「AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR」タグアーカイブ

【埼玉・群馬】登仙橋(とせんはし)

矢納水力発電所跡のすぐ近くにある登仙橋(とせんはし)。

【埼玉・群馬】登仙橋(とせんはし)

看板では、この先が群馬県となっていますが、登仙橋自体は埼玉県の管轄のようです。

1967年(昭和42年竣工)

1967年(昭和42年)に竣工した橋で、ちょうどその前年には、すぐ近くの矢納水力発電所が廃止となっています。
橋の構造はウォーレントラスだそうです。

奥には下久保ダムが見える

橋からの風景。この先に三波石峡があり、奥に小さく白っぽく見えているのが下久保ダムです。
AF-S NIKKOR 16-35mm f/4Gで撮影。このレンズ、解像力がいまいちとされていますが、少し絞って撮れば、奥のダムや山も割とシャープに撮れます。VR(手ブレ補正)が時々暴れたかのように像が流れる場合もあり、VR搭載の広角レンズと言えど、しっかり構えて一呼吸置いてシャッターを押す事が重要。

反対側の風景。この時間はまだ日陰が多く、コントラストが上がり気味の写真になってしまうため、ハイライト飛びしないようろ露出を抑え、RAW現像時に暗部を持ち上げてみました。

この時期の風景撮影は、湿度が低いので、くっきりきれいに撮れますね。

【埼玉】岩室観音堂と吉見百穴

岩窟ホテルのすぐ横にある岩室山龍性院の岩室観音堂。始まりは西暦800年代と言われています。

天正18年(1590年)の松山城の攻防戦の際に、一度消失してしまいましたが、江戸時代の寛文(1661~1673年)に龍性院第三世堯音が再建したものです。
お堂の造りは懸造(かけづくり)で、急斜面や崖など高低差が大きい場所に用いられる建築様式だそうです。

1階部分の左右にある洞窟内には88体の石仏が収められています。

なお、奥には「胎内くぐり」と称した穴があり、そこをくぐり抜けると子宝・安産・子育ての願いに通ずる、とされていますが、今回は…見忘れていました(汗

建物2階が本堂の御本尊様が祀られています。

いつ頃から貼られているのかわからない御札や奉納などが多数。歴史を感じますね。


本堂からは、観光名所である吉見百穴が見えました。

残念ながら、時間が遅かったため、吉見百穴は外から眺めるに留めましたが、この中には、戦時中の地下軍需工場跡もあるそうです。今度時間があったら行ってみたいですね。

というわけで、1月4日の埼玉廃墟遺産名所撮影はこれにて終了。
良いプチ撮影旅行が出来ました。

【埼玉】岩窟ホテル高壮館

1904年(明治37年)から、1人の男がノミを使って、独自に岩盤の採掘を始めた。「岩窟掘ってる」が訛って「岩窟ホテル」となった、とされており、ホテルとして建造し始めたわけではなく、洋風建築物としていたそうです。
彫り続けて21年後、その男性は逝去し、しばらく放置されていたものの、男性の息子が引き続き作業を継続、この場所は観光名所となりましたが、1980年代の台風による岩盤崩落により、1987年に閉鎖、以後再開されることなく現在に至っていっるとのことです。

現在も、採掘者の子孫が管理している場所となっています。

現在はフェンスに覆われ、門は閉ざされ、中に入ることは出来ません。
したがって外から見るだけとなります。
目の前の木が成長しており、冬でも全体像は見づらくなっています。夏だともっと見づらいでしょうね。

しかし、ノミだけで岩盤を何十年もかけて掘った建築物というのは、それだけで気迫がありますね。
現役時代は、岩盤に塗装を施していたそうですが、現在はすっかり元の岩盤に戻っています。Googleで現役時代の写真がいくつか確認できます。
このページでは、写真はかなり小さいですが、内部の写真も見ることが出来ます。
流石に30年以上経過すれば塗装も落ちますよね。

内部を伺いすることは出来ませんが、椅子やテーブルなど、調度品も岩盤を削って作ったのだからすごいです。
窓の鉄柵が、年月を物語っています。いやぜひ中を見てみたいものですが、崩落の危険があり、叶うことはないでしょうね。

お隣には岩室山龍性院が

ところで岩窟ホテルの隣には、岩室観音の岩室山龍性院がありましたので、そこも行ってみました。その紹介は次回に。

【埼玉】N医院

この場所は、目の前が住宅であることから、名称と詳細な場所は伏せさせていただきます。写真からもGPSデータは削除しています。
ま、調べればすぐわかるとは思いますが…。

なかなか美しい建築で、前から見たいとは思っていましたが、周辺は普通に住宅地なんですよね。ですから、ササッと見て撮影するに留めました。

何時頃建造されたかは不明ですが、建物の感じから、1950~60年代の建造かな?という感じです。写真の通り、建物の左側はレンガと石造りのしっかりとした美しい建物です。
すでに10年ほど前から、医院としては使われていない感じとのことです。
古びてはいますが、木造建築でない分、頑丈そうでです。お正月の飾り付けもされており、現在もしっかりと管理されていることが伺えます。立入禁止の看板も新しいですね。
入り口の医院の名前は、独特のフォントです。読めない(笑

一方、建物右側は木造建築です。
木造のため劣化が激しく、徐々に崩壊が始まっているようです。
この撮影の2,3年前の他の方の写真を見ると、入口部分には瓦づくりの立派な庇(ひさし)が存在していました。
が、現在は崩壊し、かろうじて建物に庇があったであろう三角形の取付部の痕跡が見られる程度です。
入り口の扉も外れており、2階の窓も一部外れているなど、状態はよくありません。こちらの建物の管理まではされていないのでしょう。

数分程度の撮影でしたが、見れてよかった建物ですね。


ところで、この撮影で使用したレンズ、AF-S NIKKOR 16-35mm f/4G ED VR、旧製品になってしまったようです。2010年発売の、比較的新しいレンズでしたが、ディスコン。後継レンズは恐らくないでしょう。
値段の割に、解像力がもう一歩で、ニコンファンからも評価が分かれるレンズです。
広角で唯一、手ブレ補正VRを搭載し、三脚を使えない廃墟撮影用に買ったレンズです。解像力は、確かにこのクラスのレンズとしては今一歩の感じはあります。やや線が太い絵なのですよね。絞っても大きく改善しません。この辺り評価が分かれるところです。とは言え、使いやすい焦点距離なんですよね。
Zマウントで、14-30mm f/4 Sが出ており、評判も良いことから、このレンズが実質後継なのでしょう。フルサイズのZマウント機は、手ブレ補正もボディに内蔵していますしね。

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【埼玉】矢納水力発電所跡

埼玉県と群馬県の県境。

群馬県と埼玉県の県境

渓谷に存在した水力発電所です。前回は2013年に訪問しており、再訪となります。

1914年(大正3年)に武蔵水電株式会社が、川越電気鉄道と周辺地域への電力供給のために建設した、埼玉県発の水力発電所です。
出力1100kWでした。

矢納発電所跡を眼下に見下ろす

1966年(昭和41年)、下久保ダムの建設に伴い、運用廃止されました。廃墟歴は実に半世紀以上となります。

前回は5月でしたが、今回冬の1月の訪問なので、樹の葉にに遮られない状態で撮影できました。

今回は初めてPC-Nikkor 28mm F3.5も使用しましたが、建築物を歪まずに撮影できるのは、大きな収穫でした。
冬の澄んだ空気で撮影すると、2013年5月の撮影の時とは、随分印象が違います。
私にしては珍しく、デジタル一眼レフ撮影でしっかり三脚を使用し、ISO感度は64に固定。D810もD850も、標準感度はISO64からのため、往年の銘フィルム、Kodachrome64で撮るかのように、しっかりと1枚1枚撮りました。

後半は、三脚を外し、超広角で撮りたくAF-S 16-35mmに切り替えましたが、広角特有のバースが付きすぎてしまい、もっと広角のPC-NIKKORレンズが欲しくなりますね。

併設された木造の職員待機所は崩壊が進みつつありましたが、レンガ造りの発電所は、大正時代の面影を今なお残していました。

護衛艦「はたかぜ」を見学(2014年1月)

昨日のブログでは、護衛艦から練習艦に艦種変更された「はたかぜ」(TV-3520)が、横須賀から呉に向けて旅立った話題と、去年撮った護衛艦時代の写真を掲載しました。
あまり「はたかぜ」を撮っていないなと思っていましたが、実は中も見ていたことがわかりました。記憶というものは曖昧ですね。

今から6年前の2014年1月、海上自衛隊横須賀基地にて、ミサイル護衛艦「はたかぜ」(DDG-172)を見学する機会がありました。
今回は、その時の写真を再編集してお送りします。

この日のバースには、イージス護衛艦「きりしま」(DDG-174)や、ヘリコプター護衛艦「ひゅうが」(DDH-181)など、自衛隊を代表する艦艇も停泊していました。

ミサイル護衛艦「はたかぜ」(DDG-171)と退役護衛艦「旧さわゆき」(exDD-125)

見学する「はたかぜ」と、その手前には2013年に退役した護衛艦「さわゆき」。「さわゆき」はこの時点で退役から9ヶ月、やや塗装が薄くなってきていました。

メザシ係留されている「はたかぜ」に乗り込むためには、退役艦「さわかぜ」経由で乗り込まなければならないので、じっくりディテ0るを観察。遠目にはまだきれいでしたが、よく見ると塗装にクラックが入り始めている他、主砲は砲身が取り外され、対艦ミサイルやCIWS(高性能20mm機関砲)も取り外されていました。
レーダー類は取り外されておらず、これはこの撮影の後、2015年に解体されるまでそのままだったようです。

なぜ退役後すぐ解体されなかったか、中の人に聞いたところ、解体にも入札など手続きが色々必要で、それが決まらないと解体できないのことでした。未だ現役の同型艦もいるので、機密の観点からも、解体業者はどこでも良いというわけには行かないですしね。


ここからは、ミサイル護衛艦「はたかぜ」に乗艦、まずは外観ディテールを。

乗り込んだ状態での撮影の為、どうしても全景というよりは、部分部分のディテール撮影になってしまいます。

「はたかぜ」は、イージス艦登場以前の、最後のターターDシステム搭載の艦隊防空のための護衛艦です。そのため、主兵装は、Mk.13発射機から発射されるスタンダードSM-1MR対空ミサイルで、イージス艦のように同時に複数目標対処は難しいため、イージス登場後は一気に陳腐化してしまったという経緯があります。とはいえ、この撮影時点では、前護衛艦隊にイージス艦は配備されておらず、まだ第一線の防空艦、そして現在も、「はたかぜ」型2番艦の「しまかぜ」は、「まや」型イージス護衛艦の2番艦が就役するまでは、第一線の防空艦として運用されます。

Mk.42 127mm単装砲も、かつて護衛艦の主力でしたが、現在では「はたかぜ」型2隻を残すのみとなりました。

現在、ミサイルはVLS(垂直発射装置)が主流ですが、専用発射機が残っているのも、80年代の古い護衛艦らしいですね。ASROCランチャの後ろ、艦橋の下には、ASROCの自動再装填装置が組み込まれています。

ハープーン対艦ミサイルは、このときは初期型のRGM-84Aと、Block1Cとも呼ばれるRGM-84Dが混載されていました。初期型はもう相当古いはずですが、まだ維持できているようです。最近でも、より新しい「むらさめ」型護衛艦が、RGM-84Aを搭載している事例もあるようで。


このあとはいよいよ艦内へ。まずは環境からです。

対潜コンソール?には、おそらく昔はCRT出会ったであろう表示装置、2014年時点で液晶モニタに。ソーナー(一般にソナーと言われている潜水艦の音響探知は、自衛隊ではソーナーと表記します)とCDS(Conbat Direction System:戦闘指揮装置)の表示があり、それぞれのデータから目標の方向や深度などが表示されるのかな? その下には、魚雷発射管とアスロック発射機の装填表示もありますが、赤丸は装填されているのでしょうね。ただ赤丸が訓練弾なのか実弾なのかは不明です。

フィンスタビライザーは、商船に搭載されているものと基本的に同じものでしょう。革巻きの操舵輪は、最新の護衛艦と比べると、なんとも古めかしい感じです。

速力表示版は、護衛艦でおなじみのもの。ちなみに、”一杯”とは、定格出力を超えて出力させるもので、例えば魚雷などから逃れるなど、万一の場合、機関に損傷を与えても、とりあえず出しうる最大のパワーで逃げるときのみ使うそうです。

係留図は、この日の横須賀基地の係留艦を掲示していました。お隣は「退役艦」、退役すると艦名も消されるため、名無しさんなんですね。

FURUNO FA-150 AISは、民間船舶にも搭載される船舶自動識別装置で、今では船舶の位置はインターネットでも船舶位置が表示可能ですね。


続いて艦内。ダメコン室と機関室を見せていただきました。

1枚目は、応急監視制御盤、いわゆるダメージコントロール(ダメコン)を行う場所で、艦内の火災や浸水状況を把握し、対応を行う場所で、戦闘艦では重要な区画の1つとなっています。

2,3枚目は機関室の制御盤です。「はたかぜ」型は、ミサイル護衛艦としては初めて(オールガスタービン艦は汎用護衛艦のはつゆきが最初)のオールガスタービン艦ですが、現在のような高度に電子制御された…という感じはなく、モニタも小さなものが最小限、主に計器と表示ランプで構成されていて、流石に古さを感じます。

3枚目はまさに速力を調整するための制御盤と速力レバーです。
ご丁寧に、速力の表示と速度、エンジン回転数とプロペラピッチの相関表を掲示してありましたが、「原速」12ノット(22.2km/h)までは主軸75rpmで、可変ピッチプロペラのピッチ角で速度調整し、それ以上はピッチ角固定で、軸速度を上げていくようです。
5戦速で30ノット(55.5km/h)、最大戦速で30ノット+α(32ノット程度までは行ける?)、一杯で「限界突破」だそうです。
前述の通り、最大戦速は、機関の損傷リスクを承知で、出しうる最大出力で逃げ切るためのものとなります。
さり気なく置かれているストップウォッチが、いかにも現場といった雰囲気です。

6年前の撮影ですが、なんだか懐かしいですね。
この時はNikon D800で撮影しましたが、やはり古いニコン、RAW現像でもちょっと苦労するタイプです。ハイライトが暴れるし、AWBはいまいち出し。画質自体は今の目で見ても良いのですけどね。
D800に比べると、後継のD810は本当に色の出方が良くなり、RAW現像で苦労することもなくなりました。

さて、護衛艦から練習艦となった「はたかぜ」、寿命延長されているので、あと4,5年は練習艦として活躍するのかな?
また観艦式など機会があれば見てみたい艦艇ですね。

国宝「歓喜院聖天堂(妻沼聖天堂)」を見てきた

というわけで、やってきました、埼玉県は熊谷市にある歓喜院聖天堂。こちらは御本殿となります。1779年(安永8年)に完成、2003~2011年に保存修理が行われたそうで、その際に外装の色彩が建造当時のものに復元されたということで、割と最近なのですね。

写真2枚目は、広角レンズで撮影して、RAW現像時に不自然にならない程度にアオリ補正をしています。こういうときは、超広角のシフトレンズが欲しいなと思いますね。

このあと、せっかくなので御本殿の裏手にある有料エリアの透塀を観覧しました。

素晴らしい彫刻は、日光東照宮に通じるものがあります。

団体客がいなくなったところを狙って、時間をかけて撮影できました。全体はAF-S 16-35mmで、クローズアップはDC 135mmで撮影してみました。

建屋周辺に囲いがあり、全体像を取るのは大変難しく、結果的にクローズアップ写真が多いです。

なんでも平成の大改修の際に囲いが作られたらしいです(ボランティアの解説のおじさん曰く)。

久々にじっくり撮影できました。どう撮ろうかと悩んだのですが、まさかここでDC 135mmが活躍するとは思いませんでした。案外自分にとってはしっくり来る画角なのかもしれませんね。

聖天堂までの道のり

国宝「歓喜院聖天堂(妻沼聖天堂)」までの数百メートルを、旧坂田医院から歩いていきまして。

途中の街並みが、いい感じに古いので、何枚か撮影しました。

上の2枚は明らかに閉店している廃墟?

3,4枚目は現役です。3枚目は昔は酒屋さんだったのでしょうが、今はお店の前の自販機だけの営業、4枚目はレトロな雰囲気の家具屋さんでした。

そして聖天堂へ。

門だけでも立派です。さすが国宝。本堂はまた。