過去写真のアーカイブ、2000年代初頭を中心にアップしております。
今回は、2002年8月に撮影した、山梨県は現甲州市(旧大和村)にある廃村、焼山集落をアップします。
当時、社会人になりたてのYamaroは、山梨の会社に務めており、高校の同期のなべ氏と夏休みに合流し、撮影に出かけました。その後、なべ氏とは、彼が地元に戻る2010年代後半まで、度々廃墟撮影に行ったものです。
現在は道路が整備されたと思われる焼山沢までのルートは、この当時まだ工事中の区間もあり、CF4アコードSIRに乗っていたYamaro、下回りを擦りつつ現場に向かったものです。その当時はまだカーナビも積んでいなかったかな。当然スマホどころか、ガラケーにもGPSが付いていなかったと思います。まっぷる片手に移動したものです。なので助手席にナビがいるほうが、何かと都合が良いんですよね。
最近の焼山集落の様子を検索しましたが、未だ健在のようで、降雪地域とはいえ、比較的積雪が少ないからでしょう。とは言え、2002年から比べると、今では部分的崩壊や、残留物も少しづつなくなっているようです。
それでは2002年の夏、草が生い茂りすぎてかき分けながら撮影した写真を御覧ください。
Nikon F90XsにレンズはAI AF Nikkor 35mm f/2D、状況によってSIGMA 28-70mm F2.8-4 UCを、フィルムはリバーサルでFujichrome TREBI 100Cという、価格は安いけど、あまり息の長くなかった初心者向けのリバーサルを使用しています。ちょっと色がね…。
一部崩壊しているところがあるものの、この当時はまだガラス窓や扉は健在でした。
夏の盛りの撮影は、草や虫との戦いだと、この時知りました。
建物は扉が開き、ウェルカム状態でしたので、お邪魔させていただきました。
玄関にはなぜか釜が転がっていました。囲炉裏が時代を感じさせます。
鳥かごが置いてある台所は、最近の写真を拝見する限り健在のようですが、この撮影の2002年当時とは食器や調味料などの位置が変わっていて、残留物が少なくなっていました。
また、畳はこの時まだ存在していましたが、現在では土に帰っているようです。
焼山集落の象徴でもある、三菱ミニカ、夏なのですっかり緑に覆われていました。
ミニカエコノターボは、1984年から5年間販売されていた、4ナンバーバンながらターボ、しかも軽自動車初のインタークーラー付きターボで、ボンネットにダクトがあるのが特徴でした。
この撮影時点で屋根は潰れていて、雪の重みに耐えられなかったのでしょうね。
最近の写真では閉じているボンネットも、この当時は全開でした。
それでは別の建物へ。ここは小料理屋っぽい感じでしたが、一般住宅だったのか、果たして?
土壁は崩壊 足踏みミシン ローラー脱水の洗濯機 三和のかまど 風呂場? ネズミ捕り?と大量のお猪口 階段から2階を撮影中のなべ氏の足 2階は物置っぽい感じでした 畳は土に還ろうとしていた 大量の一升瓶
大量の一升瓶やお猪口があったことから、一般住宅というよりは、住宅兼小料理屋っぽい雰囲気でした。
一升瓶は、今は日本酒か焼酎のイメージですが、この時代はまだペットボトルが普及していなかったため、お醤油などの調味料でも一升瓶が使われていました。なので、大量の瓶も、酒ではなく調味料だった可能性もあります。処分が大変だったので、ある程度溜め込まれているのは、山奥の廃墟ではよく見かけました。
「三和のかまど」は、現在の三和金属のかまどなのかな?
今見ると色々興味は尽きませんが、また見に行く機会はあるかな?