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【写研埼玉工場】解体動向(20/9/28)

写研埼玉工場(20/9/28)

3ヶ月半に渡って撮影した写研埼玉工場解体も、そろそろ終りが近づいてきました。台風の影響など雨がちで先週は撮影できず、週明けの昨日朝と、夜、見てきました。

ご覧の通り、メインビルも第2工場も、1階の壁を残してほとんど解体されました。この10日間に、第2工場はあっという間に解体されてしまった感じですね。

あれだけ大きかったメインビルも、もはや1階部分と2階のごく一部の壁のみとなりました。跡が瓦礫を撤去しつつ、残りの壁を解体するのでしょう。

ということで、ほとんど解体されてしまいましたので、写真的にはこれ以上は難しいかなとは思っています。
ただ、交差点から見える写研の看板が撤去されるまでは、ちょくちょく確認はしたいと思います。


仕事帰り、少し寄ってみました。もう下から見える部分はほぼ解体されてしまいました。

左上の写真は、メインビルが解体されて、通りを挟んだ奥に厚生棟が見える状態です。
右上は、メインビルの防音壁。防音壁自体も、ビルの解体が進んで撤去されて、高さが低くなりました。

解体されていない厚生棟

今や、手つかずなのは、メインビル手前の守衛所と、この厚生棟のみとなりました。

厚生棟は、1階の駐車場が、解体業者の駐車場となっています。建物自体は全く手がつけられていません。

ところで、この厚生棟も、すでに持ち主は写研ではなくなっています。とある方より情報をいただき、登記簿を確認させていただきました。同じ和光市内の、ここからそう遠くない場所にある、とある企業が保有しているようです。昨年11月に売却されたそうです。
その企業がこの場所をどうするかは不明です。少なくとも、現時点では手つかずの状態ではあります。

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/18)

シリーズ写研埼玉工場解体。だんだん建物が見える範囲が少なくなってきました。

写研埼玉工場(20/9/18)

このシリーズも、後1ヶ月撮れるかどうか、といったところですかね。
ちなみに看板が曲がって見えますが、カメラが傾いただけです…。

第2工場は、メインビルより小さいからか、あるいは建物自体が古いからか、解体ペースはかなり早いですね。すでに、壁面を残すのみとなっていて、5階部分は完全になくなり、4階部分も後少し、といったところです。

もうメインビルは3階部分も解体が進んで、もはや目隠し越しに見るのは困難ですね。


さて、夜も来てみました。

メインビルは3階部分もほぼ解体済みのように見えます。
そして第2工場も、ほぼ壁面のみが残る状態、4階部分の壁面がかろうじて一部ある状態です。
M4/3では高感度が苦しいので、D3400で撮影していますが、それでもISO25600では、結構画質は苦しいですね。
三脚撮影したいところですが、さすがにそこまでは…ねぇ。

【写研埼玉工場とメディア研究所跡】解体動向(20/9/15)

今回、タイトルに少し変化がありますが、先日買った「写真植字機技術史 技術者たちの挑戦」(三省堂書店)のp43に書かれている、写研メディア研究所が(埼玉県)和光市新倉に1986年建設、とあり、これが一体どの辺りなのか、Twitterで聞いてみたところ、メールを頂きまして、正確な場所がわかりました。いやはや、皆様の情報に感謝感謝です!

Googleストリートビューでは、2019年9月時点では、株式会社写研「新倉分室」として建物があることが確認されました。
ただ、頂いた情報では、解体されたとのことでしたので、この1年で解体されたのでしょう。解体された現状はどうなっているのか知りたくて、行ってみました。
周辺はアップダウンの激しい地形で、住宅地のど真ん中にありました。

旧写研メディア研究所(新倉分室)跡地

なるほど、きれいに解体されて、跡形もなくなっていました。
住宅地にあるため、恐らくここもそのうち分譲されて、家かアパートが建つことでしょう。

メディア研究所では、大学との委託研究など進めていたようで、自由なテーマで1年間に1つ論文を書くという制度もあったようです。
ストリートビューでは2015年の写真も出てきますが、もうその時点では使われている形跡はありませんでした。
ここが何時まで使わてていたかはわかりませんが、恐らく今世紀に入ってからは、写研の業績が悪化してきているため、使われなくなったのではないかと想像します。
研究開発ができなくなれば、当然それは最先端の写植機にも技術反映できなくなります。
1980年代はバブル期で、写研の売上も良かった時期でしょうから、こうした研究所が独立して作られたのでしょう。写研以外にも、バブル期に建てられて、今使われていない建物、結構あるのではないかな?


第2工場の解体も進み、中央部は通り側の壁面まで解体が進んでいます。メインビルと比較して、1965年(昭和40年)建造の建物は、やはり古さを感じさせますね。

メインビルも、すでに上層階は解体済みで、いよいよ平地からの写真撮影は難しくなってきました。建物の横から、足場を外された非常階段部分が見えています。もう2週間もしたら、ほとんど解体が終わってしまうのではないかな?

定期撮影できる期間も、あと僅かかもしれませんね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/11)

全開から3日後でスパンは短いですが、解体が進んでいますので、細かく追っていこうと思います。
というのもありますが、秋が近づいてきて、台風などで雨がちな日も多くなってきたので、撮れるときに撮る、というスタンスです。

写研埼玉工場(20/9/11)

第2工場も、建物中央部からどんどん解体されていますね。

第2工場の部分は、後に増築したと思われる部分がありますね。そこだけが他より新しいですね。
消火栓の赤い扉が開いていて、中のホースは先に撤去されたようです。

さて先日、「技術者たちの挑戦 写真植樹機技術史」を購入しました。元写研のOBが書かれたものです。

これによれば、当時手動写植機のSPICA亮月製作所さんのHPにリンクします)の生産で手狭になった工場を、1963年(昭和38年)に埼玉県和光市に移転したとあります。奥の第2工場は1965年(昭和40年)に建造されていますが、本に掲載されている1963年時点の写真では、第1工場のみですね。そして周辺建物が全然ない…。
そして、解体中の様子を見ると、切なくなってしまいますね…。

なお、文中には、戦前の写研(当時は写真植字機研究所)の初代写植機用の光学レンズの製作は、日本光学(現ニコン)や小西六(現コニカミノルタ)に依頼したが実現せず、旭光学(現ペンタックス=RICOH)に依頼して、取引は1980年代まで継続したとあり、カメラ好きとしては、こういったエピソードも面白いですね(詳しくは本を買ってくださいね)

メインビルは両サイドの建物躯体解体が進み、いよいよ壁だけになってきた感じです。今度は壁を中央部から少しずつ解体していく感じです。

ネット越しで見づらくてすみません。比較してみましたが、大きくは変わりませんね。よく見ると、夜のほうが解体は進んでいるのがわかりますが。

第2工場の防音壁

もう18時台もかなり暗くなってきました。正直なところ、この時間の撮影はもう限界ですかね。ISO25600とかになってしまいます。ザラザラですね。M4/3の限界といったところか。
かと言って、例えD3400でも、一眼レフだとちょっとかさばるんですよね。いや一度持っていきますか。

RAW現像で暗部を持ち上げてみた

もう工事が終わっている時間、かなり暗いです。RAWで撮って、現像時に暗部を持ち上げてみましたが、ISO3200でもGX7MK2だと結構厳しいですね。
元第1工場のあった場所に、物悲しげに解体くずが積まれていました。


写研関連のHPや文献、色々見ていますが、やはり感じるのは、1980年代までの栄光の歴史、そしてDTP時代に一気に進んだ90年代以降の状況、2000年代一気に写植機が売れなくなり、社員がどんどん去ってしまったこと、今の日本をなにか象徴させるような感じでなりません…。
写研は一体どうなるのでしょうか…。

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/8)

少し暑さが緩み、台風が来るようになって、雨がちな天気も増えてきましたが、晴れ間とタイミングを見つけて、仕事前と帰りに撮影している、写研の埼玉工場解体の様子。

第二工場も解体が進む

第二工場も随分解体が進みました。

※これまで、第二工場と書いたり、第2ビルと書いたりしていましたが、調べると第二ビルと表記しているサイトが多いことから、今後は第二工場に表記統一します。

第二工場は1965年(昭和40年)に操業開始だけあり、半世紀以上経過した建物ですから、窓の形状など古さを感じさせます。
写真を見ると、工場の機械らしきものが一部残されていました。
地下もあるようでしたが、地下部分はどう解体するのかが気になります。

かつて写植機で莫大な利益を得た写研ですが、90年代以降のDTPの普及に伴う業績悪化で、2007年7月時点の埼玉工場の社員数は30人とのこと、しかも工場は1965年(昭和40年)に操業開始だけあり、半世紀以上経過した建物ですから、窓の形状など古さを感じさせます。写真を見ると、工場の機械らしきものが一部残されていました。地下もあるようでしたが、地下部分はどう解体するのかが気になります。かつて写植機で莫大な利益を得た写研ですが、90年代以降のDTPの普及に伴う業績悪化で、2007年7月時点の埼玉工場の社員数は30人とのこと。
しかも写植機の販売数減少で、2002年からは本業と関係のない内職の仕事もしていて、2007年にはその内職の仕事すらなくなり、社員は自宅待機を命ぜられるなど、21世紀入ってからは、写植機の生産はほとんどなくなっていたことが伺えます。
工場としては、もう20年近く殆ど動いていなかったのでしょうね。
その一方、その時点でも内部留保は400億円以上あり、如何に全盛期に稼いで、それを蓄えていたことか。こうした内部留保は、社員の給与や、そして今回の建物解体にも充てられているのでしょう。

メインビル

メインビルを横から。棚が隅っこに寄せられたまま、解体待ちです。手前に見切れる建物も、大分解体が進みました。

ここからは、仕事帰りの夕方撮影

仕事帰りです。メインビルは解体が進み、5階部分はほぼ解体されています。
第二工場もフロアがだいぶ削られています。朝見た工作機械も消えていましたので、建物ごと解体されたのでしょうね。
ところで、マイナビの記事に、1970年当時の第二工場の写真が掲載されています。今と違ってクリーム色ではなかったようですね。


Instagramに解体中の写真と動画を発見

ここからは、人様の写真をリンクします。

埼玉県和光市市議で行政書士の安保氏Instagramに、高い場所から撮影したと思われる、解体中の写研埼玉工場の写真と動画が掲載されています。8月に撮影したものです。
私が撮れないアングルからなので、ちょっと羨ましい(*^^*)

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【写研工場解体工事】 毎日楽しませていただいている解体工事の今日の様子です。 一部、粉塵が気になるとの声があると聞きましたので改めてよく観察してみました。 粉塵が上がりそうな所では重機から、また、人がホースで、大量の水を撒いています。 また、敷地外に面する部分では足場の外側にプレートを貼り外に粉塵や破片などが飛び出さないようにされています。 事前に丁寧な説明会もあり、また、工事計画も周辺住居にポスティングされるなど、安全には配慮されています。 #和光市 #写研 #ヤオコー #誇れるまち和光へ

あんぽ友博(@tom_ampo)がシェアした投稿 –

安保氏のコメントにもあるように、ホースで水をまきながら解体しているため、周辺住宅や交通への粉塵の影響は特に感じません。
騒音も問題なく、防音壁の遮音性の高さがわかります。

写研川越工場はストリートビューで確認可能

写研には、埼玉工場(埼玉県和光市)以外にも、かつては川越工場が存在しました。川越工場も埼玉ですけどね。あとに建てられたからでしょうか?
※後述する本が届いたので、それを確認したところ、川越工場は1982年に出来たそうです。

その川越工場は、2018年には解体されて、現在は住友商事の物流倉庫「SOSiLA川越」となっていますが、ストリートビューに川越工場の画像が残されています。

最も古い2012年のデータの時点で、すでに工場は稼働していおらず、草や植樹は伸び放題、柵は錆び、休憩所?と思われる場所の障子は破れて、長いこと使われていないのが伺えました。
何せ、2007年時点で、川越工場の従業員はわずか10名だったそうで、その人数だと建物の管理とか、ちょっとした保守部品の生産程度しかできなかったと思われます。最盛期は400人超えだったそうですが。

解体前の2017年の時点では、草が刈り取られ、植樹も消えていること、内部にトラックが入っている様子が伺えることから、この時点で解体は決まっていたのでしょう。先のSOSiLA川越のリンク先の記事にも、

今回の「SOSiLA川越」の開発はその商社としての総合力を物語っている。「この土地は写研さんの遊休地だったのですが、鶴ヶ島の土地とこの芳野台の土地の両方を1社で引き受けてくれるのなら、売却しますということでした。

https://www.lnews.jp/2019/02/l0201301.html

との記述がありますので、使っていないので、買ってくれるなら一括で買ってほしい、といった感じだったようですね。
ところで、鶴ヶ島にも土地があったのですね。色々調べると、ネットの情報だけではわからないことも多いです。「ネットに真実はない」なんて言う人もありますが、実際には真実もあれば間違いも多い、というのがネットです。この私の書いていることも、確信が持てないことだってありますしね。
ということで、ちょっとお高いですが、どうにも写植機の歴史に興味が湧いてきたので、こんな本を手配しました。

2016年の出版なので、まだそれほど古くない。写研や川越工場のことも記載されているようです。ゆっくり読んで、記事に反映できる情報があれば、記載していきたいと思います。

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/2)

シリーズでお送りしている?写研埼玉工場解体。

写研埼玉工場(20/9/2)

さて上の写真でお気付きでしょうが、ついに第二工場の解体も始まったようです。

手前には鉄筋が山積みされています。第二工場の解体方法は、メインビルと同様に、中央部分から崩していっているようです。
短いですが、動画も撮ってみました。

三脚がないと、動画は厳しいな…。

メインビルを横から

メインビルも随分解体が進みました。中央部分から崩しているので、建物の両サイドはまだ残っています。
棚や、写植機関連のかもしれない筐体も、まだ残っていますね。

建物中央は、解体が進んで壁が低くなっています。解体したら、その部分の防音壁も撤去しているので、中央が凹んでいる感じです。作業員の方が、防音壁の撤去作業を進めているようでした。高所恐怖症だと出来ない仕事ですね。


さて、仕事帰り、夕方も来てみました。もう18時過ぎともなると、だいぶ暗くなってくる季節ですね。写真的にも厳しい季節となってきました。特にこの撮影では、M4/3のGX7MK2を使っていますが、高感度はやっぱりセンササイズなりで厳しいものがあります。

朝と比較して、中央部分の解体が進んで、通りを挟んだ向こうのマンションが見えるようになってきました。

メインビル横は変化なし

メインビルの横は、しばらくこのままなのでしょう。朝と変化はない感じです。

第二工場は、朝と比べて開口部は広がっていませんが、内部の解体は進んだようです。柱は残しつつ、床と壁を先に解体しているようですね。

メインビルを通り側から

メインビルの中央部分の解体が進んで、防音壁とネットが撤去されています。入り口の守衛所は最後に解体するのでしょうね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/28)

写研埼玉工場 (20/8/28)

写研埼玉工場、いよいよメインビルも半分以上が解体され、通り側の壁面解体まで近づいてきた感じです。
第二工場はまだ解体に着手されていないようです。

メインビルの通り側は、防音壁に囲まれていて、見た目は変化なし。ただ、元第一工場のあった場所には、解体で出た鉄筋などの金属ゴミが積まれていました。散水していますね。

第二工場クローズアップ

見るからに古めかしい外観の第二工場。メインビルは割と近代的だったので、こちらはいかにも昭和30年代感が漂います。

解体用重機のアームが、ニューっと天高く伸びています。その先の爪が、アームの長さからすると小さめに見えますが、こいつがコンクリートを砕き、鉄筋を切り刻んでいるのですね。

残された棚や機材

金属製の棚は、そのまま一緒に解体され、金属くずになるようです。写真左下に、コピー機のような筐体があり、拡大してみると「SHA-KEN」のロゴが入っていて、写植機関連の筐体なのでしょうか?

出社前の朝の撮影だと、ちょうどこの時間帯、逆光になってしまって見づらいですね。
ということで、仕事帰りにまた寄ってみることに。

夕方、だいぶ暗くなってきました。写真だと露出を上げているのであまり暗く感じませんが、周辺はだいぶ暗いですね。もちろん解体作業も終了しています。

ネット越しですが、ついに解体は、通り側外壁の窓が見えるまでに至りました。建物両サイドは残してコの字に解体しているのは、途中で建物が倒壊しないようにしているのでしょうね。

ネットの張られていない場所からは、建物上面しか見えませんが、窓ガラスが見えているので、その向こうは防音壁です。
ここが解体されれば、いよいよ解体も佳境です。
2枚目は月を入れて、実際の周辺の明るさに雰囲気に合わせてみました。結構暗いですが、これからどんどん暗くなるのが早くなり、仕事帰りの撮影は、難しくなりそうです。

9月中には解体が一通り完了しそうなメインビル。防音壁が張られていますが、これが撤去されたときには、もうメインビルはなく、第二工場の解体が始まっているでしょう。
そして1年後には、スーパーマーケットに生まれ変わるようです。
ほんとうに、何でもそうですが、無くなるときはあっという間ですね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/20)

写研埼玉工場のメインビル解体もかなり進んでいるので、撮影できるタイミングがあれば、できるだけ撮影するようにしています。

今回は、いつも撮っている場所ではなく、ネットの貼られていない箇所で見える範囲での撮影です。

大きなアームの重機が、水をかけながら鉄筋コンクリートをカット中です。

ホコリが立たないようホースで散水しながら解体しています。外壁を撤去しつつ、上から少しずつ解体している感じですね。

こんな感じで解体するのか~と興味はつきませんね。できればカメラを置きっぱなしで、タイムラプスで撮ってみたいですね。

まだ第2工場ついては解体が始まっていませんが、メインビルが一段落したら、第2工場も解体されるでしょうね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/17)

夏休み期間中は訪れることができなかった写研ですが、休み明けの初日、少しですが時間を見つけて朝と夕方見てきました。

写真の時系列多々少前後します。

奥に見える白い壁の第2工場は、まだ解体は始まっていない様子でしたが、遠からず始まりそうな雰囲気です。横から見ると、かなり解体が進んでいるのがわかります。

今週の作業予定

今週も、躯体解体(メインビルでしょう)、内装解体とあり、第2ビルの方はまだ内装解体を行っているのかな? どちらのビルのことを指しているかはわかりません。

朝は逆光になってしまうため、夕方仕事が終わってからの撮影。いつもながら、ネット越しの撮影ゆえ、見づらくてすみません。

メインビル中央部分も、エレベーターホールに達する部分まで解体が進んでいます。
こういう構造、解体中でしか見られないので、興味深いですね。最後の写真で一番下のエレベーターホール、なぜかエレベーターの扉が手前に開く扉になっているんですよね。よく見ると、その上の階も、手前は引き戸でした。エレベーター2基かと思ったら、手前は階段の扉かも知れないですね。


解体工期は来年2月までのようですが、このペースで行くと、9月にはメインビルは全て解体されてしまいそうですね。第2工場解体はその後でしょうか?

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/3)

毎週お送りしている、写研埼玉工場の解体動向です。

写研埼玉工場(20/8/3)

先週、ついにメインビルの解体が始まりましたが、今回はその進行状況を確かめることになります。第二工場は、大きな変化はないようです。

メインビルは解体が進み、外壁だけでなく建物本体の解体にも着手されています。
ネット越しの撮影で不明瞭なのはご容赦を。
私はてっきり、この手のビルは鉄筋なのかと思っていましたが、柱は鉄心の入ったコンクリート柱なのですね。
水をかけてホコリの飛散を防ぎつつ、重機の爪が少しずつコンクリと鉄心を削っている感じですね。あんな上まで重機の爪が届くのですね。

少しずつ解体している感じで、夏休みまでにすべての解体とまでは行かないかな?
よく見ると、エアコンなど大型の機械や棚みたいなものは、そのまま建物に残して解体されているみたいですね。

今回、工程表の撮影を忘れてしまいましたが、しばらくは躯体解体が続くでしょう。
※写真撮ってきて追加しました。躯体解体継続ですね。

工程表追加しました

ところで、ここが解体された後、何ができるのか?

開発行為等計画標識

商業施設とあり、どうやら最近埼玉で店舗を増やしている「ヤオコー」が入るようですね。
たしかにこの周辺はスーパーマーケットないしね。
工期は来年9月末までとなっているため、来年の秋には写研跡地はヤオコーに姿を変えるようです。