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【山梨】富士大石ハナテラスに行ってきた

週末家族旅行に行ってきました。5年前と同じ行程です。まず行ってきたのは大石公園、富士大石ハナテラスです。

大石公園にある河口湖自然生活館

ちょうどこの時期はラベンダーが見頃の時期のようです。子供たちはと言うとソフトクリームを頂いていまして。花より団子ですな。

しかし天気はどんよりでした。お陰で気温はそれほど高くなかったのが幸いでしたが。

どんより河口湖

ハナテラスだけに、様々な花が咲いていました。そして何より外国人観光客の多さ! 日本人より多い印象。コロナ禍以前は中国人観光客ばかりが目立っていたけど、今はアジア系全般(東南アジア系が多い印象)、欧米人かなと思う方々も多かったですね。

コスモスってこの時期に咲くんだね、とまあぐるっと花を見て巡ったわけですが、私、昔山梨県民だった頃、まだハナテラスはなくて、こういうのばっかり撮っていたような、ってのがテラスのお隣りにありまして。

なかなかのテイストのアパート。実はここは20年以上前から知っていまして、当時からこんな印象でしたが、今もあるとはね。そして廃墟ではなく現役です。よく見るとサッシは新し目だったりします。建物外装はリフォームしていないけど、住人は各々リフォームしている感じかな?

ハナテラス自体は、花だけでなくお店も結構充実していました。飲食店やお土産屋さんもあるんですね。
そしてもうすぐ七夕、短冊が飾られていて、お願い事を書いてみました。
私も一筆、家族のことを。


早目の時間に行ったハナテラスでしたが、11時過ぎに移動しようと駐車場に戻ったら、もうお客さんも車もわんさか、入口は大渋滞していました。午前の早目の時間がおすすめですね。

山梨県河口湖畔「ホテル小曲園」の外観 2002年8月撮影

20世紀末から21世紀初頭にかけて、関東甲信越圏の廃墟サイト界隈では絶大な人気を誇った物件が、山梨県は河口湖畔にかつて存在した「ホテル小曲園」でした。

ホテル小曲園の歴史は古く、戦後7年が経過した1952年(昭和27年)に創業し、小曲園グリルといった食堂やパブなども併設していて、高度経済成長とともに増改築を繰り返したそうです。

特に有名だったのは、河口湖を見下ろせる宝石風呂でした。1994年(平成6年)に廃業後、割と短期間で傷んでいったのも、有名観光地だったのもあると思いますが、増改築を繰り返し、古い部分も相応に残っていて、元々老朽化が激しかったものと思われます。

廃業からわずか数年のうちに、有名な廃墟として名を馳せるくらいに、老朽化が進んでいたのでしょう。

Wikipediaその他の解説では、廃業理由として、

手抜き工事により増築に増築を重ね、避難を困難にした複雑な構造だったためにホテルニュージャパン火災以降厳しくなった安全基準の「適合マーク」を取得できなかったためであった。

Wikipedia「小曲園」

としていますが、適合マークってこの時代からありましたっけ? という疑問がありまして。いわゆる「既存不適格建築物」だったのではないかと想像しています。その辺りの法律に詳しい方がいらっしゃいましたら、コメントいただければと思います。

安全に対する法律がまだまだ緩かった1952年創業ですから、その後繰り返し増築するも、いざ老朽化した部分を改修しようにも、その時点での法律により困難、もしくは多額の改修費用がかかることになった思われます。なにせ、斜面に建てられたホテルですから。

個人的に、今写真を見ても、建物の構造物が全体的に華奢に見えるんですよね。

そんなこんなで小曲園ですが、ここは有名観光地で、当時でも撮影は比較的リスクが高かったので、外から眺めるに留めました。
撮影から1年後には、河口湖町の方針により解体が決定し、2004年には完全に解体されました。現在では小曲展望台として開放されています。

オマケ、小曲園の右側のホテル群。ストリートビューで確認したところ、執筆時点では下の写真の建物は、現在でも現役で何よりです。ただ、手前のENEOSは廃業して、取り壊されたようです。

ちなみに、左下に映っているアコードSIRが、当時の愛車でした。
このくらいのサイズの車が丁度いいんだよなぁ…

【追記】2004年2月解体中の小曲園

上の写真撮影から1年半後の2004年2月1日の撮影した、小曲園解体途中の写真が出てきましたので、追加掲載します。

撮影は、フィルムではなくデジタルでしたが、デジカメ黎明期のコンデジ、Nikon COOLPIX 2500での撮影、200万画素のカメラですから、今ならそのまま解像度を落とさなくても、Webに掲載できます。

黎明期故のコンパクトデジカメゆえ、画質は今見るとかなり悪いですが、解体中の雰囲気をご確認できればと思います。