【埼玉】2007年以来18年ぶりに白岩集落を訪問してみた その2

前回の続きです。

上白岩地区に向けて、登山道を上がっていきます。

途中、電柱がありましたが、電力線は張られておらず、撤去されてリール上に巻かれていました。
鉱山施設が廃止されたためでしょうね。この上の集落も無人になって久しく、もはや電線は必要ないのでしょう。

重複しますが、2007年3月の写真では、当然電力線は使用されていました。

2007年3月当時はまだ電柱の電力線は使用されていた

やはり18年の差は大きいですね。

登山道も上白岩集落手前は割と勾配が大きくなり、足元も滑りやすいので気をつけてくださいね。

上白岩に到着です。

上白岩集落へ

やはり18年の時の経過は大きいですね。2007年当時よりも、当然ながらあらゆるものの崩壊が進んでいます。

上の家屋にはお子さんもいたのでしょうね。ラジコンは80年代と思われるハイラックス、アンテナの形状もあの時代のものですね。落ちていた靴も子供サイズでした。
引っ越した際に、かなりのものを残留させたまま出ていったのがわかります。車が入れないこの場所だと、あらゆるものは人力で運んでいたのでしょうから、荷物の搬出は難しかったのでしょうね。
でも、どうやって搬入したのだろう。やはり人力なのかな?

転がっているガス瞬間湯沸かし器。今20代以下の人は見たことがないのでは? 現在では給湯器で各蛇口に温水供給できますが、昔はこうした後付のガス瞬間湯沸かし器が台所に据え付けられて、ここがお風呂以外唯一お湯が出せました。自分の子供の頃はこういうのが使われていましたね。直ぐ温かいお湯が出るのは良かったですけど、点火が怖かったなぁ…。
型式はパロマのPH-5QBとあり、調べると製造は昭和57~59年(1982~84年)とありました。残留物は70~80年代製造のものが多いですね。

さて18年前の2007年3月の写真です。

2007年3月はやはり残留物は多く、子供の遊具が残っていたり、給湯器はまだちゃんと台所に据え付けられていました。後半の写真の建物は現在倒壊、または解体されたものです。
あの当時、来ていてよかったと思います。こうして写真として残せたのだから。
上の写真はいずれもフィルムで撮影しスキャンしたものです。

そしてCOOLPIX 5400での撮影はこちら。

やっぱりこの時代のデジカメは、色がフィルムと比較するとちょっと変。あえて補正せず掲載します。
車雑誌と無線機があったこの建物は、2025年倒壊してしまっています。

では2025年に戻り、奥に進みます。

2007年当時は雨戸で閉ざされていたお宅です。しかし18年の時の経過は残酷で、雨戸は崩壊して内部が見える状態になっていました。お風呂が離れになっているのは時代を感じさせます。冷蔵庫も2台ありますが、これを運ぶのは大変だったのではと思いますね。
残留物はやはり80年代を感じさせるもので、置かれていた雑誌のTVガイドをめくってみると、1982年の年末、1983年年始の情報が掲載されていました。あの時代のTVガイド誌はこんなに分厚かったのですね。インターネットが影も形もなかった時代ですからね。
広告もmagnaxのビデオテープ(VHSとベータ)で、magnaxはコニカでおなじみ小西六と米アンペックスの合弁会社小西六アンペックスのブランドでした。後にアンペックスが民生用磁気テープ事業から撤退したために合弁事業も解消され、コニカが単独でテープメディアを販売するに至ります。

2007年3月はと言うと…

2007年3月時点では落書きもなく、雨戸でしっかり閉ざされていた

この当時は雨戸でしっかり閉ざされていて、ここを引き払うときに入口もしっかり封鎖したのでしょうね。
しかし時の経過は残酷ですね。

ではお向かいに移動します。

続く…

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