「Nikon D300」タグアーカイブ

2009年にフィルム中判とデジタルで撮った紅葉

妻と結婚する前の2009年に、一緒に見に行ってきた日光の紅葉の写真。
BRONICA S2とNikon D300で撮影。

BRONICA S2 + NIKKOR-P 75mm F2.8
Nikon D300 + Tamron SP AF 90mm F/2.8 MACRO

こうして見比べると、D300もなかなか良いなと思いつつ、撮っている時に楽しかったのはBRONICA S2なんですよね。

関東もそろそろ紅葉はおしまいかな? もう11月も後半に差し掛かって、2021年もあっという間に終わりますね。

【2010年11月2日】ハワイで戦艦ミズーリを見てきた

今から11年前、新婚旅行で行ったハワイ。
自分にとっては初めてのハワイだったので、ぜひ見ておかねばと思ったのが、戦艦ミズーリ(USS Missouri BB-63)でした。
真珠湾攻撃で日本に沈められた戦艦アリゾナの上にあるアリゾナ記念館から、ミズーリを眺めた後、レンタカーにて移動。今思えばわざわざレンタカーを借りなくても良かったなと思いましたが、まあ何事も経験ですよね。

戦艦ミズーリ、思ったよりも日本人の観光客は少なく…というより見かけなかったかな? アメリカ本土など欧米の観光客がほとんどだったように思います。日本人にとっては、太平洋戦争中、特攻機が当たった場所の凹みが今でも残っていたり、降伏文書調印を行った場所でもあったりします。映画「沈黙の戦艦」や浅野忠信も出演したちょっとB級なテイストの「バトルシップ」などでもおなじみです。

ハワイに行くとどうしても浮かれ気分で買い物したりビーチに行ったりしがちですが(それはそれで楽しみですしね)、ぜひこういった戦争史跡も訪れてほしいですね。

アメリカにとっても、戦艦という艦種は、この戦艦ミズーリなど4隻のアイオワ級(ミズーリは3番艦)が最後となっています。
湾岸戦争まで活躍し、最終形態の状態で保存されているため、ハープーン対艦ミサイルや、トマホーク巡航ミサイルも搭載され、レーダー類も更新された最終形態です。

こうしたミサイルの管制用コンソール類も展示されていて、まだ現役の兵器(もちろんアップデートされているので、コンソール類は旧式になっていますが)を見られるのはなかなか興味深いし、戦艦大和級よりは少し小さいものの、最強クラスである406mm砲には圧倒されます。新旧入り乱れた装備品が魅力です。

今回、Twitterに掲載したら思いの外反響があったので、ブログに掲載してみました。

次はいつ? 2015年の観艦式

今から6年前の2015年10月18日、海上自衛隊の観艦式が行われました。
平成最後となった観艦式は、ヘリコプター護衛艦「くらま」や練習艦「しまかぜ」、MH-53E掃海ヘリが現役最後の登場となった観艦式でした。
また、ブルーインパルスもゲスト出演?しています。

残念ながら、その次の2019年(令和元年)の観艦式は、そもそもチケットが外れてしまいましたが、観艦式自体も台風19号の影響で中止となり、参加予定だった艦艇は展示のみとなってしまいました。
ですから、この2015年を最後に、観艦式は行われていないことになります。
また、次回の観艦式は2022年の予定ですが、実施要項は別途検討、となっており、不透明な状況です。

以前より、観艦式を含む、陸海空自衛が毎年持ち回りで実施する観閲式は、事前の準備や訓練など自衛隊の負担が大きく、自衛隊の任務の幅が広がっている現在、その実施の仕方も見直しがされてつつある状況です。

コロナ禍もあって、陸上自衛隊の富士総合火力演習は、2020年、2021年とも無観客で配信のみとなりましたが、この傾向は、コロナ禍が落ち着いた後も続きそうな気がします。

空自の航空祭や陸自の駐屯地祭と違い、海自の場合は単艦での航海体験はあっても、複数の艦艇が航行している様子を見られるのは観艦式のみ、まして潜水艦が潜航浮上したり、艦艇や哨戒機がフレアを発射するのを見られるのは、観艦式くらいですから、やっぱり生で観たいですよね。海上だと配信も色々制限がありそうですし。

【群馬】草津シズカ山スキー場(2010年)

11年前の今日行ったシリーズ(シリーズ?)
2010年8月2日の撮影です。

昨日の小串硫黄鉱山の撮影の後、草津温泉に1泊して向かった先が、草津シズカ山スキー場跡でした。

草津シズカ山スキー場は、かつてあった白根硫黄鉱山の跡地に1990年オープンしたスキー場ですが、まさに日本のバブル景気が崩壊する直前に建造された施設。スノーボード全面滑走出来るのが、当時売りだったようです。
しかし、全国的にバブル崩壊後の不景気で、多くのスキー場が経営難に陥って閉鎖されていく中、比較的新しいこの草津シズカ山スキー場もまた、オープンから14年しか経過していない2004年の春を最後に営業を停止しました。

90年代初頭らしい色使いの建物は、窓の造形やインテリアも、バブルが崩壊したとはいえ、まだバブルの余韻が残っていた90年代を色濃く残しています。かなり金はかかっていそうな設備の数々。
天井からぶら下がっているSONYのモニタは、当時映像マニアの間では絶賛されていたプロフィールPRO、KV-27HV1Sでした。HV1にS端子を装備したマイチェンモデルでした。

しかし、この撮影から11年、最近撮影された写真を見ると、特に建物内部の劣化崩壊が激しく、内装が落ちてカビが大量発生しているなど、積雪地ならではの劣化の速さを物語っています。
2010年の撮影では、フロントもまだきれいでしたが、現在ではカビの大量発生と内装剥がれ、荒らされて、モニタにも投石の跡が残ります。時の流れは残酷です。

リフト棟に残された初代パジェロも、私が撮影したときより明らかに劣化していて、今では灯火類がなくなったり、タイヤもパンクしています。
最近の写真と、11年前のこの写真を比較してお楽しみください。

【群馬】小串硫黄鉱山(2010年)

今から11年前の今日、2010年8月1日、この歳結婚しましたが、当時は妻も病院勤務で夏休みも合わず、また自分は当時休日勤務があったので、人とずれて夏休みを取っていました。

直前に宿をとって向かったのが群馬県。
吾妻鉱山を先に見に行った後(あまり写真的に収穫はなくここでは割愛、当時の写真はこちら)、向かったのが小串硫黄鉱山でした。

小串硫黄鉱山といえば、「この先危険につき 関係者以外立入禁止」と「群馬県」の看板が並ぶあのスポットが有名ですが、その先も普通に進むことが出来ました。
車でも入れますが、道が良くないので、車高の高いオフロード車や軽トラが行き来していて、撮影の帰りには軽トラのおじさんに「乗っていくか?」と声をかけられたり。(撮影しながら帰るのでお気持ちだけ~と乗りませんでした)

谷間になっている道中、しかも山とはいえ真夏だったので、汗びっしょりになったのを覚えています。いやあの頃はそれでも撮影意欲があったので、そんな道を一生懸命歩いたものです。出来る時に出来ること、やっておいてよかったな。もう1回は行ってみたいです。

この日の天気は、雲が来たかと思ったら晴れたりと、コロコロ変わる天気。撮影時は曇ったり霧が発生したりするも、なんとか雨が降らず、運が良かったです。撮影後の、草津温泉の宿へ向かう道中で大雨になりましたので。

当時の写真を再RAW現像して、また行きたいなと思った次第。機会があれば、草津温泉とともに行きたい場所です。


小串硫黄鉱山は、群馬県吾妻郡嬬恋村にあり、大正時代から操業していた高井鉱山の硫黄資源が減少したことから、新たにこの場所で硫黄鉱脈を発見して採掘を開始、1971年(昭和46年)に閉山しています。

当時の架空索道の鉄塔が残るほか、鉱山施設の跡が残りますが、閉山から撮影当時でも40年が経過しており、遺構は思いの外少ないのですが、見晴らしの良い地形なので、登山(下山?)がてら楽しめるばしょでした。

この日、かなり歩いたのがわかります。Nikon D300にGPSアダプタを取り付けていたので、撮影地がわかります。これは後で見返す時に便利で、現状がどうなっているかの確認にも役立ちます。
当時の撮影軌跡はこんな感じです。

Googleマップで撮影軌跡を表示

小串硫黄鉱山撮影後に向かったのは、宿泊地の草津温泉。
まだ一般の夏休み前の平日だったので、中心地から少し外れた宿はとれて、お安く草津温泉を楽しむことが出来ました。

当時泊まった宿も健在でした。
GPSアダプタ、個人情報など気をつけなければならないこともありますが、旅先での撮影には便利で、手放せないですね。

【百里基地】2010年7月25日の航空祭

蔵出し写真シリーズ(シリーズ?)、今回は今から11年前の2010年7月25日に開催された百里基地航空祭から。

当時、百里基地は今ほど通っていなくて、タイミングが合えば撮影に行っていた、という程度でした。したがって腕も全然、どう撮っていいのかよくわからないニワカ状態(今も大差ないw)。

近年は11月~12月に開催されている百里基地航空祭、この時代はまだ真夏に航空祭がありましたね、道は大渋滞でしたが、基地内の空き地に車を停めることが出来きました。
とにかく暑かった、という印象。そして湿度も高くて、写真を見ると、モヤッとした絵が多いですね。
そしてブルーインパルス、百里基地だとエンプロ地区からは、午後は逆光になってしまうんですよね。

まだF-15Jの305SQがいた時代ですし、302SQのファントムも、まだまだ数が多かった時代です。救難も、まだ黄色と白の時代でした。

当時のカメラはNikon D300、レンズはAF-S 80-200mmに2倍テレコン、画質は2倍テレコンだと、ちょっとシャープネスとコントラストに欠ける印象ですね。それでもD300の1200万画素だから、まだ見られると言った感じですけど。

【茨城】旧日本加工製紙高萩工場

2002年5月、東証一部上場企業だった、製紙会社である日本加工製紙が破産宣告を受け、倒産しました。

工場は茨城県に2箇所あり、その1つが高萩工場でした。
従業員は高萩工場だけでも400人以上いましたが、全工場事業所の社員は全員が解雇され、当時茨城県でも最悪の倒産劇とされていました。

後に高萩工場は、インドネシアの華僑系財閥、シナルマスグループの日本法人オール・ペーパー・アンド・プリンティング・プロダクツ株式会社に12億円で売却されます。
工場の機械類は海外に持ち出され、その際に空けられた穴の残る建物のみが2017年まで存在していました。

その後、工場は解体され、現在ではソーラー発電所となっています。

メガソーラーは、こうした跡地に一時期次々と建造されましたが、近年はわざわざ山を切り開いて設置するなど、環境保護の面から、その建造方法は必ずしも良いとは言えないものも多いです。個人的には、こうした市街地のど真ん中にあるのも違和感です。

撮影は、2009年10月、まだ工場が健在だったときのものです。当然、中に入ることは出来ませんし、しっかりと管理され警備員も巡回していましたから、外から見える範囲での撮影となりました。

この廃墟は、独特の退廃的な印象からか、特撮やドラマ、宇多田ヒカルのPVなどで使用されたことで、結構有名な場所でした。
現在は解体されたため見ることはかないませんが、一度は中で見てみたかったな。

写真は過去に旧ブログで掲載しましたが、当時の写真は掲載サイズも小さいため、フルHD相当に再RAW現像した上で、掲載します。

日本加工製紙のHPは、Webアーカイブに残されています

Internet Explorer5.0以上、Netscape6.0以上という表記が懐かしいです。
倒産直前の2002年3月末の社員数は、HP上では785名、1200名以上いた社員も、もう倒産2ヶ月前には2/3近く減っていたようですね。

【埼玉】日窒鉱山廃住宅群(2008年10月)

埼玉県の日窒鉱山を撮影し続けて、かれこれ15年近くになります。
現在も株式会社ニッチツが操業している秩父鉱山の別名でもあり、かつてはその社宅が多く存在していました。しかし、現在では、多くの旧社宅は解体、または2014年の大雪の影響により倒壊し、撤去された建物も多くあります。
日窒では病院廃墟や学校の廃墟がその界隈で有名となってしまった結果、厳重な立入禁止措置がとられたり、建物の解体が進みました。
この写真は、まだそこまで厳重に立入禁止がされていなかった時代のものです。

現在でも、取り壊しの難しい急斜面などを中心に、いくつもの建物が残っています。
今回は、まだ解体が進んでいない、倒壊が進んでいない頃の、2008年10月の日窒鉱山廃墟群を再RAW現像した上でアップします。

デジタル一眼レフD300導入から1年、まだまだ明暗差の激しい廃墟撮影では、その画像処理に苦労していた時代です。最新のRAW現像ソフトで、あの当時は黒つぶれしていた画像が蘇りました。やはり大切な写真はRAWで撮るのが良いですね。

また、この撮影では、モノクロフィルムのBRONICA S2での撮影も実施しています。
合わせてご覧いただければと思います。

今は失われてしまった、あるいはさらに熟成が進んでしまった建物の、まだ若かった頃の写真をお楽しみください。

ここまではNikon D300で撮影したデジタル編。
次はBRONICA S2で撮影したモノクロ編です。

毎年撮りに行きたくなる日窒鉱山廃墟群ですが、年々建物が姿を消したり、撮影は難しくなってきています。それでも、飽きずに撮りに行きたい場所です。
今年も秋辺りに撮りに行きたいですね。

カメラ内のピクチャーコントロールと最新との違い

Nikonは2007年発売のカメラ、D3/D300以降は、カラーコントロールには「ピクチャーコントロール」を採用していますが、発売当時のカメラ内のピクチャーコントロールと、現在のピクチャーコントロール、色の出方に大きな違いがあります。
最新版のほうが、発色やコントラスト、トーンカーブなどが最適化されている印象です。

D300に搭載のピクチャーコントロール、明暗差の激しい部分では、白飛び黒つぶれが激しいのですが、NX Studioで再現像することで、適切なトーンカーブに。黒つぶれも蘇ります。

こんな感じで、過去のRAW画像も再現像すると面白いです。
この時の写真は、再現像して近日公開予定です。

【茨城】常磐炭鉱中郷鉱山

茨城県は北茨城市中郷町にある、常磐炭鉱中郷鉱山

1896年(明治29年)に開坑した炭鉱で、終戦直後となってしまったが、1945年(昭和20年)9月には、常磐炭鉱中郷鉱専用線も開通した。

しかし、1971年(昭和46年)に発生した大規模出水により、全坑が水没し、排水出来ず、そのまま閉山となりました。

撮影は2008年3月。当時はフィルムカメラのNikon F90XからD300に撮影を切り替えてまだ半年足らず、フィルムとの色の出方に格闘していた時代でした。
無意味に傾いた写真も多いですが、廃墟撮影は奇を衒ってはいけないなと、今見ると思いますね。
フィルム時代の癖で、やたら絞りも絞っている写真が多いですね。
今回、改めて再RAW現像してみました。RAW現像してみると、まだ17インチのCRTモニタで編集していた頃は見えなかった物がよく見えるようになったり、色の出し方やWBやコントラストの設定など、色々調整したくなるところが多々ありました。
でも、ちゃんとフィルム機と同様、三脚に据えて感度を上げずに撮ったおかげで、今でもちゃんと現像すれば写真として申し分ないですね(画質の面では)。
今や、手持ちで撮ることがほとんどなので、ここは初心に帰ってちゃんと三脚使おうと思いました。

ちなみに、現在でも県道299号線沿いにはホッパーが残っています。