「建築物」カテゴリーアーカイブ

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/8)

少し暑さが緩み、台風が来るようになって、雨がちな天気も増えてきましたが、晴れ間とタイミングを見つけて、仕事前と帰りに撮影している、写研の埼玉工場解体の様子。

第二工場も解体が進む

第二工場も随分解体が進みました。

※これまで、第二工場と書いたり、第2ビルと書いたりしていましたが、調べると第二ビルと表記しているサイトが多いことから、今後は第二工場に表記統一します。

第二工場は1965年(昭和40年)に操業開始だけあり、半世紀以上経過した建物ですから、窓の形状など古さを感じさせます。
写真を見ると、工場の機械らしきものが一部残されていました。
地下もあるようでしたが、地下部分はどう解体するのかが気になります。

かつて写植機で莫大な利益を得た写研ですが、90年代以降のDTPの普及に伴う業績悪化で、2007年7月時点の埼玉工場の社員数は30人とのこと、しかも工場は1965年(昭和40年)に操業開始だけあり、半世紀以上経過した建物ですから、窓の形状など古さを感じさせます。写真を見ると、工場の機械らしきものが一部残されていました。地下もあるようでしたが、地下部分はどう解体するのかが気になります。かつて写植機で莫大な利益を得た写研ですが、90年代以降のDTPの普及に伴う業績悪化で、2007年7月時点の埼玉工場の社員数は30人とのこと。
しかも写植機の販売数減少で、2002年からは本業と関係のない内職の仕事もしていて、2007年にはその内職の仕事すらなくなり、社員は自宅待機を命ぜられるなど、21世紀入ってからは、写植機の生産はほとんどなくなっていたことが伺えます。
工場としては、もう20年近く殆ど動いていなかったのでしょうね。
その一方、その時点でも内部留保は400億円以上あり、如何に全盛期に稼いで、それを蓄えていたことか。こうした内部留保は、社員の給与や、そして今回の建物解体にも充てられているのでしょう。

メインビル

メインビルを横から。棚が隅っこに寄せられたまま、解体待ちです。手前に見切れる建物も、大分解体が進みました。

ここからは、仕事帰りの夕方撮影

仕事帰りです。メインビルは解体が進み、5階部分はほぼ解体されています。
第二工場もフロアがだいぶ削られています。朝見た工作機械も消えていましたので、建物ごと解体されたのでしょうね。
ところで、マイナビの記事に、1970年当時の第二工場の写真が掲載されています。今と違ってクリーム色ではなかったようですね。


Instagramに解体中の写真と動画を発見

ここからは、人様の写真をリンクします。

埼玉県和光市市議で行政書士の安保氏Instagramに、高い場所から撮影したと思われる、解体中の写研埼玉工場の写真と動画が掲載されています。8月に撮影したものです。
私が撮れないアングルからなので、ちょっと羨ましい(*^^*)

この投稿をInstagramで見る

【写研工場解体工事】 毎日楽しませていただいている解体工事の今日の様子です。 一部、粉塵が気になるとの声があると聞きましたので改めてよく観察してみました。 粉塵が上がりそうな所では重機から、また、人がホースで、大量の水を撒いています。 また、敷地外に面する部分では足場の外側にプレートを貼り外に粉塵や破片などが飛び出さないようにされています。 事前に丁寧な説明会もあり、また、工事計画も周辺住居にポスティングされるなど、安全には配慮されています。 #和光市 #写研 #ヤオコー #誇れるまち和光へ

あんぽ友博(@tom_ampo)がシェアした投稿 –

安保氏のコメントにもあるように、ホースで水をまきながら解体しているため、周辺住宅や交通への粉塵の影響は特に感じません。
騒音も問題なく、防音壁の遮音性の高さがわかります。

写研川越工場はストリートビューで確認可能

写研には、埼玉工場(埼玉県和光市)以外にも、かつては川越工場が存在しました。川越工場も埼玉ですけどね。あとに建てられたからでしょうか?
※後述する本が届いたので、それを確認したところ、川越工場は1982年に出来たそうです。

その川越工場は、2018年には解体されて、現在は住友商事の物流倉庫「SOSiLA川越」となっていますが、ストリートビューに川越工場の画像が残されています。

最も古い2012年のデータの時点で、すでに工場は稼働していおらず、草や植樹は伸び放題、柵は錆び、休憩所?と思われる場所の障子は破れて、長いこと使われていないのが伺えました。
何せ、2007年時点で、川越工場の従業員はわずか10名だったそうで、その人数だと建物の管理とか、ちょっとした保守部品の生産程度しかできなかったと思われます。最盛期は400人超えだったそうですが。

解体前の2017年の時点では、草が刈り取られ、植樹も消えていること、内部にトラックが入っている様子が伺えることから、この時点で解体は決まっていたのでしょう。先のSOSiLA川越のリンク先の記事にも、

今回の「SOSiLA川越」の開発はその商社としての総合力を物語っている。「この土地は写研さんの遊休地だったのですが、鶴ヶ島の土地とこの芳野台の土地の両方を1社で引き受けてくれるのなら、売却しますということでした。

https://www.lnews.jp/2019/02/l0201301.html

との記述がありますので、使っていないので、買ってくれるなら一括で買ってほしい、といった感じだったようですね。
ところで、鶴ヶ島にも土地があったのですね。色々調べると、ネットの情報だけではわからないことも多いです。「ネットに真実はない」なんて言う人もありますが、実際には真実もあれば間違いも多い、というのがネットです。この私の書いていることも、確信が持てないことだってありますしね。
ということで、ちょっとお高いですが、どうにも写植機の歴史に興味が湧いてきたので、こんな本を手配しました。

2016年の出版なので、まだそれほど古くない。写研や川越工場のことも記載されているようです。ゆっくり読んで、記事に反映できる情報があれば、記載していきたいと思います。

【埼玉】2020年の日窒鉱山から(モノクロ編)

8月に撮影した日窒鉱山の廃墟ですが、デジタルと同時に、BRONICA S2を使用したフィルム撮影も行っていました。
現像とスキャンが完了したので、掲載いたします。

広角のNikkor-50mm F2.8だけで撮ったので、もう少し引き目の写真に仕上げるつもりでしたが、少し中途半端になってしまいましたね。

撮影場所は傾斜地が多く、またあまり引いて撮影できない状況、三脚の設置が難しい状況で、思うように撮影できなかったかな。

とまあ少し言い訳しましたが、中判フィルムの立体感は良いですね。
加えて、フィルムはこれが手持ち在庫最後の旧ACROS(現在ACROS IIに移行)でしたが、このフィルムの諧調性の豊かさと粒状感のなさは中々ですね。

ACROS IIも手に入れているので、そのうちリベンジ撮影したいですね。

【岩手】国民宿舎山王閣 2009年4月撮影

アサブロにのみアップしていた、国民宿舎山王閣の写真を、再現像しました。
アサブロのコメントに、当時の写真を頂きたいとの書き込みがあり、再現像を行いました。

当時は、撮影量に対して、Web化が間に合っておらず、また当時のアサブロでは写真を多く掲載することに限界があり(現在もですが)、またHP掲載にもWordPressのようには簡単にきれいに作れるわけではなかったので、アサブロに選んで掲載する、くらいしかしていりませんでした。

撮影から10年以上経過し、その当時の写真が、今となっては貴重に、となってくる時期でもあります。写真の面白さは、撮った直後だけでなく、こうして10年20年、あるいは100年後にも違った支店で楽しめるということでしょう。半世紀前の写真なんて、今見ると全てが新鮮ですからね。

1974~78年の航空写真から、国民宿舎山王閣 国土地理院

さて、国民宿舎山王閣は、岩手県宮古市の三王岩を眺望できる高台に、1965年に開業しました。
国民宿舎ということで公営の宿泊所で、4階建てのコンクリートにプールの付いた、当時としてはモダンなリゾート宿泊施設だったかと思います。
国民宿舎は、1956年の制度化以降、1960~70年代にかけて、全国各地で開業し、廉価で整った宿泊施設を提供しましたが、70年代以降は民間の宿泊施設も多く建造されると、90年代以降は国民宿舎の老朽化と陳腐化により、閉業や民間譲渡される施設も多くなりました。

山王閣も1995年に民間に無償貸付されたものの、恐らく設備の老朽化も進み、改築に見合う営業収入を得ることが難しかったのでしょう。2001年に閉業しました。

海沿いの施設ということで、廃墟と化して8年後の撮影でしたが、その1年後の2010年には解体されたとのことです。そして、そのさらに1年後の2011年3月11日、東日本大震災により、宮古市も津波により多くの被害が出ました。

多分宮古市のホテルだったと思うが、どのホテルだったか思い出せない… ここも津波被害はあったと思われる

この撮影の前日、宿泊したのは宮古市のホテルでしたが、海沿いでしたから、震災による津波被害は恐らくあったと思われます。残念ながら、ホテルの写真はこの1枚のみで、周辺写真は撮っていません。
たろう観光ホテル…だったかも知れません。もし、この写真を見て、どのホテルかわかる方がいましたら、コメントいただけるとありがたいです。

撮影は、田老鉱山撮影後で、三王岩を見たいと思ってたまたま行ったら、山王閣があった、という偶然で撮影したものです。疲れていて、あまり気合の入っていない写真ですが、よろしければご覧いただければと思います。
なお、現在は前述の通り建物は解体され、周辺は整備されて山王園地となっています。

山王閣からはそのまま海岸の遊歩道につながっていて、浪打崎まで降りることが出来ました。

残念ながら、2019年の台風19号の影響で、この遊歩道が使えない状態となっており、現在(2020年9月時点)でも通行禁止となっているようです。実は、その復旧工事関係者より、復旧にあたり、山王閣のプールがあった平場が崩壊したため、プールがあった当時の状況を資料として使用したい、との連絡があり、今回写真の再現像に至りました。

写真って、こうして過去を示す資料でもあるんですよね。お役に立てばと思います。

【写研埼玉工場】解体動向(20/9/2)

シリーズでお送りしている?写研埼玉工場解体。

写研埼玉工場(20/9/2)

さて上の写真でお気付きでしょうが、ついに第二工場の解体も始まったようです。

手前には鉄筋が山積みされています。第二工場の解体方法は、メインビルと同様に、中央部分から崩していっているようです。
短いですが、動画も撮ってみました。

三脚がないと、動画は厳しいな…。

メインビルを横から

メインビルも随分解体が進みました。中央部分から崩しているので、建物の両サイドはまだ残っています。
棚や、写植機関連のかもしれない筐体も、まだ残っていますね。

建物中央は、解体が進んで壁が低くなっています。解体したら、その部分の防音壁も撤去しているので、中央が凹んでいる感じです。作業員の方が、防音壁の撤去作業を進めているようでした。高所恐怖症だと出来ない仕事ですね。


さて、仕事帰り、夕方も来てみました。もう18時過ぎともなると、だいぶ暗くなってくる季節ですね。写真的にも厳しい季節となってきました。特にこの撮影では、M4/3のGX7MK2を使っていますが、高感度はやっぱりセンササイズなりで厳しいものがあります。

朝と比較して、中央部分の解体が進んで、通りを挟んだ向こうのマンションが見えるようになってきました。

メインビル横は変化なし

メインビルの横は、しばらくこのままなのでしょう。朝と変化はない感じです。

第二工場は、朝と比べて開口部は広がっていませんが、内部の解体は進んだようです。柱は残しつつ、床と壁を先に解体しているようですね。

メインビルを通り側から

メインビルの中央部分の解体が進んで、防音壁とネットが撤去されています。入り口の守衛所は最後に解体するのでしょうね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/28)

写研埼玉工場 (20/8/28)

写研埼玉工場、いよいよメインビルも半分以上が解体され、通り側の壁面解体まで近づいてきた感じです。
第二工場はまだ解体に着手されていないようです。

メインビルの通り側は、防音壁に囲まれていて、見た目は変化なし。ただ、元第一工場のあった場所には、解体で出た鉄筋などの金属ゴミが積まれていました。散水していますね。

第二工場クローズアップ

見るからに古めかしい外観の第二工場。メインビルは割と近代的だったので、こちらはいかにも昭和30年代感が漂います。

解体用重機のアームが、ニューっと天高く伸びています。その先の爪が、アームの長さからすると小さめに見えますが、こいつがコンクリートを砕き、鉄筋を切り刻んでいるのですね。

残された棚や機材

金属製の棚は、そのまま一緒に解体され、金属くずになるようです。写真左下に、コピー機のような筐体があり、拡大してみると「SHA-KEN」のロゴが入っていて、写植機関連の筐体なのでしょうか?

出社前の朝の撮影だと、ちょうどこの時間帯、逆光になってしまって見づらいですね。
ということで、仕事帰りにまた寄ってみることに。

夕方、だいぶ暗くなってきました。写真だと露出を上げているのであまり暗く感じませんが、周辺はだいぶ暗いですね。もちろん解体作業も終了しています。

ネット越しですが、ついに解体は、通り側外壁の窓が見えるまでに至りました。建物両サイドは残してコの字に解体しているのは、途中で建物が倒壊しないようにしているのでしょうね。

ネットの張られていない場所からは、建物上面しか見えませんが、窓ガラスが見えているので、その向こうは防音壁です。
ここが解体されれば、いよいよ解体も佳境です。
2枚目は月を入れて、実際の周辺の明るさに雰囲気に合わせてみました。結構暗いですが、これからどんどん暗くなるのが早くなり、仕事帰りの撮影は、難しくなりそうです。

9月中には解体が一通り完了しそうなメインビル。防音壁が張られていますが、これが撤去されたときには、もうメインビルはなく、第二工場の解体が始まっているでしょう。
そして1年後には、スーパーマーケットに生まれ変わるようです。
ほんとうに、何でもそうですが、無くなるときはあっという間ですね。

光が丘清掃工場の煙突をタイムラプスで

ただただ長期間撮り続けるタイムラプス、インターバル撮影して編集していますが、大抵は失敗だったりします。というか、これぞタイムラプス! というのは中々出来ないですね。

今回は、タイトルの東京都練馬区の光が丘清掃工場の煙突をただただ撮っています。
光が丘清掃工場は、現在建替え中ですが、いよいよ新工場の完成も近づき、まもなく試運転も開始されるようです。その工期や、旧工場の解体から新工場の建設の様子は、HPで公開されていて、これがまたすごいです。煙突からの360℃動画は、思わず急所がキュッとなってしまいます(笑

さて、2020年4月時点では、光が丘清掃工場の新煙突はまだ工事中で、クレーンと足場も、一番上になっていました。

光が丘清掃工場の煙突
2020年4月の光が丘清掃工場の煙突

これが、今月に入り、足場の位置が下がっていることに気づきまして、それではとインターバル撮影を開始しました。

4月時点では、まだ煙突はコンクリートむき出しでしたが、上の方から白い塗装がされて、クレーンと足場が少しずつ下がっています。このペースだと、8月中には完成しそうな感じですね。

8日間をタイムラプスで2分に縮めています。インターバル撮影の間隔としては3分毎です。
上の静止画で気付いたかも知れませんが、途中で三脚がずれてしまい、撮影開始時と終了時で、煙突の位置がずれてしまいました。このため、タイムラプス化の動画編集で、クロップして位置を調整しています。ベランダに洗濯物を干していると、どうしても三脚に当たってしまうこともあるので…。

足場ですが、下がるときは割と一気に下る(タイムラプスなので、実際はもっとゆっくりですが)感じで、煙突の塗装をして、段階的に下げる感じです。

8日で64GBのメモリカードいっぱいになったので、24日の朝に一旦撮影中断、本日よりまた撮影開始です。煙突の完成まで撮ってみたいと思います。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/20)

写研埼玉工場のメインビル解体もかなり進んでいるので、撮影できるタイミングがあれば、できるだけ撮影するようにしています。

今回は、いつも撮っている場所ではなく、ネットの貼られていない箇所で見える範囲での撮影です。

大きなアームの重機が、水をかけながら鉄筋コンクリートをカット中です。

ホコリが立たないようホースで散水しながら解体しています。外壁を撤去しつつ、上から少しずつ解体している感じですね。

こんな感じで解体するのか~と興味はつきませんね。できればカメラを置きっぱなしで、タイムラプスで撮ってみたいですね。

まだ第2工場ついては解体が始まっていませんが、メインビルが一段落したら、第2工場も解体されるでしょうね。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/17)

夏休み期間中は訪れることができなかった写研ですが、休み明けの初日、少しですが時間を見つけて朝と夕方見てきました。

写真の時系列多々少前後します。

奥に見える白い壁の第2工場は、まだ解体は始まっていない様子でしたが、遠からず始まりそうな雰囲気です。横から見ると、かなり解体が進んでいるのがわかります。

今週の作業予定

今週も、躯体解体(メインビルでしょう)、内装解体とあり、第2ビルの方はまだ内装解体を行っているのかな? どちらのビルのことを指しているかはわかりません。

朝は逆光になってしまうため、夕方仕事が終わってからの撮影。いつもながら、ネット越しの撮影ゆえ、見づらくてすみません。

メインビル中央部分も、エレベーターホールに達する部分まで解体が進んでいます。
こういう構造、解体中でしか見られないので、興味深いですね。最後の写真で一番下のエレベーターホール、なぜかエレベーターの扉が手前に開く扉になっているんですよね。よく見ると、その上の階も、手前は引き戸でした。エレベーター2基かと思ったら、手前は階段の扉かも知れないですね。


解体工期は来年2月までのようですが、このペースで行くと、9月にはメインビルは全て解体されてしまいそうですね。第2工場解体はその後でしょうか?

【埼玉】2020年の日窒鉱山から

日窒鉱山に最初に訪れたのは2007年頃かな?、以来定期的に訪れていますが、Webに掲載しているものでは、2014年が最後となっていました。また、Web掲載分も、古いものはjava scriptやFlashでHP作成したものもあり、今では見られないものもあるため、過去の写真については、いずれ現代の環境に見合った解像度で再掲載したいとは思います。

この十数年の間に、既に取り壊された建物や、老朽化による倒壊した建物、まだかろうじて残っている建物等色々ありますが、他の方のHPなど、更に昔の画像と比較すると、随分時間が立ったために、老朽化がさらに目立つ建物が増えてきて、すっかり風景も変わってきました。

毎年、この時期は、後輩と廃墟撮影ツアーを組んでいましたが、今年はCOVID-19が蔓延しているため、1人での撮影となりました。立ち寄り地も極力少なくし、片道移動3時間ほどかけてやってきました。

2007年の写真と比較すると、ここからの風景だけは昔のままでした。

日窒鉱山は、現在でも(株)ニッチツ結晶質石灰石を採取している現役の鉱山施設があり、当然その部分は立入り禁止です。
お盆期間中ですが、平日だけあり通常通り操業していました。

BRONICA S2でも撮影

この日は、BRONICA S2による最後のNEOPAN ACROS(現行のII型になる前のフィルム)を使用し撮影、そちらの写真は現像仕上がってスキャンしたら掲載するとしましょう。
※スキャン完了しましたので、モノクロ編も御覧ください

慰霊之碑

お盆時期だけあり、慰霊之碑には飾りとお供え物が置かれ、そして殉職したニッチツ職員の霊を慰めていました。

鉱山住宅の廃墟も、年々老朽化が進んでいますが、残る遺構を撮影します。廃住居には、かならずある一升瓶。今では一升瓶と言えば日本酒ですが、昔は醤油など調味料も一升瓶でしたね。酒屋に空き瓶を持っていくと、10円程度で引き取ってくれたものです。

猛暑日が続く中、日窒鉱山付近の気温は30℃程度と、40℃に迫る関東圏の中では涼しい方ですが、湿度がかなり高く、不快指数MAXな状況でした。

鉱山住宅を訪れる

日窒鉱山住宅は、渓谷の斜面に建てられている物が多く、現役だった頃は、もう少し木々も少なかったのでしょうが、ベランダからすぐ下が傾斜地、というのも、今では中々考えられない立地です。よくこんな場所へ建てたなと感心します。

写真のこの住宅は、残留物から、恐らく子供のいる家庭が住んでいたのでしょう。女児向けの靴や、小学校の教科書が残っていました。
しかし、ほとんどの家具は、引っ越す際に持っていったのでしょう。本のようにかさばるもの以外は、比較的残留物はありませんでした。
電気信管の木箱は、日窒鉱山ではよく見かけるもので、箱を再利用していたのでしょうね(まさか家庭に信管を持っていくとは思えないですし…)

ビデオテープが重ねられていた部分、トリミングすると、「ご自由に、お持ち帰り下さい。」のテプラが貼られ、その上には懐かしいタイトルのテープが。特に上から3本目、ご存知のあなたは間違いなくオッサンです(笑

建物的には、90年代後半に使われなくなったと推察します。

公衆浴場跡へ

公衆浴場跡、昔は入口に木の板で封をされてもいなかったのですが、不法侵入対策ですね。もっとも、横の扉は開きっぱなしですが…

公衆浴場横の鉱山住宅は、ここの中では比較的新しい部類のものですが、アクセスしやすい場所のせいか、ベランダのガラスを割られたりするなどあったため、現在は明確に立入禁止としています。遠くから眺めるだけにします。

日窒鉱山住宅の象徴だった住宅は今

かつては、日窒鉱山住宅でも最も規模が大きい建物だったここは今、建物の半分が倒壊して撤去され、残った建物も倒壊の危機にさらされています。

2013年までは健在だったこの木造アパートは、翌2014年2月の大雪で、ついにその半分が倒壊してしまいました。その前後は、こちらの写真をご確認いただくとして、その後、倒壊したアパートの廃材は撤去されました。残る半分も、横から見ると、建物がくの字に変形しており、いつ倒壊してもおかしくない状況です。

鉱山住宅も、重機が入りやすい建物については、10年ほど前に大幅に解体されたものの、傾斜地など重機が入りづらい住宅については、解体が難しいためか、現在もそのまま残されています。ここも倒壊を待つだけの感じでしょうか。これが最後かなと思って毎回撮影しています。
ちなみに、白い結晶質石灰石が積まれている場所も、かつては鉱山住宅があり、この木造アパートよりはずっと新しいものでした。

売店跡周辺

売店跡、ここも老朽化が進み、窓ガラスの欠損が増えています。中には以前はスロットゲーム機など残されていましたが、今はどうなのだろう?
このあたりから、ピーカンだった空は少しずつ雲が広がってきました。この日の天気予報は午後2時位から雨になるとの予報。早めに撮影を進めます。

売店後ろの廃住宅群

売店の裏手には、解体されずに残った古い鉱山住宅が今でも残っています。売店裏手の建物は平屋なので、倒壊しても危険は少ないという判断でしょうか? 更に奥の傾斜地にも何軒かの鉱山住宅があり、ここは解体が難しいので放置状態のようでした。

さて、青空はすっかり雲に覆われてきました。そろそろ切り上げないと…

最も高台にある鉱山住宅

1枚目の写真、夏だと木が生い茂って、初めての人だと気づかないでしょう。ここにも鉱山住宅があります。今回は時間がないので、眺めるだけ。ここへのアプローチは結構な急斜面を上がらなければなりません。なお、2013年に、この鉱山住宅は訪れていますので、当時の写真をご覧ください

それにしても、今にも降り出しそうです。

大雨が降ってきた…

そしてついに雷が鳴り、慌てて車に戻ると大雨が。写真でわかるくらいの大粒の雨です。ということで、撤収します。何せここまでの道のりは断崖絶壁で落石注意の箇所が多く、雨で土砂崩れが発生したらひとたまりもありません。道路も川になっていたので、慎重に運転しながら帰路につきました。

撮影に2時間、往復で6時間…。

素掘りのトンネル

素掘りのトンネル

暑かったのが、一気に大雨で道路が冷やされて立ち込めるモヤがトンネル内にも。ここは日窒鉱山へ続く道の最後のトンネルで、素掘りです。電灯も一切ありません。初めて通ったときはかなりびっくりしました。暗くて怖いです。ちゃんと中央は道幅が広くなっていて、すれ違いに対応しています。

ということで、久しぶりの日窒鉱山でしたが、やはりもう少し撮影時間が欲しいですね。そして、真夏ではなく、春か秋口の天気の良い日に来たいです。

【写研埼玉工場】解体動向(20/8/3)

毎週お送りしている、写研埼玉工場の解体動向です。

写研埼玉工場(20/8/3)

先週、ついにメインビルの解体が始まりましたが、今回はその進行状況を確かめることになります。第二工場は、大きな変化はないようです。

メインビルは解体が進み、外壁だけでなく建物本体の解体にも着手されています。
ネット越しの撮影で不明瞭なのはご容赦を。
私はてっきり、この手のビルは鉄筋なのかと思っていましたが、柱は鉄心の入ったコンクリート柱なのですね。
水をかけてホコリの飛散を防ぎつつ、重機の爪が少しずつコンクリと鉄心を削っている感じですね。あんな上まで重機の爪が届くのですね。

少しずつ解体している感じで、夏休みまでにすべての解体とまでは行かないかな?
よく見ると、エアコンなど大型の機械や棚みたいなものは、そのまま建物に残して解体されているみたいですね。

今回、工程表の撮影を忘れてしまいましたが、しばらくは躯体解体が続くでしょう。
※写真撮ってきて追加しました。躯体解体継続ですね。

工程表追加しました

ところで、ここが解体された後、何ができるのか?

開発行為等計画標識

商業施設とあり、どうやら最近埼玉で店舗を増やしている「ヤオコー」が入るようですね。
たしかにこの周辺はスーパーマーケットないしね。
工期は来年9月末までとなっているため、来年の秋には写研跡地はヤオコーに姿を変えるようです。