「建築物」カテゴリーアーカイブ

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/22・26)

解体の進む旧写研埼玉工場の厚生棟ですが、入り口の目隠しもなくなり、中がよく見えるようになりました。
通勤の合間なので写真は少ないですが、こんな状況です。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/22)旧厚生棟

1枚目はちょっと前の7月22日の朝です。この日は祭日だったせいか、解体はお休みだった様子。
すでに3階と4階の壁までは解体済みで、2階の壁が残るのみです。
奥には階段も見えます。これが入口があった場所から上階までの階段でしょうね。

そして26日の夜も来てみました。

絞り開放f1.7で撮っても、ISO感度は12800まで上がってしまう状況。RAWで撮って現像しましたが、まあWebに上げる程度には見られる画像かな?
2階部分は、向かって右側の方は、壁と窓が撤去されているのがわかります。壁を撤去して鉄骨だけの状態にして、最終的に鉄骨も解体なのでしょうね。


ところで、以前も書きましたが、この場所は2019年11月に、所有権が写研から、同市内の某企業に移転していることが、登記簿で確認できています。
そして、今解体を請け負っている業者、解体を依頼している業者は、ともにこの地域の企業です。(写真にある重機の業者は、下請けと思われるので、直接は労災保険関係成立票には書かれていない)
ちなみに、解体を依頼している会社は、この界隈でアパートやマンションを手掛けている会社でした。
解体後は、アパートかマンションになる可能性が高そうです。


旧厚生棟ですが、登記簿によれば、1992年(平成4年)12月24日に新築と書かれています。見た目も古くなかったですが、割と新しい建物だったようです。
ただ、90年代前半といえば、急速に書体のデジタル化が進んで、写植機の売上が落ち始めていた時期と重なります。
21世紀に入ると、社員数も減り、新規開発も殆どなくなってしまっています。
厚生棟が有効に使われていた期間は、案外短かったのかもしれません。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/20)

変化が大きいので、更新頻度を上げている本シリーズです。

旧メインビル・工場地区

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/20)

ヤオコーの建造は順調に進んでいる様子です。

旧厚生棟

これまですっぽりと防音壁に覆われて、解体の様子が垣間見れなかった(チラ見は出来ていたけど)旧厚生棟の解体の様子ですが、解体が進んだせいか、重機入り口の防音壁が外されていました。

入り口の防音壁が外された旧写研埼玉工場の厚生棟解体現場

見ての通り、すでに屋根や各階の床は解体済みで、壁のみ残っている状態です。

逆光だとゴーストが派手に出ますなぁSUMMILUX 15mm…。4階建てだった建物の4階部分はすでに壁もなくなっています。

仕事帰りにも寄ってみました。

3階部分の壁も撤去されていました。もう壁だけなので、解体も早そうです。
さて、解体後はどうなるのかな? この土地の所有者は、以前の情報では、同市内のとある企業でしたが、現在もそうなのかはわかりません。
場所的には、この写真の奥の部分は坂道があり(上の写真のコメント「徐々に低くなる防音壁」を撮っている場所)、建物の奥側は崖となっているため、この旧厚生棟もそうでしたが、1階部分は光が殆ど入らない場所です。跡地には集合住宅ができるのかな? なんとも難しい立地ですね。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/16)

前回から短いスパンでの更新です。

旧厚生棟

解体が進む旧厚生棟、全体を防音壁に囲われているため、中の様子は見えないものの、トラックが解体した廃材を運び出している際に、ちらっと中が見えるので、写真は撮れませんが、すでに屋根は解体され、床もほぼなくなり、建物の壁のみの状態であることは、この一週間でわかりました。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/16)旧厚生棟

昨日の仕事帰りに立ち寄ってみると、正面の出入り口のカバーが少しめくれて、中が少しだけ見える状態でした。

空が見えます。屋根は完全に撤去済み、床もほぼない感じですね。
鉄骨が切られていて、底にかつて屋根を支えていた部分があったのでこのペースで行くと、お盆休み前までには解体は終わりそうですね。

2021年6月解体直前の旧厚生棟

防音壁が外されても、もうそこにはかつての建物は存在しないのです。儚いものですね。

旧メインビル・工場地区

こちらは、工事現場の入り口が開いていたので、ヤオコーの建造の様子がよく見えました。

建造中のヤオコー和光丸山台店

サッシが取り付けられ、一部は外壁工事も進みつつあります。
こちらも1年前はこんな様子でした。

2020年6月、足場を組まれた写研埼玉工場旧メインビル

1年でこれだけ変わるものなのですね。

【茨城】廃割烹

昔からよく通る場所なので、存在は知っていたのですが、現役の頃は見たことがない、ということは廃墟歴はそれなりに長そうです。

主要道路沿いなので、知っている人は見たことある風景

パッと見は廃墟に見えません。いや、逆にこの通りには、他にも古びたお店や空き店舗が多いです。なので、今回スポットするお店は逆に目立たないかもしれません。

障子が破れていて、廃墟歴が長いのが伺えます。建物はそれほどくたびれた様子はないのですが、一部蔦が絡まっているのがわかります。
正面の入り口には「割烹」とだけあり、店名そのものはどこにもありません。

Googleストリートビューで調べたところ、2012年には廃墟にような感じです。そして今より外壁がボロいのです! 今はない街頭が建物の左にあり、「(有)○○会館」という名称が書かれていました。
検索すると、この住所で2015年に法人登記された記録がありました

Googleストリートビュー(2012年11月)

どうやら、お店の看板は入り口右側にあったようです。2012年時点で崩壊していますが。

しかし、同じストリートビューで2018年になると様子が一変します。

Googleストリートビュー(2018年7月)

なんと、外壁はきれいに塗り直されています。さらに3階部分の窓は開いていて、明らかに人がいる様子です。入り口のカーテンも開いています。
更に面白いのは、三角屋根が上階に設置されているのです。ただ、その屋根は薄っぺらで、台風が来たら吹っ飛びそうな感じですが。

そして現状は、こんな感じです。

再び人気のない廃墟状態に

入り口のカーテンは閉ざされ、雑草も生い茂って、しばらく人が入った様子はないです。
そして、2018年にはあった屋根がすっかり消えています。不思議です。

お店の横にLPガスボンベとメーターが設置されていました。
まだどれも新しく、ガスボンベもそれほど古さは感じません。メーターは何れも2029~2030年まで有効のものです。
電気メーターは、デジタルメーターの場合、有効期限は10年のようなので、このメーターは2019年に設置されたと思われます。
同様に、ガスメーターも10年の有効期限なので、2020年に設置されたと思われます。
外壁がリフォームされた際に、再契約したのか? しかし電気メーターは、新品が設置されてから進んでいる様子は全くありません。しかも左側のメーターは、戸内への配線も接続されていない状態です。
リフォームしたけど、使われずそのままの状態なのでしょうか。

この物件で好きなのはこの風景。螺旋階段と壁に蔦が絡み、サビも良い感じです。上りたくはないですけどね(笑
この状態から察するに、この最近使われた形跡はなさそうです。
ボイラー用と思われる灯油タンクも空の状態です。

障子が破れていたりするものの、電気やガスのメーターは期限が来た際に更新されていますし、壁も塗られたりと、定期的に管理はされているのかな? 有限会社としてこの場所は登録されていますが、有限会社であることから、古くからの存続会社として、登記だけはしているっぽいですね。
一体いつからあるのか、気になるところです。

個人的には、蔦の絡んだ階段がツボな物件でした。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/7/12)

関東も梅雨に入って、毎日雨がちの天気となってしまい、気がつけば前回の投稿から3週間経過してしまいました写研埼玉工場跡地の現状シリーズ。
梅雨の合間に晴れたのを狙って、朝方撮影してきました。

旧メインビル・工場地区

メインビルと工場のあった跡地に建てられている、ヤオコー和光丸山台店は、鉄骨部分がほぼネットで覆われて見えなくなりました。外壁工事が本格化する感じでしょうか?

店舗は2階建てで、3階と屋上が駐車場になりそうです。かなり大きな店舗になりそうですね。駐車場のスロープも完成しつつあります。

旧厚生棟

一方、6月より解体工事に着手された厚生棟、相変わらず防音壁にすっぽり囲まれて、外からは様子を窺い知ることはできません。が、防音壁が前回より低くなっているのがわかります。
すでに最上階の建物は解体撤去済みと思われます。防音壁の足場パイプのみ、突き出しています。

写真は撮れませんが、入り口からチラっと中が見えましたが、床はほとんど解体されていて、上階までの外壁部分が残っている感じでした。内部から解体して、最後に外壁を解体という流れなのでしょうね。
ネットが外されることには、建物もなくなっているのでしょう。

写研看板最後の日?がストリートビューに

Googleのストリートビューが更新され、以前はメインビルや第2工場が写っていましたが、最新のストリートビューでは、解体中の様子が写っていました。

撮影日は2020年11月となっています。写研埼玉工場の看板は、2020年11月6日に撤去されたことを確認しています。つまり、このストリートビューの写真は、2020年11月1日~6日の間に撮影されたと思われます。偶然ですが、写研埼玉工場の看板最後の姿となったわけですね。
ストリートビューでは、このポイントは2010年4月の状態から見ることができますが、2010年時点で、すでに埼玉工場は人気がない状態であることがわかります。しかし、敷地内の樹木はきちんと剪定されていますし、雑草も生い茂っておらず、管理はされていることがわかります。
10年以上、守衛所に人が常駐していること以外、何も使っていなかった広大な敷地を、管理だけはしっかりしていたわけで、写研が近年ほぼ売上がなくても、内部留保だけで維持できていたかがわかりますね。

百里基地で撮影したら、百里神社も寄りたい

最近は、百里基地撮影…と言ってもなかなか行けないのですが、できる限り百里神社も寄るようになりました。

本当に小さな神社です。1938年(昭和13年)海軍航空隊の百里原海軍航空隊基地の守護神として奉斎、戦後に荒廃したものの、素鵞神社の整備事業により、今後令和五年を目処に、境内を整備するそうです。

百里神社の社殿

時間がある時は素鵞神社にもまた行こう。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/6/22)

先週足場が組まれた旧写研埼玉工場の厚生棟ですが、今週に入って防音壁が組まれて、建物がすっぽり覆われました。これで、建物の外観は確認できなくなりました。

工事関係者の入り口は、かつての駐車場入口部分ですが、その左側にあった入り口と二階へ続く階段部分は、ちらっと見た限りは解体が進んでいるようでした。内部に重機を入れて、内側から解体していっているのでしょうね。
この防音壁が撤去される頃には、建物も消えているのでしょうか。

工場跡地はというと、ヤオコーの建造も進み、一部外壁も施工も始まっています。

写研書体アーカイブサイト

研のHPでは、先月より書体のアーカイブサイトが公開されています。
昔読んだ漫画の表紙の書体なんかも、こういうのが使われていたんだな、と思わせる如何にも年代を感じさせる書体なんかは懐かしいですし、ゴナ系の書体は、今でも十分通用する物が多いですね。

【茨城】旧日本加工製紙高萩工場

2002年5月、東証一部上場企業だった、製紙会社である日本加工製紙が破産宣告を受け、倒産しました。

工場は茨城県に2箇所あり、その1つが高萩工場でした。
従業員は高萩工場だけでも400人以上いましたが、全工場事業所の社員は全員が解雇され、当時茨城県でも最悪の倒産劇とされていました。

後に高萩工場は、インドネシアの華僑系財閥、シナルマスグループの日本法人オール・ペーパー・アンド・プリンティング・プロダクツ株式会社に12億円で売却されます。
工場の機械類は海外に持ち出され、その際に空けられた穴の残る建物のみが2017年まで存在していました。

その後、工場は解体され、現在ではソーラー発電所となっています。

メガソーラーは、こうした跡地に一時期次々と建造されましたが、近年はわざわざ山を切り開いて設置するなど、環境保護の面から、その建造方法は必ずしも良いとは言えないものも多いです。個人的には、こうした市街地のど真ん中にあるのも違和感です。

撮影は、2009年10月、まだ工場が健在だったときのものです。当然、中に入ることは出来ませんし、しっかりと管理され警備員も巡回していましたから、外から見える範囲での撮影となりました。

この廃墟は、独特の退廃的な印象からか、特撮やドラマ、宇多田ヒカルのPVなどで使用されたことで、結構有名な場所でした。
現在は解体されたため見ることはかないませんが、一度は中で見てみたかったな。

写真は過去に旧ブログで掲載しましたが、当時の写真は掲載サイズも小さいため、フルHD相当に再RAW現像した上で、掲載します。

日本加工製紙のHPは、Webアーカイブに残されています

Internet Explorer5.0以上、Netscape6.0以上という表記が懐かしいです。
倒産直前の2002年3月末の社員数は、HP上では785名、1200名以上いた社員も、もう倒産2ヶ月前には2/3近く減っていたようですね。

【埼玉】日窒鉱山廃住宅群(2008年10月)

埼玉県の日窒鉱山を撮影し続けて、かれこれ15年近くになります。
現在も株式会社ニッチツが操業している秩父鉱山の別名でもあり、かつてはその社宅が多く存在していました。しかし、現在では、多くの旧社宅は解体、または2014年の大雪の影響により倒壊し、撤去された建物も多くあります。
日窒では病院廃墟や学校の廃墟がその界隈で有名となってしまった結果、厳重な立入禁止措置がとられたり、建物の解体が進みました。
この写真は、まだそこまで厳重に立入禁止がされていなかった時代のものです。

現在でも、取り壊しの難しい急斜面などを中心に、いくつもの建物が残っています。
今回は、まだ解体が進んでいない、倒壊が進んでいない頃の、2008年10月の日窒鉱山廃墟群を再RAW現像した上でアップします。

デジタル一眼レフD300導入から1年、まだまだ明暗差の激しい廃墟撮影では、その画像処理に苦労していた時代です。最新のRAW現像ソフトで、あの当時は黒つぶれしていた画像が蘇りました。やはり大切な写真はRAWで撮るのが良いですね。

また、この撮影では、モノクロフィルムのBRONICA S2での撮影も実施しています。
合わせてご覧いただければと思います。

今は失われてしまった、あるいはさらに熟成が進んでしまった建物の、まだ若かった頃の写真をお楽しみください。

ここまではNikon D300で撮影したデジタル編。
次はBRONICA S2で撮影したモノクロ編です。

毎年撮りに行きたくなる日窒鉱山廃墟群ですが、年々建物が姿を消したり、撮影は難しくなってきています。それでも、飽きずに撮りに行きたい場所です。
今年も秋辺りに撮りに行きたいですね。

【写研埼玉工場】跡地の現状(21/6/17)

ちょっと時間がなくて、写真は殆ど撮れていませんが、簡単に写研埼玉工場跡地の現状報告です。

ヤオコー和光丸山台店は着々と工事が進む

メインビルと工場のあった敷地跡には、ヤオコーが着々と建造されています。
上階駐車場へのスロープも、段々と完成してきています。

そして旧厚生棟はというと…

足場が組まれた厚生棟

足場が組まれ、写真左隅にチラッと見えていますが、建物正面側は防音壁で覆われました。
足場は壁の一部に穴を空けて固定しています。窓は開けられ、中を見ると、既に内装の撤去作業が行われていて、天井は剥がされている様子。
解体に本格着手されれば、いよいよ写研埼玉工場ゆかりのものは姿を消すことになります。