【栃木】2025年の旧石裂小学校とその周辺

去年ブログで公開したこの記事。

上の記事では2007年、2010年、2012年の当時の現状を撮影していましたが、あれから十数年経過し、どうなっているか確かめたく行ってきました。

今回、モノクロフィルムを入れたBRONICA S2でも撮影しています。

旧石裂小学校は、人口減少とともに1964(昭和39)年に閉校、その後80年代まで集会場として使われるも、現在はそのまま使われずにいます。

2007年時点では、眼の前にあじさいがさいていて、一部窓ガラスが割れていましたが、まだきれいな状態でした。右隣の職員社宅も健在でした。それから比べると、18年経過した現在では窓ガラスの多くが割れて雑草も伸び、荒廃が進んでいるのがわかります。

窓の向こうを見た限りはまだ案外きれいなのですが、風雨が入りやすい状況ではより痛みが激しくはなりそうです。

そしてパワーショベルが置かれていましたが、建物解体が予定されているのでしょうか。まさかこれが最後の撮影に? ショベル先端の爪も置かれているので、近くそういう運命になるのかもしれません。だとしたら来てよかったです。

やっぱり時間を空けちゃだめですね。いつまでもあると思うな、の精神で撮りに行かないとです。この建物の運命は自分ではどうすることも出来ませんが、写真に収めることだけは出来るので。

十数年ぶりだと色々変わっていますね。仏壇仏具の古看板はついに無くなっていました。

この場所も次来る頃には色々変わっていそうですね。
ちなみにここは現在でも携帯の電波が届きません。


その後、更に山奥にある古民家蕎麦処 うえ田に行ってみましたが、残念ながらお休みでした…とほほ。事前に電話してとあったのを忘れて一か八か行ってみたんですけどね。
ちょうどここの経営の御夫婦が車で帰ってきて「すみません今日休みなんですよ~」とのことでした。
南摩ダム本格稼働の2年後、リベンジしたいです。

【厚木基地】25/5/1の記録

毎年何故か恒例になっている、GW中の厚木基地撮影。のんびり出来るからですね。

ガンガン飛ぶほどでもないけど、確実に何かは飛んでいる平日、ただ今年は少なかったな。

実はレア機である連絡機のLC-90は、ビーチクラフトのキングエアベースの海自仕様で、80年代末から5機導入されて、以前は海自の各航空基地に1機ずつ所属していたのですが、今は厚木基地に全機配置されています。連絡機なので人員輸送などに使われているのでしょうね。
あと数年後には現役を退くと見られていますが、地味な機体だけにあまり注目されないですね。
遠方には、ついに報道でも機体不調が取り上げられるようになったC-130R輸送機。米軍の中古モスボール保管機を再生して導入したものですが、米軍時代の飛行時間が短かったとはいえ、経年による老朽化が大きいようで。これも空自のC-130Hとともに、C-130Jあたりに更新したほうがいいと思うんですけどね。
残念ながらこの日は動いていませんでした。

米海軍のMH-60Rは、ソノブイカバーに鶴が描かれていますね。日の丸を意識した感じですね。同じH-60シリーズでほぼ同じ用途の機体とはいえ、海自のSH-60K/Lとの違いがよくわかります。

そしてP-1がやっと見れました。P-1の5512号機は上がっていって戻ってこなかったので、哨戒に出かけたのでしょうね。

5508号機と5510号機はタッチアンドゴー訓練でした。横田から上がっと思われる米空軍のC-12Jが上空を通過して、P-1と重なりました(中央右の写真)。

厚木基地は第3航空隊が全機P-1哨戒機になっているので、P-3Cの飛ぶ姿は整備で日本航空機に来ている機体のテスト飛行とか、他の基地から来た機体がいれば、飛行はなくはないんですけどね。残念ながらこの日は見ることが出来なかったです。駐機はされていましたが。
奥にはEP-3Cらしき機体も駐機されていましたが、今となっては懐かしの白とグレーの塗装ですね。

この後海自の機体は飛ばず、米海軍のキングエアUC-12Fが上がり、MH-60Rがオートローテーション訓練、上の写真の機体はまた違ったその部位カバーの絵柄ですね。
残念あがらあまり飛ばなかったけど、まあこんな日もあります。

そろそろ戦闘機撮りたいですね。静浜基地の航空祭もありますしね。

【栃木】加蘇鉱山大通洞坑跡

先日行った栃木県鹿沼市、南摩ダムを見た後に通った加蘇鉱山の遺構を見てきました。

道路沿いに、見逃しそうな小さな坑口があります。

道路沿いの川にはかつてトロッコの橋脚があったのですが、ここ何年かでついに崩壊したのか無くなっていました。が、向こう岸にはそれらしい遺構が残っていて、建物の姿もありました。

加蘇鉱山大通洞坑口は閉ざされています。小さいですね。中は水没しているようです。

この日は妻と一緒だったので、足早に遺構を撮影するに留めましたが、選鉱場や坑道も残っているようで、また機会があればもう少し詳しく見てみたいと思います。