「建築物」カテゴリーアーカイブ

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/8/18)

夏休みを挟んだので、前回から2週間空きましたが、写研埼玉工場跡地の現状報告です。
雨がちだった天気が、やっと晴れました。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/8/18)

写真手前は、旧厚生棟です。建物解体はほぼ完了し、現在は地中の基礎部分の解体が行われています。
そして奥のメインビルと工場のあった場所、現在ヤオコー和光丸山台店の建造も大詰めです。外壁工事も完了し、足場の撤去が行われています。看板はまだですが、看板取り付けは足場は使わないのでしょうね。
壁をよく見ると、恐らく看板の電飾のためと思われるケーブルが何本も生えてきています。
今は内装工事が進んでいるところですね。

外壁は、ザ・ヤオコーの色ですね(笑
3階は駐車場ですが、自販機やカート置き場などのスペースが正面にあるようです。
個人的にはダイソーが入ってくれれば便利で良いですね。
外構工事はまだこれからですが、8月も後半になり、いよいよお店の形が見えてきた感じです。
ほんの1年半前まで、写研の工場やメインビルが建っていたのですから、時の流れは早いものです。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/8/6)

いよいよ、旧写研埼玉工場の厚生棟の解体も終わりに近づいてきています。

地中部分の土台などの解体も進んでいるようです。
あとは残ったコンクリ類を粉砕して搬出しているようですね。

旧工場地区はヤオコー和光丸山台店の建造が進む

道路を挟んだ対岸の旧工場地区、ヤオコー和光丸山台店の建造が進んでいます。外壁塗装も一部終わって、写真右側は足場が外されています。内装工事も進んでいる様子です。
ここが出来たら、家の買い物のメインはここにしたいかなと思っているので、楽しみです。願わくば、商品もお安くね♪

さて上からも見てみましょう。

もう建物自体はないけれど、まだ土台基礎部分が残っているので、ここの解体がすすめられているようです。
しかし重機ってかっこいいよね。パワーショベルはいろんな爪があるので、見てて楽しいです。

建造進むヤオコーと、解体された旧厚生棟

再起に解体されて、新たな建物の建築が進む現場もあれば、解体中の現場あり。諸行無常ですなぁ(懐に入る

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/8/2)

先週コロナワクチン接種2回目の副反応にやられて確認できないうちに、旧厚生棟の解体が進んでいました。

旧厚生棟

実は先週土曜日、車で横を通ったときには、すでにほぼ解体が終わっているのを確認していました。
そして、昨日の夜、仕事の後寄ってみると、もう壁面など全ての建物解体が終わり、跡は廃材を撤去するだけの状態でした。

支柱がごく僅かに残っていて、これらの撤去や廃材の搬出が終われば、ここは更地になるのでしょうね。
跡地は、恐らくアパートかマンションとなるでしょう。それはもう少し先の話でしょうけど。

とにかく、1ヶ月半に渡った旧厚生棟の解体も終盤となり、写研埼玉工場関連のものは、まもなく全て消えることになります。

旧メインビル・工場地区

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/8/2)

ヤオコーの方は、外壁の取り付け、塗装も進んで、少しずつ店舗が見えてきています。ガラスも取り付けられ、内装工事も進んでいる様子です。

早く出来ないかな~

【群馬】草津シズカ山スキー場(2010年)

11年前の今日行ったシリーズ(シリーズ?)
2010年8月2日の撮影です。

昨日の小串硫黄鉱山の撮影の後、草津温泉に1泊して向かった先が、草津シズカ山スキー場跡でした。

草津シズカ山スキー場は、かつてあった白根硫黄鉱山の跡地に1990年オープンしたスキー場ですが、まさに日本のバブル景気が崩壊する直前に建造された施設。スノーボード全面滑走出来るのが、当時売りだったようです。
しかし、全国的にバブル崩壊後の不景気で、多くのスキー場が経営難に陥って閉鎖されていく中、比較的新しいこの草津シズカ山スキー場もまた、オープンから14年しか経過していない2004年の春を最後に営業を停止しました。

90年代初頭らしい色使いの建物は、窓の造形やインテリアも、バブルが崩壊したとはいえ、まだバブルの余韻が残っていた90年代を色濃く残しています。かなり金はかかっていそうな設備の数々。
天井からぶら下がっているSONYのモニタは、当時映像マニアの間では絶賛されていたプロフィールPRO、KV-27HV1Sでした。HV1にS端子を装備したマイチェンモデルでした。

しかし、この撮影から11年、最近撮影された写真を見ると、特に建物内部の劣化崩壊が激しく、内装が落ちてカビが大量発生しているなど、積雪地ならではの劣化の速さを物語っています。
2010年の撮影では、フロントもまだきれいでしたが、現在ではカビの大量発生と内装剥がれ、荒らされて、モニタにも投石の跡が残ります。時の流れは残酷です。

リフト棟に残された初代パジェロも、私が撮影したときより明らかに劣化していて、今では灯火類がなくなったり、タイヤもパンクしています。
最近の写真と、11年前のこの写真を比較してお楽しみください。

【栃木】ハヤミズ家具センター宇都宮店(2010年)

9年前まで栃木県は宇都宮市に住んでいた私。宇都宮の中心部に近い、八幡山からもそれほど遠くない、通称競輪場通りに、ひときわ大きな廃墟が存在します。

ハヤミズ家具センター宇都宮店
【栃木】ハヤミズ家具センター宇都宮店(2010年)

今から11年前の、2010年7月に撮影しました。ふと思い出して、今どうなっているんだろうと思いまして。

ハヤミズ家具センターは、1933年(昭和8年)創業の老舗家具店で、主に関東圏に店舗を構えていたようですが、1998年6月に47億円の負債を抱えて倒産したそうです。
家具業界も ニトリなどより安価で全国展開するチェーン店も増えて、昔ながらの業態は苦しかったのでしょうか?
私は北海道民だったので、ここが現役だった時代は知りません。

【栃木】ハヤミズ家具センター宇都宮店(2010年)

正面です。7階建て(地下もあり、家具センター横の駐車場と配送センターへのアクセスだったらしい)の大きな建物です。展望エレベーターも設置されていて、現役当時は賑わったのでしょうね。
ただ、末期にはフロアは5階までとなっていて、上階は使用していなかったようです。

【栃木】ハヤミズ家具センター宇都宮店(2010年)

店舗の左側から。古びていますが、立派な建物です。周辺は大きな建物はないのと、交通量の多い競輪場通り沿いだけに、目立ちます。

手前には住宅分譲ののぼりが。現在では民家が建っています。
元々この場所も、ハヤミズ家具センターの駐車場だったようです。

【栃木】ハヤミズ家具センター宇都宮店(2010年)

入り口のクローズアップ。当時廃墟歴は12年だったので、雑草は生えていますが、目に見えて大きく傷んでいる印象はありませんが、現役に見えないことは確かです。
警備会社のステッカーは見えますが、この時点で機械警備が入っていたかは不明です。

【栃木】ハヤミズ家具センター宇都宮店(2010年)

色あせたフロアガイド、看板屋さんの手書きらしいのが時代を感じさせます。
「婚礼セットフロアー」というのが、なんとも古さを感じさせます。結婚して家庭を設けることがステータスというか、当たり前だった時代です。今はクローゼットが普及し、タンスは売れないですからね。時代と供に、家具のスタイルも変わっていきます。その変化に付いてこれなかったのでしょうか。90年代になると、クローゼットやシステムキッチン、ユニットバスも普及し始めた時代ですからね。

さて、現状はどうなっているか? 執筆現在、現存しているようです。

2020年12月のGoogleストリートビューです。さすがに10年以上経過して、看板は更に色あせ、エレベーターシャフトのガラスが1箇所脱落しています。バリケードが張られて、内部侵入を拒んでいます。
また、不思議なことに、6階の窓が1つだけ開放されています。誠に不思議です。勝手に開いたとは思えません。
遡ると、2013年時点で、バリケードは設置されていたようです。

このメインの建物以外にも、右にもさらに店舗があり、裏手にはかつて配送センターだった場所も残っています。

ここがいつ出来たのかは知る由もないですが、現在も手つかずで残されているのは何故なんでしょうね? 倒産したので、破産管財人が土地建物を処分するはずですが、買い手がつかないのでしょうか。
前の通りは渋滞しますが、場所は決して悪くないのですけどね。

最後に、現役だった頃のハヤミズ家具センターのCMです。

https://youtu.be/i7-Q7sujk0A
ハヤミズ家具(1987年)

当時は7店舗あったようですね。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/22・26)

解体の進む旧写研埼玉工場の厚生棟ですが、入り口の目隠しもなくなり、中がよく見えるようになりました。
通勤の合間なので写真は少ないですが、こんな状況です。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/22)旧厚生棟

1枚目はちょっと前の7月22日の朝です。この日は祭日だったせいか、解体はお休みだった様子。
すでに3階と4階の壁までは解体済みで、2階の壁が残るのみです。
奥には階段も見えます。これが入口があった場所から上階までの階段でしょうね。

そして26日の夜も来てみました。

絞り開放f1.7で撮っても、ISO感度は12800まで上がってしまう状況。RAWで撮って現像しましたが、まあWebに上げる程度には見られる画像かな?
2階部分は、向かって右側の方は、壁と窓が撤去されているのがわかります。壁を撤去して鉄骨だけの状態にして、最終的に鉄骨も解体なのでしょうね。


ところで、以前も書きましたが、この場所は2019年11月に、所有権が写研から、同市内の某企業に移転していることが、登記簿で確認できています。
そして、今解体を請け負っている業者、解体を依頼している業者は、ともにこの地域の企業です。(写真にある重機の業者は、下請けと思われるので、直接は労災保険関係成立票には書かれていない)
ちなみに、解体を依頼している会社は、この界隈でアパートやマンションを手掛けている会社でした。
解体後は、アパートかマンションになる可能性が高そうです。


旧厚生棟ですが、登記簿によれば、1992年(平成4年)12月24日に新築と書かれています。見た目も古くなかったですが、割と新しい建物だったようです。
ただ、90年代前半といえば、急速に書体のデジタル化が進んで、写植機の売上が落ち始めていた時期と重なります。
21世紀に入ると、社員数も減り、新規開発も殆どなくなってしまっています。
厚生棟が有効に使われていた期間は、案外短かったのかもしれません。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/20)

変化が大きいので、更新頻度を上げている本シリーズです。

旧メインビル・工場地区

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/20)

ヤオコーの建造は順調に進んでいる様子です。

旧厚生棟

これまですっぽりと防音壁に覆われて、解体の様子が垣間見れなかった(チラ見は出来ていたけど)旧厚生棟の解体の様子ですが、解体が進んだせいか、重機入り口の防音壁が外されていました。

入り口の防音壁が外された旧写研埼玉工場の厚生棟解体現場

見ての通り、すでに屋根や各階の床は解体済みで、壁のみ残っている状態です。

逆光だとゴーストが派手に出ますなぁSUMMILUX 15mm…。4階建てだった建物の4階部分はすでに壁もなくなっています。

仕事帰りにも寄ってみました。

3階部分の壁も撤去されていました。もう壁だけなので、解体も早そうです。
さて、解体後はどうなるのかな? この土地の所有者は、以前の情報では、同市内のとある企業でしたが、現在もそうなのかはわかりません。
場所的には、この写真の奥の部分は坂道があり(上の写真のコメント「徐々に低くなる防音壁」を撮っている場所)、建物の奥側は崖となっているため、この旧厚生棟もそうでしたが、1階部分は光が殆ど入らない場所です。跡地には集合住宅ができるのかな? なんとも難しい立地ですね。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/16)

前回から短いスパンでの更新です。

旧厚生棟

解体が進む旧厚生棟、全体を防音壁に囲われているため、中の様子は見えないものの、トラックが解体した廃材を運び出している際に、ちらっと中が見えるので、写真は撮れませんが、すでに屋根は解体され、床もほぼなくなり、建物の壁のみの状態であることは、この一週間でわかりました。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/16)旧厚生棟

昨日の仕事帰りに立ち寄ってみると、正面の出入り口のカバーが少しめくれて、中が少しだけ見える状態でした。

空が見えます。屋根は完全に撤去済み、床もほぼない感じですね。
鉄骨が切られていて、底にかつて屋根を支えていた部分があったのでこのペースで行くと、お盆休み前までには解体は終わりそうですね。

2021年6月解体直前の旧厚生棟

防音壁が外されても、もうそこにはかつての建物は存在しないのです。儚いものですね。

旧メインビル・工場地区

こちらは、工事現場の入り口が開いていたので、ヤオコーの建造の様子がよく見えました。

建造中のヤオコー和光丸山台店

サッシが取り付けられ、一部は外壁工事も進みつつあります。
こちらも1年前はこんな様子でした。

2020年6月、足場を組まれた写研埼玉工場旧メインビル

1年でこれだけ変わるものなのですね。

【茨城】廃割烹

昔からよく通る場所なので、存在は知っていたのですが、現役の頃は見たことがない、ということは廃墟歴はそれなりに長そうです。

主要道路沿いなので、知っている人は見たことある風景

パッと見は廃墟に見えません。いや、逆にこの通りには、他にも古びたお店や空き店舗が多いです。なので、今回スポットするお店は逆に目立たないかもしれません。

障子が破れていて、廃墟歴が長いのが伺えます。建物はそれほどくたびれた様子はないのですが、一部蔦が絡まっているのがわかります。
正面の入り口には「割烹」とだけあり、店名そのものはどこにもありません。

Googleストリートビューで調べたところ、2012年には廃墟にような感じです。そして今より外壁がボロいのです! 今はない街頭が建物の左にあり、「(有)○○会館」という名称が書かれていました。
検索すると、この住所で2015年に法人登記された記録がありました

Googleストリートビュー(2012年11月)

どうやら、お店の看板は入り口右側にあったようです。2012年時点で崩壊していますが。

しかし、同じストリートビューで2018年になると様子が一変します。

Googleストリートビュー(2018年7月)

なんと、外壁はきれいに塗り直されています。さらに3階部分の窓は開いていて、明らかに人がいる様子です。入り口のカーテンも開いています。
更に面白いのは、三角屋根が上階に設置されているのです。ただ、その屋根は薄っぺらで、台風が来たら吹っ飛びそうな感じですが。

そして現状は、こんな感じです。

再び人気のない廃墟状態に

入り口のカーテンは閉ざされ、雑草も生い茂って、しばらく人が入った様子はないです。
そして、2018年にはあった屋根がすっかり消えています。不思議です。

お店の横にLPガスボンベとメーターが設置されていました。
まだどれも新しく、ガスボンベもそれほど古さは感じません。メーターは何れも2029~2030年まで有効のものです。
電気メーターは、デジタルメーターの場合、有効期限は10年のようなので、このメーターは2019年に設置されたと思われます。
同様に、ガスメーターも10年の有効期限なので、2020年に設置されたと思われます。
外壁がリフォームされた際に、再契約したのか? しかし電気メーターは、新品が設置されてから進んでいる様子は全くありません。しかも左側のメーターは、戸内への配線も接続されていない状態です。
リフォームしたけど、使われずそのままの状態なのでしょうか。

この物件で好きなのはこの風景。螺旋階段と壁に蔦が絡み、サビも良い感じです。上りたくはないですけどね(笑
この状態から察するに、この最近使われた形跡はなさそうです。
ボイラー用と思われる灯油タンクも空の状態です。

障子が破れていたりするものの、電気やガスのメーターは期限が来た際に更新されていますし、壁も塗られたりと、定期的に管理はされているのかな? 有限会社としてこの場所は登録されていますが、有限会社であることから、古くからの存続会社として、登記だけはしているっぽいですね。
一体いつからあるのか、気になるところです。

個人的には、蔦の絡んだ階段がツボな物件でした。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/12)

関東も梅雨に入って、毎日雨がちの天気となってしまい、気がつけば前回の投稿から3週間経過してしまいました写研埼玉工場跡地の現状シリーズ。
梅雨の合間に晴れたのを狙って、朝方撮影してきました。

旧メインビル・工場地区

メインビルと工場のあった跡地に建てられている、ヤオコー和光丸山台店は、鉄骨部分がほぼネットで覆われて見えなくなりました。外壁工事が本格化する感じでしょうか?

店舗は2階建てで、3階と屋上が駐車場になりそうです。かなり大きな店舗になりそうですね。駐車場のスロープも完成しつつあります。

旧厚生棟

一方、6月より解体工事に着手された厚生棟、相変わらず防音壁にすっぽり囲まれて、外からは様子を窺い知ることはできません。が、防音壁が前回より低くなっているのがわかります。
すでに最上階の建物は解体撤去済みと思われます。防音壁の足場パイプのみ、突き出しています。

写真は撮れませんが、入り口からチラっと中が見えましたが、床はほとんど解体されていて、上階までの外壁部分が残っている感じでした。内部から解体して、最後に外壁を解体という流れなのでしょうね。
ネットが外されることには、建物もなくなっているのでしょう。

写研看板最後の日?がストリートビューに

Googleのストリートビューが更新され、以前はメインビルや第2工場が写っていましたが、最新のストリートビューでは、解体中の様子が写っていました。

撮影日は2020年11月となっています。写研埼玉工場の看板は、2020年11月6日に撤去されたことを確認しています。つまり、このストリートビューの写真は、2020年11月1日~6日の間に撮影されたと思われます。偶然ですが、写研埼玉工場の看板最後の姿となったわけですね。
ストリートビューでは、このポイントは2010年4月の状態から見ることができますが、2010年時点で、すでに埼玉工場は人気がない状態であることがわかります。しかし、敷地内の樹木はきちんと剪定されていますし、雑草も生い茂っておらず、管理はされていることがわかります。
10年以上、守衛所に人が常駐していること以外、何も使っていなかった広大な敷地を、管理だけはしっかりしていたわけで、写研が近年ほぼ売上がなくても、内部留保だけで維持できていたかがわかりますね。