奥多摩湖の廃ロープウェイ(2003年撮影)

ブログネタがないときは、過去撮影アーカイブを再編集してアップしています。

今回は恐らく関東で現存する廃墟では最も有名な廃墟の1つ、奥多摩湖の 「奥多摩湖ロープウェイ」(川野ロープウェイ )。

高度経済成長に進む1962年(昭和37年)に、奥多摩湖の小河内(おごうち)観光開発株式会社が運営を開始しました。
当時は湖の対岸へ移動するには、湖畔を大回りするしかなかったため、観光客で賑わったようです。
しかし、数年後には橋ができたために、利用者が激減し、わずか4年後の1966年(昭和41年)には運行の一時停止、そしてそのまま1975年(昭和50年)には運行休止申請が提出されたそうです。

1つの疑問「深山橋」「三頭橋」架設年

ロープウェイの建造開始から数年後橋が出来た…というのは、この奥多摩ロープウェイが運行休止につながる要因とされているのですが、調べてみたところ、この奥多摩ロープウェイ近くの橋である「深山橋」は、架設年1957年(昭和32年)となっている資料を見つけました(表15参照)。
この情報が正しければ、ロープウェイより橋のほうが先に建造されていることになります。

一方、もう1つの近隣の橋である「三頭橋」も、調べたところ架設年1969年(昭和44年)となっています。ロープウェイの運行一時停止より3年も後になります。

つまり、従来言われていた、橋の完成により利用客が減ったというのは、違うのではないか?という疑念があるわけです。

Wikipediaによれば、奥多摩湖ロープウェイの利用者数は、1962年で約6万人、一時休止する1966年では9.7万人と増員しているものの、例えば私の地元の函館にある函館山ロープウェイは、年間100万人以上の観光客を乗せています。
もちろんロープウェイの規模は全く違いますが(とは言え昔は函館山ロープウェイも45人乗りの小さなゴンドラでした)、年間10万人に届かない利用者数が、不採算になっていた可能性も否めません。

奥多摩湖観光株式会社の実態は不明

現在、この奥多摩ロープウェイの運営会社は奥多摩湖観光株式会社の所有とされているものの、会社自体が実態不明、つまり実質の所有者が不明であること、また自治体からの撤去費用も高額になるために捻出も難しく、現在もそのまま放置されているとのことです。

2003年撮影の川野駅

撮影は2003年11月となります。当時は川野駅へのアクセスはさほど難しくありませんでしたが、その後、柵の設置などで侵入はできなくなっています。周囲は一般の建物もありますから、無理な侵入は避けましょう。

続いて対岸へ移動しました。三頭山口駅側は、現在でもアクセスは難しくはないようですが、その分荒らされているため、情緒という点では、川野駅に劣るような気もします。

あと、この撮影時はまだデジタルではなくフィルムでしたが、2本目のフィルムがモノクロ(IRFORD XP2 SUPER)でして…。

ということで、唐突にモノクロになりますが、当時の雰囲気をお楽しみいただければと思います。

最初の2枚は、奥多摩周遊道路からの撮影。走り屋がたくさんいました。

2003年撮影の三頭山口駅(みとうさんくち駅)

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