「Nikon Z 8」タグアーカイブ

横須賀地方隊 オータムフェスタ2024を見に行ってきた その1

夜明け前に横須賀に到着して艦艇の写真を撮って、朝食後に入場待ちの列に並びました。
この時点でかなりの人数が並んでいたものの、この日は強風のため、予定されていた特別機動船・水中処分艇体験搭乗は中止となってしまいました。

強風のため特別機動船と処分艇の体験搭乗は中止

今回は32歳以下という制約もあるので、並んでいた大半のオジサン(私含む)は対象外でしたが、若い方は残念でしたね。

ということで、ゆっくり艦艇見学をします。風が強いですね~。


お目当ては砕氷艦「しらせ」(AGB-5003)で、これは乗ったことがなかったので、まず最初に見学しました。
文部科学省予算で建造、運用は海上自衛隊が行っていますが、民間の研究者も乗せての南極観測を行う艦艇故に、通常の自衛艦とは異なり、エレベーターが設置されていたり、階段も急角度ではない一般的なものになっています。内部は民間商船に近い感じですね。

海洋観測機材を水中に降ろすためのウインチがあったり、コンテナ船のようにコンテナを縦方向に積み上げられるコンテナセルガイドなど、独特の装備が多いですね。

民間人も乗るので、若い潜水隊員の方に「長期間ネットも使えない中でのお仕事大変では?」と聞いたところ、その隊員さんは全く苦にならないようで、今や隊員確保のため自衛艦に衛星通信ネット回線のSTARLINKを載せる試みもあるようですが、その方はネットはなければないで構わないそうです。みんながみんな同じ意識ではないようですね。
南極観測を含む航海は概ね1回半年程度だそうですが、一般市民からするとなかなかつらいものがありますね。でも、一度はそういう仕事はしてみたいものです。

ヘリ甲板、1万年前の南極の氷がありました。
MCH-101クラスの大型ヘリ2機を乗せるので甲板も格納庫も広いですね。

南極で観測機材やコンテナなどの積み下ろしを行うため、大型のクレーンを何基も装備しているのも特徴。

艦内も本当に広い(護衛艦比で)。通路や階段も広めになっています。

応急警報盤には「武器部警報」の表記も。砕氷艦は戦闘艦ではないので艦自体の固定武装はありませんが、対テロや警備上の目的で小銃は保管されているそうなので、そうした弾薬庫の警報もあるということのようです。

次に向かいに停泊中の護衛艦「たかなみ」(DD-110)へ。

もう艦齢21年を迎えるベテラン艦ですが、この「たかなみ」型より2世代前の「あさぎり」型が未だ全艦現役(2027年までに初期の艦は退役する予定)なだけに、まだあと十数年は運用されることになるでしょう。
既にソナーシステムを最新の「あさひ」型護衛艦と同様のマルチスタティック化するための予算が計上されていますが、レーダーも「もがみ」型のASEAに改装する話もあるようです。

この日ヘリは搭載されていませんでした。
54口径127mm速射砲の扉が開いていて、内部が見える状態に。無人砲塔なので、中はかなり狭そうですね。手動で砲塔を回転させることが出来るハンドルがありましたが、さすがに電動なんでしょうね。内部の銘板に2013年の表記あり。製造はもっと昔のはずなので、オーバーホールとか改修がされた表記かな?
搭載の90式艦対艦誘導弾(B) は実弾のようです。2006年製で製造は三菱重工ですが、発射筒は銘板に富士重工(現スバル)と書かれていました。分業なんですね。

このあと少し早めにお昼をとって、午後再入場。

続く…

横須賀地方隊 オータムフェスタ2024を見る前に…

ご無沙汰しております。忙しくてブログ更新なかなか出来ていませんが…。
日曜日、横須賀地方隊 オータムフェスタ2024に行ってきました。夜明け前に到着。少し仮眠したあと、三脚を担いで夜明けの写真をまず撮影。

この日の天気、予報では曇っているけど午前中に晴れる、とのことでしたが、風は1日強い。気温も下がるということで、上着も持っていきましたが、正解でした。風が強くて寒いのなんの。滑走路もそうですが、海沿い撮影も風があるので防寒着が必要な季節になってきましたね。

左は護衛艦「いずも」(DDH-183)、右奥に見えるのが砕氷艦「しらせ」(AGB-5003)ですね。オータムフェア2024の見学対象艦となっています。
せっかく三脚を持ち込んでの撮影だったけど、何せ風が台風か思うくらいに強く、こんな大きな艦艇もけっこう動揺しているようですね。感度下げると被写体ブレしちゃいまして。なかなか難しですね。
「いずも」は年度内に空母化改修の第2段、艦首形状を矩形化し必要な装備を追加したり、艦内の改修も行う大規模改修が入るため、この形では見納めとなります。改修は概ね3年近くかかるようです。

小雨もぱらついたり不安定な天気でした。
対岸、米海軍の方は、アーレイ・バーク級ミサイル駆逐艦「ラファエル・ペラルタ」(DDG-115)が整備中。2017年就役のフライトIIA、イージスシステムのベールライン9と新しい艦艇ですが、けっこうサビが目立ちますね。このあと塗装するのでしょうけど。

遠方にもアーレイ・バーク級のフライトIとタイコンデロガ級イージス巡洋艦の姿も。艦名は見えませんが、タイコンデロガ級はこの2,3年内に全艦退役予定で、世界初のイージスシステムを搭載した画期的な防空艦も、まもなく見納めとなりますね。
写真のタイコンデロガ級は、AN/SPS-49対空レーダーも残されているため、AMODを行っていない非改修型のようですね。

特徴的外観のなヴァリアント級港湾タグボートのメノミニー」(YT-807)も停泊中。なおこの日海上自衛隊の潜水艦はこちらのバースには停泊していませんでした。

この撮影している間にも、もう並んでいる人たちが! ご苦労さまです。自分はこのあと一旦戻って朝食をとってから並びましたが。

さてオータムフェアの写真は編集中。しばしお待ちを。

夜明け時間に撮るのも楽しい

先日木更津の夜明け時間に撮った写真。

遠方に見える工場、釣り人を乗せて沖へ向かう漁船、朝焼け、迫る雨雲(笑
このあと雨でしたが、木更津航空祭の展示飛行中は小雨でなんとか持ちこたえました。

あまり感度を上げたくなくて、レンズの手ブレ補正(NIKKOR Z 24-200mm f/4-6.3 VR)に頼ってシャッタースピードを落としたけど、ぴしっとブレなく撮れているのはさすがです。手ブレ補正がないフィルムで感度も自由に変えられない時代は、こうした撮影は三脚必至でしたからね。
デジタルと手ブレ補正は、確実に写真の表現の幅を広げた技術だと思います。もちろん、フィルムで撮るのも楽しいのですけどね。技術と楽しさは別腹よ(笑

新装ニコンミュージアムで動画もちょこっと撮ってきました

ニコンミュージアム、お昼くらいに少しお客さんが少なくなったタイミングを見計らって、手持ち撮影をNikon Z 8とスマホ(ASUS Zenfone 11 Ultra)で行ってきました。

やっぱりカメラ単体の手持ち撮影は厳しいなぁ…。かといってジンバル買ってまで撮るほど気合が入っているわけではないので。
こういった撮影はアクションカメラのほうが向いていると思うけど、ジンバル内蔵のZenfone 11 Ultraでも撮ってみればよかったかな? 最後のNikon F3 + MD-4 +AI Nikkor 400mm f/2.8Sの連写シーンのみ、Zenfoneで撮影しています。

是非足を運んでみてください。写真や動画では分からない、あ、こんなのもある、とか色々気付きがありますよ。古い商品の当時のカタログなんかも以前より大きな画面で見られます。
いずれ企画展もあるでしょうから、機会を見てまた行きたいと思います。

新社屋で新たに開館したニコンミュージアムに行ってきた

旧品川本社に2015年からオープンしていたニコンミュージアムですが、本社を古くからニコン縁の地である西大井に移転、そこに新たにニコンミュージアムが併設されることになりました。
2024年10月12日(土)、ついにオープンしましたので、行ってきました。

2024年に完成したNikon本社の新社屋

入口では開館記念としててニコンミュージアムメダルを進呈されました。こういう記念品はいかにもNikonらしい(あえて画像は載せません)。

インダストリーゾーン

まず入場するとインダストリーゾーンが。その名の通り、業務用製品が中心の展示です。製造業や研究職でないとあまり馴染みのないものが多いかもしれません。

パッと見るとなにかわからないけど、よく見るとものすごいものが展示されています。Ultra Micro Nikkorとかがサラッと展示されていることに驚き。ごく一部の界隈に反響があったから? 実体顕微鏡も以前はなかった展示ですね。
また現行品としてデジマイクロ(マイクロメーター)も触れる状態で展示。マイクロメーターはミツトヨのイメージが強いのですが、Nikonも作っているんですね。

コンシューマコーナー

いわゆる民生品、とは言えほぼプロが使う商品も展示されていたり、民生品をベースとした特殊製品もサラッと展示されています。多くの人には馴染みのあるNikonといえば、カメラやレンズを主体としたこのコーナーですね。
タッチアンドトライコーナーでは、恐ろしいことにF3 + MD-4 +AI Nikkor 400mm f/2.8S やF2 + MD-1 + AI Nikkor 1200mm f/11Sなんかが触れて連写できる状態で設置されているではありませんが! ミュージアムに展示されている製品で、こんな無防備にトライできる状態で設置されているなんて! クレイジーですね!(褒め言葉)

かと思えば、タッチアンドトライコーナーのF6が不調となり急遽F5の50周年モデルに切り替わっていました。50周年記念モデル、普通にあるんかいw
まあ新装初日なので、頑張ったんだと思います。1950年代のNikon SPなんてのが誰でも触れる状態なんて、ありえないですよホント。
だいたい、Nikon F2のウエムラスペシャルとか、何の説明もなく展示されていたりするんですよ。ここは詳細な説明がほしいですね。そのうち展示されることを願います。

正確には左側はインダストリアルではなく引き伸ばしレンズのEL-NIKKORや大判用のレンズ、右には工業用レンズのRayfactが。工場の検査用センサなどに使われているレンズです。

これらは説明が必要と思いますが、今回の展示にはなし。いずれどう使うものかは補足展示してくれると良いですね。

そして創業当時の三菱財閥つながりが分かる展示、この辺りは良いですね。
将来は海上自衛隊潜水艦に搭載されている13m潜望鏡が展示されると面白そうなのですが。

レンズの展示は、従来と同様むき出しのままですが、横一列の展示となったことで、より圧巻さが増しましたね。
そうそう、タッチアンドトライコーナーの望遠レンズは、このレンズ展示から貸し出されているんですね。ちょうどAI Nikkor 400mm f/2.8Sが抜けていましたが、当に今さ割れる状態になっていたんですね。なお、展示のレンズはお触り禁止です。
でも、こうしてガラス越しではない展示が多いのは、直接見てほしいという意思と見学者のマナーが良いからでしょうね。ガラス越し展示にせざるを得ない、とならないことを切に願います。

ミュージアムショップ

先に券売機でチケットを買って、カウンターで商品引渡しのスタイルは以前と同様。ガチャガチャもありました。アンブレラマーカーのるつぼのアクリルイラストが当たりました(笑)

もちろんニコンようかんも購入。

ニコンようかんなどいくつかのグッズを購入。結構期間限定物も多いので、行くたびに新しい発見があったりします。今後に期待です。

新社屋もとても広くて綺麗でした。
こういう環境で仕事ができるのはちょっぴり羨ましい。

ミュージアムは従来の品川より広いので、今後企画展などの展示でも大いに活躍できるでしょう。今はまだ説明不足の展示も多いですが、いずれ充実してくると思いますので、頃合いを見計らってまた行きたいと思います。
なお、閉館日は「月曜日、日曜日、祝日および当館の定める日」となっているので、事前にご確認されることをお勧めします。

当日お会いした皆様に感謝申し上げます。お久しぶりでございました。
またお会いしましょう。

久しぶりに一眼レフD850で連写撮影した雑感

先日の木更津航空祭ですか、カメラ3台体制でした。

去年は以下の2台体制でした。

  • Nikon Z 9 + NIKKOR Z 180-600mm f/5.6-6.3 VR
  • Nikon Z 8 + NIKKOR Z 24-200mm f/4-6.3 VR

実のところ、上の組み合わせで全く問題なく撮影出来たのですが、今年はそれにプラスしてNikon D850 + AF-S NIKKOR 600mm f/4G ED VR + TC-14EIIIも追加しました。

Nikon D850 + AF-S NIKKOR 600mm f/4G ED この後1.4xテレコンバーターのTC-14EIIIを装着

本来なら、AF-S 600mmはZ 9と組合せて使いたいところですが、Z 24-200mmとZ 180-600mmも使いたい、レンズ交換すると撮影タイミングを逃しかねないし、雨天ということもあり、なるたけレンズ交換はしたくない。
そうなると、AF-S 600mmはFマウントレンズですから、D850で撮影すれば良い、となりました。そしてZ 180-600mmがあるので、AF-S 600mmは1.4xテレコンバーターのTC-14EIIIで撮影すれば、850mm相当になります。

ということで、この3台での撮影となりました。D850をフィールドに持ち出すのは久しぶりです。
普段はZ 9もZ 8も、連写速度ば秒10コマとしています。最大秒20コマで撮影できますが、航空機撮影には秒10コマで十分なので。一方D850はマルチパワーバッテリーパック MB-D18とバッテリをEN-EL18シリーズ取付の場合にのみ、秒9コマに対応します。
最近はエントリー機でも秒10コマ以上連写可能な機種も少なくないですが、秒あたりの連写コマ数だけが連写能力を決めるものではないのを、今回再認識した次第です。

Z 9/ Z 8とD850バッファサイズと書き出し速度の差はかなり大きい

Nikon Z 9やZ 8(Nikonの方が言うにはZ 9のほうがバッファサイズは大きいとのこと)は、14bit 高効率圧縮RAWで秒10コマ連写している限り、バッファが切れて連写速度低下する事はありません。シャッターを押している限り、ほぼ無尽蔵に撮影可能です。
ファインダ上は [r20] (20コマ分以上のバッファがある)の表示ですが、実際に連写していても、[r18~15]付近のままなので、バッファが埋まる前にカードに書き込みされています。

Z 8の場合は、14bit ロスレス圧縮RAW(CFe)で秒10コマ連写の場合、CFexpressカードとSDカード(SD UHS-II)で同時記録した場合は、おおよそ50コマ(5秒間連写しっぱなし)でバッファが詰まりますが、CFexpress単体だけに記録した場合は、バッファは詰まりません。これはCFexpressへの書き込み速度が速いので、バッファのデータを即座にカードに記録できるからで、SD UHS-IIカードの300MB/sでは限界があるということです。
そういう点では、CFexpressダブルスロットのZ 9では、2枚のカードに同時書き込みしても、バッファが詰まらず撮影可能です。ここはさすがプロ機です。バックアップを取りながらの撮影でも速度低下の心配がないのです。

一方、D850はCFexpressカードにファームウェアアップデートで対応したものの、内部記録速度はXQDカードの440MB/s程度しかありません。SD UHS-IIカード(300MB/s)にも対応していますが、実はCFeとSDカードの速度差はZ 8程はないということになります。
D850には高効率圧縮RAWはなく、(非可逆)圧縮RAWの12bitであれば、データ量を 14bit ロスレス圧縮RAWの7割弱まで減らせるため、これがRAWで最も連写出来る設定になります。
この設定で、SDカードは使わずCFexpressカードで連写した場合は、38コマ(秒9コマ連写なのでおおよそ4秒強)撮ったところでバッファが詰まり、さらにバッファの完全開放に14秒かかりました。
SDカードに同時記録すると更に連写コマ数は減ります。

木更津航空祭では、D850は14bit ロスレス圧縮RAW(CFe)+JPG FINE★(SD-UHS-II)で撮影していたので、さらにはやくバッファが詰まってしまいました。バッファのサイズもそうですが、カードへの書き込み速度が連続連写コマ数にかなり影響を及ぼしていることが分かりました

D850は2017年発売当時の4500万画素のカメラとしてはかなりの連写が出来、それまでのD810やD800よりも大幅にバッファが増えたことで、連写コマ数もかなり改善されました。実際、秒9コマで数秒も連続で連写することは稀なので、戦闘機撮影でもかなり活躍しました。
が、Z 9やZ 8の感覚で撮影することに慣れてしまった今、改めてバッファとカードの書き込み速度をD850では意識する事になってしまいましたね。
もちろん、アホみたいにシャッターを押し続けなければよいだけの話ですが、航空祭のようにここぞというときは、やはりZ 9やZ 8をメインとしたいのは言うまでもないですね。

ちなみにAFについては、航空機撮影は被写体認識よりも食いつきが重要なので、D850で全く問題はないということを記載して、この話を閉じたいと思います。


今でも一眼レフとしてはベストなカメラだと思いますD850。Bluetooth+WiFiを搭載し始めた時代のカメラなので、今でもスマホ連携は遜色ないし、むしろZ 9 / Z 8より繋がりやすかったり(^^)

木更津駐屯地 創立56周年記念行事「第50回 木更津航空祭」に行ってきた (その2)

続きです。この観覧場所だと、アナウンスが殆ど聞こえないので、状況はあまり良くわからないけど、とりあえず見てるという感じ。

何年後化はわかりませんが、攻撃ヘリと偵察ヘリは全てUAV(無人機)に置き換えるという方針になり、この2機種も遠からず見られなくなります。

ただ、代替のUAVって特に決まっていないんですよね。単に流行りものに乗っかった挙げ句、何も決まっていない…とならないようにしてほしいですね。

そして展示飛行も終了。やっぱりここのメインはCH-47JAチヌークなんだな。

でも久しぶりにUH-60Jの機動も見られたのが良かったかな。何せ、海空と比べると、陸自のUH-60Jは余り見る機会がないんですよね。

そして最後にV-22オスプレイが6機、ずらりと展示と体験飛行のため整列しました。ここから雨がひどくなってつい移動してしまいましたが、このあとにエレファントウォークさながらに機体が移動、撮り逃しちゃいましたね…。

上の1枚目、退役した保管機の連絡機LR-1とV-22オスプレイのコラボ!3枚ペラ同士で、わりと似ている機体同士だったり?

オスプレイ6機が並ぶ頃には雨が強くなって、早めに帰る観客も多かったかな。そのため、この後お昼を買いに行ったら、露天のお店は在庫を積み上げてちょっと可愛そうな状況でした。お昼の書入れどきに皆さん帰っちゃいましたからね…。

ササッと地上展示を見る

雨が強いので足早に。

何とオスプレイの格納庫が空いていました。中には入れないけど、撮影禁止ともなっていなかったです。

整備中のV-22オスプレイ

結構貴重なシーンですね。

そしてさらに貴重な航空自衛隊の給水車も。いすゞの全輪駆動トラックのTSDの自衛隊版で、懐かしのボンネットトラック。
今や現役車は数少ないそうで、貴重な1台。73式大型トラックの登場でこのタイプの導入は少なくなったものの、 HTS型として自衛隊向けには1993年まで製造していたそうで、この車両は1990年(平成2年)式でした。こう見えて昭和ではなく平成の車両なんですね。

悪路走破性に優れていることから、原型が1951年から生産されていたため、基本設計は70年以上前の車両ということになります。すごいな~

一旦格納庫で雨宿り

チヌークにちなんだマーキング

ゲスト機は荒天のため殆ど来なくて、米軍からは唯一海軍厚木基地のMH-60Sがハロウィン仕様で展示。この機体は揚陸指揮艦ブルーリッジ搭載機です。

ブルーリッジは長年横須賀港が母港なので、日本人に馴染みの深い艦艇。ハロウィンなのでお菓子をくれた隊員さんも日本語ペラペラw。

雨が強いのでUH-2もちょっと見ただけ。まあこの機体はいずれ陸自の主力機になるので。マンホールの蓋も何種類かあるそうですが、雨なので確認したのはこれだけ。

最後にオスプレイをちょこっと見て、帰投の撮影は諦めて自分が先に帰投しました。

オスプレイ洗機、富士重工業(現スバル)専用水栓なんてあるんですね。水道料金別枠かな(笑

午後は雨がひどくなってしまいましたが、飛行展示中は小雨だったのが幸い。雨だから行くのやめようかと思ったけど、来年もうオスプレイは移動のため見られない可能性もあり、来てよかったですね。

木更津駐屯地 創立56周年記念行事「第50回 木更津航空祭」に行ってきた (その1)

忙しくて更新できていませんでしたが、先日土曜日、木更津へ行ってきました。

天候は「雨」。この日の天気予報は早朝から雨が降り始め、お昼以降強くなる、とのことで、行くかどうかかなり迷いましたが、妻から「行かない後悔するなら行ってきたら」の有り難い一声で、しっかり雨天装備も持参し行ってきました。

午前5時半の木更津飛行場

早めに着いて偵察活動(笑)。午前6時頃から雨が降り始めましたが、腹をくくって駐車場へ移動。幸いにも、午前7時過ぎに一旦雨は止み、時々小雨が降る天気ながら、何とか持ちこたえた感じです。

そして予定時間に無事入場。お、新型汎用ヘリのUH-2も来ていますね。

残念ながら、荒天ということで外来機は米軍のMV-22オスプレイを始め、警察や消防、民間機などが飛来せず、やや寂しい展示となってしまいましたが、飛行展示も編隊の経過飛行以外は実施されたのが幸いでした。

オスプレイは飛ばないの?? 新しい格納庫が遠方に出来ていますね。いえいえ飛びますよ。遠方でスタンバイしていました。
陸上自衛隊のV-22オスプレイ17機は、木更津駐屯地への配備は2025年7月までの暫定配備で、その後は佐賀空港に移動する予定のため、この規模の陸自オスプレイを木更津で見られるのは今回が最後、と思っています。
が、ここには重整備を担当するスバルが拠点を構えていて、定期整備は米軍のオスプレイを含め木更津で行う予定となっていて、全く見られなくなるわけではないものの、木更津航空祭でこの規模で見られるのは今回が最後になるはずなんですよね。

そのオスプレイが動き始めました。そして、今後退役が決まっているOH-1「オメガ」に、去年はいなかったUH-60JAの姿も。
そういえば、2013年度の調達を最後に、陸上自衛隊ではUH-60JAは新規調達されておらず、そろそろ初期の期待は30年近くになり、今後の動向が注目されます。
まさか新型とは言えUH-2で補うのは、ちょっとパワー不足な感じはしますが。

今回はあまりオスプレイ飛ばないなぁ。それでも、荒天で飛行展示中止とならなかったのは良かった。雨は時々小雨が降る程度、一応カメラは濡れないよう防水カバー、対策は万全で挑みました。

やっぱりここの主役はCH-47JAなんですね~。今年は去年はなかったヘリボーンによる車両や普通科(歩兵)の展開の展示も。オスプレイもその速度を活かした展開が本来の使い方ですからね。

撮影場所、ミスったかなと思ったけど、ここはここで良かったかな。天気はどんよりでしたが、幸いこの時点では時々小雨が降る程度、来てよかった。そして去年割と航空祭や駐屯地祭で荒天だったこともあり、それなりに装備をしっかりしていたのも良かったです。望遠レンズのレインカバーはめったに使わないけど、ここでは役に立ったし、カメラバッグもレインカバーがあるので助かりました。
割とゴミ袋を被せたり、なにも対策していない人も多かったのですが、防滴対応のカメラレンズでも、長時間ではトラブル発生の確率が上がるので、対策をするに越したことはないですね。

続く…


大切な望遠レンズを壊さないように。防塵防滴仕様でも過信は禁物ですよ。

鎌北湖の佇む2つの廃ホテル

鎌北を訪れた本来の目的。

森に飲まれた廃ホテル「山水荘」。このロケーションが個人的にお気に入りです。
ですがまずは「鎌北湖レイクビューホステル」に向かいます。

鎌北湖レイクビューホステル

廃ホテル2つというタイトルですが、こちらはホテルではなくホステルです。かつては「鎌北湖ユースホステル」だったようですが、2006年にユースホステルとしては閉業し、その後公共の宿泊施設(自治体と民間が運営する第三セクター)となり現在の名前になったようで、2010年代前半までは営業していたようです。
トリップアドバイザーの最新の記事でが2015年でした。
以降は営業している様子はなく、通電はされていて電気はついているという書き込みはありました。
2022年には、既にオーナーが宿泊を断っているというブログもありました。
また2023年には改装している?スタッフ募集しているとの情報も見つけました。「

結局やっているのかやっていないのか、はっきりしないですね。

しかし2024年9月、実際に来てみると…


自販機は撤去され、冷蔵庫が外に出されていました。立ち入り禁止のテープも張られています。営業中の看板が出ているのは御愛嬌。

かなり汚れが目立つ建物

建物もかなり汚れが目立ちます。どうやら、中のものをある程度出した様子です。「2019年現在、予約が入ったときは営業している」という廃墟検索地図の情報ですが、2024年時点ではどう見ても営業できる状態には見えません。
建物の管理はされているのでしょうけど、公式サイトもつながらない状態で、事実上の閉業状態と言ってよいでしょう。

奥に行ってみました。どうやらしたの1枚目左側の部分が大浴場ですね。


タンクが併設されていて、かつては秩父の大滝温泉 神の湯から温泉水をわざわざ輸送し、このタンクに入れて風呂に供給していたようです。以前は温泉を運んでいたタンクローリーが廃車同然に置かれていたようですが、撮影時点では存在しませんでした。

かつてはハイキング客でにぎわっていて、いのぶた料理も提供されていたようですが、今はわざわざこの山奥に宿泊しようという時代でもないのかもしれません。
建物の老朽化もあり、改築してまでの営業は難しいのかもしれませんね。その建物自体は、昔ながらのデザインながら、なかなか味のあるデザインです。
食べログに現役当時の料理屋客室の写真があります。これを見る限り、悪くない感じですね。

ホステルの奥は雄大な森。森林保全には企業も出資しているようです。ここは林道が各所にあり、ハイキング客もちらほら。あまり時間がないので、森の散策はせず戻ります。

続いて…山水荘へ。

警告看板には、所有者の名前(後述のI氏)、住所(毛呂山町ではないが埼玉県内某所)、電話番号があり、「(不法進入による)全責任は毛呂山町の悪政にあります。」とただならぬ雰囲気。
どうも現在の所有者は、毛呂山町に対して怒っている様子です。良い子(おっさんですが)なので、ここから眺めるにとどめました。
ちなみに円形状の本館建物のあった場所が、悪政…と書かれた看板の左奥です。
2007年に撮影された、まだ円形の本館やその隣の建物が現存していた頃の写真を上げたXの投稿を見つけました。レイクビューホステルも現役の貴重な写真ですね。

2007年6月に中央の建物は取り壊しされ、2011年10月には左の円形の建物は不審火により焼失しました。

それにしても草木が鬱蒼としていますね。リスクを冒してまで中を見たいとも思わないので、ここで退散します。

周辺はモミジが多く、これからの秋の紅葉時期はなかなかよさそうです。
春にはダム堤防に桜の木もあるので、そこもよさそうですね。

ここからは座学?

「山水荘」は何時頃できたのか?

国土地理院の航空写真を見てみると、1961年(昭和36年)までは、この場所は森になっていましたが、1962年(昭和37年)9月時点で、まず独特な円形状(扇型?)の建物が完成しているのが見えます。これが本館です。

1962年9月、本館らしき円形状の建物ができている

1964年(昭和39年)5月には、不鮮明ながら中央部分の建物が出来ているように見えます。また鎌北湖レイクビューホステルの前身である「鎌北湖ユースホステル」の建物らしきものも見えるので、この2つの建物は似たような時期に建造されたようですね。

1964年5月、中央の建物もできているように見える

1969年には、現在も残る別館の建物がするので、60年代に全ての建物が完成しているようです。

1969年には現存する別館らしき建物も確認できる

写真を撮り忘れていましたが、鎌北湖の駐車場の脇に「いのぶた」の商標にまつわる石碑があり、これを商標として登録したのが、当時の山水荘のご主人の小山朝雄氏だったそうです。
この「登録商標 No.1186297」を見てみると、1970年(昭和45年)に出願し、1976年2月に登録されています。ずいぶん時間がかかるものです。

その後10年ごとに更新していたようですが、2005年には更新されず、2006年2月をもって権利満了により消滅しています。
ちなみに商標権を持っていたのは「鎌北観光興業株式会社」で、すでに廃業または倒産した企業とはなっていますが、その登記場所の住所が「埼玉県入間郡毛呂山町大字大谷木1266番地」となっていて、これを調べると、なんと前回紹介した「福寿亭」の場所となっています。

つまり、福寿亭も山水荘の同一のオーナーだった可能性があります。

1997年頃に山水荘は経営難から閉業したとの情報があります。かつては元毛呂山町長の小山捷児氏が所有していたそうです。
ここで、1970年代の山水荘のご主人と、元毛呂山町長が同じ「小山」の姓であることに気づきます。
小山朝雄氏と小山捷児氏は、もしかしたら兄弟?あるいは親戚同士だった可能性がありますね。

その後所有者が変わり、2007年には中央の建物は取り壊しになったようです。
しかし、その後再開することはなく、2011年10月には円形状の本館建物が不審火により火災喪失しています。
現状では廃墟化した別館が残るのみです。

こんな情報を見つけました。何年か前に鎌北湖開発の話が持ち上がっていたようです。
それに関連し、現在の所有者は毛呂山町の町長が山水荘を買い取るという話を持ち掛けたが実現しておらず、これに怒り心頭のようです。断片的な情報ながら毛呂山町議員のブログに書かれていました。

なるほど、あの看板にあった「毛呂山町の悪政」とはこのことなんでしょうね。
実際にどういったやり取りがあったのか、さらに調べてみるとこんな記事を見つけました。長文で詳細に書かれています。

記事には、2004年にS社が小山捷児氏(1991~95年の元毛呂山町長)が保有していた山水荘物件を購入したことや、
「経費の軽減になると考え建物の一部を壊し」とあり、時系列的に2007年に中央部分の建物を解体したことと合致します
その後、S社の創業者で株主でもあったI氏が個人的に山水荘を購入しています。
しかし所有するだけでも維持管理費や固定資産税がかかる中、2016年に鎌北湖の観光開発の会合があり、その中で町長やその関係者、土地の所有者I氏との間で山水荘買取の話が出ていたようですね。
その会合後に開発や買取の話が進展はなく、I氏は約束を齟齬にされて怒り心頭のようです。

山水荘は画廊にしたいという話もあったようで、建物はそのままリフォーム(年代的にアスベストを使っていて解体建て直しとなると相当な費用が発生する)、という話もあったようですが、物件の買取か賃貸かでも齟齬があったようです

もちろんこの記事の内容が100%正しいかはわかりませんし、読んでいくと話がつながらない部分もあり、やや一方的な感じはありますが、何となくこの山水荘にまつわるイザコザが分かったような気がします。I氏からすれば、ここまでの経緯がまさに「毛呂山町の悪政」なんでしょうね。

なかなか泥臭い話ですが、そういった事情もあり、現在も手つかずのままなのも致し方ない感じなのでしょうね。口約束、怖いですね。

あと、元毛呂山町長の小山捷児氏が2004年まで所有していたことも分かりましたが、元町長がいつごろから所有していたのかは不明で、2018年に80歳で亡くなっているようです。町長任期中に病気で失明し、1期で退任したようですが、その後も様々な活動をされていたようですね。
心霊スポット云々は興味がないので…

ネットで調べた限りはここまでが限界ですね。

最後に面白い発見。毛呂山町の2010年の広報誌の末尾に、1960年(昭和35年)4月ころの山水荘の写真が掲載されています
https://www.town.moroyama.saitama.jp/material/files/group/3/42212.pdf
現在はここは廃業している「おたか 湖畔荘」があり、山水荘は1960年ごろまではダム堤防外側で営業し、その2年後の1962年頃に現在の場所に移転したと考えられます。
誰が経営者だったのか、いつ頃元町長の所有となったのかはわかりませんが、廃業後の経歴はなかなかでした。
ここに限らず、こうした廃墟の背景にはいくつものドラマがあるのだなと痛感させられた次第です。

鎌北湖の周辺を散策した

ふと思い立って、埼玉県入間郡毛呂山町にある鎌北湖に行ってきました。初めての場所です。

目的はこれ。廃ホテル「山水荘」ですが、まずは湖畔を散策することに。
鎌北湖は、1935年(昭和10年)に完成した人口の農業用貯水池で、なかなか歴史のあるダムのようです。
数年前には、耐震化工事のため「池の水全部抜く」を実施したそうで、検索してみると、この写真からは想像もつかないくらいかなり深い貯水池のようです。
こちらのブログに、水を抜いた状態の写真があります。これを見ると、せき止め部分が台形型のフィルダムの形状のようですね。

洪水吐は独特の形状で、ゴミが流れ出にくい形状なんですかね? 流れ出た水はトンネルに吸い込まれていきます。

一見ダムに見えないのですが、柵のない道路部分はダムの頭頂で、湖の対岸はご覧のように緑に埋め尽くされていますが、均一に傾斜しているので、人口物と分かります。
鎌北湖レイクビューホステルの看板があちこちにありましたが、こちらは後で訪問するとして、もう少し湖周辺を散策します。

取水施設はおしゃれな建物ですね。

ボート乗り場にはスワン型と通常のボートが固定されていて、町のHPの写真では、ずらりとボートが並んでいますが、現在はボート故障のため営業中止しているようです。


ボートも長い事使われた形跡がないですね。毛呂山町観光協会が運営していたようですが、故障を直す予算はないのでしょうか?
鎌北湖の案内看板も文字が見えなくなっています。
以前はもう少し観光客がいたようなのに、どうしてこんなに荒廃した雰囲気になってしまったのかな?

ボート乗り場の対岸、鎌北湖の入り口付近にあったる「おたか 湖畔荘」は閉店していました。
プロパンガスも外されていて、ストリートビューを見ても、一番古い2011年の時点でプロパンガスは取付けられておらず、もっと昔に廃業したようです。
調べてみると「おたか」自体は同じ毛呂山町の別の場所で営業しているようです。ここがいつまで営業していたかの情報は、調べてもわからなかったです。

湖畔を少し歩きます。湖の管理棟らしき場所に人は不在でしたが、カレンダーは現在のものが内部にかけられていました。

福寿亭というお店は閉まっていましたが、車が置いてあるのはどうやらこの辺りがヘラブナの釣りスポットのようで、恐らくその釣り人の車でしょう。

福寿亭は閉業したようです

ここはかつては入漁券を販売していたようで、ある2010年の釣りブログに、ここで入漁券が買えるという旨書かれていましたので、その辺りまでは営業していたと思われます。
ただストリートビューで一番古い2011年の時点でも営業している様子はありません。

こちら側からも「山水荘」が見えますね。この湖、対岸がすぐ見えるのであまり深そうに見えないけど、実際はかなり深いのは水を抜いた際の写真を見るとよく分かります。

ダム堤防まで戻ります。わき道があり、ここからダム堤防下まで降りることができ、さらに先はそのまま林道につながっています。

ダム堤防脇に下まで降りられる階段があった

降りてみました。
この人工の川は、どうやら洪水吐のトンネルに吸い込まれた水がここから出ているようです。


そしてここから荒川水系の大谷木川の始まりとなるようでした。

大谷木川起点

降りた先に大谷木川に沿った林道があります。そのまま麓も街まで行けるようです。

時間があれば散策してみたいところですが、今日の目的ではないので戻ります。

ということで、ここからはやっと本題というか、本来の目的地を散策しますが、それは次回に。