「NIKKOR Z 24-200mm f/4-6.3 VR」タグアーカイブ

入園料無料だからってわけではないけど上野動物園へ行ってきた

ええ、行こうと思った日がたまたま入園料無料だったってだけなんですが。

サイって大きいね

あえて混んでいるであろうGWに行くこともないのですが、夏は暑くていられないし、この時期が案外ちょうどよい気温だったりもします。

すんなり入園するなら池之端門から

今回は、混むであろう上野駅からの正面入り口を避けて、池之端門から入場しました。

東京メトロ千代田線の根津駅から、徒歩で6,7分で行けます。今回は無料だったこともあり、門は開放状態で、特に並ばず入ることが出来ました。もちろん園内は混雑していますが、入場で並ばなくてよいのはストレスフリーですね。

池之端門からだと、小獣館や爬虫類館など不忍池側からの見学となりますが、ザ・動物園を最初から楽しむなら、やはり正面から入ったほうが良いですかね。でもたまには池之端門から入って楽しむのも良いですね。

混んでいましたが、最近はカメラ片手に動物を撮る人も多い。ただ、一部、ずーっと同じ場所を占拠するカメラマンもいました。子どもたちのために空けてあげましょうよ。
もしくは混んでいない平日に、って思いますけどね。

前回来た時はまだ稼働していたモノレール、老朽化により2019年11月から運休しています。既に3年半運休していますが、車両更新するにも設備等含めてお金がかかるため、現時点で動きもないことから、モノレールが再開することは難しそうですね。営業距離がたったの300mという日本で最も短いモノレールでしたが、確かに300mだと…並ぶ時間を含めて、トータルで歩くほうが早いという…。エスカレーターみたいなものの設置も、客の数の多さを考えると難しいかな?

結局1度も乗ったことがなかったですね。

1日歩いてクタクタですが、たまには電車で出かけるのも良いかな。

埼玉の大崎公園に行ってきた

東京都に住んで11年、都内の公園は電車移動前提が多く、特に動物のいる公園ってどこも車で行きづらい。電車やバス移動が当たり前な、根っからの東京人なら気にならないのでしょうけど、ずっと地方育ち、車移動当たり前な人間にはどうもね…。
ってことで、遊びに行くのはいつも埼玉になってしまいます。
今回は、調べて駐車場もあって動物もいる、埼玉の大崎公園に行ってみました。

じゃぶじゃぶ池もあるし、夏とかに遊びに行くのも良さそうですね。

こどもどうぶつえん

規模は小さいながら、動物園があります。残念ながら、鳥インフルエンザ流行のため、鳥のエリアは入れませんでした。

この手の動物園にカピバラがいるのは珍しいですね。

公園でZ 40mm f/2やDC-Nikkor 135mmで撮る

便利なZ 24-200mmに代えて、Z 40mm f/2やDC-Nikkor 135mm f/2Dでスナップしました。

この2本のレンズ、Z 40mmは新しいレンズですが、画質に拘ったS-Lineと違い、良い意味で少し肩の力を抜いたレンズです。
NikonのZマウントでも、S-Lineシリーズは解像力とボケ味共に、画面の隅々まで高レベルを保っていますが、非S-Lineなこのレンズは、少しコマ収差が残っていたりします。が、なんでも高解像度で撮れる必要はなく、かと言って解像力がないレンズではなく、昔のエントリークラスの単焦点レンズよりも遥かに解像力は高いです。でも、如何にも高解像力のレンズですよ、と言う撮れ方ではないのが、逆に良かったりもします。

一方、フィルム時代の設計のAI AF DC-Nikkor 135mm f/2Dは、今回Z 9にマウントアダプタFTZ IIを使用しているため、レンズにAFモータを持たない本レンズはAFが使えず、マニュアルフォーカスとなります。でも、Z 9のEVFはピントの山が見やすいので、案外苦労せずフォーカシング出来ます。
CPUレンズであれば、フォーカスエイドによりフォーカスが合うと、AF枠は赤から緑色に変化するので、とてもわかり易いです。そしてフォーカスエイドも、一眼レフよりピント精度が高かったりします。
相手が動きものでなければ、MFで何ら問題ないです。軸上色収差が多い、ガウスタイプのやや古典的な光学系ですが、それが良かったりします。
欲を言えば、マウントアダプタFTZでボディAFモータを搭載してくれたら…と思うのですが、あまりNikonはやる気が無いようです。

ということで、大崎公園、程よい広さ(広すぎず狭すぎず)で、また行こうかなと思った次第。

横浜ベイブリッジのスカイウォークを歩いてみた

息子が足を捻挫しているので、車で行ったパシフィコ横浜のCP+でしたが、横浜って車で行くところじゃないですね。とにかく駐車場代は高いですし、そのくせ東京と違って他への移動が割と遠かったり。

ということでCP+の見学は、息子には面白いものではないので、早めに切り上げて昼食をとり、車で行けそうな面白い場所はないかなと探してたどり着いたのがここです。

横浜ベイブリッジ

横浜ベイブリッジ、名前は聞いたことがあるし、もちろん何度か車で通ったこともあるけど、レインボーブリッジみたいに、ああここがそうなのかー、という認識があまりなく、長渕剛のBAY BRIDGEという楽曲で出てきたな~というのしか知らなくって。
調べると、ここは橋を歩いて無料で見学できるスカイウォークというのがあるようです。

しかも駐車場も無料。ということで行ってみました。
スカイタワーはちょっと古い施設。横浜ベイブリッジが出来たのが1989年(平成元年)、当に平成と共に歩んできた橋ですね。30年以上経過しているので、そろそろ設備が古くなっているのは致し方ないですね。

エレベーター、高所恐怖症には辛い?

スカイタワーのエレベーターを上っていくと…

おお、なかなかの景色です。
夕方逆光なので見づらいですが、天候と時間帯によっては富士山も見えます。横浜市街地がよく見えますね。
橋の下は、自動車の輸出岸壁があり、たくさんの車が停まっていました。
またこの周辺は火力発電所や金属くず処理工場などもあるようですね。

スカイラウンジ

スカイウォークは吹きさらしですが、奥にあるスカイラウンジは窓があり、冬でも快適に見学できます。各所に設置されたNikonの双眼望遠鏡も無料でした。

横浜市が運営しているだけあり、無料で楽しめるのは良いですね。展示も、ディスプレイは最近更新されたのか、映像も綺麗でした。
ただ、ここにたどり着くまでの階段の一部、車いす用の昇降リフトが設置されているものの、老朽化のためか運用停止中。捻挫中の息子はベビーカーで連れていましたが、階段のみ歩いてもらいました。一応車いす用の移動リフトは別途準備してあるようでしたが、もし車いすやベビーカーで行く場合は、事前に確認したほうが良さそうです。

夕暮れ一歩手前までいましたが、もう少し日が傾いた頃に行くと、景色も良さそうですね。この日は18時までの営業、最終入場は営業終了時刻の30分前までです。
大型船の入港時や夕暮など、狙っていくともっと楽しめそうですね。

5年ぶりにCP+に行ってきた

カメラと写真映像のワールドプレミアショー、CP+が4年ぶりのリアル開催、ということで自分としては2018年開催以来5年ぶり(2019年は行かなかった)に行ってきました。

前回は家族撮影できるイベントが予約できたので、家族全員参加でしたが、今回は息子と2人です。

成長しましたね。
ただ、今回は息子氏が足を捻挫(骨折?)して、まだ足が痛いので、ベビーカーで移動、なのでタッチアンドトライのコーナーは試せず、さっと眺める程度でした。

色々感じたこと

以下、本当にさらっと眺めた久しぶりのCP+の雑感です。

まず入場口、会場のパシフィコ横浜、コロナ対策なのか知りませんが、入場口の規制を行っていました。

CP+2023は入場口を限定していた

ただ、これ、意味があったのかな?と思いました。
カメラアクセサリーアウトレット専用入場口から最初入りましたが、思ったより客入りが少ないなという印象で、わざわざ入り口を区切る必要性はなかったのかなと思いました。もちろん結果論であって、もっと客が来るなら意味はあったかもしれませんが。
とにかく、入口が少ないのは不便でした。

また、入場には印刷したQRコード付き入場章をぶら下げる必要があり、これは子供であっても必要です。その他のこうした展示では、子供が入場可能な場合は、入場章が不要の場合が多いのですが、ちょっと面倒に感じました。登録のために複数のメアドを使わなければならず、現地に行けば印刷して渡してもらえるようでしたが、このあたりの説明が不十分に感じました。
個人名が表示されてしまうのも、企業やプロならともかく、プライバシーの観点から必要性がないのではと感じました。
2018年に行ったときのような、家族て楽しめるイベントもなかったのも残念でした。このあたりはもう少しコロナ禍が落ち着けば復活するのかなと期待しています。

入場客数も、パッと見で明らかに以前より少なく、今ひとつ盛り上がりに欠けていた気もします。これはカメラ業界の衰退そのものを表しているようにも感じました。
スチルカメラはもはや行き着くところまで行き着いてしまい、ミラーレス化とAI被写体認識がトレンドかもしれませんが、これって写真を撮ることの本質そのものではないですからね。
確かに動態の被写体を撮影することへのハードルは下がったけど、カメラやレンズの単価は上昇し、どんどん高嶺の華になってきている気がします。

スチルよりも、動画系、とりわけ配信やムービー系の展示のほうが、個人的には見ていて楽しかったかな。シネレンズなんかは、究極のMFレンズだけあり、操作性重視、ゴツいのに緻密で、道具感の塊です。合理的で極度に自動化されたカメラは、少しワクワク感に欠けるのですよね。

また、メーカー系の展示、やはり勢いがあるのはCanonとSONY、そしてFUJIFILMでしょうか。特にSONYは、かつてのNikonの勢いをそのまま引き継いで、望遠レンズ系もずいぶん力が入っていたように感じました。
そのNikonは、ボディの新作もなく、特にZ 9以外に動態に強いボディの発表はまだなく、恐らく3月くらいに発表されるという噂のZ 8?やZ 6IIIの情報もまだなく、ちょっとインパクトには欠ける印象でした。

アクセサリ系も、やはり以前と比べて出店数が少なく、特に中国を筆頭とするアジア系企業の出展も少なかったですね。コロナ禍だからかでしょうか。

PanasonicのLUMIXも、おねーさんがいらっしゃいました。MFTとフルサイズ機の間で、どうラインアップを展開するのか、やや中途半端感があったのは否めないですね。
個人的にタムロンのねぶたと組み合わせた展示が目を引きました。

ベビーカーに乗せた息子を連れていたのもあって、あまりしっかりとは見れませんでしたが、以前と比較して、展示には全体的に寂しさを感じ、客入りの少なさと相まって、来年リアル開催されたとして行くかは微妙なところかな…と感じたのも確かです。

結局アウトレットで用品を買って、全体をサラッと見て終了でした。カメラやレンズは、お店やショールームでも試せますし、イベントも見るだけならオンラインで楽しめます。
この手の展示会も、多くの企業の商品をリアルで触れられるメリットはあるものの、ドイツのフォトキナがなくなったように、そろそろ開催方法を考える時代に来ているかもしれません。

柿の木に憧れる

基本的に柿の木がない北海道で育ったせいか、関東に来てからというもの、あちこちに柿の気があるのを見て、ちょっと羨ましいと思っています。

「七賢」山梨銘醸の柿の木

1月に行った山梨。北杜市の日本酒の酒蔵の老舗、山梨銘醸にあった柿木が見事。人生5本の指に入る美しさです(残り4本は知らんけどw)。

天然干し柿状態?

実は誰も取らないのでしょう。葉っぱが落ちて実だけの状態。干し柿みたくなっています。

見事としか言いようがない

干し柿は、柿の実の皮を剥いて干して作るけど、当然柿の木の柿は皮は剥いていないから、自然にこうなっているんですね。食べられるのかな?
自宅に柿の木欲しいなと思ったけど、実がなるまで相当年数かかる(8年は最低限で実際はもっとかかることが多いみたいです)し、虫もつくだろうから。手入れも大変ですしね。
でも憧れますね。小さな柿の木を育ててみたいです。

大藪鉱泉と廃屋と

現状、大藪鉱泉で営業しているところはなくなってしまったようです。

【山梨】藪の湯 元湯 S旅館

【山梨】ホテル大藪

大藪鉱泉
売物件

そんな2つの物件の近くにあった廃屋。

まだそれほど古くはなっていないけど、よく見るとベランダのガラスが割れて、カーテンが出ていました。
この近くの宿のオーナーのものかは不明です。それでも確かに昔ここに人の生活があったという印ですね。

【山梨】ホテル大藪

2023年最初の廃墟撮影は、山梨県に行くことに決めました。
年明け早々、撮影地として選んだのがここでした。

身の上話になりますが、20年程前、当時山梨の会社に就職しており、実はここから車で30分程度の場所に住んでいました。
その当時、北海道から就職して、慣れない山梨県、知り合いも近くにはいなく、とにかく週末ともなると、友人のところに遊びに行く以外は、ひたすら通ったことのない道を車で走っていました。北海道にはあまりない山道のワインディングは、山梨県はそこかしこにあり、通勤路もそんな感じでした。

そんなあてのないドライブで、確かにこのホテルも一度見たことがあるのです。
当時は、まだ周辺は別荘地として整備されていなかったように思います。藪や岩の転がる斜面の向こうに、この建物が見えたのを覚えています。
ただ、その時の写真はありません。写真は撮っていませんでした。
学生の頃から写真は撮っていて、カメラは必ず持ち歩いていましたが、当時はまだフィルムカメラが主流。デジタルカメラもあったけど、まだ画質はフィルムに及ばない時代。今のように何でもとりあえず撮る、という時代ではなかったので、車で見て通り過ぎるだけだったように思います。
その時は天気も悪かったような…。
フィルムで三脚なしに写真を撮るコンディションではなかったように記憶しています。

あれから転職して栃木県に移住して結婚、家も建てたと思ったら転勤で東京へ来て現在に至っています。
山梨は東京都から遠くはないけど、どうもイメージ的に行きづらい感じでした。中央道しかまともな道がなく、混むと逃げ場がない、そんな印象を抱き、なかなか足が進みませんでした。
が、行ってみると案外遠くないのです。正月休み後半とあって、中央道もさほど混雑せず、予定よりも早く到着しました。

車を停めた山中で見つけた閉鎖中の温泉旅館はブログに掲載しましたが、そこからは徒歩で撮影地へ向かいます。
真正面は20年前と違って別荘地となっているので、正面から突っ切ることは困難。結局わき道からちょっとした崖を下ってアプローチ。

途中、別の温泉旅館もありました。こちらも後で調べたところ、3年ほど前までは営業していたようですが、現在は休館となっているようです。

このあたりは古くからの鉱泉があり、ここも質の良い鉱泉が楽しめたようです。道なき斜面を下って…

到着。小川を超えると、氷結した斜面が。上の小川とは別の方面から流れている水が凍ったようです。

円弧上にアーチを描いた建物は、現役時代は眼下に大武川が見える、見晴らしの良い風景を楽しめたのでしょうね。
ホテルは、国土地理院の1974~78年に撮影された航空写真には現存しており、60年代後半から70年代前半に建造されたと思われます。
最初に紹介した別の温泉(鉱泉)旅館も現存しています。

しかし、1982年(昭和57年)7月後半からから8月にかけての台風10号による土砂崩れで、ホテルに土砂が侵入、ホテルは再建を断念し閉業しました。
以来40年、この地に建ち続けています。
1970年代の航空写真にあるように、ホテルがあった頃は、大武川にかかる橋を渡ってまっすぐホテルに通じる道路があったようです。
橋は現在の写真では、新しいものが出来たため、古いほうはその名残が残っています。では入口よりお邪魔します。

この時点で既に、2階部分(傾斜地の建物のため、正面入口とフロントのあるフロアは2階となっている)には土砂が侵入しており、現在もそのまま残っています。


入口からはすぐ右手には、かつてフロントがあったようで、立派な金庫も残されていました。もちろん中身は空でしょうね。
またフロント横の部屋は、従業員やオーナーが待機していたと思われる部屋があり、法律関係の本や雑誌が残されていました。
また、食品会社の名刺が驚くほどきれいな状態で残っていて、調べると、今でも山梨県に存在する「テンヨのビミサン」でおなじみの会社の名刺でした。旧社名「武田食糧株式会社」だそうで。

フロントのあった場所の火災警報のパネルには、プレートはいくつか脱落しているものの、「旧館1階105-108」「新館3階」と書かれており、新館を後から増築したと思われます。外観は、1つの建物に見えたのですが、うまく増築したようです。

入口から向かって右側の廊下は土砂で埋まっており通行不能、ここは客室があったようです。客室内にも少し土砂は侵入していました。
一度外側に出てみると、かつて土砂が到達したであろう1階部分は、表側の土砂はその後長年にわたって流出したと思われますが、ホテル内に侵入した土砂は、そのまま残っている状況です。

土砂崩れが発生した斜面

ホテル入口の反対側の斜面。ここが土砂崩れで崩落し、ホテルに土砂が侵入したようです。現在も小川が流れていたりと湿地のようになっており、確かに大雨が降ると地盤が緩みそうな感じです。しかしこのホテルの廃墟が現存することで、下の別荘地を守っているとも言えます。

土砂どころか岩までもが今でも残っています。部屋番号は107、108が確認され、ここがどうやら旧館側にあたるようです。
当時のニュースを検索しましたが、ここで死傷者が出たという情報はありませんでした。台風の際には避難していたのかもしれませんね。

フロント正面から見て左側はホテルの厨房と宴会場が。こちら側は土砂の流入はなかったようです。
こちら側が、このホテルの新館になるのか? ちなみにフロントと同じフロアですが、ここは2階になります。傾斜面の建物らしく、この下にもフロアがあるのです。

新館?1階へ。こちらは全て客室のようです。
廃墟歴40年なだけに、劣化、崩壊が進んでいます。特に天井や畳がダメですね。1階はどうしても湿気が溜まりやすいので仕方ないかも。ただ、傾斜面であること、ホテル営業当時は大武川までが開けていたので、当時は1階でも眺望はそれなりに良かったと思われます。

一度フロントまで戻り、新館側(建物向かって左側)の3階に上がります。

散らばっていた醤油の小瓶は、フロント横の部屋にあった名刺の食品会社のものでした。どうやらこのホテルに卸していたようですね。
3階は状態が1階の客室よりは良いですね。廃墟歴40年、コウモリの糞が堆積しているけど、残留物は多いです。懐かしいダイヤルをガチャガチャ回すテレビ、そして観葉植物が枯れずに生い茂っているのにもびっくり。物置のように使っていた部屋もあったのかな?
ガラスも一部残っているのも驚きです。鉄線入りガラス、案外丈夫?

階段を挟んで右側の旧館。こちらも客室がメインですが、グレードが上がっていて、他の客室にはなかったトイレと洗面所がありました。
廊下に転がっていた錆付いた箱は、カミソリの自販機ですね。効果を入れて、横のダイヤルを回すタイプ。昔はよくありましたね。

大浴場は、旧館2階廊下を進んだ先の離れにありました。傾斜面に建てられただけあり、離れが大浴場というのが面白いですね。
60~70年代らしい円形の浴槽、現役当時は眺めも良かったのでしょうね。あまり落書きのなかった廃墟ですが、ここだけが落書きだらけなのが残念。
浴槽はこの1箇所だけっぽく、男女で入浴時間を分けていたのかもしれませんね。
それでは引き返します。

旧館の1階へ再び。フロント側とは反対からアプローチしてみました。やはりここは土砂が堆積していました。客室へも土砂が侵入。これにより客室の窓は吹き飛んだようです。凄まじい状況が、40年以上経過した今も残っているのです。

一度階段を戻り、3階から2階フロントから外へ。


山奥にこんな大きなホテル。70年代はマイカーブーム、そして日本人がだんだん豊かになっていく過程で、旅行もブームになってきた時代。
こんな山奥にも、多くの客が訪れていたのでしょうね。土砂崩れがなかったら、今も現役だったのか?  ただ、この近くの老舗温泉旅館も、現在では廃業し売りに出されている状態です。この辺りの鉱泉も、次第に忘れ去られるのかもしれませんね。

池でもあったのかな? 国土地理院の現役当時の航空写真は不鮮明で、何があったかまでは判別つかず。

新館側、3階建てと思いきや、地下1階?もありました。ここのも土砂は侵入したようですが、もしかしたら廃墟後かもしれません。宴会場、もしくは集会場的に使われていたのかな?
以上で撮影は終了。

ここは昔は人里から離れた場所だったこと、ふもとに別荘地ができたため接近しづらく、肝試しや荒しの侵入も近年は少なく、廃墟歴40年という熟成された物件のわりに、人為的な破壊が少なく、なかなか希少な物件だったと思います。
今となってはこの建物が斜面の土砂流出を防ぎ、この麓の別荘地を守っている、そもそも今このホテルへの道路は埋もれて立たれており、40年以上経過して木々も生え、アプローチは困難になりつつあります。わざわざこの時期に行ったのは、夏は藪が生い茂って(藪という名称がつくくらいですから)とても近づけそうもないからです。

こんなところにテレビの残骸

こんなところまでホテルのテレビの残骸が…。
小川を越えて帰路につきます。

それでは。

降下訓練始めの動画

先日の降下訓練始め、ちょこっと動画も撮っていましたので、簡単に編集してアップ。

まだまだヘタクソですね…。ほんと動画は難しいですね。
4K H.265 10bitで撮影、少しカラーグレーディングしました。基本、Z 9で動画を撮る際は、ピクチャーコントロールはナチュラルで撮って、コントラストなどはDavinci Resolveでカラーグレーディングしています。

Z 9の動画撮影時のAWB(オートホワイトバランス)、撮影中にジワーッと変わっていくのが少し気になりますね。本来ならホワイトバランスは固定したほうが良いのでしょうけど。

【山梨】藪の湯 元湯 S旅館

年始の初撮影に行ってきた山梨の写真を、ボチボチアップしていこうと思います。

今回は、メインの撮影地の近くにたまたまあった物件です。

実はここに来る前に、Googleストリートビューでたまたま見つけました。

ストリートビュー2014年の画像はこんな感じでした

ストリートビューでは、看板の名前はS旅館(写真ではあえて名前は消しませんが)となっています。
調べると、ここはかなり歴史の古い温泉(鉱泉)旅館だったようです。古くより胃腸の病気に効く温泉とされており、明治2年に、この旅館名ともなった鈴木治左右衛門氏が旅館を建造し、永らくS旅館として経営されていたようです。インターネットに引っかかるくらいまでは経営されていたようですが、2014年9月のストリートビューを見ると、旅館への道路には車止めが置かれており、この時点では営業を停止していたようです。
車でないと現代人はまず行かないような山梨の奥地にありますが、江戸時代や明治時代の車のない時代に出来た由緒ある温泉旅館だったので、大昔は胃腸に効くとされる名湯に、長い距離を歩いてでも行ったのでしょうね。

2014年当時は既に廃業していたのかもしれませんが、その後「藪の湯 元湯」までの名称はそのままに、「S旅館」から「Mの里」に名前を変えて、温泉として営業していたようです。

ここに来るまでにも、「Mの里」の看板がいくつか出ていました。しかし、2023年初頭、売物件と貼られていることから、現在は営業を行っていないようです。
予約はもうできないものの、今でも楽天トラベルには紹介ページは残っていました。
これを見ると、入湯には事前予約が必要だったようです。藪の湯は鉱泉で、元湯の温度は13℃程度とかなり低いようで、沸かさなければならないようです。
いろいろな訪問記を見る限り、「Mの里」時代も入湯者は多くなかったようで、予約なく訪問すると、ボイラーで沸かすのに時間がかかったようなので、常時ボイラーで沸かすほどの客足ではなかったことが伺えます。

山梨に3年住んだ身としては、この場所はその時住んでいたところから車で30分程度で行けてしまうので、実は当時もこのあたりを散策したことがあったと思いますが、ここの存在は当然知りませんでした。山梨は山奥の秘湯が非常に多いのですが、当時はあまり興味がなかったもので…。

「S旅館」当時の送迎バスが残されていました。21世紀初頭はまだ営業していたと思われるS旅館でしたが、営業中でもだいぶ前からこのマイクロバスは使われていなかったようです。
来る人の多くは自家用車だったと思われ、客が多かった頃は車を持っていない客のために、最寄り駅まで送迎を行っていたのでしょうね。
トヨタの初代コースターで、1969年から82年まで生産されていた車両です。
車検証は旧タイプ、12ヶ月点検シールは、61と書かれているのがわかりました。つまり昭和61年(1986年)まで有効ということで、廃車歴は37年程度でしょうか。昭和の終わりには既にこの送迎バスは使われなくなったようです。

旅館に近づいてみましたが、隣にはオーナーのご自宅と思われる建物があり、現役そうな車も見えたため、これ以上の立ち入りは行いませんでした。
売物件ということで、今でも鉱泉は健在と思われ、歴史の古い温泉(鉱泉)ということで、また復活の時が来るかもしれませんね。

令和5年 第1空挺団降下訓練始め

7年ぶりに参戦してきました。陸上自衛隊習志野演習場で行われた、年始めの降下訓練初めを見てきました。
あまりに久しぶりでしたが、今回ご一緒に参戦された仲間によい場所を確保していただきまして、7年前よりしっかりと見ることが出来ました。
感謝申し上げます。

写真は主要なものをダイジェストで。
後はボチボチ編集していきたいと思います。

今年は日米以外に、イギリスとオーストラリアも参加し、国際色を増してきました。自衛隊も米軍以外とも連携を重視していくということでしょう。

おまけ

74式戦車を洗車

みんな何撮ってるのかなと思ったら、このダジャレネタを撮りたかったんですね(笑