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【油長酒造】風の森 ALPHA TYPE1 夏の夜空

少しづつ気温も下がってきて、そろそろ秋の気配を感じてきている昨今ですが、最後の夏酒になるかな? 風の森 TYPE1の夏酒バージョン「夏の夜空」を買ってきました。

【油長酒造】風の森 ALPHA TYPE1 夏の夜空

元々TYPE1はアルコール度数14度と、一般的な日本酒より少しだけ度数が低いのですが、こちらはさっぱりとした夏酒バージョンで、更に度数を下げて12度となっています。
もちろん、風の森の特徴である、純米無濾過生原酒であることは言うまでもありません。

呑み口はもうジュースです。ラムネです。でも12度の度数の割には、割と後味はどっしりですね。風の森らしいプチプチとしたガス感と相まって、もうラムネジュースですわ。

そして、2,3日後に飲むと、ガス感がだいぶ抜け、少し甘さも落ち着いて酒らしくなってきました。いい感じになってきたところで、なくなっちゃうんですよね…。

【写研埼玉工場とメディア研究所跡】解体動向(20/9/15)

今回、タイトルに少し変化がありますが、先日買った「写真植字機技術史 技術者たちの挑戦」(三省堂書店)のp43に書かれている、写研メディア研究所が(埼玉県)和光市新倉に1986年建設、とあり、これが一体どの辺りなのか、Twitterで聞いてみたところ、メールを頂きまして、正確な場所がわかりました。いやはや、皆様の情報に感謝感謝です!

Googleストリートビューでは、2019年9月時点では、株式会社写研「新倉分室」として建物があることが確認されました。
ただ、頂いた情報では、解体されたとのことでしたので、この1年で解体されたのでしょう。解体された現状はどうなっているのか知りたくて、行ってみました。
周辺はアップダウンの激しい地形で、住宅地のど真ん中にありました。

旧写研メディア研究所(新倉分室)跡地

なるほど、きれいに解体されて、跡形もなくなっていました。
住宅地にあるため、恐らくここもそのうち分譲されて、家かアパートが建つことでしょう。

メディア研究所では、大学との委託研究など進めていたようで、自由なテーマで1年間に1つ論文を書くという制度もあったようです。
ストリートビューでは2015年の写真も出てきますが、もうその時点では使われている形跡はありませんでした。
ここが何時まで使わてていたかはわかりませんが、恐らく今世紀に入ってからは、写研の業績が悪化してきているため、使われなくなったのではないかと想像します。
研究開発ができなくなれば、当然それは最先端の写植機にも技術反映できなくなります。
1980年代はバブル期で、写研の売上も良かった時期でしょうから、こうした研究所が独立して作られたのでしょう。写研以外にも、バブル期に建てられて、今使われていない建物、結構あるのではないかな?


第2工場の解体も進み、中央部は通り側の壁面まで解体が進んでいます。メインビルと比較して、1965年(昭和40年)建造の建物は、やはり古さを感じさせますね。

メインビルも、すでに上層階は解体済みで、いよいよ平地からの写真撮影は難しくなってきました。建物の横から、足場を外された非常階段部分が見えています。もう2週間もしたら、ほとんど解体が終わってしまうのではないかな?

定期撮影できる期間も、あと僅かかもしれませんね。

HondaのNコロ

百里基地によく通っている方々だと、周辺道路にいるコイツもご存知かもしれません。

小美玉の道路沿いに埋もれる1代

まんまる目玉が1つ、こっちを見ています。

蔦に埋もれた草ヒロ

昔から存在は知っていましたが、ここ通る時って大抵遅い時間、なので、立ち止まって写真を撮ったことはなかった。
かなり古そうです。さて車種は?

ホンダのN360です。通称「Nコロ」。グリルの形状から、マイチェン3世代目にあたる、1970年に販売されたNIII360ですね。タイヤのパターンも、当時物らしい感じです。
だいぶ錆びてしまって、欠品部品も多そうで、路上復活は難しいそうですね。
ライトだけはガラスだからか、輝きを放っていて、ここだけは今のプラカバーの車のように、経年で黄ばむこともないですしね。

今から半世紀前の車で、ここに埋もれている期間は相当長そうです。

ところで、ホンダのN-ONEは、このN360をモチーフとしています。

プレミアムイエロー・パールII&ブラック
Honda N-ONE(2代目)

初代N-ONEは販売終了となりましたが、この秋に2代目が登場します。デザインは初代と一緒、それもそのはずで、外板は同じ、透過類やバンパーの形状のみ、わずかに異なっている程度です。ものすごいキーコンセプトですが、2代目にはRSが設定され、6MTも出るとのこと。軽自動車のFFターボ車で6MTは初だそうです。

FFでターボの軽自動車で初めて6MT採用

N-VANの6MTはNA(自然吸気)エンジン車のみの設定でしたし、S660は軽でターボで6MTですが、駆動方式はMR、荷物もほとんど載せられないので実用性皆無。

やっと実用車で6MTが出てきたか~といった印象です。初代はCVTのみで興味がなかったので、これはいいなぁと。初めて軽自動車で欲しいなあと思いました。見た目も子供っぽくないのもいいなと。

地方転勤になったら、通勤車にちょうど良さそうだな~。

百里神社に行ってきた

先日、百里基地の撮影は早々に終了したため、時間があったので百里神社でお参りしてきました。

百里神社入り口

百里神社、以前は森に覆われていて、そもそも存在すら知りませんでしたが、ある時から、木が伐採されて、看板も立つようになりました。

とても小さな神社で、木ではなくコンクリ作りの建物です。

看板にある通り、素鵞神社の系列の神社となりますが、事業資金の確保に窮しているとのことです。
奉賛募金は素鵞神社で募集とのことです。この日、恥ずかしながらあまり持ち合わせがなく(最近キャッシュレス決済メインなので、すっかり現金を多く持たなくなっています)、次回来るときは納めたいと思います。
あ、お参りしてお賽銭は入れておきました。

国土地理院の航空写真、1961~69年を埋め込んでみましたが、この当時から神社があったような地形に見えますが、如何でしょうか? しかし周りなにもないな(笑


次に、百里神社の近く、百里原海軍航空隊門柱跡を見てきました。

石碑は笹に埋もれていました。

百里原海軍航空隊の遺構はこれ以外にもいくつかあり、畑の中にぽつんと残る建物は、昔から百里に来るたびに見る印象的なものでした。
茨城新聞の動画を貼っておきます。

ところで、この石碑の隣に、廃屋らしきものがあります。

草と蔦に埋もれていました。先程の国土地理院の写真を見ると、1974~78年には、青い屋根の建物は存在しているように見えます。
そのお隣には現役の民家があるので、そこのおうちの所有なのかな?

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/11)

全開から3日後でスパンは短いですが、解体が進んでいますので、細かく追っていこうと思います。
というのもありますが、秋が近づいてきて、台風などで雨がちな日も多くなってきたので、撮れるときに撮る、というスタンスです。

写研埼玉工場(20/9/11)

第2工場も、建物中央部からどんどん解体されていますね。

第2工場の部分は、後に増築したと思われる部分がありますね。そこだけが他より新しいですね。
消火栓の赤い扉が開いていて、中のホースは先に撤去されたようです。

さて先日、「技術者たちの挑戦 写真植樹機技術史」を購入しました。元写研のOBが書かれたものです。

これによれば、当時手動写植機のSPICA亮月製作所さんのHPにリンクします)の生産で手狭になった工場を、1963年(昭和38年)に埼玉県和光市に移転したとあります。奥の第2工場は1965年(昭和40年)に建造されていますが、本に掲載されている1963年時点の写真では、第1工場のみですね。そして周辺建物が全然ない…。
そして、解体中の様子を見ると、切なくなってしまいますね…。

なお、文中には、戦前の写研(当時は写真植字機研究所)の初代写植機用の光学レンズの製作は、日本光学(現ニコン)や小西六(現コニカミノルタ)に依頼したが実現せず、旭光学(現ペンタックス=RICOH)に依頼して、取引は1980年代まで継続したとあり、カメラ好きとしては、こういったエピソードも面白いですね(詳しくは本を買ってくださいね)

メインビルは両サイドの建物躯体解体が進み、いよいよ壁だけになってきた感じです。今度は壁を中央部から少しずつ解体していく感じです。

ネット越しで見づらくてすみません。比較してみましたが、大きくは変わりませんね。よく見ると、夜のほうが解体は進んでいるのがわかりますが。

第2工場の防音壁

もう18時台もかなり暗くなってきました。正直なところ、この時間の撮影はもう限界ですかね。ISO25600とかになってしまいます。ザラザラですね。M4/3の限界といったところか。
かと言って、例えD3400でも、一眼レフだとちょっとかさばるんですよね。いや一度持っていきますか。

RAW現像で暗部を持ち上げてみた

もう工事が終わっている時間、かなり暗いです。RAWで撮って、現像時に暗部を持ち上げてみましたが、ISO3200でもGX7MK2だと結構厳しいですね。
元第1工場のあった場所に、物悲しげに解体くずが積まれていました。


写研関連のHPや文献、色々見ていますが、やはり感じるのは、1980年代までの栄光の歴史、そしてDTP時代に一気に進んだ90年代以降の状況、2000年代一気に写植機が売れなくなり、社員がどんどん去ってしまったこと、今の日本をなにか象徴させるような感じでなりません…。
写研は一体どうなるのでしょうか…。

【百里基地】20/9/10の記録 その2

「後何回ファントムを撮れるだろう?」
毎回そんな気持ちで撮っています。今回はアグレス祭りには間に合わなかってけど、アグレスはまだ撮る機会はいくらでもあるでしょう。でも飛んでいるファントムを撮れるのは、もう長くても半年。
しかも、10月後半からは仕事の関係で、休みが取りづらくなりそうなので、後指折り数えるほども撮れないのではないかな?

百里の空

この日は、お昼に雨予報でしたが、雲は多めだけど、基本的に晴れていて、これは絵的に映えるし、適度に雲があるのっていいんですよね。

早めの昼食をとって、早めに移動。アグレスが帰投したので、ギャラリーは恐らく前日よりは減っているでしょうけど、普段よりは多いですしね。

午後、また301SQが動き出す。

まずはT-4から上がり、続いてファントム。午前と同じ4機ですね。

最初に437号機、続いて…

A/B捻りキター!! 個人的にこのアングル好き。1枚目は鳥さんが入ってますね。

獅子丸も! 爆音! 痺れる!

434号機、A/B切るのがちょっと早かった。A/B切る直前の紫の炎が見えたのは良かったけどね。
ファントムが怪鳥と呼ばれるのがよく分かる絵になったな。最後のは曇って彩度が落ちて、良いコントラストに。

ロクヨンにx1.4テレコンですが、さすが、クロップしても解像力、コントラストが高いし、AFの食いつきも良いですね。この辺りが、SIGMA 150-600mm Sportsとの差かな? SIGMAも値段考えたら健闘しているし、ズームなので汎用性も高いし、良いレンズですけどね。
単焦点になってから、フレーミングに集中できるようになったというのは大きいです。ズームはどうしても欲が出てしまって…。

お、珍しく小牧基地401SQのハークが。086号機は、1998年に導入した最後のC-130Hで、H型としてもロッキード社での新造最終号機です。
基本頑丈な機体ですし、世界中で新旧使われていて、海自は70年代製造の中古機を再生して使っていたりしますので、空自のハークも、まだまだ長く使われることでしょう。

そして、ファントム、帰投しました。

最初に降りたのは獅子丸でした。

この日は3rdでラストでした

この後、どうやら機体を格納したようです。
3SQのF-2はそもそも最初から表に出ていなかったので、この日はかなり早い時間に終了のようでした。
ファントムも次々に退役し、残りの飛行時間も少ない? パイロットも少なくなってきているのか、あまり活発には飛ばなくなってきている印象です。

ほんと、いつまで見られるのか? なので、今年度は機会を見つけては百里に通いたいと思います。

【百里基地】20/9/10の記録 その1

7日(月)に小松基地から飛行教導隊(アグレッサー)のF-15DJが百里基地に展開、今週いっぱい訓練…のハズでしたが、諸事情により早めに戻ることになったそうです。

本当は、アグレッサーを撮りたかったのですが、1日早く帰投、早朝は家庭的事情により行くことが出来ないため、アグレッサーの撮影は諦めて、ファントムが撮れればいいかな、ということで向かいました。

案の定、私が到着する1時間前には、アグレスは帰投したようですね。

到着時、どこで撮ろうか迷いましたが、結果的にはここで良かったなーとなりました。ちょうど4機フォーメーションで301SQのファントムが飛んできました。

4機のファントムはタッチアンドゴーを行い…

上空をフライパス、カッコいいです。

そして今度は着陸進入。

スペマファントムは見れなかったけど、獅子丸こと440号機含め、いつもの機体が元気に飛んでいて、楽しかったですよ。
COVID-19の影響で、今年度全ての航空祭や自衛隊イベントが中止に、そして今後のニューノーマルの世界では、イベントも制限されそうです。
こうして生で見る機会は確実に減るわけです。今までは本当にラッキーだったんだなと、改めて思いましたね。

続く…

EPSON ScanでICCプロファイルが表示されなかった話

35mmフィルムは今でもNikon COOLSCAN Vを使っていますが、中判フィルムはEPSONGT-X970を使用しています。これは現行のGT-X980の1世代前の機種ですが、性能的にはほぼ同じで、透過原稿の光源が、前者はCCFL(冷陰極管)なのに対し、後者は基本的にウォームアップがいらないLEDとなっています。

さて、今年に入って、OSの入れ直しをした際に、スキャナのキャリブレーションのファイルも消してしまったので、改めてキャリブレーションを行ってみました。

x–riteのi1 Profilerでスキャナをキャリブレーション

EPSON GT-X970や、現行のX980には、スキャナのキャリブレーション用に、i1Scanner(i1 Profilerに統合)が付属していて、透過原稿と反射原稿用のキャリブレーションシートが添付されています。
これを無補正でスキャンし、i1 Profilerでプロファイルを作成します。やり方は、2014年のアサブロに掲載していますのでご参考に。

ところが今回、作成したプロファイルをEPSON Scanの環境設定で設定しようとしたところ、こんなトラブルが出てしまいました。

プロファイルを設定できるが、真っ白になっている

ご覧の通り、「EPSON標準」以外のプロファイルが、選べるけど真っ白の表示で、何が選択されているかがわからない!

プロファイルは、i1 ProfilerでICC Ver2で作成(EPSON ScanはVer4プロファイル非対応なので)しているし、特にデフォルトの設定項目からはいじっていません。
何度かやり直しても同じで、i1 Profilerの再インストールを行ってもダメでした。EPSON Scanもインストールし直したけど、改善せず。
もちろん、ICCファイルには英語名のファイル名で保存していますし、それほど長い名称もつけていません。

ここ2,3日、それで格闘し、どうにも改善しないので、EPSONのサポートに連絡しました。しかし、返事としては、

お問い合わせいただきました件でございますは、誠に恐れ入りますが、お知らせの内容から、弊社よりご対応方法などをご案内することが難しい状況でございます。
つきましては、対応OSなどにつきまして、一度エックスライト社へご確認くださいますようお願い申し上げます。

とのことでした。
なんだかたらい回しにされそうな予感…。

今一度x-riteのHPを確認したところ、起動時バージョンチェックされてはいますが、そこに引っかからなかった新しいバージョン(i1 Profiler Ver3.3.1)が9月8日付で公開されていました。(それまでインストールされていたのはVer3.3.0)

試しにこれ(Ver3.3.1)をインストールして、プロファイルを作成したところ…

i1 Profiler Ver3.3.1で作成したプロファイルは表示された

今度はちゃんとプロファイルが表示できました! ということは、やはりi1 Profiler側の問題ということか…。

以前は旧バージョンのi1 Profilerで作成したものでも、ちゃんとキャリブレーションしたプロファイルは表示されていたので、思うに、Windows 10のVer2004が悪さしていないか?とも考えられます。

いずれにしろ、i1 ProfilerのVer3.3.1で我が家の環境では解決したので、同様の事象が発生している環境では、Ver3.3.1以降を試してみてはいかがでしょうか?


x-riteはi1 Profilerのバージョンアップは割と頻繁にしてくれるので、バグフィックスしてくれるという点では助かりますが、検索で旧バージョンばかり出てきてしまい、HPも見づらいのが難点ですね…。


今やフィルム専用スキャナは海外のごく一部に残るのみ、国産ではフラットベットスキャナではEPSON GT-X980かX830くらいでしょうか。Canonもフラットベットスキャナは1機種のみで、フィルムスキャンできるものは販売終了してしまいました。需要がないのでしょうね。
若者の間でフィルムが流行っているとか聞きますが、スキャンはお店にお願いして、中にはネガはいらないなんて人もいるようで…。何のためのフィルムなんだろうか?
本気でスキャンやっている人は少ないのでしょうね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/8)

少し暑さが緩み、台風が来るようになって、雨がちな天気も増えてきましたが、晴れ間とタイミングを見つけて、仕事前と帰りに撮影している、写研の埼玉工場解体の様子。

第二工場も解体が進む

第二工場も随分解体が進みました。

※これまで、第二工場と書いたり、第2ビルと書いたりしていましたが、調べると第二ビルと表記しているサイトが多いことから、今後は第二工場に表記統一します。

第二工場は1965年(昭和40年)に操業開始だけあり、半世紀以上経過した建物ですから、窓の形状など古さを感じさせます。
写真を見ると、工場の機械らしきものが一部残されていました。
地下もあるようでしたが、地下部分はどう解体するのかが気になります。

かつて写植機で莫大な利益を得た写研ですが、90年代以降のDTPの普及に伴う業績悪化で、2007年7月時点の埼玉工場の社員数は30人とのこと、しかも工場は1965年(昭和40年)に操業開始だけあり、半世紀以上経過した建物ですから、窓の形状など古さを感じさせます。写真を見ると、工場の機械らしきものが一部残されていました。地下もあるようでしたが、地下部分はどう解体するのかが気になります。かつて写植機で莫大な利益を得た写研ですが、90年代以降のDTPの普及に伴う業績悪化で、2007年7月時点の埼玉工場の社員数は30人とのこと。
しかも写植機の販売数減少で、2002年からは本業と関係のない内職の仕事もしていて、2007年にはその内職の仕事すらなくなり、社員は自宅待機を命ぜられるなど、21世紀入ってからは、写植機の生産はほとんどなくなっていたことが伺えます。
工場としては、もう20年近く殆ど動いていなかったのでしょうね。
その一方、その時点でも内部留保は400億円以上あり、如何に全盛期に稼いで、それを蓄えていたことか。こうした内部留保は、社員の給与や、そして今回の建物解体にも充てられているのでしょう。

メインビル

メインビルを横から。棚が隅っこに寄せられたまま、解体待ちです。手前に見切れる建物も、大分解体が進みました。

ここからは、仕事帰りの夕方撮影

仕事帰りです。メインビルは解体が進み、5階部分はほぼ解体されています。
第二工場もフロアがだいぶ削られています。朝見た工作機械も消えていましたので、建物ごと解体されたのでしょうね。
ところで、マイナビの記事に、1970年当時の第二工場の写真が掲載されています。今と違ってクリーム色ではなかったようですね。


Instagramに解体中の写真と動画を発見

ここからは、人様の写真をリンクします。

埼玉県和光市市議で行政書士の安保氏Instagramに、高い場所から撮影したと思われる、解体中の写研埼玉工場の写真と動画が掲載されています。8月に撮影したものです。
私が撮れないアングルからなので、ちょっと羨ましい(*^^*)

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【写研工場解体工事】 毎日楽しませていただいている解体工事の今日の様子です。 一部、粉塵が気になるとの声があると聞きましたので改めてよく観察してみました。 粉塵が上がりそうな所では重機から、また、人がホースで、大量の水を撒いています。 また、敷地外に面する部分では足場の外側にプレートを貼り外に粉塵や破片などが飛び出さないようにされています。 事前に丁寧な説明会もあり、また、工事計画も周辺住居にポスティングされるなど、安全には配慮されています。 #和光市 #写研 #ヤオコー #誇れるまち和光へ

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安保氏のコメントにもあるように、ホースで水をまきながら解体しているため、周辺住宅や交通への粉塵の影響は特に感じません。
騒音も問題なく、防音壁の遮音性の高さがわかります。

写研川越工場はストリートビューで確認可能

写研には、埼玉工場(埼玉県和光市)以外にも、かつては川越工場が存在しました。川越工場も埼玉ですけどね。あとに建てられたからでしょうか?
※後述する本が届いたので、それを確認したところ、川越工場は1982年に出来たそうです。

その川越工場は、2018年には解体されて、現在は住友商事の物流倉庫「SOSiLA川越」となっていますが、ストリートビューに川越工場の画像が残されています。

最も古い2012年のデータの時点で、すでに工場は稼働していおらず、草や植樹は伸び放題、柵は錆び、休憩所?と思われる場所の障子は破れて、長いこと使われていないのが伺えました。
何せ、2007年時点で、川越工場の従業員はわずか10名だったそうで、その人数だと建物の管理とか、ちょっとした保守部品の生産程度しかできなかったと思われます。最盛期は400人超えだったそうですが。

解体前の2017年の時点では、草が刈り取られ、植樹も消えていること、内部にトラックが入っている様子が伺えることから、この時点で解体は決まっていたのでしょう。先のSOSiLA川越のリンク先の記事にも、

今回の「SOSiLA川越」の開発はその商社としての総合力を物語っている。「この土地は写研さんの遊休地だったのですが、鶴ヶ島の土地とこの芳野台の土地の両方を1社で引き受けてくれるのなら、売却しますということでした。

https://www.lnews.jp/2019/02/l0201301.html

との記述がありますので、使っていないので、買ってくれるなら一括で買ってほしい、といった感じだったようですね。
ところで、鶴ヶ島にも土地があったのですね。色々調べると、ネットの情報だけではわからないことも多いです。「ネットに真実はない」なんて言う人もありますが、実際には真実もあれば間違いも多い、というのがネットです。この私の書いていることも、確信が持てないことだってありますしね。
ということで、ちょっとお高いですが、どうにも写植機の歴史に興味が湧いてきたので、こんな本を手配しました。

2016年の出版なので、まだそれほど古くない。写研や川越工場のことも記載されているようです。ゆっくり読んで、記事に反映できる情報があれば、記載していきたいと思います。