奥多摩日原の遺構や建築物を見に行ってきた

連休恒例の撮影、去年は山梨でしたが、今年は同じ都内にすることに。ただし奥多摩ですが。
車を走らせること2時間、都内だけどちょっぴり遠い。奥多摩方面の国道411号線から更に山奥に入っていきます。道路は細く、すれ違いできない箇所が多い。
仮に雪が降ったり大雨が降ったら通行止めになるようです。

駐車場に車を停めて、500円を払って撮影開始です。

名目としては、この先にある日原鍾乳洞の臨時駐車場とのことですが、実際にはここから鍾乳洞は歩いていくには遠いです。なお、鍾乳洞の近くの駐車場は無料です。

日原小学校跡

廃校となった小学校校舎。こちらは廃校後も利用されているようで、しっかりと管理されていました。

山間の地域だけに、高低差が大きく、体育館は1階部分が道路となっている面白い構造。
この道路を歩いて先に進みます。

奥多摩工業日原寮独身寮

この日原で石灰石の採掘を行っている現役の会社、奥多摩工業のかつての寮です。

航空写真では、70年代には存在しているようですが、いつ頃建造されたかは不明です。
道路と後ろの傾斜地からの撮影のため、引いて撮影することが困難、広角レンズでの撮影となりました。
老朽化により壁などが剥がれて道路に散乱しないよう、ネットが張られていました。

背後にある傾斜地から撮影、窓から内部の様子が伺えましたが、かなり老朽化しているようです。感覚としては、廃墟歴40年近くでしょうか。
ただこの最後から2枚目の写真をクロップしてみると…

中森明菜の部屋!?

中森明菜なんて貼ってありますね。もちろんあの中森明菜さんのお部屋ではありません(当たり前
ただ、これが貼られているということは、住人はファンだったのでしょう。そうなると、1990年前後までは住んでいた可能性は高そうです。
天井からは鍾乳管から形成された白いつらら石が形成されていて、使われているコンクリートは石灰質を含んだものが使われていたのでしょうか。

いずれにしろ、廃墟歴は30年以上と思われます。

独身寮の道路を挟んだ反対側には、いかついコンクリ壁の建物が。ここはかつて映画館だったようです。
それにしても、渓谷の斜面に建てられているため、屋上部分と1階部分との高低差を大きく感じさせますね。建物の作りも複雑です。建物の壁と道路の高低差で出来た壁の細い道も、かつては人が通れるようになっていたようで、後ろから3枚目の写真の奥にはドアがありました。

奥多摩工業日原寮世帯寮と映画館・ダンスホール

従業員の福利厚生のための施設も充実していた奥多摩工業の寮、今の時代は大手企業の一部には独身寮が残っていますが、家族持ちの世帯寮というのは殆ど聞かなくなりましたね。
ただ、現代であってもこうした山間の職場だと、民間アパートを借りるのも一苦労でしょうから、寮があるのは有り難いことですね。

この世帯寮は比較的最近まで使われていたという話です。ほんの数年前まで1世帯は住居していたようですが、マンションに1世帯だけというのもなんだか寂しいですね。
BSアンテナもあり、衛星放送が始まった80年代後半以降のものであると思われ、独身寮よりは比較的最近まで使われていたことが伺われます。
とはいえ、徐々に入居者が減ってから建物に痛みが出て来ている感じでした。

3枚目の右側の建物がダンスホールだったようですが、とても大きく立派ですね。左側が映画館とのこと。

世帯寮ですが、割と傷んでいて、本当にここ最近まで人が住んでいたのか?と疑いたくなりますが…

真新しい電気メーターが設置されていた

電気メーターを見てビックリです。2022年製とあります。2032年4月まで有効となっています。ということは、電気は契約されているということか?
ただ、メーターの表示は0.5kWhとなっていて、設置してからほぼ電力は使用していないようです。やはり現在は人は住んでいないようです。

が、奥にナンバープレートの付いた、さほど古くない原付が停まっていました。管理者のものかな? 人の気配はなかったのですが。

その他周辺の建物

町人とは3人ほど会いましたが、正月時期もあって、あまり人気がない感じでしたね。

古びた住宅は、きれいに管理されているように見えましたが、人気はない感じでした。
近くにあった旅館も正月時期だからか休業中の様子。

フジカラーや懐かしいオロナミンCの看板が素敵な酒屋さんも休業中。古いけどきれいなので、閉店しているようには見えず、休業中なのかな?

風情のある日原

ということで2時間ほどの散策でしたが、このくらいがちょうどよいですね。若い頃と違って体力も落ちたので、1日廃墟散策は疲れます。こうして外観を眺めるだけで満足ですね。