ヘリコプターフェスティバル in TATEYAMA2023に行ってきた その2

展示飛行は午後から、ということで早めに昼食をとってから見てきました。

飛んだのは2機、6機ぐらいで編隊飛行してくれればいいのに~。まあ飛ばす側も事情があるんでしょうね。
この手のイベントの訓練に、本来の任務、訓練の時間を割いてまでできないのでしょうね。自衛隊は任務が多様化する一方、予算はなかなか増えないという事情もあります。
大きな予算は増えても、正面装備に回されがちですし。

展示飛行も終わって、ここの主役、SH-60Kをじっくり観察。

8422号機は2008年製造だそうです。一般にヘリコプターは運用方法や飛行時間によりますが、海上を飛ぶ機会が多い哨戒ヘリの場合は、かつては概ね20年程度でした。
が、やはり新しい機体の導入数が減っているため、寿命延長改修を行っています。
次世代のSH-60Lは、2023年度予算で6機調達が決まっていますが、トータルの取得数はSH-60Kより削減が予定されていて、K型も寿命延長改修をして長く使われそうです、一方で初期型は退役も始まっているようです。陸自だけでなく、海自のヘリ事情もなかなか厳しいようです。

そうそう、今回は資料館の見学も可能となりました。去年まではコロナ対策で、確か入れなかったはず。食堂も今年からですしね

帰投は動画主体で撮ったので、スチルはあまり撮っていません😅

その動画も肝心なところで失敗気味…動画撮影時のカスタム設定のボタン位置、すっかり忘れていて、AF/AEロックしたつもりがAFしていたとか…動画撮っているのについ瞬間をシャッターで押してしまいそうになったり、間違えて停止ボタン押してしまったり…。まだまだ慣れませんね。

しかし暑かった! 持っていった水筒840mlだけでは足りず、500mlのペットボトル2本消費。でも食堂が使えたので、しっかり食べて塩分補給もできたのが幸いでした。
この時期は水分補給と塩分は大切ですね。

ってことで皆様お疲れ様でした!

ヘリコプターフェスティバル in TATEYAMA2023に行ってきた その1

去年に引き続き、今年も千葉の南側、海上自衛隊館山航空基地のヘリコプターフェスティバルに行ってきました。

去年初めて行って、パークアンドライドのバスは乗れないと結構大変(今年は駅や道の駅経由はなくなったようですね)というのがわかったので、自転車を活用しました。

あ、こちらは入場前の朝撮ったものです(^o^)

この日は暑かった…。7月後半開催ってのも、結構考えものですね。

入場してのんびり展示機を見るのが醍醐味

航空自衛隊の航空祭と違って、観客であふれかえることもなく、すぐに飛行展示もないので、午前中はのんびり展示機を見るのが所作です。
よーいどんの入場も、まあこんな感じです。走っちゃ駄目よ。そんなに混まないから慌てなくて良いです。

海上自衛官のためのお祭りという雰囲気も良いです。海自隊員のみなさんも、お祭りを楽しんでいる雰囲気が伝わります。

陸上自衛隊の要人輸送ヘリ EC-225LP スーパーピューマMK.Ⅱ+

昔は近づくことが許されなかった陸自の要人輸送ヘリ EC-225LP、今回も柵があって近づけなかったけど、タラップが降りていて、中の様子も少し見えました。
案外横幅が狭いんですよね。この辺りは、米軍の大統領輸送用の超骨董品だけど広いVH-3D”マリーンワン”のほうが乗っていて快適そうな感じですが、どうなんでしょうね?

その他ゲスト機

館山航空基地の主力はSH-60Kなので、正直な所、ゲスト機のバリエーションがヘリコプターフェスティバルの鍵です。

最後の写真は、見学に来た海自の隊員を神奈川県警が勧誘する図(笑) 35歳までなら転職できますよってw

哀愁の陸上自衛隊ヘリ AH-1SとOH-1

政府の方針により、今後の減勢と用途廃止が決まっているAH-1S攻撃ヘリとOH-1観測ヘリです。

個人的に太っちょマッチョなAH-64Dアパッチ・ロングボウより、スリムなAH-1Sコブラのほうが好き。
退役が決まっているヘリですが、そりゃもう1980年代の機体ですもの。ヘリとしては異例の長寿命、本来ならとっくにアパッチに置き換わっていたはずなんです。
前席のテレスコープはNEC製なんですね。製造が1985年…もう40年近く前です。
そばに居た隊員さんに、後何年飛ぶのか聞いてみたら、骨董品ですからね…それでも後数年は飛ぶかな…UAVに代わるんですよね…と、ちょっと寂しそうな感じでした。

そして観測ヘリのOH-1、エンジンの不具合でしばらく飛べない期間を挟んで、徐々に復活していますが、今年はなんとコックピットも開放。
ああ、そういうことなのか、と察しました。

じっくりコックピットを見させてもらいましたが、AH-1Sより全然新しい機体と思っていたけど、これとて20年経過し、今見ると特段新鮮ではないですね。
IRANは4年毎に受けているのがわかりますが、次があるのか。こちらもUAVに置き換わることが決まっていて、早期退役するようです。
そして隊員さんも、いいヘリだし飛ばしたいけど部品が枯渇していて…とやはり哀愁が漂うコメント。
国産期だから部品がなんとかなる、という単純な話ではないことがわかります。結局、ちゃんと運用コストを掛けられるのか、ということなんですね。

OH-1は、これをベースに汎用ヘリや攻撃ヘリへの改造も検討されていましたが、談合などがあり白紙になって、結局この機体の発展型の登場はなく消え去ることになります。
ただ、もし白紙化されていなかったら、それはそれで茨の道だったかもしれませんね。

こちらは古くても安定のUH-1J。やはり原型機が半世紀前から改良され続けて飛んでいるだけあります。後継のUH-2もこの機体の系列ですしね。結局そういうことなんですね。メンテしやすく信頼性が高いのでしょう。

SH-60Kの展示

こちらは去年と同じ感じですね。魚雷やヘルファイアミサイルの展示も。
魚雷は最新の17式魚雷は搭載できず、昔からのMk46が主流、12式魚雷もぼちぼち運用、とのことでした。

整備中の機体も、ローターブレードも、特に隠さず展示中。
格納庫ではマッチョ自慢大会も。若い隊員の良い息抜きになっているのでしょうね。

ってことで、午前は展示機を見たり、食堂が開放されたので食堂で昼食(11時にすぐ行ってよかった、その後激混みでした)、午後の飛行展示に挑みます。

続く…

ヘリコプターフェスティバルの後、急ぎ帰って誕生日

昨日は千葉県は館山のヘリコプターフェスティバル in TATEYAMA 2023に行ってきました。写真はぼちぼちアップします。
千葉の南の方、ということで、行きは早朝なので問題ありませんが、帰りは東京へ戻るには、どうしても通らねばならないアクアライン、木更津からアクアラインは激混みなので、ヘリコプターフェスティバルのあとは、急ぎ帰路につきました。
富津道も1車線で混むので、途中までは下道を。お陰で娘の誕生日の夜に間に合いました!

今年はちいかわでした

この誕生日で二桁年齢になる娘さん。大きくなったね。
誕生日プレゼントは…

wacomのペンタブでした

Wacom Intuos Smallでした。絵を書くのが好きなんですよね。
パパは全く絵が書けないので、ペンタブなるものも使ったことはなく、昔からあるWacomくらいしか知りません。今は色々良いものもあるようですが、定番ということで。
液タブはもうちょっと大きくなってからかな。

アウトレット品なら公式もお安いようです。


4ヶ月ぶりの串焼き屋で日本酒

行きつけだけど、最近なかなか行けていなかった、いつもの串焼き屋で、串焼きはもちろん日本酒を頂いてきました。

色々飲んだけど、やっぱり作(ZAKU)のImpression Gは鉄板ですね。
写真右上の、猪又酒造「月不見の池 プロトタイプ」はアルコール度数を少し落とした日本酒。程々に落としているので、呑み口の良さとあじわい深さが両立していましたね。

ってことで、散々飲んで満足でした!

初代iPod touch(32GB)の導入から15年

日本で初代のiPhone 3Gが発売されて15年ですが(アメリカでは2007年6月発売)、初代iPod touchは日本では2017年に、そして写真の32GB版は2008年2月に日本で販売開始となりました。

初期のiOS1.1から、基本的にこうした表示は現代のiPhoneに受け継がれている感じですかね。
実はこれ、Phille webさんの懸賞で当選してもらったものです。嬉しかったですね。当時はまだガラケー全盛期で、iPhoneを持っていると注目の的でしたが、iPod touchも衆目を集めるのに十分な素質を持っていました。
なにせ、ネットに繋がりインターネットは出来るし、アプリをインストールできて、写真も撮れる。単なる音楽プレーヤーを超えた存在でした。音楽プレーヤーとしての音質はいま一歩だったけど、当時32GBは大容量で、相当な楽曲を取り込めて、これで車で音楽をきくのが一気に楽になりました。なにせ、当時まだCDシェンジャーを使っていましたから。今では信じられないですね。

実は、未だ車で使っています。ただ、流石にもう予備機扱いです。ただ今のカーナビがだめになったら、スマホ再生に移管して完全引退かな。
初代iPod touchはまだBluetoothは非対応なので、対応機器がないと、もう使い所がないですしね。

mixiってのが時代です

いちいちパソコン立ち上げなくても、wifiさえあればmixiとか楽しめたのも時代ですね。

自分のカメラを買おうと決めた時 【千歳基地】1999年8月8日の航空祭

1999年に、初めて自分で買った一眼レフがNikon F90Xですが、そのきっかけとなったのが1999年の千歳基地航空祭でした。
前年の1998年に人生で初めて行った千歳基地航空祭、右も左もわからない学生で、その時はYashica TL Electro XとAuto Yashinon 50mm F1.7という、おおよそ航空祭にふさわしくないカメラでした。
1999年は、友人から借りたカメラ、CanonのEOS55とEF 28-70mm、EF 70-300mmで撮影に挑みました。ちょうどカメラは買おうと思っていたけど、このカメラを借りたことがきっかけで、この後自分のカメラを買うことになります。自分のカメラで撮りたい!と思うきっかけを作ってくれた友人に感謝。でも彼とは今は疎遠になってしまいました。

EOS55はCanon独自の視線入力AFを搭載し、重量も軽くて軽快なカメラでした。ちょっとプラ感が強い感じでしたけどね。ただ、自分はメガネだったからか、視線入力はいまいち効かず、この撮影のときも視線入力は無効にしていました。最も当時の測距点は3点と少なかったので、視線入力の意味はあまりなかったですね。まさかあれから四半世紀を経て、EOS R3で改良型を搭載するとは。

1999年の千歳基地航空祭、今見ると20世紀末と言った感じで、懐かしのロック岩崎のアクロバティック飛行あり、このあと事故で飛行停止になってしまうT-33A練習機の姿もあり、まだジャンボだった頃の政府専用機(政府専用機は千歳基地に配備されています)、今は退役したUS-1A飛行艇やファントムと、実に多彩な機体が参加していました。
今でも飛んでいる機体も写っていたり。

フィルムの劣化により、色味がおかしいのはご容赦ください。

Nikkor 180-600mm この焦点距離には歴史があった

レンズ交換式のカメラを手にすると、誰もが一度は望遠レンズに憧れる時が来ます。
しかしフィルムカメラの時代であった20世紀、とりわけ1980年代以前は、一般人が手に入れることのできる望遠レンズは、概ね300mmまででした。
もちろん、それ以上の焦点距離の望遠レンズは当然存在したものの、ハードルが高かったのは確かです。

ここでいうユーザーのハードルの高さとは、焦点距離が長いほど
・レンズが大きく重くなる
・レンズの価格も高価になる
・手振れしやすい
・ピント合わせが難しい(特にマニュアルフォーカス時代は)

という、大まかに分けて4つのハードルがありました。

特に「手振れしやすい」は、レンズの価格を抜きとしても、大きく重い超望遠レンズを手持ち撮影するとして、フィルムの感度はせいぜいISO50~400程度、さらにピントもMFで合わせるのは難しく、レンズもf値が暗くファインダも暗く見づらいという、本当に今とは比較にならないほどハードルの高い時代でした。
なので、300mmを超える望遠レンズで手持ち撮影だなんてのは、あの当時あまり考えられていなかったわけですね。
もちろん、光学設計もハードルが高かったわけです。

もっと昔、一眼レフがMFだった頃は戦闘機を機体全身アップで撮るだなんてのは、雑誌に載せるようなプロの神業がないと難しかったのです。
今でも「航空ファン」で写真編集の解説の連載を持つ元井英貴氏が、1970年代にNikon F2で撮った、航空自衛隊のF-104J戦闘機の写真に痺れたものです。
あの時代、元井氏はKodakのテクニカルパンという複写用の高精細フィルムを使用し、マニュアルでピントを合わせ、高速で離陸するF-104J戦闘機を望遠レンズで撮っていたのです。
ごく限られたプロにしか撮れない神業ですね。
そんな60年代70年代の超望遠レンズは、まだ高価でプロ用という感じで、一般人で所有する人は極めて少なかったと思われます。まして、当時は通常の焦点距離もまだまだ単焦点レンズが主流、超望遠ズームなんてのはさらに特殊でした。

私は戦闘機を撮るのが今は趣味ですが、撮りだした最初はまだフィルム時代、最初は望遠レンズすら持っていなくて、その後お金をためてNikon F90XとSIGMAの70-300mmのズームレンズで、フィルム残数を気にしながら、連写してもせいぜい数枚、戦闘機は遥か彼方に豆粒…といった状況でした。なので、本当にたまに撮る程度しかなかったです。その頃はまだ趣味とまでは言えなかったです。まして400mmだの600mmだのは夢のまた夢でした。

人生初の航空祭、1998年の航空自衛隊千歳基地にて、Yashica TL Electro XとAuto Yashinon 50mm F1.7で撮影
そりゃ望遠レンズが欲しくなりますわ…

MF時代のNikonの600mm望遠ズーム

Nikonの600mmクラスの望遠ズームレンズは、実は案外早く登場しており、1959年のNikon Fの発売からわずか2年後の1961年に、Auto Nikkor Telephoto-Zoom 20-60cm F9.5-10.5が発売されています。この当時はまだmmではなくcmで争点距離を表記していました。
http://nikonfan.cocolog-nifty.com/blog/2007/12/20cm60cm_8689.html
https://redbook-jp.com/kenkyukai/2017/201707.html
しかし、このレンズは開放f値がf9.5-10.5と暗く、全長も長いため、三脚に据えて撮影が基本(フィルムでこのような暗いレンズで手持ちでピントとズーミングしながら撮影はほぼ不可能)です。
当時はスポーツ撮影に使われたと思われますが、さすがにプロ用だとしても、出荷数は少なかったと思われます。ましてこのレンズを使って、手持ちで高速で飛ぶ戦闘機を撮る、というのは相当なハードルです。
それでも、Fマウント登場からわずか2年で発売したのはすごい事です。Zマウントも見習ってほしかったです(笑

このレンズは、後に改良で開放f値がf9.5に固定され、AI化され、80年代まで発売されていました。
また、さらに開放値を明るくしたZoom Nikkor ED 180-600mm F8も76年に受注生産で発売され、
http://nikonfan.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/ed180600mmf8-5d.html
82年にAi-S化されました(こちらも受注生産)。
http://nikonfan.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/ed180600mmf8s-e.html
この180-600mmという焦点距離は、1982年のAi Zoom Nikkor ED 180-600mm F8S以来、f値は可変ながらより明るくなり、実に40年ぶりにZマウントでNikonから発売されることになるのです。

NikonからFマウントのAFレンズで600mmクラスの望遠ズームレンズが発売されることはなかった

ここまで紹介したレンズは、いずれもMF(マニュアルオーカス)です。Nikonは80年代にFマウントレンズをAF化させますが、AFモータをカメラボディ側に搭載するという方針から(それ以前に発売されたF3AFはレンズ内蔵AFモータ)、AFの超望遠レンズの発売が結果的に遅れることになりました
AFレンズ発売当初、Ai AF Nikkor ED 600mm F4S(IF) は発売を予告しながら、最終的に発売されませんでした。
このレンズは、ボディ側のAFモータでAFを駆動させようとしていたと思われますが、このクラスの超望遠レンズは非常に大いためく、ボディ側のAFモータで、AFカップリングを経由し長い機械伝達系でフォーカシングユニットを動作させるには、相当なモータトルクとスピードが必要で、最初からモータをレンズ側に搭載させたCanonのEOSシリーズのレンズと比較して、実用的なAF速度が得られなかったのではと推察します。
このつまづきが、600mmクラスの超望遠レンズの登場を遅らせることになりました。
Nikonがレンズ内モータのAi AF-I Nikkor ED 600mm F4D(IF) を登場させたのは、1986年のAF一眼レフF-501登場から実に6年後の1992年と、非常に遅れてしまいました。
これは600mmクラスの望遠レンズはレンズ側にAFモータを搭載しなければ使い物にならないと判断され、そこからのAFモータをレンズに載せる方針転換で開発に時間がかかったのでしょう。

これによって、AF一眼レフの王座は完全電子マウント化したCanonに奪われ、同時にこのクラスの望遠レンズの最大ユーザーである報道関係者がNikonからCanonに鞍替えし、シェアは逆転します。

また、レンズ側にAFモータ(コアレスモータ)を搭載したAF-Iレンズも、当初の対応ボディはF4とF90のみ(1988年発売のF4は、恐らくモータをレンズ側に搭載したF3AF用レンズが使えるように設計されていたことが救いとなった、あるいはプロ機としてレンズ側にAFモータを入れることも考慮した設計となっていた)で、その後超音波モータ化したAF-Sが1996年にF5とともに登場するまで、レン側のAFモータに対応ボディが少なく、また最終的にFマウントでAF-Sレンズがメインになるのが21世紀に入ってからとずいぶん時間がかかってしまったこともあってか、過去にMFにあった200-600mmあるいは180-600mmのAF化はついに行われませんでした。
もちろん、当時の一眼レフの位相差AFセンサがf5.6光束の縛りで、それより暗いf値のAFレンズが作れなかった事も影響しているかと思いますが、AF-S化すべきレンズが他にも多くあり、そうした望遠ズームにまで手が回らなかったのかもしれません。

そうこうしているうちに、SIGMAなどサードメーカーが150-500mmを、そして手振れ補正が望遠レンズに搭載されるなると、さらに150-600mm, 60-600mmといったレンズや、超ド級の300-800mm F5.6といったレンズも登場します。
NikonはAF望遠ズームレンズは長年400mmまでの期間が続き、2015年にやっとAF-S NIKKOR 200-500mm f/5.6E ED VRを発売しましたが、これがFマウントで最長の焦点距離の望遠ズームとなりました。
※ただし、2018年発売のAF-S NIKKOR 180-400mm f/4E TC1.4 FL ED VRは1.4xテレコンバーターを内蔵しているため、テレコンを切り替えれば望遠側は560mmとなる

Zマウントで蘇る180-600mmという焦点距離

NIKKOR Z 180-600mm f/5.6-6.3 VR 

前述の通り、40年ぶりに発売されるNIKKOR Z 180-600mm f/5.6-6.3 VRというレンズは、MF時代のように特殊な用途のプロ向けとは違い、一般ユーザーが手の届く価格です。まあ20万円は超えますが。
ミラーレスレンズなので、開放f値の暗さも気になりませんし(f6.3は一眼レフでも日中なら問題なし)、重量もこのクラスの超望遠ズームとしては比較的軽量です(絶対的には少々重いですが)。
ライバルのSONYも、FE 200-600mmというレンズを2019年に出してから潮目が変わったように思います。このレンズが登場以降、飛行機界隈の撮影でも、SONYユーザーが増えてきました。
飛行機界隈のカメラマンは割と保守的で、一眼レフユーザーもまだまだ数としては多いので、このクラスのレンズが各社からそろえば、ミラーレスへの移行も進むのではと思っています。

いずれにせよ、Nikonユーザーにとっては長く待たされただけに、楽しみなレンズですね。

【魚津酒造】帆波 純米吟醸 無濾過原酒 秋田酒こまち

いつもの酒屋さんが今月のイチオシということで売り出していたお酒です。

【魚津酒造】帆波 純米吟醸 無濾過原酒 秋田酒こまち

自宅用としては初めて購入した「帆波」、シンプルなラベルです。富山県の酒造、魚津酒造のお酒。
「北洋」ブランドが定常販売品のようですが、「帆波」は特約店限定品、無濾過原酒にこだわったブランドとして売出中のようです。

【魚津酒造】帆波 純米吟醸 無濾過原酒 秋田酒こまち

酒米は秋田県産の秋田酒こまち、ラベルにはありませんが、酵母は協会9号とのこと。原酒ですが、アルコール度数はわずかに低めな15度です。
このブランドでは火入れ酒もあるようですが、こちらは生酒となっています。

わずかにプチプチする酵母が生きた生酒

開栓すると、わずかにガス感あり。上立ち香は上品な吟醸香です。
口に含むと・・・透き通った甘み、少し甘みの薄い洋梨系。その後に酸味、苦味が来ますが、全体としてスーッと透き通った味わい。水だ(笑
そして飲み進めていくと…、おや、味わいが変化しつつある。甘みは膨らみ、酸味も膨らんできたぞ。透き通った味わいから少し広がりと米の旨味、芳醇さも出てきました。
アタックは弱め、がつんとは来ないです。後味も爽やかにスーッと引く印象。食中酒に最適です。

全体としてきれいな味わいな上に、わりと温度により味の変化も大きいかも。一升瓶で買って正解でした。味わいの変化を楽しめそう。
酒屋イチオシだけあって、今後の展開も期待できそうなブランドです。スパークリングもあるようなので、今度出会ったら買ってみたいですね。

地域のお祭でした

やっとこういうお祭りが通常開催されるようになりましたね。
ってことで、気温36℃超えですが、行ってきました。

定番のあんず飴

写真は子どもたちの写真が中心、他は大して撮ってません。
が、ビールはネタになるかなって。

ジョッキ缶だった!

祭りといえばビール?ですが、買ってみたらアサヒスーパードライのジョッキ缶でした。一時期とても売れに売れて手に入らななかったですね。自分も実は初めてでした。
若干ぬるかったので、開けたら泡が吹き出しましたが(路上で良かったねw)

でもたしかに泡があるだけで美味いね! ビールは泡だわ。でもスーパードライ、味が変わって昔ほどドライ感がないのが何とも残念。もっとキレッキレのドライが飲みたい!
それでもこう暑いので、ビールは染み渡りますね。

何十年ぶりかの後楽園に行ってきた

早いもので、今年から娘が塾に通い始めまして、お受験させられる収入が我が家にはないんですけどね…。
塾のテストがありまして、会場が後楽園のとあるビル、ということで、子供を送迎したあと、テストが終わるまで後楽園駅周辺、小石川後楽園をぶらつくことにしました。

せっかくなので、写真でも撮るかと、持っていったのはZ 8ではなくD850に。Fマウントのお気に入りレンズを使いたく、だったら一眼レフのほうが楽しいしな、ということでD850です。

Nikon D850とお気に入りのレンズたち

レンズは、AF-S NIKKOR 35mm f/2.8G EDAI AF DC-Nikkor 135mm f/2DAI AF Fisheye-Nikkor 16mm f/2.8DAI Nikkor 50mm f/1.2Sの4本。どれもコンパクトですし、大好きなレンズです。AF-S 35mm以外はディスコンになってしまいましたが、中古市場では比較的手にれやすいレンズでもあります。
ただこれが10年後にどうなるか、ですね。次第に良品は入手しづらくなってくるでしょうね。

AF-S NIKKOR 35mm f/2.8G ED

何だかんだで一番便利に使えるスナップレンズです。デジタル一眼レフ時代に合わせた設計ですが、ことさら解像力を強調するでもなく、素直なボケ味と適度な解像力が魅力です。
Dタイプの35mm f/2Dよりは大きくなったけど、それでも今どきのレンズとしては軽量な部類です。もちろん、Nikon D850との相性は最高に良いです。
Fマウントの一眼レフで最も高解像度となるD850でも、余すところなくその描写を堪能できます。

ZマウントのNIKKOR Z 35mm f/1.8 Sもとても評判が良いですが、なにせお値段は倍。AF-Sのコスパが光ります。
もちろん解像力や収差のなさなどは、Zのレンズのほうが上ですが、AF-Sの描写はとても自然体で好きです。

AI AF DC-Nikkor 135mm f/2D

収差補正をコントロールすることで、ボケ味をコントロール出来るDCニッコール、Zマウントでもこういう遊びのあるレンズが待たれますが(RFマウントのCanonに先を越されちゃってるし)、まずはFマウントで楽しみましょう。
やや軸上色収差の出るレンズですが、開放で撮りたくなる魅力があります。
135mmという焦点距離も、画角的に中途半端かなと思っていましたが、使ってみるとむしろポートレートでおなじみの85mmより個人的に好みでした。

中古で安く買えるのは今だけと思っています。数年後、どうなっているかな? 使い後なしのあるレンズですよ。

AI AF Fisheye-Nikkor 16mm f/2.8D

魚眼は難しいです。でも、自分の視神経的にはむしろ、周辺ほど湾曲する魚眼のほうが自然に感じることもあります。
撮り方によっては魚眼を感じさせない自然な描写にもなります。1枚目の写真は、一見魚眼と分からないですね。

個人的に、動画でも魚眼レンズって良いと思います。過去に、D850とFisheye 16mmで撮った動画を載せておきます。

AI Nikkor 50mm f/1.2S

今回唯一のマニュアルレンズです。特殊な業務用を除けば、Fマウントの写真用レンズとして最も明るいf1.2の開放f値です。それでいてコンパクトなのが素晴らしい。
古い設計のレンズ故に、絞り開放時のピントの周辺にまとわりつく球面収差がまた味わいになりますし、f4まで絞れば収差も消えてカリッと解像します。今どきの再sんレンズみたいに、開放から解像力も高く収差もない、というのとは違って、絞り値による描写の変化を楽しめます。
ついつい開放で撮りがちです(笑

中古でしか買えなくなりましたが、販売期間は1980年代から2020年までと40年近くあったため、中古での程度はピンキリで、ジャンクレベルからほぼ新品レベルまで様々。
とくにRoHS指令によりレンズの材質変更があった2005年以降のものがオススメです。私のも最新ロットの個体ですが、コーティングが改良されているのと、表面の塗装に仕上げがより質感が高くなっているように思います。


ということで、ちょっと古いレンズ(AF-S 35mmは新しいですが)で写真を撮るのは楽しいです。最新レンズはよく写りますし最高の描写ですが、こうしたちょっと古いレンズもまた、レンズの個性がよく味わえますよ。
趣味のスナップにはこうしたレンズが楽しいですね。

アサブロから移転して、2020年よりこちらをメインとします