木更津駐屯地 創立56周年記念行事「第50回 木更津航空祭」に行ってきた (その2)

続きです。この観覧場所だと、アナウンスが殆ど聞こえないので、状況はあまり良くわからないけど、とりあえず見てるという感じ。

何年後化はわかりませんが、攻撃ヘリと偵察ヘリは全てUAV(無人機)に置き換えるという方針になり、この2機種も遠からず見られなくなります。

ただ、代替のUAVって特に決まっていないんですよね。単に流行りものに乗っかった挙げ句、何も決まっていない…とならないようにしてほしいですね。

そして展示飛行も終了。やっぱりここのメインはCH-47JAチヌークなんだな。

でも久しぶりにUH-60Jの機動も見られたのが良かったかな。何せ、海空と比べると、陸自のUH-60Jは余り見る機会がないんですよね。

そして最後にV-22オスプレイが6機、ずらりと展示と体験飛行のため整列しました。ここから雨がひどくなってつい移動してしまいましたが、このあとにエレファントウォークさながらに機体が移動、撮り逃しちゃいましたね…。

上の1枚目、退役した保管機の連絡機LR-1とV-22オスプレイのコラボ!3枚ペラ同士で、わりと似ている機体同士だったり?

オスプレイ6機が並ぶ頃には雨が強くなって、早めに帰る観客も多かったかな。そのため、この後お昼を買いに行ったら、露天のお店は在庫を積み上げてちょっと可愛そうな状況でした。お昼の書入れどきに皆さん帰っちゃいましたからね…。

ササッと地上展示を見る

雨が強いので足早に。

何とオスプレイの格納庫が空いていました。中には入れないけど、撮影禁止ともなっていなかったです。

整備中のV-22オスプレイ

結構貴重なシーンですね。

そしてさらに貴重な航空自衛隊の給水車も。いすゞの全輪駆動トラックのTSDの自衛隊版で、懐かしのボンネットトラック。
今や現役車は数少ないそうで、貴重な1台。73式大型トラックの登場でこのタイプの導入は少なくなったものの、 HTS型として自衛隊向けには1993年まで製造していたそうで、この車両は1990年(平成2年)式でした。こう見えて昭和ではなく平成の車両なんですね。

悪路走破性に優れていることから、原型が1951年から生産されていたため、基本設計は70年以上前の車両ということになります。すごいな~

一旦格納庫で雨宿り

チヌークにちなんだマーキング

ゲスト機は荒天のため殆ど来なくて、米軍からは唯一海軍厚木基地のMH-60Sがハロウィン仕様で展示。この機体は揚陸指揮艦ブルーリッジ搭載機です。

ブルーリッジは長年横須賀港が母港なので、日本人に馴染みの深い艦艇。ハロウィンなのでお菓子をくれた隊員さんも日本語ペラペラw。

雨が強いのでUH-2もちょっと見ただけ。まあこの機体はいずれ陸自の主力機になるので。マンホールの蓋も何種類かあるそうですが、雨なので確認したのはこれだけ。

最後にオスプレイをちょこっと見て、帰投の撮影は諦めて自分が先に帰投しました。

オスプレイ洗機、富士重工業(現スバル)専用水栓なんてあるんですね。水道料金別枠かな(笑

午後は雨がひどくなってしまいましたが、飛行展示中は小雨だったのが幸い。雨だから行くのやめようかと思ったけど、来年もうオスプレイは移動のため見られない可能性もあり、来てよかったですね。

木更津駐屯地 創立56周年記念行事「第50回 木更津航空祭」に行ってきた (その1)

忙しくて更新できていませんでしたが、先日土曜日、木更津へ行ってきました。

天候は「雨」。この日の天気予報は早朝から雨が降り始め、お昼以降強くなる、とのことで、行くかどうかかなり迷いましたが、妻から「行かない後悔するなら行ってきたら」の有り難い一声で、しっかり雨天装備も持参し行ってきました。

午前5時半の木更津飛行場

早めに着いて偵察活動(笑)。午前6時頃から雨が降り始めましたが、腹をくくって駐車場へ移動。幸いにも、午前7時過ぎに一旦雨は止み、時々小雨が降る天気ながら、何とか持ちこたえた感じです。

そして予定時間に無事入場。お、新型汎用ヘリのUH-2も来ていますね。

残念ながら、荒天ということで外来機は米軍のMV-22オスプレイを始め、警察や消防、民間機などが飛来せず、やや寂しい展示となってしまいましたが、飛行展示も編隊の経過飛行以外は実施されたのが幸いでした。

オスプレイは飛ばないの?? 新しい格納庫が遠方に出来ていますね。いえいえ飛びますよ。遠方でスタンバイしていました。
陸上自衛隊のV-22オスプレイ17機は、木更津駐屯地への配備は2025年7月までの暫定配備で、その後は佐賀空港に移動する予定のため、この規模の陸自オスプレイを木更津で見られるのは今回が最後、と思っています。
が、ここには重整備を担当するスバルが拠点を構えていて、定期整備は米軍のオスプレイを含め木更津で行う予定となっていて、全く見られなくなるわけではないものの、木更津航空祭でこの規模で見られるのは今回が最後になるはずなんですよね。

そのオスプレイが動き始めました。そして、今後退役が決まっているOH-1「オメガ」に、去年はいなかったUH-60JAの姿も。
そういえば、2013年度の調達を最後に、陸上自衛隊ではUH-60JAは新規調達されておらず、そろそろ初期の期待は30年近くになり、今後の動向が注目されます。
まさか新型とは言えUH-2で補うのは、ちょっとパワー不足な感じはしますが。

今回はあまりオスプレイ飛ばないなぁ。それでも、荒天で飛行展示中止とならなかったのは良かった。雨は時々小雨が降る程度、一応カメラは濡れないよう防水カバー、対策は万全で挑みました。

やっぱりここの主役はCH-47JAなんですね~。今年は去年はなかったヘリボーンによる車両や普通科(歩兵)の展開の展示も。オスプレイもその速度を活かした展開が本来の使い方ですからね。

撮影場所、ミスったかなと思ったけど、ここはここで良かったかな。天気はどんよりでしたが、幸いこの時点では時々小雨が降る程度、来てよかった。そして去年割と航空祭や駐屯地祭で荒天だったこともあり、それなりに装備をしっかりしていたのも良かったです。望遠レンズのレインカバーはめったに使わないけど、ここでは役に立ったし、カメラバッグもレインカバーがあるので助かりました。
割とゴミ袋を被せたり、なにも対策していない人も多かったのですが、防滴対応のカメラレンズでも、長時間ではトラブル発生の確率が上がるので、対策をするに越したことはないですね。

続く…


大切な望遠レンズを壊さないように。防塵防滴仕様でも過信は禁物ですよ。

【長澤酒造】高麗王 浮氷

先日鎌北湖の撮影に行った帰りにたまたま酒造を見つけまして、せっかくなので新規開拓ということで寄ってみました。

長澤酒造

この長澤酒造のお酒は初めて。「君が旗」「高麗川(こまがわ)」というブランドのお酒を展開しているようです。小さいながら、直売店が併設されていました。

買ってきたお酒第1弾がこちら。

【長澤酒造】高麗王 浮氷

最近、日本酒を炭酸で割るという飲み方もありますが、こちらのお酒は「氷を浮かべて呑むお酒」とラベルにあるように、オンザロックで飲むを提唱しているようですね。
そろそろ涼しくなってくる季節ですが、まだジメジメした日も少なからずあるので、こういうお酒もたまには良いでしょう。

【長澤酒造】高麗王 浮氷

氷を浮かべる前提のため、アルコール度数が19度と日本酒としてはかなり高いのが特徴です。醸造アルコール添加なので、これでアルコール度数を上げているのでしょうね。
醸造アルコールも色々種類があり、居酒屋飲み放題で提供されるような安価な「日本酒もどき」では、この醸造アルコールの質が悪かったりしますが、ちゃんとした酒造であれば、米由来の醸造アルコールを使っています。ようは米焼酎を添加している感じでしょうか。

精米歩合は70%と程々に削っています。その他のスペックは一切不明で、そもそも検索してもこのお酒の情報は何もないんですよね。公式も含め、ネット販売もないようです。
同じ「日本酒ロック」のコンセプトで、酒米に「彩のかがやき」を使用した高麗王の純米無濾過生原酒はHPに掲載されています。このお酒はもしかして直売所限定販売なのかな?

わずかに黄色みがかったほぼ透明なお酒

白州のグラスに氷を入れて、注いでみました(笑) オンザロックのウイスキーみたいに飲みます。
上立ち香はカラメルがかった香ばしい甘みを感じます。古酒にある「ひね香」の方向ですね。口に含むと、ああ強い!ぐっとアルコールのアタックが来ますが、すぐにカラメルのような甘みがぐっと押し寄せます。
そしてその後に酸味と苦味が押し寄せますね。余韻は長くもなくスパッと切れるでもない標準的な感じ。
感触としては、カラメル米焼酎でしょうか。氷が溶けて行くほどに、アタックは弱くなりますが、カラメルを貴重とした味のベースはそのままです。
個人的には氷を入れて数分くらいのバランスがとても良く感じました。まだまだ暑い日も多いので、そんな日に良いお酒ですね。

【栃木】旧石裂小学校とその周辺(2007/2010/2012年)

栃木県鹿沼市に建造中の南摩ダム、そのさらに上にかつてあった石裂集落は、かつて鉱山があったことから栄えていましたが、戦後鉱山の採掘量が減少したことから、次第に人口減少していきました。
そこにあった旧石裂小学校は、人口減少とともに1964(昭和39)年に閉校し、しばらくは集会場として使われていたものの、それも1980年代に別の建物ができてからは、この旧石裂小学校は使われなくなりました。使われなくなってから四半世紀、建造からは果たして何年経過したのか?

2007年7月

初めてこの旧石裂小学校に出会ったのは2007年、南摩ダム建造予定地や旧梶又小学校を散策した後、たまたま道を上がって走っていて見つけました。

また周辺には良い感じに古びた建物や看板も残っていて、かつて集落として栄えていた面影を伺わせました。
この時点では右側の教員棟はボロボロになりながらまだ健在でした。

2010年6月

3年後の2010年。校舎は窓ガラスの損壊が進んでいるものの建物は健在。しかし教員棟は更に崩壊が進みつつありました。

また向かいのお寺の建物も崩壊が始まっていました。

校舎と元愛車のアコードユーロR

2012年8月

そして最後に撮影した2012年。枚数は少なめです。校舎は健在でしたが、規制線が張られていました。
隣りにあった教員棟は撮影していません。確かもうなかったような? 倒壊しっぱなしだったら撮っていたと思いますが、多分この時点で残っていなかった(解体された?)のでしょうね。

なお、古びた仏壇仏具のお店の看板は、2024年ストリートビューに写っていて健在のようです。

しかし、対岸にあったお寺の古い家屋は2014年時点までかなり崩壊が進んだところまでは存在しましたが、かなり飛んだ2023年時点では存在せず、この間に解体されたようです。

2024年現在も旧石裂小学校は健在です。いつかは再訪したいですね。