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護衛艦「ひゅうが」就役 2009年3月18日の記録

独身で仕事が平日休みだった時代、あちこち撮影に出かけていましたが、こうして護衛艦「ひゅうが」(DDH-181)の就役も見てきました。これももう15年も前なんですね。

護衛艦「ひゅうが」は、初代ヘリコプター護衛艦「はるな」の代艦として建造された、護衛艦としては初めて全通飛行甲板を備えた、いわゆる空母型船体の護衛艦です。

この日、「ひゅうが」を建造したIHIマリンユナイテッド横浜工場がよく見える、磯子の海釣り出来る場所に行きまして。視程が悪く、写真の画質はいまいちなのが残念でした。奥では試験艦「あすか」が整備中で、塗装し直してまだ艦番号が入っていない状態。この時代は12式短魚雷の試験を行っていたようです。

中では就役式典が終わり、艦艇はメーカーから海上自衛隊に引き渡され、いよいよ出港です。

これまでの戦闘艦に大型ヘリ格納庫を配したスタイルと違い、純然たる空母船型であるヘリコプター護衛艦「ひゅうが」の就役は、海上自衛隊の新たなステージとなりました。
ただ、ヘリ空母に近いスタイルながら、発展型シースパロー短SAM(ESSM)とアスロック対潜ミサイル(VLA)の運用能力を持ち、見えませんが艦底には長大なシリンドリカル・アレイ(CA)・ソナーを搭載しています。
ただこうした事実上ヘリ空母で、艦艇自身があえて対潜攻撃を行うのかはやや疑問も残ります。それもあってか、後発のヘリコプター護衛艦「いずも」型は兵装は防御用の必要最低に抑えられました。
「いずも」型は大型故に実質的に空母化され、改修によりF-35B STOVL機の運用能力を付与されつつありますが、それより全長が短い「ひゅうが」ではF-35Bを運用することは難しいため、今後の展開としてはUAVを運用することでしょうね。ちなみにV-22オスプレイは搭載実績があります。

既に就役から15年経過しました。少なくとも40年は運用されるはずで、そろそろ搭載する電子装備品の改修なんかも入るのではないかな?

さて話を戻すと、就役した「ひゅうが」は第1護衛隊群第1護衛隊のある横須賀基地に配備されたため、撮影地を横須賀に移動し、入校直後を撮影しました。

海上自衛隊横須賀基地に接岸

今はより大きな「いずも」が配備され、横須賀市民の目も慣れましたが、この日は初めて目にした周辺の反応は「自衛隊も空母を持ったのね」「大きいね」といった感じでしたね。
まさに「ひゅうが」は海上自衛隊の新たなステージとなったわけです。
あれから15年、国際情勢は何だか冷戦期に戻りつつあります。自衛隊もまさにこの10年は正念場と言っていいでしょうね。

そして横須賀の米海軍側のバースに停泊中の潜水艦群、15年前はまだ「はるしお」型潜水艦が現役でした。

この撮影直後に1番艦の「はるしお」が退役となり、2017年までに「はるしお」型潜水艦はすべて退役しています。同型艦7隻が建造されたうちの3隻が並んでいるのはなかなか珍しいですね。垂直に立ったセイル、最後の涙滴型となった艦型が今となっては懐かしいです。

以上、2009年の横浜横須賀の情景でした。

【百里基地】2009年3月16日の記録

古い写真データのうちJPG形式のファイルが0バイトになってしまう事例が発生。幸い複数のバックアップのうちの1つにデータが残っていたので復元できたけど、ちょっと怖い事象ですね。同じ画像でもJPG形式以外、RAWデータやTIFF形式、PhotoshopのPSD形式では発生せず。
JPG形式は以前から画像データの一部欠損が発生するなど、エラー訂正が他の形式より弱いのかな?

そんな事態があって古いデータを色々見ていたら、目についてしまった百里基地の写真。古いアルバムを整理していたらついつい見入ってしまう例のやつです(笑
2009年3月16日、今か15年前の百里基地の様子。当時は茨城空港建造に伴い工事が行われていて、この日は21R上がりでした。
この時代は手前の滑走路を使っていたので、とても近い! D300にAI AF-S Zoom Nikkor ED 80~200mm F2.8D(IF) + TC-14EIIでこれだけ撮れた時代。

古いRAWデータも、現代のRAW現像ソフトでよりきれいに現像できますね。何ならAIで解像度アップやノイズ除去も可能になりました。

RF-4EJ (67-6380)は501SQ最後にはフィルムをまとったスペシャルマーキングを施した機体でした。この日は偵察機ながら、戦闘機時代の兵装運用能力を活かしてAIM-9Lのキャプティブ弾を装着していました。
最初から偵察機型のRF-4Eにミサイルの運用能力はないけれど、元々戦闘機だったRF-4EJにはその運用能力が残されています。380号機は偵察機に回収された中でも量産改修型と呼ばれる機体で、偵察用吊り下げポッドとしては、LOROP(長距離斜め写真)ポッドに加えて戦術偵察(TAC)ポッド及び戦術電子偵察(TACER)の運用能力の追加に加えて、慣性航法装置レーダやー警戒装置をF-4EJ改と同様ののJ/ASN-4とJ/APR-6Aに変更した機体です。

2009年はまだ百里基地には梅組の305SQのF-15Jがいて、戦闘機型ファントムの301SQや302SQはまだいなかった時代でした。
この頃からちょくちょく百里基地に通うようになりましたね。まだまともに撮れるのが転がりばかりでした。1回の撮影も2,3百枚程度でしたね。

【2008年撮影】三峰ロープウェイ旧三峰山頂駅舎

過去に撮影した写真を、新たにRAW現像し直してみました。RAW現像ソフトの進歩は日進月歩ですね。今回はLightroom Classicで実施しました。

埼玉県は三峰山の山頂までの三峰ロープウェイの歴史は古く、1939年(昭和14年)に初代のロープウェイが開通しました。
初代区間は1964年(昭和39年)にロープウェイの搬器(いわゆるゴンドラ)の変更(定員21名から71名に大型化)に伴い運行区間も若干変更されたため、駅舎も変更されました。
麓の駅舎の場所は新旧とも同じ場所でしたが、山頂駅は駅舎の場所が異なっていて、旧駅舎は新駅舎よりもやや下った場所にありました。
三峯神社まで少し遠かったのもあって、恐らくもう少し神社に近い場所に新駅舎設置の要望があったのでしょうか? 搬器(ゴンドラ)の大型化も、戦後の混乱期から落ち着いて、観光客が増えたためと聞いています。

さて旧山頂駅は新駅舎に移転した後は、長らく放置されていました。新駅舎で運行していたロープウェイは2006年に設備の老朽化と金属疲労の発見により運休となり、改修更新に多額の費用がかかることから、そのまま2007年にロープウェイ自体の廃止が決定、2007年12月より、新駅舎とともに旧駅舎も取り壊されることになりました。

皮肉なことに、旧駅舎は廃駅から40年以上放置された挙げ句、新駅舎と共に取り壊されることになったのです。山頂旧駅舎は、2009年12月から取り壊しが始まりました。
その直前の2009年11月に旧駅舎を撮影しました。

解体準備のため、長いこと放置されていたと思われる旧駅舎へのアプローチのために樹木の伐採が行われていました。

旧駅舎は40年以上放置されており、落書きや空き缶も時代を感じさせるものでした。

旧駅舎までのゴンドラは、新駅舎までの索条(ワイヤロープ)、支持鉄塔が設置された際に恐らく撤去されたのでしょう。ロープウェイらしきものは駅舎以外残っていません。
麓を望遠レンズで覗くと、大輪駅が見えました。すでにこの時点で、新経路の索条も撤去されて、まだ駅舎だけが残っている状態でした。

木造で趣のある建物、戦前の建築で、私の通っていた小学校も昭和9年建造だったため(卒業と同時に取り壊されて鉄筋校舎になりました)、ペンキの色合いや窓枠など、昭和初期を感じさせる駅舎は懐かしさを感じました。

すでにこの建物は取り壊しから十数年が経過しました。こうした昭和初期の建物は21世紀も20年を超えた現在、非常に少なくなっています。
自社をモチーフとしたという建物は趣があり、現存しなくなってもなお、写真として語り継げたらなと思います。

撮影はNikon D300にAF-S DX 18-70mm, AI AF 35mm f/2D, AI AF24mm f/2.8D, AF-S 80-200mm f/2.8Dです。
RAW撮影していたため、現代のソフトでしっかりとした画質で再現像できました。色やAWBの転び方などは、時代を感じさせる部分もありますが、最終的な出力は問題ない品質ですね。

なお、麓の大輪駅と新山頂駅の写真はこちらにまとめています。

2008年、AF-S Zoom Nikkor 80-200mm + TC-20EIIで撮っていた百里基地

先日記事にした、AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRII + TC-20EIIINikon Z 9との組合せで案外解像しているよ、という記事を書きましたが、では15年前の撮影機材ではどうだったか? ということで、2008年1月に撮影した百里基地の写真です。

この当時の組合せは、Nikon D300AI AF-S Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8D(IF)、そしてテレコンが今持っているIII型の1世代前の、TC-20EIIでした。
D300は1230万画素のAPS-Cフォーマットだったので、この組合せでフルサイズ換算240-600mm f/5.6というスペックになります。そう、これで案外戦闘機は問題なく撮れたのですね。
AF-S 80-200mmは、Nikonで初めて超音波モータを搭載し90年代後半に発売された80-200mm f/2.8のレンズで、手振れ補正がないのだけが残念でしたが、ボケ味や画質は非常によく、今でも良いレンズだったと思っています。超音波モータがキーキー鳴くNikonにありがちな悪癖はありましたが、外装質感も高かったですね。

そして、1230万画素という無理のない画素数、さらにAPS-Cフォーマットでレンズの美味しい部分を使えるとあって、この組合せでの画質は悪くなかったです。
ただ望遠端換算600mmだと、手振れ補正なしがキツかったのも事実で、この2年後にはAF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRIIに買い替えました。

2008年1月といえば、まだ百里基地に第204飛行隊のF-15Jが居た時代です。そして救難のUH-60Jもまだ洋上迷彩ではない白とオレンジの時代で懐かしいですね。
まさか後年、イーグルが姿を消してファントムランドになるとは夢にも思わなかったですが。

この当時はまだ茨城空港を建設中で、あちこちで工事が行われていました。
まだ百里基地で戦闘機を撮り始めて間もない頃で、せっかくの高機動もブレブレ(笑)、なのでまともな写真はおとなしいものしかなかったり。
あの時代に戻って撮りたいな~

極端な逆光だと、フレアやゴーストはそこそこ出ますね。とは言え抜けは悪くないです。D300の時代はまだダイナミックレンジが狭かったので、ここまで極端な明暗差だと被写体が潰れ気味です。今思うとD300は基本感度ISO200でも、暗部のノイズは多かったですね。

それでもRAWで撮っているので、今の最新のソフトで現像すると、また当時とは違った良さが出てきたりもします。
そしてAPS-Cのカメラに、70(80)-200mm f/2.8と2倍テレコンも、案外悪くない組み合わせですよ、戦闘機撮影。今は超望遠ズームもだいぶ安価に手に入る時代になりましたが、この組合せも悪くないです。
NikonからはZ 90?なるAPS-C機の噂も出ていますが、それならフルサイズより安価に戦闘機撮影を楽しめます。
あとはNikonから早くZ 200-600mmを出してほしいですね。ロードマップに載り続けて3年以上、早く出して~

【百里基地】2009年5月18日の記録

人間、40歳を過ぎると、10年一昔だなぁと感じますね。ほんの10年違えば、その時代の常識と今の常識は結構違うし、街の風景だって変わってきます。

13年前の百里基地、2009年はまだ茨城空港を建設中で、百里基地の機体は、今ではあまり使いませんが、この時代はウェストの滑走路をメインで使用していました。なので、今みたいに超望遠レンズがなくても、D300とAF-S 80-200mm f/2.8Dにテレコン、と言う構成で割りと問題なく撮影できました。
上がりも降りも結構目の前で見られたし、撮影スポットも今より多かったですね。
写真では工事車両も写っていますね。

この当時はまだ栃木在住で、戦闘機撮影は時々行く、と言う感じでした。なにせ、まだ百里基地へ行くための高速道路が開通していなかったので、下道で3時間以上かけていったものです。独身時代だから出来たことですね。

305SQの通称「梅組」も健在、そしてこの年、302SQのファントムが沖縄から百里へ移動してきたのです。これが嬉しかったですね。憧れのオジロファントムが目の前で見られるようになったのですから。
501SQも健在でガンガン飛んでいました。

今見ると、実に様々な部隊と機体が飛んでいた時代ですね。ファントムの退役が近くなってきた2018年辺りから、ギャラリーがものすごく増えましたが、この時代が一番写真撮影には良かった時代かもしれませんね。
まだデジタルの撮影機材は発展途上でしたが、D300も実に良い仕事をしてくれました。今見ると、やや線が太い描写とか、色味が気になりますけどね。

【北宇都宮駐屯地開設37周年記念行事】2010年5月16日の記録

2022年度の北宇都宮駐屯地開設49周年記念行事は、2020年、21年に続き、今回も一般公開を中止し、規模を縮小して行われたようです。

2022年は、日本国内のコロナウイルス感染が落ち着いてきたことから、少しずつ駐屯地祭や航空祭と言った自衛隊関連イベントが再開され始めているものの、規模の縮小や一般公開中止、あるいは事前抽選といった感じで、まだまだコロナ禍以前の同様にはいかないようですね。
航空祭も、有料観客席を設ける、無料では望遠レンズのサイズ制限を設けるなど、これからの開催は、以前とは状況が変わってきそうですね。

記念行事や航空祭、観艦式や観閲式は、実施する自衛隊側も、通常訓練の妨げになっているということもあり、コロナ禍を機会に、もう以前と同じようには行われないのかもしれませんね。
とは言え、やっぱりたまにはイベントに行きたいな、何て思いますね。

今回は、2010年に北宇都宮駐屯地で開催された、開設37周年記念行事の写真を再現像してみました。
今では退役してしまった、LR-1OH-6Dも、この時代はまだ現役でした。ゲスト機として、海自のSH-60Jや、この記念行事の後の10月には退役したYS-11T-A、空自のC-1やU-125、この時代まだ旧塗装だったUH-60J、栃木県警や米海軍のSH-60Fも来ていました。
当時は宇都宮に住んでいたので、近場の記念行事は、気軽に行けてよかったですね。
2023年は一般公開されると良いですね。

今から15年前に手に入れたAI AF-S Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8D (IF)

15年前の今日シリーズ!?

どうやら、AI AF-S Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8D (IF)を手に入れた日でした。

まだ自分の中ではフィルム全盛期で、デジカメはCOOLPIX5400を使っていた時代です。メインカメラはF90X。
この年の暮にD300を手に入れるまでは、F90Xでガンガン撮っていましたね。

それにしても、今見てもこの縮緬塗装の外装は高級感がありました。Nikonの90年代の中上級レンズは、この仕上げでしたね。
スレに弱いのが難点だったのか、2000年代に入ると、縮緬塗装ではなくなってしまいました。

初めて手に入れたAF-S(超音波モータ内蔵)レンズだったので、ついに買ったぞ~!と嬉しかった記憶が。
このレンズは中古でしたが、三脚座欠品で安くなっていて、三脚座を別途購入しても、一般中古より安いので購入しました。

描写もなかなか良く、この後2011年にこのレンズを下取りして手に入れ、未だ使っているAF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRIIと比較しても、遜色ないというか、ボケ味についてはコチラのレンズのほうが好みでした。

初期のAF-Sレンズにありがちな、キーキーというAF泣きが時々発生していましたが、このレンズを下取りに出した時のお店のチェックでは、たまたま発生せず、思ったより高値で引き取ってもらえた記憶があります。

使用期間は4年ほどでしたが、このレンズを手に入れてから、望遠撮影も少しずつ増えていき、特にこの年(2007年)の年末にD300を手に入れてからは、飛行機も撮るようになりました。

写真は2007年6月に行われた、北宇都宮駐屯地祭から。
このレンズを持ち出すようになってから、手ブレ補正も欲しいなと痛感するように。既に2003年にはAF-S VR Zoom-Nikkor ED 70-200mm F2.8G(IF)が発売されていましたが、残念ながらこの当時使っていたF90Xは、手ブレ補正レンズに非対応(撮影は可能だけど手ブレ補正が動かない)だったので、画質はむしろ上と言われていた旧型のAI AF-S Zoom Nikkor ED 80-200mm F2.8D (IF)を手にれたわけです。

時代は変わり、ZマウントのNIKKOR Z 70-200mm f/2.8 VR Sも登場しているので、なかなか悩みどころですが、まだFマウントも使っているので、入手11年のVRIIにはもう少し頑張ってもらおうと思います。