「LUMIX G VARIO 14-140mm/F3.5-5.6 ASPH.」タグアーカイブ

【写研埼玉工場】解体動向(20/10/19)

写研埼玉工場(20/10/19)

仕事の関係で、定期的に観察できるのは今回が最後になりそうです。
今後は時間が取れたときに…ですかね。外構解体と看板を外すところは見たいのですが。

例によって、厚生棟裏手の坂道から撮影。フェンス越しの撮影になるので、カメラはD3400から、モニタのチルトができるGX7MK2に戻しました。やっぱり軽いカメラはいいですね。

現在の工事工程は「基礎解体、廃材搬出」となっていて、地中部分の基礎を掘りながら解体し、コンクリートや鉄くずを搬出していて、このときもダンプカーがひっきりなしに出入りしていました。

メインビルにしろ、奥にあった第2工場にしろ、5階建てなので、基礎部分はそれなりに深いのでしょうね。特に第2工場は地下もあったので、地下部分の解体も行われていたようです。

そして1つの変化が。

先週との変化点、守衛所が解体されたようです。

先週まであった守衛所

小さいな建物なので、解体は一瞬でしょうね。

後はしばらくは廃材搬出が続くと思われます。最終的には外周の塀が解体され、その際に看板も撤去となるはずです。

定期撮影は今回で終了となりますが、機会を見つけてちょくちょく見に行きたいと思います。

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/11)

全開から3日後でスパンは短いですが、解体が進んでいますので、細かく追っていこうと思います。
というのもありますが、秋が近づいてきて、台風などで雨がちな日も多くなってきたので、撮れるときに撮る、というスタンスです。

写研埼玉工場(20/9/11)

第2工場も、建物中央部からどんどん解体されていますね。

第2工場の部分は、後に増築したと思われる部分がありますね。そこだけが他より新しいですね。
消火栓の赤い扉が開いていて、中のホースは先に撤去されたようです。

さて先日、「技術者たちの挑戦 写真植樹機技術史」を購入しました。元写研のOBが書かれたものです。

これによれば、当時手動写植機のSPICA亮月製作所さんのHPにリンクします)の生産で手狭になった工場を、1963年(昭和38年)に埼玉県和光市に移転したとあります。奥の第2工場は1965年(昭和40年)に建造されていますが、本に掲載されている1963年時点の写真では、第1工場のみですね。そして周辺建物が全然ない…。
そして、解体中の様子を見ると、切なくなってしまいますね…。

なお、文中には、戦前の写研(当時は写真植字機研究所)の初代写植機用の光学レンズの製作は、日本光学(現ニコン)や小西六(現コニカミノルタ)に依頼したが実現せず、旭光学(現ペンタックス=RICOH)に依頼して、取引は1980年代まで継続したとあり、カメラ好きとしては、こういったエピソードも面白いですね(詳しくは本を買ってくださいね)

メインビルは両サイドの建物躯体解体が進み、いよいよ壁だけになってきた感じです。今度は壁を中央部から少しずつ解体していく感じです。

ネット越しで見づらくてすみません。比較してみましたが、大きくは変わりませんね。よく見ると、夜のほうが解体は進んでいるのがわかりますが。

第2工場の防音壁

もう18時台もかなり暗くなってきました。正直なところ、この時間の撮影はもう限界ですかね。ISO25600とかになってしまいます。ザラザラですね。M4/3の限界といったところか。
かと言って、例えD3400でも、一眼レフだとちょっとかさばるんですよね。いや一度持っていきますか。

RAW現像で暗部を持ち上げてみた

もう工事が終わっている時間、かなり暗いです。RAWで撮って、現像時に暗部を持ち上げてみましたが、ISO3200でもGX7MK2だと結構厳しいですね。
元第1工場のあった場所に、物悲しげに解体くずが積まれていました。


写研関連のHPや文献、色々見ていますが、やはり感じるのは、1980年代までの栄光の歴史、そしてDTP時代に一気に進んだ90年代以降の状況、2000年代一気に写植機が売れなくなり、社員がどんどん去ってしまったこと、今の日本をなにか象徴させるような感じでなりません…。
写研は一体どうなるのでしょうか…。

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/8)

少し暑さが緩み、台風が来るようになって、雨がちな天気も増えてきましたが、晴れ間とタイミングを見つけて、仕事前と帰りに撮影している、写研の埼玉工場解体の様子。

第二工場も解体が進む

第二工場も随分解体が進みました。

※これまで、第二工場と書いたり、第2ビルと書いたりしていましたが、調べると第二ビルと表記しているサイトが多いことから、今後は第二工場に表記統一します。

第二工場は1965年(昭和40年)に操業開始だけあり、半世紀以上経過した建物ですから、窓の形状など古さを感じさせます。
写真を見ると、工場の機械らしきものが一部残されていました。
地下もあるようでしたが、地下部分はどう解体するのかが気になります。

かつて写植機で莫大な利益を得た写研ですが、90年代以降のDTPの普及に伴う業績悪化で、2007年7月時点の埼玉工場の社員数は30人とのこと、しかも工場は1965年(昭和40年)に操業開始だけあり、半世紀以上経過した建物ですから、窓の形状など古さを感じさせます。写真を見ると、工場の機械らしきものが一部残されていました。地下もあるようでしたが、地下部分はどう解体するのかが気になります。かつて写植機で莫大な利益を得た写研ですが、90年代以降のDTPの普及に伴う業績悪化で、2007年7月時点の埼玉工場の社員数は30人とのこと。
しかも写植機の販売数減少で、2002年からは本業と関係のない内職の仕事もしていて、2007年にはその内職の仕事すらなくなり、社員は自宅待機を命ぜられるなど、21世紀入ってからは、写植機の生産はほとんどなくなっていたことが伺えます。
工場としては、もう20年近く殆ど動いていなかったのでしょうね。
その一方、その時点でも内部留保は400億円以上あり、如何に全盛期に稼いで、それを蓄えていたことか。こうした内部留保は、社員の給与や、そして今回の建物解体にも充てられているのでしょう。

メインビル

メインビルを横から。棚が隅っこに寄せられたまま、解体待ちです。手前に見切れる建物も、大分解体が進みました。

ここからは、仕事帰りの夕方撮影

仕事帰りです。メインビルは解体が進み、5階部分はほぼ解体されています。
第二工場もフロアがだいぶ削られています。朝見た工作機械も消えていましたので、建物ごと解体されたのでしょうね。
ところで、マイナビの記事に、1970年当時の第二工場の写真が掲載されています。今と違ってクリーム色ではなかったようですね。


Instagramに解体中の写真と動画を発見

ここからは、人様の写真をリンクします。

埼玉県和光市市議で行政書士の安保氏Instagramに、高い場所から撮影したと思われる、解体中の写研埼玉工場の写真と動画が掲載されています。8月に撮影したものです。
私が撮れないアングルからなので、ちょっと羨ましい(*^^*)

この投稿をInstagramで見る

【写研工場解体工事】 毎日楽しませていただいている解体工事の今日の様子です。 一部、粉塵が気になるとの声があると聞きましたので改めてよく観察してみました。 粉塵が上がりそうな所では重機から、また、人がホースで、大量の水を撒いています。 また、敷地外に面する部分では足場の外側にプレートを貼り外に粉塵や破片などが飛び出さないようにされています。 事前に丁寧な説明会もあり、また、工事計画も周辺住居にポスティングされるなど、安全には配慮されています。 #和光市 #写研 #ヤオコー #誇れるまち和光へ

あんぽ友博(@tom_ampo)がシェアした投稿 –

安保氏のコメントにもあるように、ホースで水をまきながら解体しているため、周辺住宅や交通への粉塵の影響は特に感じません。
騒音も問題なく、防音壁の遮音性の高さがわかります。

写研川越工場はストリートビューで確認可能

写研には、埼玉工場(埼玉県和光市)以外にも、かつては川越工場が存在しました。川越工場も埼玉ですけどね。あとに建てられたからでしょうか?
※後述する本が届いたので、それを確認したところ、川越工場は1982年に出来たそうです。

その川越工場は、2018年には解体されて、現在は住友商事の物流倉庫「SOSiLA川越」となっていますが、ストリートビューに川越工場の画像が残されています。

最も古い2012年のデータの時点で、すでに工場は稼働していおらず、草や植樹は伸び放題、柵は錆び、休憩所?と思われる場所の障子は破れて、長いこと使われていないのが伺えました。
何せ、2007年時点で、川越工場の従業員はわずか10名だったそうで、その人数だと建物の管理とか、ちょっとした保守部品の生産程度しかできなかったと思われます。最盛期は400人超えだったそうですが。

解体前の2017年の時点では、草が刈り取られ、植樹も消えていること、内部にトラックが入っている様子が伺えることから、この時点で解体は決まっていたのでしょう。先のSOSiLA川越のリンク先の記事にも、

今回の「SOSiLA川越」の開発はその商社としての総合力を物語っている。「この土地は写研さんの遊休地だったのですが、鶴ヶ島の土地とこの芳野台の土地の両方を1社で引き受けてくれるのなら、売却しますということでした。

https://www.lnews.jp/2019/02/l0201301.html

との記述がありますので、使っていないので、買ってくれるなら一括で買ってほしい、といった感じだったようですね。
ところで、鶴ヶ島にも土地があったのですね。色々調べると、ネットの情報だけではわからないことも多いです。「ネットに真実はない」なんて言う人もありますが、実際には真実もあれば間違いも多い、というのがネットです。この私の書いていることも、確信が持てないことだってありますしね。
ということで、ちょっとお高いですが、どうにも写植機の歴史に興味が湧いてきたので、こんな本を手配しました。

2016年の出版なので、まだそれほど古くない。写研や川越工場のことも記載されているようです。ゆっくり読んで、記事に反映できる情報があれば、記載していきたいと思います。

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/2)

シリーズでお送りしている?写研埼玉工場解体。

写研埼玉工場(20/9/2)

さて上の写真でお気付きでしょうが、ついに第二工場の解体も始まったようです。

手前には鉄筋が山積みされています。第二工場の解体方法は、メインビルと同様に、中央部分から崩していっているようです。
短いですが、動画も撮ってみました。

三脚がないと、動画は厳しいな…。

メインビルを横から

メインビルも随分解体が進みました。中央部分から崩しているので、建物の両サイドはまだ残っています。
棚や、写植機関連のかもしれない筐体も、まだ残っていますね。

建物中央は、解体が進んで壁が低くなっています。解体したら、その部分の防音壁も撤去しているので、中央が凹んでいる感じです。作業員の方が、防音壁の撤去作業を進めているようでした。高所恐怖症だと出来ない仕事ですね。


さて、仕事帰り、夕方も来てみました。もう18時過ぎともなると、だいぶ暗くなってくる季節ですね。写真的にも厳しい季節となってきました。特にこの撮影では、M4/3のGX7MK2を使っていますが、高感度はやっぱりセンササイズなりで厳しいものがあります。

朝と比較して、中央部分の解体が進んで、通りを挟んだ向こうのマンションが見えるようになってきました。

メインビル横は変化なし

メインビルの横は、しばらくこのままなのでしょう。朝と変化はない感じです。

第二工場は、朝と比べて開口部は広がっていませんが、内部の解体は進んだようです。柱は残しつつ、床と壁を先に解体しているようですね。

メインビルを通り側から

メインビルの中央部分の解体が進んで、防音壁とネットが撤去されています。入り口の守衛所は最後に解体するのでしょうね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/28)

写研埼玉工場 (20/8/28)

写研埼玉工場、いよいよメインビルも半分以上が解体され、通り側の壁面解体まで近づいてきた感じです。
第二工場はまだ解体に着手されていないようです。

メインビルの通り側は、防音壁に囲まれていて、見た目は変化なし。ただ、元第一工場のあった場所には、解体で出た鉄筋などの金属ゴミが積まれていました。散水していますね。

第二工場クローズアップ

見るからに古めかしい外観の第二工場。メインビルは割と近代的だったので、こちらはいかにも昭和30年代感が漂います。

解体用重機のアームが、ニューっと天高く伸びています。その先の爪が、アームの長さからすると小さめに見えますが、こいつがコンクリートを砕き、鉄筋を切り刻んでいるのですね。

残された棚や機材

金属製の棚は、そのまま一緒に解体され、金属くずになるようです。写真左下に、コピー機のような筐体があり、拡大してみると「SHA-KEN」のロゴが入っていて、写植機関連の筐体なのでしょうか?

出社前の朝の撮影だと、ちょうどこの時間帯、逆光になってしまって見づらいですね。
ということで、仕事帰りにまた寄ってみることに。

夕方、だいぶ暗くなってきました。写真だと露出を上げているのであまり暗く感じませんが、周辺はだいぶ暗いですね。もちろん解体作業も終了しています。

ネット越しですが、ついに解体は、通り側外壁の窓が見えるまでに至りました。建物両サイドは残してコの字に解体しているのは、途中で建物が倒壊しないようにしているのでしょうね。

ネットの張られていない場所からは、建物上面しか見えませんが、窓ガラスが見えているので、その向こうは防音壁です。
ここが解体されれば、いよいよ解体も佳境です。
2枚目は月を入れて、実際の周辺の明るさに雰囲気に合わせてみました。結構暗いですが、これからどんどん暗くなるのが早くなり、仕事帰りの撮影は、難しくなりそうです。

9月中には解体が一通り完了しそうなメインビル。防音壁が張られていますが、これが撤去されたときには、もうメインビルはなく、第二工場の解体が始まっているでしょう。
そして1年後には、スーパーマーケットに生まれ変わるようです。
ほんとうに、何でもそうですが、無くなるときはあっという間ですね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/20)

写研埼玉工場のメインビル解体もかなり進んでいるので、撮影できるタイミングがあれば、できるだけ撮影するようにしています。

今回は、いつも撮っている場所ではなく、ネットの貼られていない箇所で見える範囲での撮影です。

大きなアームの重機が、水をかけながら鉄筋コンクリートをカット中です。

ホコリが立たないようホースで散水しながら解体しています。外壁を撤去しつつ、上から少しずつ解体している感じですね。

こんな感じで解体するのか~と興味はつきませんね。できればカメラを置きっぱなしで、タイムラプスで撮ってみたいですね。

まだ第2工場ついては解体が始まっていませんが、メインビルが一段落したら、第2工場も解体されるでしょうね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/17)

夏休み期間中は訪れることができなかった写研ですが、休み明けの初日、少しですが時間を見つけて朝と夕方見てきました。

写真の時系列多々少前後します。

奥に見える白い壁の第2工場は、まだ解体は始まっていない様子でしたが、遠からず始まりそうな雰囲気です。横から見ると、かなり解体が進んでいるのがわかります。

今週の作業予定

今週も、躯体解体(メインビルでしょう)、内装解体とあり、第2ビルの方はまだ内装解体を行っているのかな? どちらのビルのことを指しているかはわかりません。

朝は逆光になってしまうため、夕方仕事が終わってからの撮影。いつもながら、ネット越しの撮影ゆえ、見づらくてすみません。

メインビル中央部分も、エレベーターホールに達する部分まで解体が進んでいます。
こういう構造、解体中でしか見られないので、興味深いですね。最後の写真で一番下のエレベーターホール、なぜかエレベーターの扉が手前に開く扉になっているんですよね。よく見ると、その上の階も、手前は引き戸でした。エレベーター2基かと思ったら、手前は階段の扉かも知れないですね。


解体工期は来年2月までのようですが、このペースで行くと、9月にはメインビルは全て解体されてしまいそうですね。第2工場解体はその後でしょうか?

三井アウトレットパーク木更津へ

夏休み初日、元々は帰省も想定して妻も休みをとっていましたが、このご時世ですから、帰省は取りやめにして、屋外が多く、ソーシャルディスタンスもある程度保てる、三井アウトレットパーク木更津へ。

明治屋アウトレット

明治屋ってジャムのイメージですが、ジャム以外にも輸入品のお酒や缶詰、調味料など売っていまして、ワインとタバスコ3点セット、おつまみ缶詰なんかを買いました。ここ、いいね。

アウトレットですが、金曜日とは言え客は少なめですね。だからなのか、各店とも値下げ幅も大きくて、Tシャツ類なんか、2枚で1500円くらいで買えたり、ちゃんとしたジーンズが千円強だったり、ちょっと信じられないくらい安いお店もありました。
売上的に厳しいのでしょうね。本来、在庫を安く売るためのアウトレットモールのはずが、客が来なければ在庫を抱えることになります。
とは言え、COVID-19も拡散していて難しい状況ですね。


アウトレットから見える観覧車。

KISARAPIAの観覧車。

アウトレットお隣の、KISARAPIAの観覧車。
うちは子供たちも妻も、怖いと言って乗りたがりません…

夜は良い感じにライトアップされています。
写真できれいに撮るのは難しいですね。

帰りは故障車渋滞がひどくて遅くなってしまいました。ま、夏休みだしいいか…。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/3)

毎週お送りしている、写研埼玉工場の解体動向です。

写研埼玉工場(20/8/3)

先週、ついにメインビルの解体が始まりましたが、今回はその進行状況を確かめることになります。第二工場は、大きな変化はないようです。

メインビルは解体が進み、外壁だけでなく建物本体の解体にも着手されています。
ネット越しの撮影で不明瞭なのはご容赦を。
私はてっきり、この手のビルは鉄筋なのかと思っていましたが、柱は鉄心の入ったコンクリート柱なのですね。
水をかけてホコリの飛散を防ぎつつ、重機の爪が少しずつコンクリと鉄心を削っている感じですね。あんな上まで重機の爪が届くのですね。

少しずつ解体している感じで、夏休みまでにすべての解体とまでは行かないかな?
よく見ると、エアコンなど大型の機械や棚みたいなものは、そのまま建物に残して解体されているみたいですね。

今回、工程表の撮影を忘れてしまいましたが、しばらくは躯体解体が続くでしょう。
※写真撮ってきて追加しました。躯体解体継続ですね。

工程表追加しました

ところで、ここが解体された後、何ができるのか?

開発行為等計画標識

商業施設とあり、どうやら最近埼玉で店舗を増やしている「ヤオコー」が入るようですね。
たしかにこの周辺はスーパーマーケットないしね。
工期は来年9月末までとなっているため、来年の秋には写研跡地はヤオコーに姿を変えるようです。

JMU磯子工場における空母化改修中(前期工事)護衛艦「いずも」

先日行った横須賀の帰りに、せっかくここまで来たのでと、寄らせていただきました。いつもの、J-Powerの磯子火力発電所からの撮影です。

JMU磯子工場で整備中の護衛艦「いずも」(DDH-183)

護衛艦「いずも」、2020年度予算で、F-35B STOVL戦闘機搭載のための改修工事予算が取得され、定期整備とともに改修工事が始まっている模様です。

といっても、外観から明確に空母化工事中…というのはわからないですね。そもそもが、名称は護衛艦(艦種:DDH=ヘリコプター護衛艦)であっても、国際的に見れば元々がヘリ空母と言っても良いですから。

護衛艦「いずも」の奥には、2021年3月の就役に向けて艤装中のイージス艦「はぐろ」(DDG-180)が

「いずも」の奥には、去年進水し、2021年3月の就役に向けて艤装中のイージス護衛艦「はぐろ」の艦首とマストが見えます。

戦闘艦としては自衛隊最大の「はぐろ」を持ってしても、「いずも」と並ぶと子供のような感じになりますね。
よく見ると、「いずも」は船体の塗装がまだらになっていて、再塗装しているところとそうでないところがあるようです。
それでも、先日上げたような米海軍のサビサビ船体を見ると、自衛隊の艦艇は作戦中であっても比較的きれいですね。

整備中の護衛艦「いずも」の艦橋クローズアップ

G.VARIO 14-140mmの望遠端では足りず、トリミングしています。今回は軽量にこの1本だけで撮影しましたが、ちゃんと撮るならもう少し望遠が欲しいですね。

さすが艦橋が大きいだけあって、ビルの改装工事と同様に足場が組まれている感じです。甲板にテントやらトイレやら、各種資材を置いても十分な広さがあります。

「いずも」の空母化改修は、この1回で終わらず、2回に分けて行うそうで、2回目は次の定期整備の2025年から、それが終わって正式に空母として運用されるのは2027年とされているので、まだまだ先の話です。

中国も空母保有から艦載機を飛ばせるようになるまではかなり時間がかかりましたから、ものを作って飛行機を乗せれば空母、というようには簡単に行きません。運用方法の確立や問題点洗い出し、相当時間がかかります。

まずはこの最初の改修後、F-35Bの搭載適合テストを行い、その後2回めの改修、再度テスト、そして運用開始となりますが、現在尖閣情勢も緊迫化しつつあり、それまで尖閣を維持できるかが、これからの鍵となりそうです。