「建築物」カテゴリーアーカイブ

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/6/10-11)

工場側跡地のヤオコー建造は進んできていますが、道路を挟んだ対岸の厚生棟も、ついに動き出しました。

先日、ドアが開けられ中で作業をしている様子を見ましたが、エアコンの室外機らしきものが撤去されているのがわかりました。
6月10日夜、足場が組まれ始めました。

まだこの時点では、足場というよりも壁の設置かと思われました。リフォームの可能性もありますしね。ただ、この建物、更衣室と食堂なので、そのまま居抜きでは使えなそうです。

翌6月11日、朝と夜見に行ってきました。朝、厚生棟の正面に大勢の作業員がいました。
すでにこの時点で、発電機が設置されていました。おそらく内装の撤去工事があるのでしょうね。

ヤオコーはというと、鉄骨はほぼ組まれたようですね。かなり大きな建物です。

夜来てみると、足場が屋上まで組まれていました。いよいよこちらも解体される時が来ているのかもしれません。
この姿が見られるのも今だけです。

【茨城】常磐炭鉱中郷鉱山

茨城県は北茨城市中郷町にある、常磐炭鉱中郷鉱山

1896年(明治29年)に開坑した炭鉱で、終戦直後となってしまったが、1945年(昭和20年)9月には、常磐炭鉱中郷鉱専用線も開通した。

しかし、1971年(昭和46年)に発生した大規模出水により、全坑が水没し、排水出来ず、そのまま閉山となりました。

撮影は2008年3月。当時はフィルムカメラのNikon F90XからD300に撮影を切り替えてまだ半年足らず、フィルムとの色の出方に格闘していた時代でした。
無意味に傾いた写真も多いですが、廃墟撮影は奇を衒ってはいけないなと、今見ると思いますね。
フィルム時代の癖で、やたら絞りも絞っている写真が多いですね。
今回、改めて再RAW現像してみました。RAW現像してみると、まだ17インチのCRTモニタで編集していた頃は見えなかった物がよく見えるようになったり、色の出し方やWBやコントラストの設定など、色々調整したくなるところが多々ありました。
でも、ちゃんとフィルム機と同様、三脚に据えて感度を上げずに撮ったおかげで、今でもちゃんと現像すれば写真として申し分ないですね(画質の面では)。
今や、手持ちで撮ることがほとんどなので、ここは初心に帰ってちゃんと三脚使おうと思いました。

ちなみに、現在でも県道299号線沿いにはホッパーが残っています。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/6/7)

ここのところ、ヤオコー建造記と化していた写研埼玉工場跡地の現状でしたが、手つかずだった厚生棟に、ついに動きがありました。

旧写研埼玉工場厚生棟、ドアが開いている!

暫く開けられることもなかった厚生棟の扉が開いています。工事関係者の方々が、脚立などを搬入していました。

何の工事をするのかな?

特に工事をする旨の掲示板はなく、すぐに建物の工事をする感じではなさそうでしたが、それでも何かしらの動きがありそうですね。


夜、仕事帰りにまた来てみました。

カメラの感度が目一杯上がってしまったので、画質が悪くてすみません。レンズも暗いズームレンズだったので、AFが全然合わない…。やっぱりマイクロフォーサーズには明るい単焦点レンズは不可欠ですね。

それはともかく、ガラス戸越しに、うっすら階段らしくものが見えますね。厚生棟は、1階部分は駐車場と入り口、2階に更衣室、3,4階が食堂だったそうで、入り口は、入るとすぐ階段で、他はなにもないみたいですね。

建物横には、朝まではあった鎖と立てていたポールが横たえられていて、外された柵も置かれていました。
駐車場には折りたたみのテーブルと椅子も設置、休憩所になっているようです。
仮に解体が始まるのだとしたら、内部の確認や物の搬出などがあるのでしょう。

以前にも書きましたが、ここは現在ヤオコーとは別の会社の所有物となっているそうですが、加工系の会社故に、この建物をそのまま別になにかに活用する、というのは少し想像しにくい。加工機など大型機械を搬入するのが難しそうです。
あくまで想像なのでわかりませんが。
建物自体はリフォームすればまだ使えそうな感じですが、さてどうなるかな?

またちょくちょく確認したいと思います。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/6/1)

6月になりました。旧写研埼玉工場跡地、ヤオコー和光丸山台店建造記も、更新頻度が上がってきました。なにせ、着々と工事も進んでいて、見るたびに変化が大きいですから。

店舗の鉄筋も着々と組まれていますね。3階の駐車場につながるスロープも、店舗の鉄骨と繋がりました。
やはり店舗が1,2階、3階と屋上が駐車場になるようですね。2階部分は、テナントが入るのかな? 100円ショップとか出来るとありがたいな。

旧写研埼玉工場厚生棟(21/6/1)

厚生棟は相変わらず変化なし。1階部分の駐車場も、引き続きヤオコーの工事関係者の駐車場となっているので、ヤオコー完成までは駐車場として貸し出しているのでしょうか。

ここから見ると、かなり大きな店舗なのが分かりますね。
平地の面積は、地方のスーパーマーケットとしては広くないので、上に大きくせざるを得ないわけで。

近くで見ると、写研があったときとまた違った、そびえ立つ感が大きいですね。
裏手は道路を挟んでマンションなので、目の間にこの店舗、それなりに威圧感はあるかも。でも目の前にスーパーマーケットがあると、買い物はかなり便利でしょうけどね。道路は混みそうですが…。


3ヶ月後には店舗が完成、10月頃に開店予定です。こういう姿を見られるのは今だけですからね。

写研埼玉工場GoogleMap

2020年までの写研があった頃の姿とどう変わるかな? 見比べてみたいですね。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/5/12)

恒例の(笑)ヤオコー建造記です。写研埼玉工場の解体開始から1年、ついに新しい建物の鉄骨が組まれ始めました。

ヤオコー和光丸山台店建造中(21/5/12)

鉄骨を見る限り、店舗部分は2階まで、その上は恐らく駐車場になるのかと思われます。
左側に見切れている、店舗上の駐車場へのスロープも、路面が出来ていました。

元々第二工場の建物があった場所に、店舗の鉄骨が組まれ始めました。たった1年で景色は変わります。なので寫眞を撮るんですよね。


この日の仕事帰りにも寄ってみました。

面白いことに、この店舗部分だけ、道路側にパーティションがなく、工事中の様子が下からでもよく見えます。
鉄骨状態の店舗を見られるのは、こうして建造中か、解体中かのいずれかしかないですからね。
絞り開放で撮ったのですが、ちょっと感度上がりすぎてしまいました。
こうした夜の撮影は、カメラをGX7MK3に替えてから初めてですが、やはりマイクロフォーサーズ、イメージセンサが一世代新しくなったとはいえ、ノイズ多めです。ただ、ノイズリダクションをかけても、GX7MK2よりMK3のほうが、ディテールが残っているように感じました。
この様子だと、後1ヶ月もすれば、店舗外壁まで完成しそうですね。

【東京】鳩和荘と旧一心亭

毎年のルーチンワーク、GWの廃墟撮影。今年は状況を加味して、県またぎしない撮影地に赴きました。

東京都奥多摩 鳩ノ巣駅周辺

GW期間中とはいえ、平日ですし、状況が状況だけに人もまばらです。
青梅街道沿いに早速廃看板を見つけました。この先の雲仙橋にまずは向かいます。
2トン超えの車両は通行禁止。もちろん、そこへ車で行くつもりはありません。エスティマじゃ2t以内とはいえ、無理でしょう。

写真の民宿は、緊急事態宣言を受けて休業中でした。
雲仙橋からの眺めはなかなか良さそうで、紅葉の時期に来てみたいです。
幅2.2m以内とはいえ、普通車で通ろうとは思わないですね。このあと軽自動車が通り抜けていきましたが、軽自動車が限界かな。

廃業した飲食店?

橋のお隣には、明らかにかなり前に廃業したと思われる飲食店らしき建物。

かなり傷んでします。廃墟歴は20年くらいか。駐車場の車は現役でした。

それでは目的地へ向かいます。

鳩和荘へのアプローチ

傾斜を降りていくと、すぐに鳩和装のフロントへ到着しました。
観光道になっているためか、道路自体はきれいなものです。

鳩和荘フロント

「むかし絵の宿 鳩和荘」の看板は健在です。排莢にありがちなセンスの悪さもなく、今でもこのまま営業していておかしくなさそうです。
あちこちに真新しい立入禁止の札とロープが張られていました。

横の看板は少し割れています。日観連の看板が懐かしいです。2012年に、国際観光旅館連盟と日本観光旅館連盟を統合し、日本旅館協会となったため、日観連の看板は、今では見られないですね。
どこもかしこも、窓は板で塞がれていますが、開いている窓から中を覗き込むと、お銚子とお猪口が。カニのマークが入っていますが、これは奥多摩の小澤酒造「澤乃井」のマークです。当然、日本酒は地元の澤乃井が提供されていたのでしょう。

ガスメーターの有効期限は1992年まで。

設置されていたガスメータ、有効期限は1992年でした。この鳩和荘、廃業したのが2000年頃と言われていますが、そうだとするとこのガスメーターの1992年の有効期限と一致しません。
ただ、この場所に設置していたプロパンガスを使わなくなっただけかもしれませんが、バブルが崩壊した時期なので、この辺りから経営規模を縮小していた可能性はありそうです。

双竜の滝、そして…

フロント横の道を奥に進むます。
すると滝が見えてきました。小さな滝です。こんな渓谷があるとは。しかし橋から滝と反対側を見ると…

なんと、小さな渓谷の中に建物が見えます。ここも鳩和荘の一部のようです。よくぞこんな場所に建造したものです。重機は入らないでしょう。クレーンで資材を降ろしたのか、今となってはどうやって建造したのが未知ですが、本当にすごい場所に建物があります。
思ったより規模が大きい上に、ものすごい場所に建物があり、感動しました。いや現役時に来てみたかったです。

引き返して反対側に移動

この橋の先は、青梅街道へ向かう道のようだったので、一旦戻り、反対側の道を目指します。
フロントに戻ると、よく見ればひさしの板が垂れ下がり、廃墟歴20年超えであることを伺わせます。
途中にあった受電盤は現役。鳩和荘の電気は既に止められていましたが、周辺の電気は使えるようになっていて、街灯や河川の設備用なのでしょうか?

道を下った先に建物がありました。

ボイラー室?と

まず見えた小さな建物は、恐らくボイラー室でしょう。横には貯水タンクもありました。
ただ、一層下がった場所、何となく露天風呂の仕切りのように見えたけど、浴槽は見当たらず、ただの屋上広場のように見えました。何の場所か不明です。
ソーラーの照明が取り付けられていて、これはどうやら自治体が後から設置したもののようです。

旧「一心亭」

降りていくと、更に別の建物もあり、またし霧のあった屋上のある建物もかなり大きな建物のようです。
後で調べたところ、ここは鳩和荘とは別の旅館だったようで、現在別の場所で営業している「一心亭」の建物とのことでした。

2007年9月の台風により多摩川が増水した際に、1階部分が水没したそうですが、その後も復興して、暫くこの場所で営業していたようです。賑わっていた頃の写真がのったブログを見つけました。
どうやら、2011年頃に新しい店舗に移転したようで、現在は旅館ではなくそば屋として営業しています。

こちらもそこそこの規模の旅館だったようです。
新しそうな消火ポンプは、写真を拡大してみたところ、2008年製でした。きちんと管理されているようです。
2011年まで使われていたようなので、廃墟歴は10年といったところです。

水神橋と玉川水神社

実際の撮影と前後しますが、2つの建物の間の道を下ると、川があり、更に鳥居がありました。登ってみると、小さな神社が。

上がるとなかなかの絶景。紅葉の時期はきれいだろうな。落ちないよう慎重に多摩川を撮影、このロケーションはなかなかです。

旧一心亭とその周辺

ロケーションは素晴らしい。割れた窓ガラス(割られた?)はちゃんと板で塞がれています。ちゃんと管理されている証拠です。
そして、一心亭の横には、水神の滝が。小さな滝ですが、なかなかの景色です。
周辺は紅葉が青々としていましたが、もう紅葉の時期はまた行きたいなと考えています。

一心亭の左側の建物2階は、ガラス越しに宴会場と、カラオケのモニターが見えました。

昔は、会社の慰安旅行などで、こうした場所に週末団体が押し寄せて、さぞかし盛況していたのでしょうが、バブル崩壊後、こうした福利厚生で金のかかる社員旅行は、すっかり下火になってしまいました。この場所も、周辺は駐車場も大きくないですし、青梅線に乗ってくるしかなく、アクセスは必ずしもよくありません。
こうしたことから、宿泊施設としては衰退したのでしょう。
ただ、そば屋としては賑わっていたようなので、ここを引き払うまでは、もう旅館よりそば屋がメインだったのかもしれません。
移転して営業している一心亭ですが、旧一心亭の建物を取り壊すにも、重機が入りづらく、費用がかかって難しいという側面もありそうです。

再び鳩和荘へ

滝の左側にある階段を上がると、そこには鳩和荘の建物がありました。

いや、予想以上に大きい。よくこの場所に建てたものです。
横手に周って、その廃墟としての熟成感に惚れ惚れしました。
最高の朽ち具合です。あまりの美しさに圧倒されました。まさに今最高に熟成された廃墟美を感じさせる建物です。これだけアクセスしやすい場所にあるのに、ほとんど荒らされていないのも好印象です。ちゃんと道があって、そこから見られる廃墟はそう多くありません。
何度も言いますが、もみじの葉が多いだけに、紅葉の時期は最高に美しいでしょう。

反対側には、ボイラー室らしき建物、その奥には恐らく仲居さんたちが宿泊していたであろう社員寮と思われる建物がありました。

再び客室建物に目を移します。ずっと見ていたい。そんな心境でしたが、この日まもなく雨の予報だったため、少し急ぎます。

立入禁止のロープがないところまで接近。良い廃れっぷりです。廃墟歴は四半世紀といったところか? 特に渓谷に近いこの建物は、フロントの建物より朽ちていて、川が近いため湿度が高いのも影響していると思われます。
いや素晴らしいものを見せていただきました。

それでは、フロントのある場所へ戻ります。

電気メーターは外されて何年たつのでしょう? 建物の脇に1999年秋のNational/Panasonicの暮らしの特選カタログが束になって落ちていました。ただ、これは廃業後にに捨てられたのかもしれず、ここの廃墟歴を示すには証拠不十分です。
それにしても、このロケーション、気に入りました。あまり取り上げられていない場所、というのも気に入りましたし、荒らされていないのもよいですね。

鳩和荘の廃墟歴は?

有効期限1992年のガスメーターは、事前調査した2000年前後に廃業した時代と少し一致しません。
ところで、フロントに貼られたNHKのシールに、年月が書いてありました。

フロントに貼られたステッカーと貼り紙

まずNHKのステッカー。「放送受信章」と呼ばれており、2009年(平成20年)に廃止されましたが、NHKと契約していると、昔はこのステッカーが玄関ドアに貼られていました。「11・2」は平成11年2月を示しており、この通りであれば2000年2月に契約更新したものと思われます。ただ、これは廃業されたとされる時期と重なりますし、不思議です。

一方その下にある建築業退職金共済制度の貼り紙、郵便番号は3桁、電話番号は10桁(市外局番東京03を除くと8桁)です。
郵便番号の7桁化は1999年(平成10年)2月2日から、東京都の電話番号8桁化は1991年からです。
つまりこの貼り紙は、1991年から1999年の間に貼られています。が、これだけでは廃業時期がわかりませんが、90年代半ばあたりには、まだ営業していたのかと思われます。

総合すると、90年代には営業規模を縮小し、90年代後半から2000年辺りにかけて廃業したのではないかと推察します。
鳩和荘、現在は奥多摩工業株式会社の所有となっています。


最後に、水神の滝から建物を望みます。上に登ると、もう木の陰に隠れてほとんど建物は見えません。

全盛期の頃の写真を見てみたいですね。
2000年頃まで営業…と考えると、つい最近のように感じますが、Yamaroが若かった頃がその辺りだからですね。もう四半世紀近く前です。
その時代、インターネットはあったけどISDNだったし、スマホどころかガラケーもカメラはまだついていなかったし、カメラもデジタルカメラ黎明期で、まだフィルムより性能は悪かった時代。
SNSもないし、20世紀末の情報って、今みたいに検索してもなかなか出てこないわけです。
20世紀は遠くなりにけりですね。

以上、久しぶりに廃墟美を感じることが出来た撮影でした。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/4/27)

ヤオコーの建造が進んで、最近また撮影スパンが上がってきました。
いつもの場所から定点撮影です。

ヤオコー和光丸山台店建造中(21/4/27)

やはり写真左手前の建造物は、屋上駐車場へのスロープのようです。
店舗は写真中央奥にできるようで、基礎部分が出来ています。
こうして少しずつ建物ができていくのを眺めるのも面白いですね。。


ところで、少し時間があったので、写研メディア研究所跡(写研新倉分室)もどうなっているか見に行ってみました。

今の所、空地になったままで、変化ないようでした。
特に売地などの看板も出ていません。

もしかすると、まだ土地の所有は写研のままなのかも? 写研のHPには、事業内容として、「デジタルフォントの開発及び販売、不動産賃貸及び管理」とあるため、写研が土地を貸す可能性も考えられますね。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/4/21)

記事のタイトルが果たしてこのままでよいか悩む所ですが、かと言ってヤオコー建造記というのも違う気がするし、最初に書いた「写研埼玉工場が解体されるとのことで見に行ってきた」は、今でも記事のプレビューが多いので、やっぱり写研で検索されてくる方は多いようです。

ということで、タイトルは暫くこのままで行こうと思います。ヤオコーが完成しても、ここが元写研埼玉工場であったことは事実ですしね。

ヤオコー和光丸山台店建造中

こうしてみると、2週間前と比べて建造も進んでいるのが見て取れますね。

撮影場所から左手、建物かなと思っていたけど、それにしては狭いしなんだろうと思っていましたが、足場が段差になっていて、奥に行くほど高くなっているから、恐らくスーパーの屋上駐車場へのスロープなのかな?
スーパーの建物は、その奥にできるのでしょうね。

朝礼中の場所は平面駐車場でしょう。奥にはコンクリの壁ができています。

ヤオコー和光丸山台店

大手の積水ハウスが手掛ける、ヤオコー和光丸山台店。この秋に開店予定です。買い物も便利になりそうです。

ここからの眺めは大きな変化なし

笹目通りから下って行く途中からの眺めは、まだ大きな変化はありません。店舗は恐らくこの写真の中央から左奥付近にできるのでしょうね。
かつて写研埼玉工場の看板があった場所には、ヤオコーの看板ができるのでしょうか?


写研のHP開設されていた

すっかり見落としていたのですが、先月3月8日、長らくドメインのみの取得で開設されていなかった、写研のHPが開設されてました。

書かれている情報はまだ少ないですが、今後アーカイブの公開が5月に予定されていることが書かれています。
そして興味深い情報もわかりました。

埼⽟⼯場を取り壊し、跡地を大手食品スーパー・株式会社ヤオコーへ賃貸開始

沿⾰ https://sha-ken.co.jp/about/

土地を売却したのではなく、ヤオコーへ賃貸開始とあります。となると、今後写研は、土地の賃借による利益や、モリサワとの提携により、会社自体はこれからも事業継続していきそうな感じです。
HPも開設されたことですし、今後の動きに注目です。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/4/9)

普段持ちカメラを、LUMIX GX7MK2からGX7MK3に新調したので、テスト撮影を兼ねて、車検埼玉工場跡地をスナップしてみました。

ヤオコー和光店の建造が進む、元写研埼玉工場跡地

レンズは、キットレンズのLUMIX G VARIO 12-32mm / F3.5-5.6 ASPH. / MEGA O.I.S.ですが、薄型の安いレンズと侮るなかれ、画面四隅に少し収差の影響は見られるものの、画面全体の解像度は高いですね。

ってここではカメラレンズのレビューではなくて、写研埼玉工場の跡地のお話。
かなり工事が進んできていますね。すでに建物の基礎部分が出来ています。秋に開店予定ですから、あと半年もしないうちに、ここにはスーパーマーケットが開店するわけです。
ちょうど去年の今頃から写研の解体工事が始まり、去年の年末にはほぼ建物はなくなりました。早いものです。あっと言う間に風景が変わります。
秋には買い物客で賑わうことでしょう。

それぞれクローズアップ。望遠側も32mm(35mm判換算64mm)とさして望遠でもないレンズですが、普段のスナップには十分かな、欲を言えばきりがないですからね。
建造は、大手の積水ハウスです。

2021年4月の写研埼玉工場跡地

この辺りの地形はアップダウンが激しく、幹線道路である笹目通りからこの場所へのアプローチは、大きくカーブしながら下っていくます。おかげで、歩道から工事風景も眺めることが出来ます。かつては写研の看板があり、大きな建物があった場所です。
今は奥のマンションが良く見えますが、写研があった当時は隠れていました。

2020年6月の写研埼玉工場

1年近く前と今、これだけ風景が変わります。この当時、ここからはマンションが見えなかったのですね。

手つかずの元写研埼玉工場厚生棟

厚生棟は、まだ手つかずです。ここはヤオコーの所有ではありません。同じ和光市の、ある企業の所有となっています。
また1階部分の駐車場は、工事関係者の駐車場になっていますが、このお隣にあった工事資材置き場は、ヤオコー建設地に移動されたのかな? もう使われていないようでした。

ここは引き続き、状況を確認していきたいと思います。

都内の空き家、もったいないよねぇ

都内の住宅地、土地代高いんだろうなぁと思いつつ、ふと目をやると、長いこと人が住んでいない、放置された空き家、ポツポツ見かけます。

この空き家も、公園のすぐお隣にありました。築年数は30~40年くらい? 遠目には、リフォームすれば、まだ使えそうな感じなのですが。

手前には物置?として使っていたような場所が。

大きな木桶、そしてお釜まで転がっています。

1階窓から室内のものが溢れている

しかし、よく見ると1階の窓から、室内にあったであろうものが溢れ出ています。
引っ越したと言うより、夜逃げしたかのように、室内にあったであろうものが、かろうじて網戸で抑えられている感じでした。
何があったのだろうか? やっぱり夜逃げ?

雨戸は全て閉じられている

お庭も、ゴミ屋敷のようには荒れていないけど、しばらく手は入っていない様子。
実はこのお隣も空き家になっていました。
場所的には、隣が公園ですが、大きな通りから奥に入った閑静な住宅街で、立地も日当たりも悪くない場所です。
もしここで建売住宅が売られていたら、5千万円台後半、といったところかな?

こうした住宅は、チラホラ見かけます。日本の空き家率は、2018年時点で14%程度だそうで、7件に1件は空き家ということになります。
今後、人口が減っていって、団塊の世代(ちょうどウチの親世代)が亡くなると、更に空き家は増えると言われています。
ウチの実家だって、妻の実家だって、10年後に人が住んでいるか、分かりませんからね。

以前は、空き家でも家さえ建っていれば、固定資産税はただの土地の状態よりも安くなりましたが、2015年以降、空き家対策特別措置法が制定され、長期間放置され、荒れた状態であったり、衛生状態が悪い、あるいは倒壊の危険性のある建物は、「特定空家等」に認定される場合があります。
それでも改善されない場合は、是正勧告がなされ、固定資産税の優遇特例が外れてしまいます。つまり、空き地と同等の、最大6倍の固定資産税が課せられます。

こうした空き家は、様々な事情により、空き家のままであったりしますが、特に所有者が行方不明、あるいは連絡がつかないといった空き家では、是正勧告を出しても、そもそも固定資産税すら納税されていない場合も多いようです。
もったいないですよね。


と、ここまで書いて、栃木の自宅の固定資産税を払う時期がもう少しで来るなぁとと思いだしたり、今年の年末には築10年になるので、屋根と壁を塗らなきゃとか、色々費用が嵩むわけですね。家って色々大変です。