「NIKKOR Z 35mm f/1.8 S」タグアーカイブ

【埼玉】2007年以来18年ぶりに白岩集落を訪問してみた その3

上白岩地区でも象徴的な物件です。

かつては多くの残留物がありました。
しかし、時を経て痛みも激しくなり、床はほぼ崩壊してしまいました。そして残留物も流出消失が進みました。
少しずつ崩壊して風通しが良くなった結果ですね。

この状況を見ると、向こう数年で倒壊する可能性もありそうです。
レコードは石野真子のベストヒットアルバムで、1979年発売です。ジャケットはどこに行ったのかな? 以前は車雑誌も多く残されていましたが、今はケンメリが載っている雑誌が1冊かろうじて残っているだけです。
裏手から撮った2階部分にはNationalのテレビの箱が。高級品だったテレビですが、型式はTC-39Gとあり、検索すると19インチの真空管白黒テレビ、昭和38年(1963年)の製品ですね。箱が現存していることに驚きですが、テレビはすでに見当たらないですね。

そして2007年3月はと言うと…

こちらはフィルムで撮影↓

あの有名だったこの物件のペダルカー、スモールバードに子供用の自転車が。

そしてこちらはCOOLPIX 5400で撮影↓

スモールバードの隣には初代フェアレディZのおもちゃが。これも1969年~のものでしょうね。この家がいつまで使われたかが不明ですが、残留物は学習机など70年代のものが多く、その頃にお子さんがいたということでしょうね。やがてそのお子さんは成長して、車に興味を持つようになった、そんな背景が伺えます。
この撮影時点ではまた床も健在で、多くの生活の跡が残っていました。
18年の時の経過は、あらゆるものを無にしてしまいました。

National TC-39G 真空管白黒テレビ 精巧な人工頭脳搭載!

そして2007年、外に転がっていたテレビがまさに、現在も箱だけが残るNationalの白黒テレビTC-39G。なんとこの時代に”精巧な人工頭脳”を搭載していたのが売りだったようです。
残念ながら2025年にこのテレビは見当たらず、土に帰ってしまったのでしょう。

それでは2025年に戻ります。周辺の写真を撮りつつ、もと来た道を戻ります。

何故かウルフルズのCDが供えられていました。もと来た道を戻りながら何枚か。社有地につき~の看板、どれも会社撤退したために社名が塗りつぶされていましたが、よく見ると「JFEミネラル」と書かれていますね。

時間がまだあったので、下白岩へ行ってみます。

続く…(次回で最後です)

【埼玉】2007年以来18年ぶりに白岩集落を訪問してみた その2

前回の続きです。

上白岩地区に向けて、登山道を上がっていきます。

途中、電柱がありましたが、電力線は張られておらず、撤去されてリール上に巻かれていました。
鉱山施設が廃止されたためでしょうね。この上の集落も無人になって久しく、もはや電線は必要ないのでしょう。

重複しますが、2007年3月の写真では、当然電力線は使用されていました。

2007年3月当時はまだ電柱の電力線は使用されていた

やはり18年の差は大きいですね。

登山道も上白岩集落手前は割と勾配が大きくなり、足元も滑りやすいので気をつけてくださいね。

上白岩に到着です。

上白岩集落へ

やはり18年の時の経過は大きいですね。2007年当時よりも、当然ながらあらゆるものの崩壊が進んでいます。

上の家屋にはお子さんもいたのでしょうね。ラジコンは80年代と思われるハイラックス、アンテナの形状もあの時代のものですね。落ちていた靴も子供サイズでした。
引っ越した際に、かなりのものを残留させたまま出ていったのがわかります。車が入れないこの場所だと、あらゆるものは人力で運んでいたのでしょうから、荷物の搬出は難しかったのでしょうね。
でも、どうやって搬入したのだろう。やはり人力なのかな?

転がっているガス瞬間湯沸かし器。今20代以下の人は見たことがないのでは? 現在では給湯器で各蛇口に温水供給できますが、昔はこうした後付のガス瞬間湯沸かし器が台所に据え付けられて、ここがお風呂以外唯一お湯が出せました。自分の子供の頃はこういうのが使われていましたね。直ぐ温かいお湯が出るのは良かったですけど、点火が怖かったなぁ…。
型式はパロマのPH-5QBとあり、調べると製造は昭和57~59年(1982~84年)とありました。残留物は70~80年代製造のものが多いですね。

さて18年前の2007年3月の写真です。

2007年3月はやはり残留物は多く、子供の遊具が残っていたり、給湯器はまだちゃんと台所に据え付けられていました。後半の写真の建物は現在倒壊、または解体されたものです。
あの当時、来ていてよかったと思います。こうして写真として残せたのだから。
上の写真はいずれもフィルムで撮影しスキャンしたものです。

そしてCOOLPIX 5400での撮影はこちら。

やっぱりこの時代のデジカメは、色がフィルムと比較するとちょっと変。あえて補正せず掲載します。
車雑誌と無線機があったこの建物は、2025年倒壊してしまっています。

では2025年に戻り、奥に進みます。

2007年当時は雨戸で閉ざされていたお宅です。しかし18年の時の経過は残酷で、雨戸は崩壊して内部が見える状態になっていました。お風呂が離れになっているのは時代を感じさせます。冷蔵庫も2台ありますが、これを運ぶのは大変だったのではと思いますね。
残留物はやはり80年代を感じさせるもので、置かれていた雑誌のTVガイドをめくってみると、1982年の年末、1983年年始の情報が掲載されていました。あの時代のTVガイド誌はこんなに分厚かったのですね。インターネットが影も形もなかった時代ですからね。
広告もmagnaxのビデオテープ(VHSとベータ)で、magnaxはコニカでおなじみ小西六と米アンペックスの合弁会社小西六アンペックスのブランドでした。後にアンペックスが民生用磁気テープ事業から撤退したために合弁事業も解消され、コニカが単独でテープメディアを販売するに至ります。

2007年3月はと言うと…

2007年3月時点では落書きもなく、雨戸でしっかり閉ざされていた

この当時は雨戸でしっかり閉ざされていて、ここを引き払うときに入口もしっかり封鎖したのでしょうね。
しかし時の経過は残酷ですね。

ではお向かいに移動します。

続く…

【埼玉】2007年以来18年ぶりに白岩集落を訪問してみた その1

埼玉県飯能市のやまね酒造でお酒を買った後、せっかくここまで足を延ばしたので、18年ぶりに白岩集落の現状を見たくなって行ってきました。
ま、実は撮影の準備もしていたわけですが。この冬休み、予定が色々変わって撮影行けないと思っていましたが、2年ぶりに恒例の廃墟散策できました。

10年ひと昔と言うけれど、18年ともなればふた昔と言うことで、前回訪問時からの変化も大きいはず。

白岩集落へは旧JFEミネラル武蔵野鉱業所の脇の登山道を登っておおよそ30分弱のルートです。

JFEミネラル武蔵野鉱業所は2007年当時は稼働していましたが、武蔵白岩鉱山が2015年に閉山したために、鉱業所設備も同年に解体されました。

登山道の麓、現在と、かつてあったJFEミネラル武蔵野鉱業所の様子です。
この設備の脇にある登山道を登っていきました。

今回は、2007年5月に撮影した写真と合わせてご覧いただければと思います。当時はまだフィルム撮影がメイン(Nikon F90Xs)、デジタルはコンデジ(Nikon COOLPIX 5400)がサブカメラという立ち位置でした。

2025年1月現在では設備は解体され、基礎が残るのみです。
またこの土地は現在個人の私有地となっていて、立入禁止となっていました。

登山道を上がっていきます。
かつてはこの登山道から鉱業所内の様子をうかがうことができました。当時はまだ採取した石灰を運搬するトロッコが稼働していました。
現在ではその名残のレールが一部残っています。

1月に訪問にもかかわらず雪がない(気温は10℃近く)のは、温暖化の影響でしょうね。

では2007年3月の様子はと言うと…

2007年当時は現役稼働中の鉱業所、トロッコも現役でしたね。
上の写真のうち、同じようなアングルを比較してみましょう。

この建物は健在でしたが、左側にあった小屋は、18年後の現在は東海したようで見当たりませんね。

林道を更に奥へ進みます。

崩壊しかかった橋と代わりの橋
ここは登山道のため、歩けるようには整備されています。この橋は18年前にも健在だったはずなんですが、18年前は撮影していないようです。

この先を進むと、森林を抜けて一度開けた場所に出ます。

傾斜地運搬用のレールがかろうじて残っていますが、鉱業所施設は解体済みで基礎のみ残っていました。

18年前はと言うと…

建物が存在していますね。古いけど現役施設でした。

白岩集落へはまだまだです。続く…

家族で東京ディズニーランドに行ってきました

前日の自衛隊音楽まつりから帰ってきて4時間睡眠の後、早朝に出発して家族で行ってきました。

ま、今回は会社のイベントだったんですけどね。イベント行っても入場してしまえば後は自由行動です。
自腹じゃとても高くて行けませんよ…。入ったともお金かかるからね。

そしてあまりに並び時間が長いので、有料のパスを使って観てきた美女と野獣。立派なお城ですねぇ。
そして新しい施設だけあって、展示もすごかった! これどうやって動かしてるんだ!?

でっかいコーヒーカップみたいなのに乗って、ぐるぐる回されながら観たけど、複数台が軌道なしでぶつからずに動いてるの、感動しました(そこかよっ!
これは正直、お金を払って観る価値はあるな~。

ミニーのスタイルスタジオで写真撮ってもらいました。

ミニーのスタオルルタジオ

今回はちゃんとスピードライト(フラッシュ)のSB-900も使っています。持ってきてよかった。スタイルスタジオはフォトスポットなので、照明自体はしっかりしているので、フラッシュ無しでもきれいには撮れますが、特に暗くなってからの撮影では重宝しました。

子供たちも成長して、疲れたからと行ってグズることもなくなり、暗くなってからも楽しめました。

初めて閉園前の花火まで観られましたね。初めてだったので、最初はシンデレラ城の後ろ担ってあまり見えず立ち位置間違えたかなと思ったけど、最後に大きな花火が上がってお白の背景に良い感じの位置で撮れました。

こういう写真を三脚なし(カメラは柵に載せていたけど)で高倍率ズームで撮れてしまう時代

クリスマスイベントが始まった最初の週末みたいだったので、混んではいたけど、ちょうどエレクトリカルパレードが始まる時間って待ち時間が少なくなるので、そういうチャンスを狙って行ったらと色々観られましたね。

ってことで、イベント続きで流石に疲れた…。編集したい動画なんかも山ほど溜まっています。ちょくちょく年末にかけて作業したいと思います。


スピードライト(いわゆるフラッシュ)は、一眼ユーザーなら絶対に持っておいたほうが良いアイテムの1つ。バウンスできるタイプがオススメです。
NissinのMG80 ProならCanon, SONY用もありますよ。

令和6年度自衛隊音楽まつりに行ってきた

今年も運良くチケットに当選したので、仕事を早めに切り上げていってきました。

日本武道館で行われた令和6年度自衛隊音楽まつり

一応カメラ持っていきまして、スチルと一部は動画撮影。去年と一緒ですね。

今年は自衛隊70周年とあって、それにちなんだ演出、テーマは「音」でした。

今年は初めてゲストとしてヨルダン軍が参加、そちらは動画を撮りましたが、後日アップします。
あっという間の2時間でした。本当に時間きっかりなんですね。

ガラポンは残念賞でした。

本当はゆっくり飲んで帰りたかったけど、朝早いので夕飯食べて帰りました。
やってることは去年と変わらないw

新装ニコンミュージアムで動画もちょこっと撮ってきました

ニコンミュージアム、お昼くらいに少しお客さんが少なくなったタイミングを見計らって、手持ち撮影をNikon Z 8とスマホ(ASUS Zenfone 11 Ultra)で行ってきました。

やっぱりカメラ単体の手持ち撮影は厳しいなぁ…。かといってジンバル買ってまで撮るほど気合が入っているわけではないので。
こういった撮影はアクションカメラのほうが向いていると思うけど、ジンバル内蔵のZenfone 11 Ultraでも撮ってみればよかったかな? 最後のNikon F3 + MD-4 +AI Nikkor 400mm f/2.8Sの連写シーンのみ、Zenfoneで撮影しています。

是非足を運んでみてください。写真や動画では分からない、あ、こんなのもある、とか色々気付きがありますよ。古い商品の当時のカタログなんかも以前より大きな画面で見られます。
いずれ企画展もあるでしょうから、機会を見てまた行きたいと思います。

新社屋で新たに開館したニコンミュージアムに行ってきた

旧品川本社に2015年からオープンしていたニコンミュージアムですが、本社を古くからニコン縁の地である西大井に移転、そこに新たにニコンミュージアムが併設されることになりました。
2024年10月12日(土)、ついにオープンしましたので、行ってきました。

2024年に完成したNikon本社の新社屋

入口では開館記念としててニコンミュージアムメダルを進呈されました。こういう記念品はいかにもNikonらしい(あえて画像は載せません)。

インダストリーゾーン

まず入場するとインダストリーゾーンが。その名の通り、業務用製品が中心の展示です。製造業や研究職でないとあまり馴染みのないものが多いかもしれません。

パッと見るとなにかわからないけど、よく見るとものすごいものが展示されています。Ultra Micro Nikkorとかがサラッと展示されていることに驚き。ごく一部の界隈に反響があったから? 実体顕微鏡も以前はなかった展示ですね。
また現行品としてデジマイクロ(マイクロメーター)も触れる状態で展示。マイクロメーターはミツトヨのイメージが強いのですが、Nikonも作っているんですね。

コンシューマコーナー

いわゆる民生品、とは言えほぼプロが使う商品も展示されていたり、民生品をベースとした特殊製品もサラッと展示されています。多くの人には馴染みのあるNikonといえば、カメラやレンズを主体としたこのコーナーですね。
タッチアンドトライコーナーでは、恐ろしいことにF3 + MD-4 +AI Nikkor 400mm f/2.8S やF2 + MD-1 + AI Nikkor 1200mm f/11Sなんかが触れて連写できる状態で設置されているではありませんが! ミュージアムに展示されている製品で、こんな無防備にトライできる状態で設置されているなんて! クレイジーですね!(褒め言葉)

かと思えば、タッチアンドトライコーナーのF6が不調となり急遽F5の50周年モデルに切り替わっていました。50周年記念モデル、普通にあるんかいw
まあ新装初日なので、頑張ったんだと思います。1950年代のNikon SPなんてのが誰でも触れる状態なんて、ありえないですよホント。
だいたい、Nikon F2のウエムラスペシャルとか、何の説明もなく展示されていたりするんですよ。ここは詳細な説明がほしいですね。そのうち展示されることを願います。

正確には左側はインダストリアルではなく引き伸ばしレンズのEL-NIKKORや大判用のレンズ、右には工業用レンズのRayfactが。工場の検査用センサなどに使われているレンズです。

これらは説明が必要と思いますが、今回の展示にはなし。いずれどう使うものかは補足展示してくれると良いですね。

そして創業当時の三菱財閥つながりが分かる展示、この辺りは良いですね。
将来は海上自衛隊潜水艦に搭載されている13m潜望鏡が展示されると面白そうなのですが。

レンズの展示は、従来と同様むき出しのままですが、横一列の展示となったことで、より圧巻さが増しましたね。
そうそう、タッチアンドトライコーナーの望遠レンズは、このレンズ展示から貸し出されているんですね。ちょうどAI Nikkor 400mm f/2.8Sが抜けていましたが、当に今さ割れる状態になっていたんですね。なお、展示のレンズはお触り禁止です。
でも、こうしてガラス越しではない展示が多いのは、直接見てほしいという意思と見学者のマナーが良いからでしょうね。ガラス越し展示にせざるを得ない、とならないことを切に願います。

ミュージアムショップ

先に券売機でチケットを買って、カウンターで商品引渡しのスタイルは以前と同様。ガチャガチャもありました。アンブレラマーカーのるつぼのアクリルイラストが当たりました(笑)

もちろんニコンようかんも購入。

ニコンようかんなどいくつかのグッズを購入。結構期間限定物も多いので、行くたびに新しい発見があったりします。今後に期待です。

新社屋もとても広くて綺麗でした。
こういう環境で仕事ができるのはちょっぴり羨ましい。

ミュージアムは従来の品川より広いので、今後企画展などの展示でも大いに活躍できるでしょう。今はまだ説明不足の展示も多いですが、いずれ充実してくると思いますので、頃合いを見計らってまた行きたいと思います。
なお、閉館日は「月曜日、日曜日、祝日および当館の定める日」となっているので、事前にご確認されることをお勧めします。

当日お会いした皆様に感謝申し上げます。お久しぶりでございました。
またお会いしましょう。

鎌北湖の佇む2つの廃ホテル

鎌北を訪れた本来の目的。

森に飲まれた廃ホテル「山水荘」。このロケーションが個人的にお気に入りです。
ですがまずは「鎌北湖レイクビューホステル」に向かいます。

鎌北湖レイクビューホステル

廃ホテル2つというタイトルですが、こちらはホテルではなくホステルです。かつては「鎌北湖ユースホステル」だったようですが、2006年にユースホステルとしては閉業し、その後公共の宿泊施設(自治体と民間が運営する第三セクター)となり現在の名前になったようで、2010年代前半までは営業していたようです。
トリップアドバイザーの最新の記事でが2015年でした。
以降は営業している様子はなく、通電はされていて電気はついているという書き込みはありました。
2022年には、既にオーナーが宿泊を断っているというブログもありました。
また2023年には改装している?スタッフ募集しているとの情報も見つけました。「

結局やっているのかやっていないのか、はっきりしないですね。

しかし2024年9月、実際に来てみると…


自販機は撤去され、冷蔵庫が外に出されていました。立ち入り禁止のテープも張られています。営業中の看板が出ているのは御愛嬌。

かなり汚れが目立つ建物

建物もかなり汚れが目立ちます。どうやら、中のものをある程度出した様子です。「2019年現在、予約が入ったときは営業している」という廃墟検索地図の情報ですが、2024年時点ではどう見ても営業できる状態には見えません。
建物の管理はされているのでしょうけど、公式サイトもつながらない状態で、事実上の閉業状態と言ってよいでしょう。

奥に行ってみました。どうやらしたの1枚目左側の部分が大浴場ですね。


タンクが併設されていて、かつては秩父の大滝温泉 神の湯から温泉水をわざわざ輸送し、このタンクに入れて風呂に供給していたようです。以前は温泉を運んでいたタンクローリーが廃車同然に置かれていたようですが、撮影時点では存在しませんでした。

かつてはハイキング客でにぎわっていて、いのぶた料理も提供されていたようですが、今はわざわざこの山奥に宿泊しようという時代でもないのかもしれません。
建物の老朽化もあり、改築してまでの営業は難しいのかもしれませんね。その建物自体は、昔ながらのデザインながら、なかなか味のあるデザインです。
食べログに現役当時の料理屋客室の写真があります。これを見る限り、悪くない感じですね。

ホステルの奥は雄大な森。森林保全には企業も出資しているようです。ここは林道が各所にあり、ハイキング客もちらほら。あまり時間がないので、森の散策はせず戻ります。

続いて…山水荘へ。

警告看板には、所有者の名前(後述のI氏)、住所(毛呂山町ではないが埼玉県内某所)、電話番号があり、「(不法進入による)全責任は毛呂山町の悪政にあります。」とただならぬ雰囲気。
どうも現在の所有者は、毛呂山町に対して怒っている様子です。良い子(おっさんですが)なので、ここから眺めるにとどめました。
ちなみに円形状の本館建物のあった場所が、悪政…と書かれた看板の左奥です。
2007年に撮影された、まだ円形の本館やその隣の建物が現存していた頃の写真を上げたXの投稿を見つけました。レイクビューホステルも現役の貴重な写真ですね。

2007年6月に中央の建物は取り壊しされ、2011年10月には左の円形の建物は不審火により焼失しました。

それにしても草木が鬱蒼としていますね。リスクを冒してまで中を見たいとも思わないので、ここで退散します。

周辺はモミジが多く、これからの秋の紅葉時期はなかなかよさそうです。
春にはダム堤防に桜の木もあるので、そこもよさそうですね。

ここからは座学?

「山水荘」は何時頃できたのか?

国土地理院の航空写真を見てみると、1961年(昭和36年)までは、この場所は森になっていましたが、1962年(昭和37年)9月時点で、まず独特な円形状(扇型?)の建物が完成しているのが見えます。これが本館です。

1962年9月、本館らしき円形状の建物ができている

1964年(昭和39年)5月には、不鮮明ながら中央部分の建物が出来ているように見えます。また鎌北湖レイクビューホステルの前身である「鎌北湖ユースホステル」の建物らしきものも見えるので、この2つの建物は似たような時期に建造されたようですね。

1964年5月、中央の建物もできているように見える

1969年には、現在も残る別館の建物がするので、60年代に全ての建物が完成しているようです。

1969年には現存する別館らしき建物も確認できる

写真を撮り忘れていましたが、鎌北湖の駐車場の脇に「いのぶた」の商標にまつわる石碑があり、これを商標として登録したのが、当時の山水荘のご主人の小山朝雄氏だったそうです。
この「登録商標 No.1186297」を見てみると、1970年(昭和45年)に出願し、1976年2月に登録されています。ずいぶん時間がかかるものです。

その後10年ごとに更新していたようですが、2005年には更新されず、2006年2月をもって権利満了により消滅しています。
ちなみに商標権を持っていたのは「鎌北観光興業株式会社」で、すでに廃業または倒産した企業とはなっていますが、その登記場所の住所が「埼玉県入間郡毛呂山町大字大谷木1266番地」となっていて、これを調べると、なんと前回紹介した「福寿亭」の場所となっています。

つまり、福寿亭も山水荘の同一のオーナーだった可能性があります。

1997年頃に山水荘は経営難から閉業したとの情報があります。かつては元毛呂山町長の小山捷児氏が所有していたそうです。
ここで、1970年代の山水荘のご主人と、元毛呂山町長が同じ「小山」の姓であることに気づきます。
小山朝雄氏と小山捷児氏は、もしかしたら兄弟?あるいは親戚同士だった可能性がありますね。

その後所有者が変わり、2007年には中央の建物は取り壊しになったようです。
しかし、その後再開することはなく、2011年10月には円形状の本館建物が不審火により火災喪失しています。
現状では廃墟化した別館が残るのみです。

こんな情報を見つけました。何年か前に鎌北湖開発の話が持ち上がっていたようです。
それに関連し、現在の所有者は毛呂山町の町長が山水荘を買い取るという話を持ち掛けたが実現しておらず、これに怒り心頭のようです。断片的な情報ながら毛呂山町議員のブログに書かれていました。

なるほど、あの看板にあった「毛呂山町の悪政」とはこのことなんでしょうね。
実際にどういったやり取りがあったのか、さらに調べてみるとこんな記事を見つけました。長文で詳細に書かれています。

記事には、2004年にS社が小山捷児氏(1991~95年の元毛呂山町長)が保有していた山水荘物件を購入したことや、
「経費の軽減になると考え建物の一部を壊し」とあり、時系列的に2007年に中央部分の建物を解体したことと合致します
その後、S社の創業者で株主でもあったI氏が個人的に山水荘を購入しています。
しかし所有するだけでも維持管理費や固定資産税がかかる中、2016年に鎌北湖の観光開発の会合があり、その中で町長やその関係者、土地の所有者I氏との間で山水荘買取の話が出ていたようですね。
その会合後に開発や買取の話が進展はなく、I氏は約束を齟齬にされて怒り心頭のようです。

山水荘は画廊にしたいという話もあったようで、建物はそのままリフォーム(年代的にアスベストを使っていて解体建て直しとなると相当な費用が発生する)、という話もあったようですが、物件の買取か賃貸かでも齟齬があったようです

もちろんこの記事の内容が100%正しいかはわかりませんし、読んでいくと話がつながらない部分もあり、やや一方的な感じはありますが、何となくこの山水荘にまつわるイザコザが分かったような気がします。I氏からすれば、ここまでの経緯がまさに「毛呂山町の悪政」なんでしょうね。

なかなか泥臭い話ですが、そういった事情もあり、現在も手つかずのままなのも致し方ない感じなのでしょうね。口約束、怖いですね。

あと、元毛呂山町長の小山捷児氏が2004年まで所有していたことも分かりましたが、元町長がいつごろから所有していたのかは不明で、2018年に80歳で亡くなっているようです。町長任期中に病気で失明し、1期で退任したようですが、その後も様々な活動をされていたようですね。
心霊スポット云々は興味がないので…

ネットで調べた限りはここまでが限界ですね。

最後に面白い発見。毛呂山町の2010年の広報誌の末尾に、1960年(昭和35年)4月ころの山水荘の写真が掲載されています
https://www.town.moroyama.saitama.jp/material/files/group/3/42212.pdf
現在はここは廃業している「おたか 湖畔荘」があり、山水荘は1960年ごろまではダム堤防外側で営業し、その2年後の1962年頃に現在の場所に移転したと考えられます。
誰が経営者だったのか、いつ頃元町長の所有となったのかはわかりませんが、廃業後の経歴はなかなかでした。
ここに限らず、こうした廃墟の背景にはいくつものドラマがあるのだなと痛感させられた次第です。

鎌北湖の周辺を散策した

ふと思い立って、埼玉県入間郡毛呂山町にある鎌北湖に行ってきました。初めての場所です。

目的はこれ。廃ホテル「山水荘」ですが、まずは湖畔を散策することに。
鎌北湖は、1935年(昭和10年)に完成した人口の農業用貯水池で、なかなか歴史のあるダムのようです。
数年前には、耐震化工事のため「池の水全部抜く」を実施したそうで、検索してみると、この写真からは想像もつかないくらいかなり深い貯水池のようです。
こちらのブログに、水を抜いた状態の写真があります。これを見ると、せき止め部分が台形型のフィルダムの形状のようですね。

洪水吐は独特の形状で、ゴミが流れ出にくい形状なんですかね? 流れ出た水はトンネルに吸い込まれていきます。

一見ダムに見えないのですが、柵のない道路部分はダムの頭頂で、湖の対岸はご覧のように緑に埋め尽くされていますが、均一に傾斜しているので、人口物と分かります。
鎌北湖レイクビューホステルの看板があちこちにありましたが、こちらは後で訪問するとして、もう少し湖周辺を散策します。

取水施設はおしゃれな建物ですね。

ボート乗り場にはスワン型と通常のボートが固定されていて、町のHPの写真では、ずらりとボートが並んでいますが、現在はボート故障のため営業中止しているようです。


ボートも長い事使われた形跡がないですね。毛呂山町観光協会が運営していたようですが、故障を直す予算はないのでしょうか?
鎌北湖の案内看板も文字が見えなくなっています。
以前はもう少し観光客がいたようなのに、どうしてこんなに荒廃した雰囲気になってしまったのかな?

ボート乗り場の対岸、鎌北湖の入り口付近にあったる「おたか 湖畔荘」は閉店していました。
プロパンガスも外されていて、ストリートビューを見ても、一番古い2011年の時点でプロパンガスは取付けられておらず、もっと昔に廃業したようです。
調べてみると「おたか」自体は同じ毛呂山町の別の場所で営業しているようです。ここがいつまで営業していたかの情報は、調べてもわからなかったです。

湖畔を少し歩きます。湖の管理棟らしき場所に人は不在でしたが、カレンダーは現在のものが内部にかけられていました。

福寿亭というお店は閉まっていましたが、車が置いてあるのはどうやらこの辺りがヘラブナの釣りスポットのようで、恐らくその釣り人の車でしょう。

福寿亭は閉業したようです

ここはかつては入漁券を販売していたようで、ある2010年の釣りブログに、ここで入漁券が買えるという旨書かれていましたので、その辺りまでは営業していたと思われます。
ただストリートビューで一番古い2011年の時点でも営業している様子はありません。

こちら側からも「山水荘」が見えますね。この湖、対岸がすぐ見えるのであまり深そうに見えないけど、実際はかなり深いのは水を抜いた際の写真を見るとよく分かります。

ダム堤防まで戻ります。わき道があり、ここからダム堤防下まで降りることができ、さらに先はそのまま林道につながっています。

ダム堤防脇に下まで降りられる階段があった

降りてみました。
この人工の川は、どうやら洪水吐のトンネルに吸い込まれた水がここから出ているようです。


そしてここから荒川水系の大谷木川の始まりとなるようでした。

大谷木川起点

降りた先に大谷木川に沿った林道があります。そのまま麓も街まで行けるようです。

時間があれば散策してみたいところですが、今日の目的ではないので戻ります。

ということで、ここからはやっと本題というか、本来の目的地を散策しますが、それは次回に。

廃墟となった母の実家を見に行った

母方の祖母が亡くなって7,8年ほど経ちます。うちは両親とも青森出身で、父の実家は売却解体されて現存しませんが、母の実家は現存しているのは、Googleストリートビューで確認していました。

夏休みの函館帰省の際、青森到着時に時間があったので、様子を見に行ってきました。
最後に来たのは30年ほど前、正月の帰省の際に、そのお迎え準備をしていた祖父が、車に載せていたお米を持ち上げた際に心臓発作を起こし(元々持病があった)、ニトロ服用も間に合わず亡くなり、ここでお葬式を行いました。
その後、自分も高校生になり、母もここへは帰省しなくなりました。祖母もその後施設に入るようになり、そのまま施設で亡くなったため、この家は少なくとも10年以上使われていない状態です。

母方の祖父は大工もやっていたようで、実は2階部分の道路側は増築されています。よく見ると増築された2階部分は、元々あった部分より窓のサッシが新しいのがわかります。
その祖父は内装工事中に亡くなってしまったため、2階部分の一部は内装未完成状態でした。しかし当時から祖父母2人暮らしだったのに、何で増築していたかはわからず。
昔の田舎の家なので、親戚一同集まってもいいように広げていたのかな?
道路側のトタンの構造物はガレージで、これも祖父が1人で作ったものです。最後はここに車を停めた後亡くなったようです。

現在、母の姉夫婦が管理(物置代わりに)しているそうです。全国にはそうした事情の廃屋がたくさんありそうですね。
周辺の様子はこんな感じ、海に近い場所です。ここで帰省したときは釣りとかカニを採ったりしたなぁ。

この辺りの風景は30年前から大きく変わっていないです。子供の頃もっと広いと感じていたのですが、実際来てみるとそうでもないというのは、子供の頃の記憶あるあるですね。