「AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRII」タグアーカイブ

戦闘艦としての機能は結構オミットされているのね、練習艦「しまかぜ」

本当は行きたかったよこすかYYのりものフェスタ2025、練習艦「かしま」(TV-3508)「しまかぜ」(TV-3521)を見学できるまたとないチャンスだったのですが、2日の開催予定のうち行こうと思っていた土曜日が荒天で開催中止、日曜日は入間基地のランウェイウォークに行くため断念しました。

特に練習艦「しまかぜ」は、元ミサイル護衛艦で、最後のターター・システム搭載艦、艦齢的にも恐らく今年度いっぱいで退役するのではないかと思われるので、見たかったのですけどね。

「はたかぜ」型ミサイル護衛艦の2番艦の「しまかぜ」は、その後イージスシステムの導入が決まったために、元々同型艦を4隻建造予定だったのが2隻で打ち切りとなり、従来の防空システムであるターター・システム最終艦となりました。

1番艦の「はたかぜ」が2025年3月退役したため、残っているのは「しまかぜ」のみ。今となっては古典的なターター・システムを搭載していて、艦の前方にMk.13ミサイル単装発射機を搭載しています。

この発射機は対空ミサイルのSM-1MRが艦内の格納庫よりせり上がって装填され、1発ずつ発射可能です。現在はVLS(垂直発射システム)が主流となっているため、この手の発射機は淘汰されつつあります。

装填速度やランチャの指向速度は思ったより早いです。
オーストラリア海軍でもすでに退役していますが、2013年にオーストラリア海軍のアデレード級ミサイルフリゲート「ダーウィン」での動作デモの動画を見ると、かなり速い速度でミサイルが装填されているのがわかります。

みんな「オー」と反応しているのがどこの国も一緒w
青く塗られているミサイルは発射は出来ない模擬弾で、発射機の動作テスト用です。

同じくオーストラリア海軍のSM-1ミサイルの実際の発射シーンです。

次弾装填速度も早いですね。
ただ、現在のイージス艦が搭載しているVLSでは、ミサイルが格納されたセルから直接発射できるので、もっと早い間隔で何発も発射可能です。
ターターシステムはミサイルの誘導レーダーの数プラスアルファしか同時にミサイル誘導できないため、冷戦時代のソ連の対艦ミサイルの飽和攻撃に対処できないことから、それに対応できるイージスシステムが誕生しました。

とは言え、「はたかぜ」型護衛艦は、当時の在来型のミサイル駆逐艦としては高性能な防空システムの部類に入りました。ただ、イージスシステムがあまりに高性能だったため、「はたかぜ」型はデビューから10年も絶たずに、「こんごう」型イージス護衛艦の登場(1993年)で一気に陳腐化してしまいました。

そして2021年3月、護衛艦「しまかぜ」は練習艦に転籍しました。恐らくこの時点でターター・システムのMk.13発射機は搭載ミサイルのSM-1MR対空ミサイルとともに機能をオミットされた可能性があります。

こんな投稿を見かけました。

練習艦になった時点で、対空ミサイルSM-1MRは恐らく降ろされたと思われ、また今後発射することもないことから、Mk.13発射機も機能を停止させたのでしょうね。
SM-1MRミサイル自体も恐らく使用期限を迎えているでしょうから、廃棄されていると思われます。

そして前後に2基積んでいる5インチ速射砲も…

どうやら後部の5インチ砲は砲口を塞がれて発射できなくなっているようです。これも恐らく機能的に殺すことでメンテナンスをしなくて良くなっているのでしょう。
前側は生きているのかな? 練習艦なので、訓練用や空砲による祝砲のため1門は動作出来るようにしているとは思いますが、わざわざ後部を使えなくしているのはメンテナンス費用の節約なんでしょうね。

今回はチャンスを逃してしまいましたが、退役までにもう一度近くで見てみたい、今や貴重なターター・システム搭載艦、また横須賀に来ないかしら?

飛行機のグランドアースの話

先日の航空自衛隊入間基地のランウェイウォークの話。Xでこんな投稿を見かけました。

みなさんよく見ているなぁ。用途廃止(用廃)の機体であっても、飛行時間が残っていて稼働状態を維持することもるのですね。しかも002号機というC-1輸送機でも初期型の古い機体をそういう扱いとすることもあるのだなと。

いつまで稼働できる状態を維持するかは不明ですが、こういう見方(グランドアースを接続している)で稼働機(稼働維持機)を見分ける方法もあるんですね。もちろんそれが絶対ではないでしょうけど。

地上に駐機中の飛行機も、風などにより静電気が発生して機体が帯電したり、雷が落ちる可能性もあるため、アース線を地上に接続することで静電気を逃しています。特に給油中に帯電していると放電の火花で発火したり、機体整備中も電子機器を静電破壊する可能性もあるため、アース線の接続は欠かせないようですね。

YS-11EA電子支援機は?

気になったのが、2024年度末を持って退役したとされるYS-11EA電子支援機、すでに去年(2024年)のランウェイウォークの時点で162号機(下の写真右の機体)にはアースの接続はなく、一方163号機(下の写真左の機体)は写真を拡大してみると、右脚からアース線が接続されているように見えます。

ということは、搭載機材などはこのときは稼働状態は維持されていたかもしれませんね。
そして2025年はと言うと…

163号機もアース線は接続なし。両機体とも今後稼働することはないのでしょうね。もしかしたらこれが最後の見る機会だったかもしれません。書類上は2024年度末までは現役の機体でしたが、今後解体される可能性が高そうです。いつまでこの状態を維持するか、ですね。

一方、2025年現在まだ退役が決まっていない現役YS-11EBは、しっかりアース線が接続されていました。

今後はこういう着目もしたいと思います。
なお、あくまで素人目線によるもので、このアース線だけを持って現役機体か退役機体かを判断できるものではない、とだけ記しておきます。

入間基地ランウェイウォーク2025に行ってきた

2025年のランウェイウォークも従来のような抽選ではなく一般開放となりましたので、天気を気にしつつ行ってきました。
おかげさまで今回は開始直後は晴れ、途中曇ったりしたものの、気温もぐっと上がって、これがギリギリの気温かもしれませんね。

何と言っても今回期待したのは、昨年度を持って退役したC-1輸送機を近くで見られる最後のチャンスだったから。

これを見せられると、展示することは予告されていたわけですから、それは楽しみです。
同日は横須賀でよこすかYYのりものフェスタ2025も開催されており、海上自衛隊横須賀基地で練習艦も公開されていて、本当は土曜日はそちらを見る予定だったのが荒天で中止、日曜日は開催されたので、結構悩んだのですが、結局入間基地に行きました。

そしてお目当てのC-1輸送機、スペマの002号機、最終生産機の031号機、EC-1の021号機とフルラインアップを見ることが出来ました。1機くらいは残すかもしれませんが、恐らく3機揃っての最後の公開となったでしょうね。

それではランウェイを歩きます。
今回、カメラはいつもの便利ズームセットのZ 24-200mmと180-600mmではなく、ちょい古いAF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRIIを中心に撮影。便利ズームは良いのですが、航空祭ではないので、ある程度制約をもたせつつ高画質で撮影したかったので。
結果的に、明るいレンズで撮るのも良いね、となりました。

そして、中判フィルムのBRONICA S2も持ち込みました。ランウェイウォークは航空祭と違ってまったりゆったり撮影できそうなのは去年の経験でわかっていたので、三脚持ち込みもOKということで、ちょっと重くなるけどこれで撮影もしました。フィルム足りないよ~ってくらいに楽しみました。

気温はぐっと上昇し、最終的には27℃まで上がったようで。長袖だと暑かったな。アスファルトの上なのでどうしても体感気温はグッと上がりましたね。

普段撮れない衛星アンテナなどの施設も見られました。途中曇ったりもしたけど、結構暑かったので、曇ると少し体感気温も下がり、風も抜けて快適になりましたね。

毎日が航空祭? 内覧会実施中のこちらのお家、航空ファンが羨む立地

例の病院前の建売物件内覧会中、ランウェイから見るとこんな感じで、もう滑走路が丸見え。この物件を買ったら快適に撮影できそうですね。

R/W35エンドまで来ました。

ここまで2km、滑走路としては決して長い方ではないのですが、さすがに機材を持ってあちこち移動して撮りつつだと心地よい疲れが来ますね。
では戻りましょう。

そして今回自分にとっては初めて、C-2輸送機を改造した電波情報収集機RC-2を近くで見ることが出来ました。

それこそEC-1は退役近くなるまであまり近くで撮影できなかったのですが、RC-2に関してはこうして撮影できるのも、時代が変わったなぁと思います。
特徴的なコブの中に電波情報収集のためのアンテナがあるのでしょうね。

プロペラを外されたままのYS-11EAはすでに書類上昨年度いっぱいで退役しているはずです。これも正式に退役済みとなるので、もしかするとこれが見られる最後の機会だったかもしれませんね。YS-11EBはもうしばらく飛ぶでしょうね。

こういう機会で素晴らしい展示をしてくれた航空自衛隊入間基地の皆様に感謝です。C-1輸送機へのリスペクトがあったからこそですね。

お疲れ様でした。

自衛艦最年長の練習艦(旧護衛艦)「はたかぜ」除籍

1986年の竣工以来、長年護衛艦としての任務を全うし、その後5年間練習艦となっていた「はたかぜ」が2025年3月17日除籍されました。

2012年観艦式における護衛艦「はたかぜ」(DDG-171)


練習艦時代を含め、自衛艦としての運用期間は約39年となり、これまでのどの自衛艦よりも長く運用された艦艇となりました。

2009年観艦式における護衛艦「はたかぜ」(DDG-171)

最後のターターシステム搭載艦

はたかぜ型護衛艦は、艦隊防空のためのスタンダードミサイルSM-1MRを搭載するDDG(ミサイル護衛艦)で、元々は4隻建造する計画でしたが、最終的には2隻の建造に留まりました。というのも、計画時点で画期的な防空戦闘システムであるイージスシステムの導入の算段がついたことから、飽和攻撃への対処限界に達しつつあったターターDシステム搭載艦をこれ以上導入しないという方針になりました。
今回退役する「はたかぜ」、そして1988年竣工の2番艦「しまかぜ」が今後除籍されると、自衛隊からはターターシステム搭載艦は姿を消すことになります。

「はたかぜ」型護衛艦は、ターターDシステムを搭載した護衛艦では初めて、スタンダード対空ミサイルの単装発射機Mk.13 Mod.4を艦橋や主砲よりも前に搭載し、前方射界を重視した設計で、これまでのターターシステム搭載艦よりも艦橋構造は後退しています。
艦橋前方艦首側からMk.13発射機、射界確保のため1階層アップした構造物上に5インチ速射砲、そして艦橋構造物手前にアスロック発射機を搭載していて、これがほかの護衛艦にない独特の重厚感のあるシルエットを形成しています。
また、対艦ミサイルハープーンは従来艦がスタンダードミサイルと併用でMk.13からの発射となっていたのを、専用発射筒とした他、新造時からファランクスCIWSを2基搭載しています。

エンジンはミサイル護衛艦では初めてオールガスタービンとなり、また自衛隊ではガスタービン艦初のCOGAG(COmbined Gas turbine And Gas turbine)の構成で、しかも巡行機と増速機のエンジンの種類が異なる異機種混合の構成となっているのも特徴です。

7年後にはアメリカ海軍以外では初めてとなる高度な防空システムを搭載したイージス艦「こんごう」が導入されたため、「はたかぜ」型は新造時からわずか7年で旧式となってしまい、その後ターターシステムを搭載したアメリカ艦のようにNTU改修など近代化改装を受けることなく長年運用されてきました。この辺りはイージス艦導入に費用が回されたのと、20世紀末以降の不況もあって、予算的も実現が難しかったのでしょうし、ここまで長く運用されることも想定外だったからでしょうね。
搭載しているスタンダード対空ミサイルSM-1MRも陳腐化し、練習艦となってからは防空任務に就くこともないので、実際にスタンダードミサイルを搭載していたかも不明ですが、今やこのシステムをそのまま使用する海軍も少なくなったため、実際に運用能力維持できていたのかは不明です。

ともあれ、恐らく当初想定していた艦齢よりも長く運用され、役目を終えたことは感慨深いものがありますね。
残念ながら、練習艦となってからは呉を母港としていたため、その間コロナ禍もあって、ついに練習艦の時の姿を見ることは叶いませんでした。

残る同型艦は練習艦「しまかぜ」となりますが、こちらもあと1,2年で恐らく退役となるでしょう。

2015年の観艦式における護衛艦「しまかぜ」(DDG-172)

練習艦としての代替は今のところ決まっていないようです。今後は練習艦を割り当てず、練習航海は護衛艦の中から割り当てる運用に変更するのでしょうか?
3月17日に練習艦隊が近海練習航海を終えて呉に戻ったそうですが、このときの艦艇が、掃海母艦「うらが」、護衛艦「てるづき」、護衛艦「うみぎり」、練習艦「しまかぜ」でした。
護衛艦が練習航海にあてがわれるのはよくあることですが、掃海母艦が練習艦隊にあてがわれるとは…。

練習艦「かしま」はメンテナンス中かな?
順当に行くと、「はたかぜ」の代替艦は、護衛艦「あさぎり」型のいずれかになるとは思いますが、さてどうなるのでしょうね?


2014年に当時護衛艦だった「はたかぜ」を見学した様子も以下のブログに記載していますので、合わせてご覧いただけると幸いです

C-1輸送機よ永遠なれ

これから入間基地に行ってきます。

C-1輸送機も半世紀以上を経て、いよいよ今月が現役機ラストです。

2014年の入間航空祭より

同時期に導入されたF-4EJファントムII戦闘機よりもさらに長く運用されてきましたが、もうその勇姿を見る機会も残り少なくなりました。
今日は天気が心配なのと、予定の関係で最後まではいられないけど、楽しんできたいと思います。

天気! どうか崩れないで!

【百里基地】2015/2/16の記録

今から10年前の撮影です。航空自衛隊創立60周年記念スペシャルマーキングを施した、305SQのイーグルを撮りに多分行ったんだと思いますね。

スペマイーグルを撮りたくて来たんだと思います当時

この時代はまだ第305飛行隊(305SQ)は百里基地にいた時代。更に302SQと501SQのファントムもいたので、それはそれは賑やかでしたね。

501SQのRFファントムが降りてきて、春秋航空が降りてきて格納庫の扉は閉ざされ(笑)、スペマのイーグルが上がります。
2月とはいえ陽炎がひどいので、記録程度の転がりを。

この時代の撮影機材はNikon D810に、レンズはまだ超望遠がなくて、AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRIIに1.4倍テレコンのTC-14EIIでした。

なのでイーグルの上がりもこんな単調な絵ばっかりです(笑) トリミングはしています。
でもって、この日事件が起きました。

この写真を撮った瞬間、異変に気づきました

上の写真、T-4が珍しくR/W21Lに降りたんですよね。手前でお手振りしてくれました。が、このとき異変に気づきました。

AFが動かない!

実はこの撮影のしばらく前から、AF時にレンズからキーキー異音が出る事があったんですよ。NikonのAF-Sレンズ(超音波モータレンズ)でよく出る持病ですが、これが出ていると超音波モーター不調の兆候です。
まさにこのシャッター切った瞬間からAFが動かなくなりました(泣

これ以降、AFが使えません。ただ撮影はできるので、MFでの撮影となりました。

当時のブログはコチラ→https://yamaro.asablo.jp/blog/2015/02/16/7574088

やっぱり歩留まりは落ちますね。それでもまだテレコンつけても300mmないくらいなので、何とかMFでも撮れると行ったところでした。
MFフィルム一眼レフの時代、本当にこうした航空撮影は大変だったでしょうね。その時代の写真で600mmクラスの望遠撮影なんてのはまずお目にかからないのは、手持ち撮影ががそもそも無理だったからですね。

この日、何故かもう1本望遠レンズを持ってきていたんですね。NIKKOR-H Auto 300mm f/4.5 Ai改という古いレンズを。
もうヤケクソで、このレンズでも撮影してみました。

f11まで絞っていますが、やっぱりフレアがかっていて単焦点といえど、AF-S 70-200mm + TC-14EIIにすべての面で劣る結果に。
Lightroomである程度補正はしてみたんですけどね。AF-S 70-200mmも当時まだ現行品のレンズだったので、やっぱり最新レンズはスゴイな~なんて思った次第です。

この後、どうやら早々に撮影を切り上げて、そのまま新宿のNikonのサービスセンターに行ったようです。

新宿エルタワーのNikonのSSがあるフロアより

その場で修理はできないので、レンズは修理預けとなり、修理センターの診断でAFの不具合、超音波モータ交換となりました。
あれから10年、このレンズは問題なく動いていますが、稼働率はこの時代よりは減ったかな。

ちなみに2025年2月現在、AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRIIは修理対応対応なオートフォーカスレンズ一覧に入っています。もう生産完了して9年ですが、まだまだメンテナンスできるのは安心ですね。

フットサルの撮影は屋外サッカーとまた違って難しかった

もう先週の話ですが、普段サッカークラブで練習している息子、たまたまフットサルで練習試合をする機会があり、ちょっと離れたところにある小学校の体育館に行ってきました。
都内の体育館だから、さほど長いレンズは要らないだろうと、今回は久しぶりにAF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRII1本で撮影しました。一応x1.4テレコンは持っていったけど、結局使わなかったです。
結果的に、屋外よりは暗くなる体育館では、明るいf2.8ズーム必要なレンズでしたね。
ただ、体育館がかなり狭く、親はキャットウォークから俯瞰しての観戦となったので、写真的にはいまいちでした。

狭い体育館では3DトラッキングよりワイドエリアAF(L)が使いやすかった

人が密集しやすいフットサルはワイドエリアAFのほうが勝手が良かった

広い屋外のサッカーの試合では、特定の選手に3DトラッキングでAFエリアを合わせて撮っていましたが、フットサルは狭い体育館で、選手は6人だけど、密集することが多くて、3DトラッキングではAFを他の選手に持っていかれやすいですね。最新のEOS R1はちゃんと追い続けるんでしょうけど。
そのかわり狭い場所でレンズもさほど望遠でないため、選手が密集したポイントであれば、被写界深度内に皆が入ることが多いので、意地でも特定人物にAFポイントがいなければ、ってこともないんですね。

結局途中から3Dトラッキングをやめて、ワイドAFエリア(L)や(S)を使用。被写体検出は人物をONに。これで概ね良好なAFが得られました。隣の人に被写体検出したところで、別に主要被写体のピントがずれるわけではないんですよね、この撮影の場合。
認識AFは新しいカメラの方が良いに決まっていますが、そうでなくても問題はないかな。最近、やれ被写体認識だなんだでどのカメラがどうこうっていうSNSのマウント取りみたいなのには心底うんざりしているので、やりたい撮影がちゃんとできればそれでいいと思っています。

そしてレンズはFマウントの古いAF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRIIでしたが、AF動作に何ら不満はなくスパスパ合いましたので、まだ最新のNIKKOR Z 70-200mm f/2.8Sでなくても良いかな~と思っていますが、Z 70-200mmは評判がとても良いので気にはなります。でも高価なのでしばらく無理かな。オッサンになっても高嶺の花は高嶺の花だったりシます。むしろ若い頃のほうが買えるよ、20代30代の方は無理して買ったほうが良いですよ(笑

被写体がAFエリア付近にいればまずまず問題ないね

ってことで、あんまり良い写真は撮れなかったけど、試合は見ていて面白かったな。さほど広くない体育館なので状況見やすいし、展開もスピーディだし。フットサル、楽しいそうでよいですね。

最後はコーチVSジュニアチームの戦いになって、さすがコーチ勢、うまいよねっとなりました。

4チーム戦、お疲れ様でした

お疲れ様でした。

【入間基地】入間航空祭 2014年11月3日の記録

今から10年前、ですが何だか感覚的には20年位前に感じてしまう2014年の入間航空祭の写真を再現像してみました。
現像ソフトも進化していますからね。

この時は混んでいる基地内を避けて入曽多目的広場で撮影。
現在航空祭当日は閉鎖されているこの場所は、当時は開放されていて、ここで観覧する人たちも多かったですね。

今はもう見られないチェッカーのYS-11FCや、C-1輸送機の編隊、ほんの10年前なんですよね。
そんなC-1輸送機も、2024年の入間航空祭がラストとなり、031号機は航空祭でラストフライトを行い退役、残ったFTBの001号機、通常輸送機型最古の002号機(もう1年以上飛んでいないらしい)、EC-1の021号機、そして030号機も、2024年度中には退役の見込みです。
なのでまたどこかで入間基地で撮影はしたいですね。

この時代は、電子戦訓練機EC-1なんて絶対に航空祭には出てこなかったですからね。それを考えると、最後だからとは言え2024年にあんなにEC-1を近くで見られたのは感慨深いものがあります。

この時の撮影機材はまだ導入して間もないNikon D810、広角用としてサブにNikon 1 V1でした。
Lightroomで開いてみると、今でも画質は遜色ないD810と比較して、Nikon 1 V1は昔のデジカメだなぁという発色です。言うなれば昔のNikonデジカメの発色そのもので、2007年発売のD300の発色に近い感覚なんですよねV1は。
V1の発売は2011年で、まだ当時は3年程度でしたが、当時最新のD810と比べると、発色が結構違いますね。センササイズだけではなく、画像処理そのものの古さを感じさせます。
センササイズ差を感じさせるのはダイナミックレンジ(Dレンジ)で、空なんかを絡めて撮ると、D810はDレンジが広く、かなり粘るのですが、V1はDレンジが狭いので、雲の明るい部分は破綻が早いですね。

入間基地所属機の飛行展示はこの年は午前のみ、午後はブルーインパルスでした。
この時代はこういう構成でしたね。離陸前のスモークの洗礼も、この場所ならではでした。たった10年前なのに、この時代はちょっと遊牧的。

この場所はR/W35に進入する着陸機を真正面、直上で見られます。この景色が好きという人も多いでしょう。

残ったC-1輸送機も今年度で退役だし、またローカルでも撮りに行きたいな。

Nikon D810の10年

2014年7月17日にNikon D810が発売されました。あれからもう10年です。今でも現役稼働中です。

今もD810はAI AF Micro Nikkor 60mm f/2.8Dとの組み合わせで撮影しています

今も手放さずに使っていますし、何ならほぼ毎日何かしらを撮影しています。1回の撮影枚数は主力機だった頃より減りましたが、時々タイムラプス用のインターバル撮影にも使うので、気がつけばシャッター回数は公称20万回の3倍を超えてしまいました。

ちょうど購入した頃、娘が1歳の誕生日が近かったんですね。妻が誕生日の用意をし、妻の実家では一升餅をもたせました。

ミリタリ系な撮影のシェイクダウンは、今は一般人が観ることはできなくなった、陸上自衛隊の富士総合火力演習でした。
2014年当時はまだ超望遠レンズを持っていなくて、AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VRIIにTC-20EIIという組み合わせで撮影していました。
この時の総火演は、とある陸自の地本の退院募集ポスターの写真に自分が撮った写真が採用され、その御礼として招待され、招待者席に座れたの思い出です。

D810は、その前のモデルのD800よりも若干連写速度は改善されたものの、FXフォーマット時秒5コマ、DXクロップして秒6コマと、最初に買ったD300よりも連写速度が遅いのは結構ネックでしたが、あらゆるD800のネガを潰したカメラでした。
D800と比較すると、以下の点が改善されました。

  • D800で問題となったメカの振動による微ブレを徹底的に排除し歩留まりが良くなった
  • 若干の連写速度向上(秒4コマから5コマへ/FXフォーマット時)
  • ノイズが改善
  • オートホワイトバランスの精度が向上
  • 撮って出しのカラーバランスが向上
  • 1080/60p動画に対応

D800のマイナーチェンジというよりも、ほぼフルモデルチェンジに近い改善がなされています。
この時代はまだ3600万画素は高画素機だったので、やれ無駄に画素数が大きとか言われたものですが、今となってはなかなか絶妙な画素数かなと思っています。

D810初の百里基地ローカル撮影

色々懐かしいな…

2014年の入間基地航空祭は外から撮りましたね。

連写速度が遅い分、ちゃんと構図を決めて撮る、という撮り方を学んだカメラでもあります。
今はほぼお家での物撮りとインターバル撮影用ですが、もう処分しようという感じもなくなりましたので、使い倒したいと思います。
現時点でオーバーホールは出来そうなので、出そうかどうか迷いどころですが、このままシャッターの限界にチャレンジしたい気持ちもありますね。

ラリードライバーの篠塚建次郎氏が亡くなったと聞いて

日本のラリードライバーと言えば、自分の世代にとっては、パリ・ダカールラリー(パリダカ)で日本人初の総合優勝の篠塚、「パリ・ダカの篠塚」と言われたくらい、ラリーストとして有名な「シノケン」こと篠塚建次郎氏ですね。

2024年3月18日、膵臓がんで75歳で亡くなられたとのこと。御冥福をお祈りいたします。

そこで思い出すのが、2011年2月18日に、福島のアルツ磐梯(2023年より星野リゾート ネコマ マウンテン)の駐車場で、NEXCO東日本が主催したウィンタードライビングスクールに参加した際に、ゲストとして呼ばれたのが篠塚建次郎氏でした。

2011年2月18日 アルツ磐梯(当時)で行われたウィンタードライビングスクールで講演した篠塚建次郎氏

眼の前にあの篠塚が!と感動しましたね。

当日の天候がかなり吹雪いていまして、それでいて気温はやや高めだったので、駐車場を使ったコースはシャーベット状態でした。

この日は参加者の車に、篠塚氏に助手席に乗って、自分はコースを運転しながら指導を受けるというものでした。
走って言われたのは「時々流しハンドルをしているから、しっかりハンドルは握ってね」「この車アコードだよね? アコードってマニュアルあるんだね」

ああ、もう13年も前になるとはね…。
このあと、篠塚氏やその他のラリードライバーの走行が披露されました。さすがの腕前!

動画は当時手持ちで動画を撮れる唯一の一眼レフだった、妻のNikon D5000を借りて撮ったラリードライバー氏による実演。篠塚氏ではなくもう1人のドライバーが運転。
最後にちらっと映る白いジャンパーの人物が篠塚氏です。

こうした貴重な経験も思い出として残るわけですね。歳を取るのを感じます。