この記事に反響を多く頂いており、書いた本人も少し驚いていますが、当方、デザインやDTP、フォントについては素人で、書かれている内容に間違い誤解があるかもしれませんので、その点、ご容赦、ご指摘いただければと思います。
昨日、たまたまTwitterを見ていたら、こんなツイートを見かけまして。
写植、と言うキーワードから、久しぶりに「写研」と言う会社を思い出しました。
実は何年か前、表題の「写研」 埼玉工場の横をたまたま通って、人気のない大きなビルなのに、ちゃんと維持管理されているっぽい感じだったので、何の会社だろう?と調べだしたところから、写植 の会社であること、写植って何?となって、写研について調べたりしていました。 昔は写植・フォントといえば写研だった、その後デジタル時代になりDTPが主流になっていくも、現代に至るまでデジタルでフォントを販売しないこと、今どきHPを持っていない(2019年7月にドメインは所得 )など、色々と逸話のある会社のようです。調べれば調べるほど、面白い会社だなと。 そして、今はかなり減ったようですが 、道路の青色看板のフォントなども、ちょっと前までは 写研のフォントが用いられていたとのことで、実は知らず識らずに我々は写研に触れていたということも。
※現時点では、まだ道路の青看板のフォントは、法令で写研のナールが用いられているとのご指摘がありましたので、訂正させていただきます。
写植の話題をツイートしたら、フォロワーさんより…
貴重な経験談も頂きました。写植機、昔は一般的だったということなんですね。
元々廃墟写真が趣味で、古い建物そのものが好きだったりしますが、写研の埼玉工場、立派で管理されているのにほぼ無人(入り口に警備員はいた)、というのになにか惹かれるものがありまして。
ところで、この一連の流れから、ふとWikipediaの写研 の項目をたまたま見たところ、
2020年4月15日、写研の埼玉工場の解体が開始された。
という項目が追記されているのを見て、タイムリーでいても立ってもいられなくなりまして。 そんな中、たまたま昨日買い物担当になり、車に乗る機会が得られたので、お買い物ついでに写研埼玉工場を見てきました。
写研埼玉工場の看板、もちろんフォントは自社製で、後にこれをベースに「ファン蘭」という書体が販売されたそうです
雨降っていて、あまり写真は撮れなかったけど、この看板が写研を象徴するものとなっています。しかし、だいぶヤれてしまった看板ですね…。
この写研の看板のフォントも、もちろん自社製フォントで、後にこれをベースに「ファン蘭」と言う書体が作られ販売されたようです 。「任天堂」のフォントにも用いられているようですね。 ※「任天堂」の書体は、ファン蘭ではなく、よく似たファンテール体に分類される、とのご指摘をいただきました。
一部足場が組まれている
建物はまだなくなっていませんでしたが、足場が組まれていて、敷地内に目隠しもされていて、確かに解体工事が始まっているようです。
一部窓は開放されて、足場が組まれていました 写真では見づらいが、内装の解体が行われている様子
この日は日曜日ということもあって、作業は行っていないようでした。が、この雨の日にも窓は開放されていて、もはやビルとして機能していないことがわかります。 写真右隅の窓には、以前からこんな感じで箱が積み上げられているのがすりガラス越しに見えましたが、この箱が写植機の部品、あるいはフォントの型である写植文字盤とかが入っているのでしょうか?
入り口の守衛所も目隠しで屋根しか見えない
なかなか大きく立派な建物で、入り口付近の構造も金がかかっている印象。以前は、この門は開いていて、写真右手前に屋根だけ見える建物には守衛さんが在中していました。なので、そこだけ見ると、普通に工場の入口なのですが、ビル自体には以前から人気はまったくなく、倉庫として使っているのかな?と言う感じでした。ただ、倉庫だとしても、あまりに人気がなかったんですよね。
写研埼玉工場は、第一工場が1963年(昭和38年)に、第二工場が1965年(昭和40年)に建造され、さらに5年後第二工場は増築されたということで、当時写植機が非常に多く売れていたということがわかります。 今でこそB to Bという言葉が一般的になりましたが、いわゆる一般への販売をしない、会社対会社の業務、そして当時トップシェアを誇っていたわけですから、これだけ立派なビルを建てられるのも納得です。
4階部分まで足場がかけられていた
ちなみに写真のこの茶色のビルは、工場ではなくメインビル、とのことです。写真は撮っていませんが、このビルの向かいには、厚生棟というビルがあり(帰ってから調べたらわかりました)、当時はかなり大きな会社だったということがわかります。 また天気の良いときに、写真は撮りたいですね。
アスベストの調査もしっかりされている 内装とアスベスト除去は終了したようです 工事概要から、2020年4月15日より解体作業開始が裏付けられた
電話番号が書かれていたり、あらぬ憶測や問い合わせがあると良くないので、このブログで特段必要ない情報は隠しました。
解体は、誰しもが知っている大手建設会社の名前が書かれていました。メインビルは、工場より建造が新しいイメージですが、それでもやはり半世紀前の建造だからか、アスベスト(石綿)が使われているようで、まずは内装とアスベストの除去が行われたようです。 大手建設会社による解体、しっかりと計画を立ててアスベスト除去や内装解体から進められていて、解体費用もしっかりと計上されている印象を受けました。 まだ会社としては継続している写研ですから、倒産による解体ではなく、計画的な解体なんですよね。
またまたフォロワーさんからの情報(Twitterって特定分野に詳しい人が多く集まっていてすごいなぁと)です。
とても有益な情報を頂きました。調べると、確かに創業以来ずっと同族会社だった写研が、2018年に石井裕子社長が逝去後、同族の後継者ではなく、同社の顧問税理士の南村員哉氏が就任しています。 南村氏は、現在も税理士事務所を経営 しており、フォロワーさんの解散準備…と言う話も一理あるなと思います。もちろん、このツイートを持って、解散準備中であると断言はできませんが。(フォロワーさんを信頼していないとかではないので念の為)
HPも2019年にドメイン取得 しています。会社の解散準備しているのであれば、あえて今ドメインを取得するのは? フォントのデジタル化はすでに完了している ということで、最後の最後にデジタル販売を開始する…可能性も否定できませんよね?
特にフォントに思い入れはなかったYamaroですが、日本のフォントを支えてきた写研という、かつて大きな企業だったのが、今や風前の灯、というのは感慨深いものがありますね。
ちなみに、24年くらいまでは電算写植 は残すとの情報ですが、電算写植機と接続されているISDN回線(写植機の使用による課金データを送っているそうです)が2024年で終了するとのことで、そこまでは稼働を維持する、逆に言うとそれ以降はISDN回線ではない代替手法を用いない限りは、写研の課金システムは継続できないということになるから、ということです。 しかしながら、すでに電算写植の新規開発などは終了し、社員も殆ど残っていない(現在何人の社員が残っているか不明)となると、現状を維持することが精一杯、ということなのでしょう。すでに電算写植機も製造しなくなって久しいですから。 ただ、個人的には、HPドメイン取得で、最後の最後に大どんでん返しのDTP化!ってのも期待しちゃいます。デザインに無知なYamaroでさえ、確かに写研のフォントは見やすくきれいだと思いますし、デザイン業界では未だファンも多いようですから。
第二工場はネットとシートで覆われていた
すでに10年以上前から稼働していなかったとされる第二工場は、ご覧のように解体に向けたネットと防音シートが張られていました。
かつては、この工場に上に誇らしげに「写研」と掲げられていましたが、今はそれも見えません。ちなみに、第一工場は、この第二工場と、先程の茶色のメインビルの間にありますが、目隠しシートに寄って現在はどうなっているのか分かりません。元々、第一工場はそんなに大きくはなかったかと思います。
ネット越しにメインビルの裏側を望む
解体工事は、2021年1月までの予定ということで、現状、まだ内部の廃材撤去中のようですが、梅雨が開けたら解体工事も本格化しそうな感じです。
これはちょこちょこ見に行かないとですね。
追記:社員数ですが、過去情報で厚生労働省のページに、こんなPDF を見つけました。労基案件っぽい内容は中身を読んで頂くとして、ピックアップすると、すでに平成19年7月(2007年)の社員数は109人、埼玉工場は30名(p12の一番下記述)、50歳以上の社員が7割ということだそうです。 つまり、それから13年経った現在、2007年当時50代だった社員はすでに退職していると思われますから、新入社員をこの間採ったかは分かりませんが、現在の社員数はそう多くないことが伺えます。