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北海道苫小牧市の廃…ではなかった市営アパート 2000年11月撮影

過去写真の再編集アーカイブです。

時は2000年11月、この時代、ネット界隈では廃墟撮影がちょっとしたブームになりつつありました。元々廃墟写真は好きでしたが、自分でも撮影してみたい、と思い、まずは身近なところから、ということで、当時一時期だけ住んでいた、苫小牧市内にある、廃市営アパートを撮影しに行きました。
これが、Yamaroの廃墟撮影第一号…になるはずでした。実際には完全な廃墟ではなく、まだ住んでいる方がいて、結果的には不法侵入になってしまいました。今は時効ということで、お許し願えれば。

昨今、高度経済成長期に建てられたアパートやマンションの老朽化問題が深刻になっていますが、人口が急増し、昭和30年代から40年代にかけて多く建てられた市営アパートも、20世紀末、一部は老朽化が始まっていた時代です。

この当時、すでに苫小牧市内には、老朽化した市営アパートが多くあり、この撮影地以外にもいくつか存在していました。
今では、それらのほとんどは建て替えられています。

このとき撮影した市営アパートは、1階がかつて商店が入っていたと思われますが、固く閉ざされていました。

そしてこの撮影から数日後、夜通った際には、2階に2世帯、3階に1世帯の明かりが確認でき、現役であることが確認できましたが、3階の廊下は照明もなく、3階の住人は夜は怖いかもなぁと思った次第。

この撮影の半年後の2001年には、入り口と窓はベニア板で塞がれ、住人が完全に撤退して本当の廃墟になったことを確認しました。
また、その頃はすでに自分も苫小牧市を離れていました。(お隣の千歳市に引っ越し)

それでは、2000年撮影の写真を御覧ください。
当時は、Nikon F90XsにAI AF Nikkor 35mm f/2D、フィルムはFujifilmのNEOPAN PRESTO100で撮影。これをフィルムスキャナで取り込んでいます。

公開当時は長編方向800ピクセルの解像度でしたが、時代に合わせて1920ピクセルで再編集しています。

鉄格子の廊下の窓枠は、昭和30年代建造のアパートでよく見られるものですが、見た目には冷たく閉ざされた印象を与えます。

入り口のドアガラスは割れ、ペンキは剥がれ、鉄の扉も郵便受けも激しく錆びていて、とても現役には見えませんでしたが、廊下の明かりが点灯しているので、現役とわかりました。
そして撮影中、

カツッ、カツッ、

と足音が聞こえ、新聞配達らしき人と遭遇。お互いビビったと思います(笑

上の最後の鉄格子のわきから外を眺めた写真、当時の愛車だったホンダドマーニが写っています。そしてこの写真がヒントとなり、現在の様子がわかりました。ドマーニの後ろに、白い2枚シャッターのガレージが写っていますが、これがヒントとなりました。

2012年のストリートビューで健在のガレージ

ストリートビューで、撮影当時と同じガレージを発見。ストリートビュー自体の撮影日が古いので、現在も存在するかは不明です。

なお、アパートは取り壊され、現在は別の施設が建造されています。ストリートビューで見ても、2000年当時の建物自体が少なく、わずか十数年で、景観は変わるのだなと感慨深くなりました。

「入居停止住宅」とあるように、すでに住んでいない部屋に新たに住人が入ることはなく、このアパートは用途廃止がすでに決まっていたのでしょう。郵便受けも大半はガムテープで塞がれていました。

現在も、このような老朽化したアパートは多く存在しますが、古くても現役の物件も多いので、そのような建物への侵入は辞めましょう。

秩父山奥の廃山荘「鹿の湯山荘」2010年1月撮影

過去写真のアーカイブとなります。

2010年1月、埼玉県秩父市の熊倉山にある廃山荘「鹿の湯山荘」を撮影しました。

細く荒れた山道を登って途中で車を止め、少し歩くと見えてくるのがこの旅館。
アクセスも良くなく、駐車場もなく、日当たりの悪い立地ですが、現役当時は奥にスキー場もあったそうで、いわゆる山奥の鄙びた宿として、現役当時はそこそこ人気だったようです。
一部建物の崩壊が激しく、この撮影当時でも、倒壊も時間の問題と思われました。

平成初頭、つまり90年代までは営業していたようで、色々調べると、山奥の山荘らしく、猪鍋や山菜料理がでる、おばあちゃん3人が仕切っていた、という宿のようでした。

この撮影後、やはり倒壊してしまった(崩壊が激しく意図的に倒壊させた)との情報もあり、Googleマップの衛星写真を確認したところ、建物のあった場所は確認できましたが、すでに建物はなく、撤去されているように見えます。また、撮影当時残っていた山荘の看板も撤去されているようです

HP公開当時は、場所と山荘名は非公開としましたが、すでに建物は現存しないと思われることから、公開することとしました。

当時の写真を再現像するとともに、画像の解像度もアップしました。また、非公開だったモノクロフィルム撮影の写真も同時公開します。