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【埼玉】日窒鉱山廃住宅群(2008年10月)

埼玉県の日窒鉱山を撮影し続けて、かれこれ15年近くになります。
現在も株式会社ニッチツが操業している秩父鉱山の別名でもあり、かつてはその社宅が多く存在していました。しかし、現在では、多くの旧社宅は解体、または2014年の大雪の影響により倒壊し、撤去された建物も多くあります。
日窒では病院廃墟や学校の廃墟がその界隈で有名となってしまった結果、厳重な立入禁止措置がとられたり、建物の解体が進みました。
この写真は、まだそこまで厳重に立入禁止がされていなかった時代のものです。

現在でも、取り壊しの難しい急斜面などを中心に、いくつもの建物が残っています。
今回は、まだ解体が進んでいない、倒壊が進んでいない頃の、2008年10月の日窒鉱山廃墟群を再RAW現像した上でアップします。

デジタル一眼レフD300導入から1年、まだまだ明暗差の激しい廃墟撮影では、その画像処理に苦労していた時代です。最新のRAW現像ソフトで、あの当時は黒つぶれしていた画像が蘇りました。やはり大切な写真はRAWで撮るのが良いですね。

また、この撮影では、モノクロフィルムのBRONICA S2での撮影も実施しています。
合わせてご覧いただければと思います。

今は失われてしまった、あるいはさらに熟成が進んでしまった建物の、まだ若かった頃の写真をお楽しみください。

ここまではNikon D300で撮影したデジタル編。
次はBRONICA S2で撮影したモノクロ編です。

毎年撮りに行きたくなる日窒鉱山廃墟群ですが、年々建物が姿を消したり、撮影は難しくなってきています。それでも、飽きずに撮りに行きたい場所です。
今年も秋辺りに撮りに行きたいですね。

【埼玉】2020年の日窒鉱山から(モノクロ編)

8月に撮影した日窒鉱山の廃墟ですが、デジタルと同時に、BRONICA S2を使用したフィルム撮影も行っていました。
現像とスキャンが完了したので、掲載いたします。

広角のNikkor-50mm F2.8だけで撮ったので、もう少し引き目の写真に仕上げるつもりでしたが、少し中途半端になってしまいましたね。

撮影場所は傾斜地が多く、またあまり引いて撮影できない状況、三脚の設置が難しい状況で、思うように撮影できなかったかな。

とまあ少し言い訳しましたが、中判フィルムの立体感は良いですね。
加えて、フィルムはこれが手持ち在庫最後の旧ACROS(現在ACROS IIに移行)でしたが、このフィルムの諧調性の豊かさと粒状感のなさは中々ですね。

ACROS IIも手に入れているので、そのうちリベンジ撮影したいですね。

【埼玉】2020年の日窒鉱山から

日窒鉱山に最初に訪れたのは2007年頃かな?、以来定期的に訪れていますが、Webに掲載しているものでは、2014年が最後となっていました。また、Web掲載分も、古いものはjava scriptやFlashでHP作成したものもあり、今では見られないものもあるため、過去の写真については、いずれ現代の環境に見合った解像度で再掲載したいとは思います。

この十数年の間に、既に取り壊された建物や、老朽化による倒壊した建物、まだかろうじて残っている建物等色々ありますが、他の方のHPなど、更に昔の画像と比較すると、随分時間が立ったために、老朽化がさらに目立つ建物が増えてきて、すっかり風景も変わってきました。

毎年、この時期は、後輩と廃墟撮影ツアーを組んでいましたが、今年はCOVID-19が蔓延しているため、1人での撮影となりました。立ち寄り地も極力少なくし、片道移動3時間ほどかけてやってきました。

2007年の写真と比較すると、ここからの風景だけは昔のままでした。

日窒鉱山は、現在でも(株)ニッチツ結晶質石灰石を採取している現役の鉱山施設があり、当然その部分は立入り禁止です。
お盆期間中ですが、平日だけあり通常通り操業していました。

BRONICA S2でも撮影

この日は、BRONICA S2による最後のNEOPAN ACROS(現行のII型になる前のフィルム)を使用し撮影、そちらの写真は現像仕上がってスキャンしたら掲載するとしましょう。
※スキャン完了しましたので、モノクロ編も御覧ください

慰霊之碑

お盆時期だけあり、慰霊之碑には飾りとお供え物が置かれ、そして殉職したニッチツ職員の霊を慰めていました。

鉱山住宅の廃墟も、年々老朽化が進んでいますが、残る遺構を撮影します。廃住居には、かならずある一升瓶。今では一升瓶と言えば日本酒ですが、昔は醤油など調味料も一升瓶でしたね。酒屋に空き瓶を持っていくと、10円程度で引き取ってくれたものです。

猛暑日が続く中、日窒鉱山付近の気温は30℃程度と、40℃に迫る関東圏の中では涼しい方ですが、湿度がかなり高く、不快指数MAXな状況でした。

鉱山住宅を訪れる

日窒鉱山住宅は、渓谷の斜面に建てられている物が多く、現役だった頃は、もう少し木々も少なかったのでしょうが、ベランダからすぐ下が傾斜地、というのも、今では中々考えられない立地です。よくこんな場所へ建てたなと感心します。

写真のこの住宅は、残留物から、恐らく子供のいる家庭が住んでいたのでしょう。女児向けの靴や、小学校の教科書が残っていました。
しかし、ほとんどの家具は、引っ越す際に持っていったのでしょう。本のようにかさばるもの以外は、比較的残留物はありませんでした。
電気信管の木箱は、日窒鉱山ではよく見かけるもので、箱を再利用していたのでしょうね(まさか家庭に信管を持っていくとは思えないですし…)

ビデオテープが重ねられていた部分、トリミングすると、「ご自由に、お持ち帰り下さい。」のテプラが貼られ、その上には懐かしいタイトルのテープが。特に上から3本目、ご存知のあなたは間違いなくオッサンです(笑

建物的には、90年代後半に使われなくなったと推察します。

公衆浴場跡へ

公衆浴場跡、昔は入口に木の板で封をされてもいなかったのですが、不法侵入対策ですね。もっとも、横の扉は開きっぱなしですが…

公衆浴場横の鉱山住宅は、ここの中では比較的新しい部類のものですが、アクセスしやすい場所のせいか、ベランダのガラスを割られたりするなどあったため、現在は明確に立入禁止としています。遠くから眺めるだけにします。

日窒鉱山住宅の象徴だった住宅は今

かつては、日窒鉱山住宅でも最も規模が大きい建物だったここは今、建物の半分が倒壊して撤去され、残った建物も倒壊の危機にさらされています。

2013年までは健在だったこの木造アパートは、翌2014年2月の大雪で、ついにその半分が倒壊してしまいました。その前後は、こちらの写真をご確認いただくとして、その後、倒壊したアパートの廃材は撤去されました。残る半分も、横から見ると、建物がくの字に変形しており、いつ倒壊してもおかしくない状況です。

鉱山住宅も、重機が入りやすい建物については、10年ほど前に大幅に解体されたものの、傾斜地など重機が入りづらい住宅については、解体が難しいためか、現在もそのまま残されています。ここも倒壊を待つだけの感じでしょうか。これが最後かなと思って毎回撮影しています。
ちなみに、白い結晶質石灰石が積まれている場所も、かつては鉱山住宅があり、この木造アパートよりはずっと新しいものでした。

売店跡周辺

売店跡、ここも老朽化が進み、窓ガラスの欠損が増えています。中には以前はスロットゲーム機など残されていましたが、今はどうなのだろう?
このあたりから、ピーカンだった空は少しずつ雲が広がってきました。この日の天気予報は午後2時位から雨になるとの予報。早めに撮影を進めます。

売店後ろの廃住宅群

売店の裏手には、解体されずに残った古い鉱山住宅が今でも残っています。売店裏手の建物は平屋なので、倒壊しても危険は少ないという判断でしょうか? 更に奥の傾斜地にも何軒かの鉱山住宅があり、ここは解体が難しいので放置状態のようでした。

さて、青空はすっかり雲に覆われてきました。そろそろ切り上げないと…

最も高台にある鉱山住宅

1枚目の写真、夏だと木が生い茂って、初めての人だと気づかないでしょう。ここにも鉱山住宅があります。今回は時間がないので、眺めるだけ。ここへのアプローチは結構な急斜面を上がらなければなりません。なお、2013年に、この鉱山住宅は訪れていますので、当時の写真をご覧ください

それにしても、今にも降り出しそうです。

大雨が降ってきた…

そしてついに雷が鳴り、慌てて車に戻ると大雨が。写真でわかるくらいの大粒の雨です。ということで、撤収します。何せここまでの道のりは断崖絶壁で落石注意の箇所が多く、雨で土砂崩れが発生したらひとたまりもありません。道路も川になっていたので、慎重に運転しながら帰路につきました。

撮影に2時間、往復で6時間…。

素掘りのトンネル

素掘りのトンネル

暑かったのが、一気に大雨で道路が冷やされて立ち込めるモヤがトンネル内にも。ここは日窒鉱山へ続く道の最後のトンネルで、素掘りです。電灯も一切ありません。初めて通ったときはかなりびっくりしました。暗くて怖いです。ちゃんと中央は道幅が広くなっていて、すれ違いに対応しています。

ということで、久しぶりの日窒鉱山でしたが、やはりもう少し撮影時間が欲しいですね。そして、真夏ではなく、春か秋口の天気の良い日に来たいです。