟?イワシ追い込み漁の遺構

遊歩道から見える謎の建物と、岩盤を加工した人工物の跡が見えます。
謎の遺構は、建物も併設されていますが、使われていない様子。よく見ると、陸から道路はつながっています。
岩盤に掘られた穴は、かつてイワシの追い込み漁を行っていて、この生簀にイワシを追い込んで捕獲していたのだそうです。
昭和30年頃まで使われていたようですが、その後イワシの漁獲量減少で使われなくなったようです。

写真は前後しますが、勝浦海中公園内にはられていた張り紙による情報

ちなみに、こちらのHPでは、関東大震災による地形の隆起で使われなくなったとの情報もあり、どちらが正しいのでしょうね?

廃墟化している遺構の方は、もう少し新しそうですが、こちらは中央に穴もあるので、生簀なのかもしれませんが、ちょっと調べた限り、何なのかはよくわかりませんでした。
ご存じの方がいらっしゃいましたら、コメントに記入をお願いします。

視程1mだけど魚は見えた

さて海中公園へ。

長い遊歩道を歩いて、館内の長い階段を降りて、海中見学。視程1mなので、たしかに濁っていて殆ど見えませんが、窓の近くには割と魚がいました。荒波でゆらゆら揺れていましたが、割とたくさん泳いでいるので、視程の良い日ならもっときれいにたくさん見られそうです。
見ての通りの荒波なので、この日は見れないかなと思っていたら、割と見れたので、波が荒くても、晴れていれば案外狙い目かもしれません。


というわけで、1泊2日の千葉旅行はおしまい。子供たちは、結局この後も長いこと砂浜で遊んでいました。

ではでは。